その他小説

アステル編


 オレはとても恵まれていた。
 あの世界での日々を、『退屈だ』と思っていたからだ。
 『暗黒時代』の最中、不完全な状態でオレは産まれた。
 一日の大半をベッドの上で過ごし、口にできるのはお米の水炊きぐらい。やる事といえば本を読むか、寝るかの二択。
 そんな生活が出来るのも、村で一番の富豪だった両親のおかげだ。そうでなければあの時代に、毎日水や食料を用意出来るはずがない。それぐらいは、当時のオレでも理解していた。
 だが、オレは『普通』になりたかった。
 みんなの力になりたかったんだ。
 誰かに「ありがとう」を伝えるだけじゃなくて、「ありがとう」って言われるように。
 貰った優しさを返せるような体に。
 なりたかった、だけなのに。

「ラエスト!」
「ああ……どうしてこんな……」

 大好きだった両親の声が遠ざかる。
 痛覚はとうに消え、張り詰めた糸が途切れるように――体から何かが消えていく。

「こうなったのも全て……あの不吉な蝶のせいだ……っ!」

 違うんだ父さん。ティナクルは何も悪くない。
 伝えたい言葉は、『言葉』にならない。
 オレの体はもう二度と、喉を震わせることはなかった。

「「――⁉︎」」

 ……視界が昏く染まっていく。
 幾度も名前を叫ぶ父。泣き叫ぶ母。絶望に歪む二人の顔も――遂に見えなくなった。

「ラエストっ……ラエスト……‼︎」
「あ、あ……ああああああああああああ⁉︎」

 どうか……どうかお願いだ。
 誰でもいいから『アイツ』に伝えてくれ。
 オマエのせいじゃない。
 嘘をついて……悪かったって……。


「え」

 オレが『次』に発したのは、そんな言葉だった。
 煩わしかった痛みも、昏い視界も、無音の耳も。
 全部が綺麗さっぱりに元の状態となって。気づいたらオレはそこにいた。
 一面が銀色に染まる世界――数えきれないほどの鏡が浮遊している空間そこは、明らかに自然のもの、人の手で作られたものでないことは分かった。
 それにしても、ここは天国なのだろうか?
 寝ていたオレは起き上がり――どこか久しぶりな感覚で――不思議な空間を歩き始める。

「オレ……?」

 一つの鏡の前に立ってみれば、『今』のオレが映し出された。
 黒かった髪は真っ白に抜け落ち、身につけていたのは薄い布一枚。自分が自分でないような……。

「――何をしているの」
「⁉︎ うおああああああああああ⁉︎」

 覗いていた鏡から自分が消え、代わりに女の子が映し出された。
 びびって鏡から離れたオレをよそに、女の子が鏡から抜け出してくる。
 オレと同じ髪色をした、陶器のようにキレイな女の子。村ではまず見たことのない姿に少しだけ見惚れていたが……いやいやそんな場合ではない!

「だっ誰だ⁉︎」

 問いかけは無視され、女の子の手が無遠慮に、オレの体に触れる。
 ぺちぺちと軽く叩いて、何かを確認してる……?

「……まだ不完全ね」
「不完全?」

 ようやく離れたかと思えば、そんなことを口にした。

「体と魂の融合が不完全なの」
「ちょ、ちょっと待て、一体何がどうなって……」

 女の子は不思議そうに目を丸くして。
 次には、ありえない事実を告げられる。

「アナタの願いを叶えるために、アナタの体を『新しく造った』のよ」
「……は?」

 ティナクルが信じてくれた『ラエスト』は死んだ。
 新たな体を手に入れた少年は、『鏡の精霊王』の傍らで待ち続ける。
 いつの日か『大罪人』が世に放たれる、その時を。
 己が願いを叶える、その時を。

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