その他小説

ナナ編


 世界に長い夜の時間が訪れる。
 深い藍色の夜天に浮かぶ星々を、夫婦は身を寄せ合い見上げていた。

「ねえ、『エストル』。私には出来ないのかしら……」

 男性の胸元に寄り添う女性が、不安げに睫毛まつげを揺らす。
 『エストル』と呼ばれた男はにこりと微笑み、女性の艶やかな髪に指を絡ませる。

「何も不安なことはないさ、『マイア』。君はとても頑張っているじゃないか」
「でも周りは、口に出さなくとも焦っているわ。世継ぎが絶えてしまうのではないか、と……」

 そう女性、『マイア』は耐え忍ぶように唇を噛む。

「貴方もどうか、側室を迎えることも検討してちょうだい」
「……君が何と言おうとも、私は君以外を愛することはできない。そうさせたのは君だよ、マイア」

 震えるマイア――妻の肩をエストルは引き寄せる。
 甘い言葉やぬくもりを独り占め出来てもなお、マイアの不安は拭えない。
 自分が至らないばかりに。
 自責の念にかられながらもエストルは、愛する妻を励まそうと空を仰ぐ。

「マイア、見てごらん。流れ星だ」

 エストルの言葉に釣られ、マイアも顔を上げる。
 散りばめられた輝きの中を軌跡を描きながら星が流れていく様は、この世の奇跡を体現したかの如く美しいものだった。

「どうせなら願ってみないかい?」
「……そうね」

 夫婦はともに瞑目し、祈りを捧げる。
 気を紛らわすだけの行為――だけのはずが。何かを察知したエストルの形相が変貌する。

「……エストル?」

 肩に添えられた手の力が強まったことに。マイアは訝しげに眉を顰めるが、返答はない。
 エストルは険しい面持ちで正面に目を凝らした。

「――マイア! 私の後ろに‼︎」

 目を見開いたエストルは困惑するマイアを自身の後ろへ退避させると、マントを翻し王笏おうしゃくを顕現。
 眩い光を放つ先端を正面へ向ければ、白き障壁が展開――直後、宝石の如く煌めく『何か』が衝突。衝撃と、激しい火花を散らす。

「っ……?」

 カラン――と音を立て、衝突した『何か』がバルコニーの床に落ちる。
 立ち昇る煙が風に流れその正体が明らかになると、エストルは眉根を寄せた。

「な、何? 何があったの?」

 エストルの後ろに隠れていたマイアが、ちらりと顔を覗かせる。
 片腕を伸ばして制止したエストルは、王笏を手に『何か』の傍らに片膝をつく。

「これは……」
「――ご無事ですか陛下、王妃様‼︎」

 兵士を引き連れて馳せ参じた臣下らの前で、エストルはゆっくりと立ち上がる。

「今すぐ医務室の準備を」

 エストルが抱えていたものに、その場にいた全員が驚愕に目を見張る。


「『赤ん坊』が空から落ちて来た」


 ――流星群の日。
 記録係によって、前代未聞の記述がされる事となった。




「……何も異常はありませんな」

 あれから二週間。
 空から落ちて来た『赤子』はみるみると変化を遂げ、人間でいう八歳の姿にまで成長していた。
 人間でないことは火を見るより明らか。魔の者の類いなのではないかと警戒する周囲の反対を押し切り、エストルは赤子を自身の子として迎え入れた。
 曰く。どのような種族であれど、生まれてきた命を看過することは人の道に反する、と。

「そうか。すまないね、ありがとう」

 持医の検診が終わり、エストルは寝台に横たわる――数日前までは赤子だった少女に声をかけた。

「『ナナ』。もう起きて大丈夫だ」

 義父の言葉を受け、瞼に覆われていた紅き瞳が現れる。
 胸元ぐらいに切り揃えられた――先端が白く染まる灰色の長髪を揺らし、少女は寝台からむくりと起き上がる。

「お父さま。もう動いていいの?」

 『ナナ』。
 そう名付けられた少女は、無邪気にもエストルを『父』と呼ぶ。
 エストルもまた彼女を『娘』と呼び、愛を持って接していた。

「大丈夫さ。何か急ぎの用事でもあったのかい?」
「ううん。用事ってほどでもないけど……」

 未知に対する恐怖は誰だってある。
 城の者や、マイアが、この子を忌避きひするのも無理はない。
 なら自分は――? ないと言えば嘘になる。
 だが自分は『王』だ。要たる自分は怖がってなどいられない。
 たった一人の赤子に怯えていて、民を守れると思うか?
 それに……。

「お父さまやマイアさまのお手伝いが出来るように、もっとがんばりたいの!」

 例え何者であろうと、こんなに優しい子を見捨てるなんて私にはできないさ。



 一ヶ月の時が過ぎた頃。
 エストルは、ナナの様子が一変したのを感じ取る。

 ――お父さま。わたし、剣を使えるようになりたい。

 朝一番。そう申し出されたエストルは、啜っていたお茶をあろうことか吹き出しそうになった。
 単なる好奇心ではないことは、固い決意を宿した瞳を見れば分かる。
 どうしてなのかと理由を尋ねるも、ナナは困ったように口を閉ざしてしまう。
 それからの日々、ナナは険しい表情で剣を振るうようになった。

「何をしているんだい、マイア」
「ひゃっ。え、エストル……驚かせないでちょうだい」

 物陰に隠れていた(ほとんど隠せてはいなかったが)マイアはほんのりと頬を赤らめると、視線を中庭へと向ける。

「あの子、講義を終えてから休みなく剣を振っているのよ」

 中庭では今まさに、騎士見習い用の剣を振るうナナの姿が。

「この前まで赤子だったのに……」
「それで見守っていたんだね。心配してくれてありがとう」
「心配……これは、心配というのかしら」

 正体不明の子が剣を学び始めた――。
 その事実による影響は大きく、王と王妃の殺害を目論んでいるのではと噂が囁かれるほどだ。
 噂に翻弄されて様子を見にきた自分は、はたしてエストルと同じ『心配』を抱いているのだろうか。

「つい数日前まで赤子だった子が剣を握っては怪我をしてしまうと……そう思ったんじゃないかな」
「私があの子に?」

 エストルが彼女を娘と見ているように。自分にもそのような感情が芽生えているのか?

「君は、君が思っている以上に強い人だ。どのような存在であろうと変わらぬ愛を抱く、素敵な女性なんだよ」
「エストル……」
「私と同じ意見でなくともいい。ただどうか、周りに合わせて自分の気持ちに蓋をしようとしないでくれ。王妃である前に君は――」

 ――カランッ……。
 静かな中庭に響いた音に、二人は揃ってナナを見遣る。
 ナナが見つめていた手から赤い液体が垂れているのを見るや否や、エストルは急いで駆け寄った。

「ナナ! 大丈夫――」

 不自然に途切れる言葉。追いついたマイアも、エストル同様言葉を失う。
 小さな手から溢れ出る鮮血は石畳みの床を紅く染め上げた――かと思えば、ゆらめくように『消滅』。後には綺麗なレンガが残るだけ。
 ナナを見れば、蒼白い表情が視界に映る。見られたくなかったのか、一歩二歩と後ずさる彼女を。

「っ……」

 引き止めるように抱きしめたのは、一線を引いていたはずのマイアだった。

「大丈夫よ。どうか怖がらないで」

 安全かどうかすらも分からない血に触れるのもいとわず、マイアは優しくナナを抱擁ほうようする。
 蒼白となっていたナナの表情にも血の気が戻り、愛おしそうに温もりを求めた。

「痛かっただろう? ちゃんと手当をしてもらうんだよ」

 ナナの手を取ったエストルもまた、恐れることなく傷口に布を巻き付ける。

「ありがとうお父さま。……マイアさまも」
「……『母』とは、呼んでくれないの?」

 目と目を合わせ、マイアはそう微笑んだ。
 その時、ナナの瞳がきらめき――次には涙を流した。
 彼女が泣いている姿を見たのは、彼らが初めてとなる。これまでの日々、笑顔の裏でひっそりと涙を流していたのかもしれない。
 耐えきれず声を上げれば、氾濫する涙。
 エストルとマイアはナナを包むように抱き、彼女が泣き疲れて寝てしまうまで、ずっと。本物の『家族』のように――。

「痛みはどうだい?」
「もうほとんど無くなったよ」

 治癒師の治療を受けたナナを、エストルとマイアは自室へと招き入れた。
 ソファーに掛けるよう誘導したエストルはその隣に、マイアはその反対側に、ナナを間に挟んで座る。

「……ナナ。何か隠していることがあるんじゃないか?」
「……」
「無理にとは言わないが、どうか聞かせて欲しい」

 彼らの間に沈黙が落ちる。
 やがて、ナナは胸の内を二人に打ち明けた。

「わたしは、この『宇宙』の生まれじゃないんだって」

 エストルとマイアは互いに顔を見合わせる。

「詳しく聞いてもいいかしら」

 小さく頷いたナナは今から数日前――エストルに『剣を習いたい』と申し出る前日の夜――夢の中での出来事を語り始めた。


 宇宙は一つじゃない。たくさんの宇宙があって、お互いの存在を知ることはない。
 でもどの宇宙も、同じひとつの宇宙から生まれた。
 『イニティウム』と呼ばれるはじまりの銀河――全ての宇宙が生まれたその場所で、わたしも生まれた。


「わたしの失われた魔力が十分に戻れば、その場所に行くことができるかもしれない。その場所に行けば、わたしが誰なのかを知ることができる。……そう言われたんだ」

 夢にしてはあまりにも現実的リアル
 二人も『夢の話などアテにするな』と言えないほど、ナナの話は鮮明であった。

「『ここを出ていく』つもりで。君は剣術を学び始めたんだね」
「……うん。わたしがいないほうが、二人に迷惑もかけないし……それに……」

 口籠るナナは両親の眼差しを受け、意を決したように顔を上げる。

「わたしが生まれた場所を見てみたいって思うから」

 未知への好奇心が入り混じる瞳の輝きに、マイアもエストルも反対することはなかった。

「分かった。だが、いつでも帰ってきていいんだ。君の家はここにあるのだから」

 あれほど流した涙が、じわりと目端に浮かぶ。

「……旅立つのはいつ?」
「二ヶ月後にある流星群の夜。その日なら上手く魔法を使えるって……」
「なら、準備する時間はあるわね。何処へ行こうと大丈夫なように荷物を用意しましょう」
「剣も私が使っているものを譲ろう。今の剣では心許ないだろう」

 ああ。どうしてこんなにも優しいのだろう。
 もしも自分が『普通の子』で、彼らの『本当の娘』あれば、どれほど幸せだったか。
 ずっとここに居たい――芽生え始める気持ちを、ナナはぐっと堪える。
 自分のせいで、両親達も城の者から疎まれ始めているのは理解していた。
 誰も悪くない、自分が悪い。しかしながら、大好きな両親まで悪く言われてしまうのは本望ではない。
 そこに訪れた旅立つ『きっかけ』。
 両親を守るため、そして自分自身を知るため。この世界から巣立つことを決意した。
 自分の正体を知れば、誰も不安にさせることもきっとなくなる。そうすればまた三人で暮らすことだって――。

「ナナ。この服をどうか羽織って行って。……不器用だから刺繍も何も入れられなかったけど……」

 旅立ちの夜、ナナと邂逅したあのバルコニーに三人の姿はあった。
 純白のコートをナナに羽織らせたマイアは、頬に指を滑らせる。

「ううん、嬉しいっ。お母さま、ありがとう!」

 次にエストルがナナの腰ベルトに剣を差し込む。

「壊れたらすぐに新しいものへ変えるんだよ。命取りになるからね」
「うん! お父さま、ありがとうっ」

 ナナはもう泣かなかった。
 マイアが耐えきれず涙し、小さな体を抱きしめても。
 エストルが寂しげに、頭を撫でようとも。
 『笑顔』で、彼らと別れを告げる。

「大好きだよ。お父さま、お母さま」
「私もよ、ナナ」
「私もだ、ナナ。
……一つだけ、伝えておきたいことがある。もしもこの先、挫けそうになったら思い出してほしい。君の名前の意味は――」

 別れ際、エストルはナナの耳元で『呪文』を囁いた。
 元気が出る言葉の呪文を。
 呪文を胸に、ナナは二人の体に顔を埋め、にっと破顔する。

「――さようなら!」

 小さな光となって天へ舞い上がる少女。
 送り出すように、無数の流星が天から降り注ぐ。
 三ヶ月間の思い出がきらめきとなって流れていく様を、エストルとマイアは二人だけとなったバルコニーから見つめた。


 数ヶ月後――マイアはめでたく懐妊し、エストルとの間に男児を授かる。
 男児が成長し、少年と呼べる歳になろうと。
 エストルとマイアは今も、ナナの帰還を待ち続けている――。

11/11ページ