その他小説
――19××年、三月十四日。惑星『地球』。
ヨーロッパ中央に位置するドイツと呼ばれる地域で、私は生を受けた。
父により名付けられた名は『キャロル』。『キャロル・アルマ』として、私は父と母のもとで健やかに成長していった。
「……お前は本当に本が好きだな」
「ちがうよパパ! おれは本じゃなくて、お話が好きなの! パパが読んでるみたいなむずかしい本は好きじゃない」
物心ついた頃には自宅にあった童話に興味を抱き、読み書きを習い始めてからは毎日のように物語を愉しんだ。
特に『ルイス・キャロル』著の『鏡の国のアリス』には深い感銘を受け、お話を純粋に楽しむだけでなく、敷かれた数多の伏線、散りばめられた遊び心。そういった展開も含め、私は『物語』という娯楽にのめり込んだのだ。
「最近は『グリム童話』も読むようになったんだ」
「原作のほうか?」
「もちろん! 特に好きなのは――」
「二人とも。お友達からたくさんトマトを頂いたから、今日のお夕飯はトマトスープにするわね」
「え〜……トマトやだぁ……」
「好き嫌いしてると大きくなれないぞ」
「貴方が無理やり食べさせたからよ」
ありふれた日常。ありふれた光景。
それがどれだけ幸福なことか。幼い私は、知る由もなかった。
――父が失踪してから一ヶ月。
日に日に病む母を目に、幼い私は幸福な
父との交わりを思い出す――と、母は私に暴力を振るった。何度も何度も血を流しながら、ここにいない元凶と母を恨んだ。
顔の大半を覆う仮面をつければ、母は私をいないものとして扱うようになった。
そうして残ったのは――嫌いになれなかった『物語を愛する心』だけとなる。
十の齢を迎えた頃。私に、とんでもない転機が舞い降りた。
「坊や、大丈夫かい?」
「こんなところで寝ていたら、風邪をひくよ」
見知らぬ老夫婦に声をかけられた私が目を覚ますとそこは、深い緑に覆われた森の中。
家の付近に森があった記憶はなく、そもそも自分は街に行こうとしていたのだ。寝た覚えもなかったが、とにかく街へ向かおうかと私は彼らに尋ねる。
「起こしてくれてありがとうございます。すみません、街はどの方向ですか?」
「おやまあ、街へ行こうとしていたのかい? 随分遠くまで行くんだねぇ」
「遠く……? ××はすぐ近くですよね?」
「××? 聞いたことのない街だねぇ」
「『アルヒ地方』じゃない街なら、儂等は知らないのぉ」
「『アルヒ地方』……ドイツじゃなくて?」
少しずつ違和感を抱き始めた私に恐怖が押し寄せる。
それは、迷子になったような感覚に似ていて。
「坊や、お家はどこかい?」
「どこから来たんだい?」
「……分からない」
怖くて泣き出してしまった私を彼らは、ひとまず自分達が暮らす自宅へと招き入れた。
彼らのおもてなしのおかげで落ち着いた私は、現状を整理する。
ここはドイツではなく『アルヒ地方』と呼ばれる場所である事。
自分の手元にある鞄には、少々のお金と、大好きな本が二冊あるだけ。
試しに彼らに本を見せてみたが、『見た事のない文字だ』と揃って首を傾げられた。
「坊やが良かったら、儂等のところにいればいい」
「おいぼれしかいないけどねぇ」
彼らの好意に甘え、新しい土地での生活が始まった。
ここが『地球』ではないと理解するのは、数日後の話であった。
――あれから、百年余りの時が過ぎようとしている。
私を育ててくれた
どうしてなのか分からないが、髪の一部が青く染まった事と関係があるのだろうか?
……と、深く考え過ぎるのはらしくない。
周囲と異なる体を持った私は、他人と長い時間関わるのをやめ、名を偽りながら、老夫婦が残した図書館を今日も管理している。
大好きな物語。
嫌いになれなかった物語。
百年の時を費やそうと、まだまだ読み足りない。
――満たされていた私のもとに、再び転機はやってくる。
図書館の近くに落ちていた機械が運んだ手紙に、私は驚愕することとなる。
『キャロル・アルマ』宛の手紙。差出人は――。
「リーヴ……『リーヴ・アルマ』」
私達家族を置いて失踪した『父』の名前。もう二度と見ることはないと思っていたのに。
私がどうしてこの世界へ来たのか――手紙に書かれていた内容は、また別のお話で語るとしよう。
あの雨の日、迷い込んできた彼らのお話とともに。
「我が名はルートヴィッヒ。ただのしがない語り部だ」
「僕はリアム! こっちがアステルとミュティス。で、そっちが――」
私は物語を愛する語り部。誰かに語り継ぐだけであり、物語に介入することはない。
だが、彼らの物語なら――ともに紡ぎたいと切に願う。