あなたとわたし ※短編集
─side Comet
始まりは、一本の電話だった。
その電話がなければ、俺はあいつと出会わなかっただろう。
窓を打ちつける雨音を片耳に、俺――コメィト・カナレリン――は黙々と仕事をこなしていた。カメラのメモリーをパソコンに移行し、冊子に掲載予定の写真を確認する。
俺の職業は『記者』だ。ついでに仕事場でもある、第二勢力【
記者一筋で早数十年。同期はとうの昔に結婚やら独立やらで勢力を脱退し、今や知り合いはフリーになったピーターぐらいか。そもそも俺に個人的な付き合いを持つ奴はいない。出来るほど器用でもないしな。仕事が恋人、とはよく言ったものだ。
(……インパクトが薄いな。もうちょい変えるか)
俺が編集しているのは、今回の目玉とも言える記事だった。これが世に出れば当人に恨まれるだろうが――今に始まったことじゃあない。“暗殺系”の勢力に何度も殺されかけたが、それも最近はピタリと止んだ。……これも俺の周りに人がいない原因だろう。
キーボードの入力音やマウスのクリック音が静かに響く中。デスク上に置いていた携帯端末がひとりでに起動する。
指を動かしつつ、ちらりと目線を送れば。登録していない番号からの着信。普通なら警戒するだろうが、俺の場合“タレコミ”電話の可能性がある。特に疑いもせず、俺は応答した。
「こちら【
耳に充てた端末からは、ザーッと降り注ぐ雨音だけが返ってくる。
気にせず俺は肩との間に端末を挟みながら作業を開始し、相手が話し始めるのを待った。
『……名乗るような名はないが、周囲からは“先生”と呼ばれている』
へえと空返事する。名前を偽るヤツなんてごまんといる世界だ。いちいち気にしたって仕方がない。
『コメィト・カナレリン。貴方に頼みたいことがある』
「内容と報酬による。こっちにも仕事があるんでね」
『報酬は“出せない”』
思考と連動して指の動きも停止した。
「……タダ働きしろと?」
『そうなってしまうな……』
だが。
『世界中に生きる誰かでは駄目なんだ。君にしか頼めない』
続けて放たれた男の言葉が、俺の耳を打つ。
『――“あの子”を任せられるのは、貴方しかいないんだ』
静かに。けれど確かに。
胸の奥で何かが燻る。
報酬といった見返りもないし、ましてや、どこの馬の骨かも分からない人間を預かるなんて性に合わない。
それでも。
意思を伝えようと言葉にするが――ごほごほと酷く咳き込んだ男に思わず飲み込んでしまう。
「お、おい、大丈夫か?」
「――」
「おいッッッ‼︎」
俺の叫びは虚しく反響し、後にはツーツーと機会音が残る。
「失礼します。何かありましたか?」
部屋の外にまで聞こえていたのか、通りかかった部下が扉の隙間からこちらを覗いた。
「……いや、なんでもない」
俺は平静を取り繕い、首を左右に振る。疑われてはいたが干渉まではされず。部下は軽く頭を下げ、再び扉を閉める。
「……」
あんな切られ方をされたらいくら俺でも心配する。
もう一度掛け直してみたものの、男が応答することはなかった。
不可解な電話と依頼をされてから早数日。
あらゆる情報網と経験を活かし、遂に男の居場所を突き止めた。予想以上に時間がかかったなと思う。まあ、仕事の合間だったというのもあるが。
『オラトリオ地方』王都から離れた場所で運営している『ゲーヌ孤児院』。俺に電話をした男――自身を『先生』と名乗り、本名を明かさない怪しげな人物――は、そこで働いているという。
俺は休日を利用して足を運び、職員の女に『先生』の所在を尋ねた。
「
男の跡を継ぎ院長の座に就いた女はそう綽々と答える。男の死に対して、悲しむ素振りすら見せない。
「既に火葬し、霊園に安置しておりますが」
「場所をお教えいたしましょうか?」と言った女の提案に乗り、俺は霊園の場所をメモしとく。……ここでの情報収集は切り上げたほうが良さげだ。俺は早々に孤児院をあとにした。
車を走らせてから暫くして、フロントガラスに飛来する水滴。
やがてそれは雨となって視界を遮り、ワイパーを起動させる。
(また雨か……)
霊園の駐車場に車を停車し、俺は積んでいた傘を片手に墓石が立ち並ぶ中を歩いていく。
雨がズボンの裾に跳ね返るのを気にもとめず。男の墓を探して回る。
そうして見つけたのは。
頼りない小さな背中だった。
「おい、お前」
大雨の中を傘も差さず、“ソイツ”はひとつの墓の前で座り込んでいた。
俺が声を掛ければ、虚な紫色の瞳がこちらを見上げる。
「風邪引くぞ」
――“あの子”を任せられるのは、貴方しかいないんだ。
「ありがとうございます。でも……もう少しだけ」
愛おしげに墓石を撫でるソイツと長い付き合いになろうとは。
この時の俺は思っていなかったのだろうな。
「しっかし、コメィト。良かったのかぁ? リアム君の独立許しちまって」
俺の職場で惰眠を貪る
「てっきりおれはぁ、コメィトがリアム君を拾ったのは。自分の後継者に育てるつもりだと思っていたんだがよ」
「んなふざけた理由があってたまるか。リアムが決めたことに俺が口出す権利はねぇよ」
俺の返しに。ソファーで寝転んでいたピーターは興奮気味に食いついてきた。
「ええっ⁉︎ じゃあなんで……ハッ、まさかアッチ方面……」
「殴るぞ」
「だったらなんだってさ」
窓の外で振り続ける雨に目を向ける。
「……依頼人の秘密は守る主義なんでね」