ゆるミリ
(どうしよう……)
茜色へ移ろう空の下。少年シエルは大いに悩み、帰路に着く。
結論を見出すことなく罪悪感を胸に、
「おかえ、……どうしたの?」
暗く沈んだようなシエルを出迎えたリアムは目を丸くし、首をかしげる。
「えっとですね……あっ」
シエルはリアムを見ようと目線を上げるも、彼の背後にルートヴィッヒの姿を見つけ俯いてしまう。
一連の不可思議な行動を目にし、リアムは空笑いを浮かべる。
「話したくなかったらいいけど〜……大丈夫?」
「話したくないわけではなくてその──」
急ぎ弁解しようとしたシエルの声は扉が開く音と被る。
帰宅したリーヴをリアムは笑顔で迎えた。
「あ、リーヴ。おかえり〜」
リーヴは自身の姿に驚愕しているシエルに目を細め、後ろ手で扉を閉める。
「なんだよ。なんか文句でもあんのか」
「父上。シエルを怖がらせないでください」
ルートヴィッヒの威圧を秘めた声音に対し、「聞いてるだけだろうが」と苛立ちで返すリーヴをリアムはじっと見据える。
「……なんか怒ってる?」
「別に怒ってねぇ」
「怒ってるじゃん」
悪戯に苛立たせるのは悪いと身を引いたリアムだったが、おずおずと進み出たのはシエル。
「あの、リーヴさん。さっきのお話……」
リーヴは目を吊り上げ、下げると共に息を洩らす。
「盗み聞きとはいいご身分だな」
「ご、ごめんなさい」
リアムとルートヴィッヒから痛々しい視線を受けたリーヴは前髪を掻き上げ、半ばやっつけに語る。
「求婚されてんだよ、ここ最近ずっとな」
「きゅきゅ求婚⁉︎ バツ二なのに‼︎」
「違ぇよ」
「う、受けるの⁇」
「受けるわけねぇだろ。面倒くさい」
リアムは「だよね!」となぜか満面の笑みであり、シエルはそっと胸を撫で下ろす。
「リーヴと結婚したらその人可哀想だよ」
「同感だな。ろくな結婚生活にならないであろう」
「電気代は掛かるわー、働かないわー」
「その上、自分勝手な都合で簡単に家庭を捨てるからな」
好き勝手にリアムとルートヴィッヒに言われるも、リーヴは眉間にシワを寄せるだけで反論はしなかった。身に覚えがありまくりだからだ。
リーヴの顔色を窺い、「お二人ともそこまでに……」とシエルが落ち着かせる。
「ああすまない。して、その女性とは?」
「名前は忘れたが、パン屋の上に住んでるって言ってたな。お前にも会ったことあるって」
仮面に隠れて表情は読み取れないが、リーヴの言葉に『ピン』ときたようであった。
顎を指の腹で撫でながら「そうですか」と呟くルートヴィッヒを横目に、リーヴは自室がある二階へ続く階段を上がって行った。
「……すまない。少し出掛けてくるな」
「え? もう夕方だよ?」
「すぐ戻るさ。先に夕食は食べていてくれ」
唇を綻ばせ、ルートヴィッヒは拠点をあとにする。
直後──声を掛けるのを忘れてしまうほどのスピードで、リーヴと入れ違いで現れたルシャントも拠点の外に出て行った。
「……あれ?」
「今の、ルシャントさんでしたよね?」
「さっきの話聞いてたのかな……?」
「はい。階段を降りる手前で聞いていました」
ばっと振り向くリアムとシエルに、ちょこんと佇むミエールは微笑み返す。
「ルシャントが階段を降りようとしないのでどうしたのかと思いましたら……なかなかに修羅場でしたね」
「僕が言うのもなんだけど……笑いながら言う話じゃないよね」
苦笑するシエルはふとルートヴィッヒの言葉を思い出し、夕食の頃合いであることに気づく。
「あの……夕食はどうしますか?」
「あ、そうだね、作らなきゃ。ルーは帰ってるか分からないけど」
「大丈夫です。恐らく、ルーイさんと一緒に帰って来ますよ」
ミエールはそう笑みを溢しながら告げ、リアムとシエルは理解出来ず互いに顔を見合わせた。
ルートヴィッヒが向かうのは、リーヴに求婚をしたという女性の下。彼女とは以前本屋で出会い、軽く話したことがあった。その本屋に足を運ぶと、予想通り女性と会うことが出来た。
「父上から話を聞いたのだが……」
女性は頬をほんのりと朱色に染め、「お聞きになられたのですね」とはにかむ。
「貴方の隣に並んでいる姿をお見かけした際に──」
うっとりと瞼を閉じたその唇を塞ぐように人差し指を添える。
思わず閉口した女性に、笑みを湛えたルートヴィッヒは顔を近づけた。
「──残念だが、私は貴女を愛することはない。その愛らしい唇を嘘で汚してしまう前にやめなさい」
女性のはにかんだ笑みが頬に凍りつく。
ルートヴィッヒは離れ際に笑顔を一つ。女性の下から立ち去る。
「おやルシャント。このような場所でいかがした?」
あと少しで街を抜けるといった場所で待ち構えていたルシャントに笑いかける。
「さあ、戻るとしよう。皆が待っている」
先を歩き出すルートヴィッヒに続いたルシャントは、夕焼けが照らす横顔に問いかける。
「……わざわざ伝えなくても、勝手に諦めたんじゃないの? あの女が好きだったのは、リーヴじゃなくてあんただとしても」
「ふふ、そうであるな」
ルートヴィッヒは振り返らなかった。
「だが許せなかった。彼女の嘘であろうと、あの男が幸せになるなど。……絶対に」
仮面を抑えるルートヴィッヒの声音は低い。
それは普段の彼からは想像もしない、父親に対する憎悪からくるものなのだと。ルシャントは理解した。
だがそれも僅かに満たぬこと。ルートヴィッヒは穏やかな口調で──まるで何事も無かったかのように──口を開く。
「さて、今晩の夕食はいかがなものかな」