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ルシャント編


 ──……一度でいいから、満天の星ってやつを見てみたい。

 それは彼の願いだった。
 夜空のように昏い髪に、瞬く瞳を持つ彼は、あの頃の僕にとって特別な存在だった。
 誰もが僕のことを疎んでいたのに、彼は屈託のない笑顔で何度も一人だった僕に話しかけてきた。出歩いているのを見つかると連れ戻されるらしい彼は、いつも内緒で僕を見つけては隣に並んだ。
 その明るさにつられて僕の頬も緩んでしまうほど、彼との時間は楽しかった。

 ──なあ、一緒に世界の果てまで行ってみねぇか? きっとそこなら、見える気がするんだよな。満天の星が!

 その夢に僕を誘ってくれたあの瞬間は、今だに忘れない。
 結局その夢は、果たされなかったのだから。


 太陽が失われ、月も星の光も消え去った『暗黒時代』。
 先の見えない暗闇から我先に抜け出そうと人々は踠き、数少ない水や食料を巡って争いが起き、家族内でさえも疑心暗鬼となり、永遠の闇にくずおれた。
 その中で僕は『異質』であった。
 水も食料も睡眠も必要とせず、魔力だけで悠久の時を生き続けることが出来る。
 気付いた時にはもう既に、暮らしていた家の夫婦に働かされていた。
 余計なことは考えず、自分達の為に働け。というのが、彼らの決まり文句だ。
 その言葉に疑問を抱かないまま、休むことなく働き続けていた。
 彼と初めて会ったあの日も。

「良かった……まだここは綺麗で……」

 あの日、僕は村の近くに位置する洞窟に潜っていた。彼らに言われ、飲水を確保するために。
 この洞窟には崖が多く存在し危険なため、近づく者は滅多にいない。だけど、中にある泉の水は飲水に適しているからよく通っている。例え崖から落ちてもあの力を使えば大丈夫。
 泉の傍で屈み、持ってきていた桶で水を掬う。

「うわあああああああ⁉︎」

 その時、静寂を切り裂くように誰かの悲鳴が響いた。
 泉がある中心部に行けるのは、僕が知る限り一つしかない。その道は長い崖が細々と続く。踏み外したら最後、奈落の底に真っ逆さまだ。
 気がつけば駆け出していた。
 中心部から近い位置の崖にしがみつく手が見え、咄嗟に掴んだ。同じタイミングで力尽きたのか、向こうは崖から手を離してしまったので一気に崖下へ引き摺り込まれそうになる。
 それでもなんとか引き上げようとしたのだが、先に崖の方が限界に達してしまい、崩れた地面と共に奈落の底へ。
 空に投げ出された時、初めて相手の姿を見た。
 僕と同じぐらいの年頃の少年。
 驚く彼の手を力いっぱいに引き寄せ、抱えた状態で青い翅を出現させる。一振りし空気に乗ると、そのまま泉がある中心部へ飛んだ。
 忌々しいこの力に今日も助けられた。
 安全な場所で地に足をつけ、翅を消す。

「……大丈夫?」

 目の前にいる少年は答えなかった。

「さっきの……」

 代わりにぽつりと呟く。
 気味が悪いと思っているのだろう。この力のせいで、関わると不幸になると言われているから仕方ない。
 僕だって好きじゃない。……好きで手にしたわけじゃないのに。
 けど、彼は真っ直ぐと僕を見て言った。

「さっきの翅、すっごくキレイだな!」

 綺麗……? あの翅が……?
 誰にも言われたことがない。自分でも思わなかった。
 それを彼は、眩しいぐらいに目を輝かせて言ったのだ。

「あっ。いきなり悪かったな……」
「……ううん。びっくりしただけ」

 怒ってなかったと安心したように笑う彼。

「お礼言うの遅くなったが……さっきは助けてくれてありがとな。オレは『ラエスト』! オマエは?」
「僕は……『ティナクル』」
「ティナクルかぁ……よろしくな!」

 初めて言われた言葉。初めて差し出された手。
 恐る恐る手を握り返すと、彼──ラエストは歯を見せて笑った。

「なあ、一つ聞いてもいいか?」
「う、うん。なに?」
「ここがどこか知ってるか?」
「え、知らないで来たの……?」
「迷っちゃって……」

 笑ったかと思えば、今度は気まずそうに目を逸らす。
 こんなに表情が変わる人、初めて見たかもしれない。

「……じゃあ、出口まで一緒に行こう」
「一緒に来てくれるのか⁉︎」
「うん」
「助かる! さっきもそうだが助けられてばかりだな……お礼になにか返せればいいんだが……」
「お礼?」

 僕なんかにする必要はない。
 それは、心から思っていたことだった。

「ああ。って言っても大した物は返せないしなー……」
「僕なんかにする必要はないよ」
「オレはオレを助けてくれたオマエにしたいんだから、そんな遠慮するなよ」

 ラエストはいとも簡単に僕の『なにか』を壊していく。
 でも、不思議と悪い気はしなかった。

「うーん……今は思いつかねぇから、また次でもいいか?」

 洞窟の出口が見え始めた頃、ラエストはそう僕に言う。
 また次で、の意味が分からなかった。

「またオレと会ってくれるか? ティナクル」

 この時、嬉しい気持ちってなにかを知ったのだ。
 何年も一緒に過ごしたわけじゃないのに、今日だけで初めての経験をたくさんした気がする。

「じゃあ、この近くで会おうなー!」

 ラエストとは洞窟の入口で別れ、彼の背を見送る。

「……あ。水……」

 水が入った桶を置いてきてしまったことに気づき、引き返した。
 彼が綺麗だと言ってくれた翅の力を借りて。


 それから、ラエストは僕を見つけては話しかけてきた。
 次第に僕も彼と長く話すようになり、人がいない場所を見つけてはお互いのことを話した。
 僕は自分の話をすることが好きじゃなかったから、聞き手に回ることが多かったけど。
 だからだったのかな。近頃ラエストが思い詰めたような顔をしていたのは。

「ティナクル。……あのな」

 その日、ラエストは掌に収まる大きさのガラス細工を僕に渡した。

「これは……?」
「……オレの宝物だ」

 灯りの光にガラスが反射し、美しく輝く。

「ほら、初めて会ったときに助けてもらったお礼。まだ渡してなかっただろ? だから……」
「受け取れないよ。そんな綺麗な物……」

 遮るようにラエストに背を向ける。
 僕が断ったのは綺麗だけじゃない。彼の大切な物だからだ。

「……前にも言っただろ? オマエだから貰ってほしいんだ。……頼む」

 振り返ると、ラエストは笑っていた。いつもより寂しげに。

「……うん。わかったよ」

 ガラス細工を手にする僕を見て、彼はいつも通りに明るい笑顔を見せた。

「……ねぇ、僕にくれたってことは、僕の好きにしていいんだよね」
「え? あ、ああ。もちろん」

 僕は瞼を下ろし、意識を掌に――ガラス細工に集中させる。
 あの力を使えばきっと出来るはず。
 読み通り、中心からヒビが入っていく。やがてヒビが入った場所から、ガラス細工は二つの欠片となって分かれた。

「一つは君に」

 そう欠片を一つ、ラエストに返した。
 僕の行動に対し、彼は嬉しそうにありがとうと言ってくれた。

「……ラエスト」
「ん?」
「あの約束。叶えられればいいね」

 ──なあ、一緒に世界の果てまで行ってみねぇか? きっとそこなら、見える気がするんだよな。満天の星が!
 ──……一緒に?
 ──ああ。オマエ、オレより賢そうだし。なにより旅には相棒がつきものだしな!
 ──……うん。わかったよ。

 僕は昏く閉ざされた空を見上げた。

「……そうだな」

 この日を最後に、ラエストと会うことはなかった。
 来る日も来る日も待っていたのに。
 彼は僕の前から姿を消したのだ。
 約束を果たすことなく。
 ……やがて、僕は知ることになる。
 ラエストが――僕と話した帰り道に力尽き、そのまま亡くなってしまったことを。

 ――不吉な青い蝶。

 揶揄された言葉が現実となる。
 ラエストが信じてくれた『ティナクル』はもうどこにもいない。
 血の雨は、今日も降り注ぐ。
 『闇の精霊王』を従えた『大罪人』の少年に。

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