ゆるミリ
のどかな陽気に包まれる拠点の片隅。開け放たれた窓辺に凭れるルートヴィッヒは、流れ込む穏やかな風に頬を緩め、ちくちくと針仕事をしている。
慣れた手つきで最後の一針を縫い、ぱちんと糸を切れば完成。ルートヴィッヒは愛おしそうに笑みを浮かべ、美しい指で触れる。
「ルーイ、悪いが手伝ってくれー」
自身の愛称を呼ぶのは、外の竿に洗濯物を干していたアステル。恐らく身長が届かず上の方に洗濯バサミを挟めないのだろう。ルートヴィッヒは「少し待ってくれ」と声掛けし、針道具と完成品を窓辺に残したまま向かう。
予想は的中。真っ白なシーツを留めるのにアステルの身長では足りなかった。およそ20センチも差があるルートヴィッヒに届かない所を任して、アステルは籠を戻しに拠点の中へ。
「あとは私がやっておくから、君は休んでいいぞ」
帰り際に言われた言葉に甘え、アステルは居間のソファーに横たわる。
(あっやべ、寝れそー……)
暑すぎず、それでいて緩くない気温と。影と絶妙なバランスが取れた光加減。睡魔に襲われるのも致し方なかった。すでに瞼の重さに負けつつあるアステルは少し昼寝するかと、仰向けの体勢から横に寝返りをうつ。
完全に視界を閉ざす――直前、映り込む不審物。アステルは睡魔を押し除け、強引に瞼を開ける。
窓辺と付近の床に散らばる青と白の物体。眠気にどっぷりと浸った体を引きずり、窓辺に近づく。瞼を擦れば、霞む視界がすっきりとその惨状を映しだした。
「……、うわっ!?」
一拍置いて。驚愕するアステルから睡魔が退散する。
散らばる青と白の物体の正体は、裁縫に使用する布と綿であった。よくよく見れば、元はとある人物を模したぬいぐるみであったことが窺える。青い髪に、蝶々の柄が刺繍されたローブとケープらしきもの。これだけ確認できれば、ルートヴィッヒの異母弟ルシャントのぬいぐるみだとさすがのアステルも気づく。自身が手伝いを頼む際になにか作業をしていたのは知っていたが、ぬいぐるみを作っていたとは。
それにしても。アステルは顔を顰めた。一体誰が。なんのために。なかなか見事な再現度ゆえの悲惨な光景を前に、アステルの灰色な脳細胞は活性化される――はずはなく。
「これは……」
「る、ルーイ……」
知らぬ間に、ルートヴィッヒがアステルの背後で佇んでいた。仮面で表情が読み取れない分恐ろしい。無言で視線を向けられれば、アステルは疑われているのかと焦る。
「ちっちがっ……俺じゃないぞ!」
「ああ、気にしないでくれ。怒ってなどいないさ」
「そ、そうなのか……? あっもしかしてわかってるとか」
「ふふ、わかっているさ。この人形の出来栄えが気に入らなかったのだろう? それならそうと指摘してもらえれば……」
「わかってねーから‼︎ ってか俺こんなことするヤツに見えてんのかッ! というかアレだろルシャントだろやったの‼︎」
近くのテーブルに残されたぬいぐるみの顔部分と『次はない』と書かれたルシャントのメッセージに、彼らが気づくのは少しあとのこと。
必死に弁解するアステルにルートヴィッヒは小さく笑みを溢す。
「すまないすまない。焦る君が珍しくてつい意地悪をしてしまった。許しておくれ」
「な、なんだよもう……」
揶揄われたことを怒る気も消え失せるほど、アステルの体から力が抜ける。
そのままソファーに座り込むアステルだったが、近づく第三者の足音に顔を向ける。
「あっミエール! そこでストップ!」
「はい?」
愛くるしい仕草で小首を傾げつつも、居間にやってきたミエールはアステルの指示に従い足を止める。しかしすぐにルートヴィッヒがかき集めているぬいぐるみの残骸が気になったのか、歩を進めてしまう。
あの惨状を見せるわけにはいかない。悲鳴を上げるミエールの姿がアステルの脳裏を過ぎる。止めようと手を伸ばすが僅かに遅く、ミエールはルートヴィッヒの肩越しにぬいぐるみの残骸を見つける。
「まあ。これは……ぬいぬい草ですか?」
平然とした態度。聞きなれない単語がミエールの口から飛びだし、アステルは目を丸くした。一方で、ルートヴィッヒは微笑み返す。
「さすがはミエール姫。ご存知だったかな」
「ええ。有名な呪草ですから。これはどこで?」
「街で開催されていた夜市で購入した」
一人会話についていけず取り残されたアステルが恐る恐る話しかければ、ミエールは笑顔で応じる。
「どうしましたか?」
「その……ぬいぬい草って?」
恥を捨て訊ねるアステルをミエールは嗤うことなく、布の一部を手に説明する。
「ぬいぬい草は山地で採れる呪草です。その草から抽出される煎液は、糸などの繊維を強固にする効力があります。鋏で断ち切る場合は異なりますが、ただの糸が針金ほどにもなるとか」
ミエールが手にしている布は、ぬいぬい草の煎液を染み込ませた糸で縫い合わせたものだったようだ。試しにミエールが左右に引き伸ばしてみせると、全く破れる気配がない布に「おお〜っ」とアステルから声が上がる。
ぬいぐるみの残骸を全て袋に詰めたルートヴィッヒは最後にミエールが持つ布を入れ、袋の口を縛りながら。
「ぬいぬい草は“縁が切れない”おまじないとしても有名でな。私も試してみたいと思ったのだ」
「たしかにそうですが……ぬいぐるみの再現度が高いと、その方がぬいぐるみになってしまう呪いもあるので危険ですよ?」
「おや。そうであったか。二人の分も作ろうとしていたのだがな」
「このクオリティだったら確実に俺らぬいぐるみになるからやめてくれよ」
ミエールも苦笑を浮かべるあたり、アステルと同意見な様子。
「一応お聞きしますが、他には作っていませんよね?」
ルートヴィッヒは顎に手を添え、回想に耽る。思い出すという行為に嫌な予感を察したアステルは正しかった。
「ルシャントを作る前にリアムを作ったぞ」
「そのリアム……今日見てないんだが……?」
暫しの沈黙を破いたのはミエールの発言。
「なんだか今日は静かだと思っていましたが、リアムがいなかったからですね」
硬直状態から回復したアステルは居間を飛び出しルートヴィッヒの部屋に押し入る。ベッドの上にちょこんと座る小さなリアムのぬいぐるみを見つけるや否や鷲掴み、居間に飛び込んだ。
「りっリアムいた! 多分リアムだよな!?」
「断定はできませんが、ひとまず解呪してみましょうか」
ルーイさん、とミエールはルートヴィッヒを呼び、両手で丸を描く。
「大きな釜を出してはいただけませんか? 人一人入るほどの」
「えっ。ま、待て、魔法とかじゃないのか」
アステルの額に冷や汗が滲む。ミエールはきょとんと瞬きを繰り返しては笑みで返した。
「沸騰したお湯に三分弱茹でて完成ですっ♪」
その言葉に当事者でないアステルから血の気が引いていく。戦慄し立ち尽くす間にも大釜を満たすお湯がボコボコと泡を立ち始める。
「さあどうぞ入れてください」
――その後、無事生還したリアムは自室に篭り、ルートヴィッヒの激励が絶えることはなかった。