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ミュティス編


 『鏡の精霊王』であるわたしが『化身』となったのは、世界が一度消滅する遥か前の話。
 まだ『星神』が降臨していた時代。『化身』となる条件を満たし、わたしは人の姿へと変化する。
 生まれて間もなく『鏡界』を形成。鏡の中から、人間の願いを叶えるようになった。
 『願いを叶える』ことが、わたしが『化身』となった理由だと思うから。


「なあ、オマエは叶えたい夢とかないのか?」

 数日前に目覚めた彼もその一人だ。まだ願いを叶えられる状況ではないから、わたしの『鏡界領域』で一時的に保護しているけど。

「ないわ」
「小さなことでもか?」
「ないわ。あるとするならば、人間の願いを叶えること。でもそれは、あなたに止められたから」
「願いは叶っているがアレは……あーもうこの話はやめやめ!」

 わたしは今、人間の願いを叶えていない。
 それは彼に――アステルに止められたからだ。理由はよく理解できないけれど、人間との感覚がかけ離れているとか言われた気がする。

「……何を見ているの?」

 アステルの手には一冊の本があった。稀に『鏡界』には、現世の物が落ちていることがあるから拾ったのだろう。

「これか? 言葉の本みたいでな、同じ意味でも色んな呼び方があって面白いんだ! 見てみろよ」

 渡された本を流し見てみるが、アステルのような感情は湧かない。
 ふと、目に止まったページを見つめる。

「勿忘草? オマエ好きなのか?」

 覗き込んだ彼に問われるも、わたしは分からなかった。

「好きかどうかは知らないけど、この花なら見たことがあるわ」

 どこで見かけたのかは覚えていない。
 でも……大切な記憶だったはずなの。

 ――『化身』となった者は、それ以前の記憶が消える。

 そんなことを思い出した。

「『ミュティス』」
「……?」
「オマエの名前それにしよう! 勿忘草から取って! なあ、いいだろう?」

 願いを叶えていないはずなのに、彼はよく笑う。
 今だって笑っているけど、わたしにはよく理解できない。

「好きにすればいいわ」

 一つだけ分かるのは。

「おう、ミュティス!」

 出会った『人間』がアステルで良かったこと、ぐらいだと思う。


 ――ずっと、ずーっと、待ってるから。
 わたしの『願い』を叶えてくれる日を。


 昏い髪をしたわたしが、今日も鏡の中で笑っている。

「……ミュティス? どうかしたか?」

 今日も『見えていない』アステルに、わたしは首を振る。

「なんでもないわ、アステル」

 『鏡の中のわたしあなた』の願いを叶える時を。
 わたしは静かに願っている。


 ――あなたのそのからだ
 わたしにちょうだい?

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