その他小説
ぼくは、牢の中で生まれた『いらない』子供だ。
罪を犯し投獄されていた母は、ぼくを産んですぐに死に、父はとうの昔に処刑されていた。
互いを愛したゆえに、二人は孤独な死を迎えたらしい。
罪の子であるぼくは生かされていた。
牢の外など知らない。閉ざされた空間が、ぼくにとっては全てだった。
与えられていた僅かな食事を口に、今日も生きていく。
「喜べ。お前に『役目』を与えてやる」
このような地下牢には相応しくない綺麗な服を着た人が、ぼくの目の前に現れた。
その言葉を境に、ぼくは牢の外へと出される。
『精霊王の依代』――それが、ぼくに与えられた役目だと。迎えにいらした方に告げられた。
服を取り替え、髪を整え、光に包まれた空間に――その方はおられた。
「『時の精霊王』様。本日よりこの者が、貴方様のお世話を担当いたします」
ぼくら一族の加護を司る『時の精霊王』様は、水晶の御身をしていらした。
ぼくは男の方に倣い、その場に膝をつく。
『……この者はまだ十分な年数を満たしておらぬようだが?』
「申し訳ございません。他の者では力不足でありまして……」
男の方と精霊王様の会話を、ぼくは静かに聞いていた。
内容は理解できなかったが。
『ふむ……。そなたの名は「シエル」だな?』
精霊王様の御言葉に、ぼくは困ってしまう。
隣から『早くお答えしろ』と男の方に言われ、ぼくは畏れながら口を開いた。
「名とは、どういったものでしょうか?」
『なんと……』
ぼくが無知なあまりに怒らせてしまった。
男の方の顔も、たちまち真っ赤に染まる。
『……この者を我が依代として受け入れよう。神官よ、下がれ』
「はっ」
男の方が立ち去り、この場にはぼくと精霊王様だけとなる。
『そなたは先程、「名」について我に聞いたな?』
「はい。畏れながら」
『構わん。どのみち、長い付き合いになるだろうしな。しかし……どう答えればいいものか……』
精霊王様は暫く唸られた後、ぼくの質問に触れられた。
『我が「時の精霊王」という「名」であるように。そなたら人間にも「名」が与えられるという。その意味は、「個」を区別するためが一つ』
「『個』を区別するため……?」
『ああ。今この場にはそなたしか人間はおらぬが、先の男がおったなら、どちらの人間を指すのだろうかとなるだろう?』
たしかにそれは困ってしまうかもしれない。
ぼくと一緒にされてしまう人が可哀想だ。
『そしてもう一つは、「自分が何者か」を思い出すためにある』
「人間であること以外に、でしょうか?」
『人間であることは些事に過ぎん。大事なのは、そなた自身がどう生きるか、そなたの心が何を思うかにある』
正直、精霊王様の御言葉は難しかった。
けれどそんな考えすら、精霊王様は優しく見通しておられていた。
『今すぐ理解することは難しいだろう。今は、そなたの名が「シエル」であることを覚えよ。……そなたの母が最期に残した名でもあるからな』
そうして、ぼくは『シエル』として仕えることとなる。
牢で過ごした六年の日々が嘘のように、ぼくはどんどん思い描いた以上の『シエル』となっていく。
背はそんなに伸びなかったけど……たくさんのことを精霊王様――『お義父さん』に教えてもらった。
分からないことは一緒に学び。
読み書きは『あの人』に教わった。
けれどお義父さんは、ぼくに与えられた『
こっそり『あの人』にも聞いてみたが、苦笑いで話を逸らされてしまう。
確かにぼくは子供だが、もう十三歳だ。
自分のことは自分で決められるし、守られてばかりは嫌だ。
「――お義父さんを護るために鍛錬だって続けてる。ぼくは強くなったよ。どんな事でも受け止められるぐらいには」
痺れを切らし、ぼくはお義父さんにそう告げた。
お義父さんは――いつものように唸ることはなく――ただただ黙っていた。
『……そなたに話す時を迎えたか』
そう切り出したお義父さんの声音は低く、『精霊王』としての威厳を感じた。
これから話されることは父と子の会話ではなく、『精霊王』とそれに仕える者の話であることを。ぼくは理解する。
『「依代」とは、我々「精霊王」の《ギフト》を託された者のことを指す。《ギフト》とは――』
『依代』の話を聞き、ぼくはお義父さんの……『時の精霊王』の『依代』となることを決めた。
これまで過ごしてきた日々で積み重ねた『シエル』としての心が、ぼくの決心を後押しする。
きっと、修羅の道になるだろう。
それでも――。
「……お義父さん。ぼく、過去に行くよ」
『シエル。命の補償は……』
「その役目はぼくがやりたいんだ。……誰にも譲りたくない」
これが、最初で最後の『我儘』になるだろう。
お義父さんは、笑ってくれた気がした。
「……いってきます。お義父さん」
とても綺麗に晴れた、ぼくの誕生日の日。
《ギフト》を手にぼくは、過去へ飛ぶスペルを発動させる。
「――【ミア・エーリヴ・クーナラマシ】」
いつの日かまた、この未来へ戻ってきたなら。
たくさんの思い出を、あなたと分かち合いたい。
必ず連れていくから。
どうか待っててね。……お義父さん。