タロットゲーム

9話 ひとり、またひとり
【後編】


「はあっ……はあっ……はあっ……はっ……!」

 もがくように足を動かす。急げ急げの脳内が警鐘を鳴らす。
 時折もつれさせながら、それでも前へ走り続けた月矢は、ようやく零の家の近くに迫る。
 しかし、そこで見た光景に戦慄が走った。
 回る赤いサイレン、白と黒の車。キープアウトと書かれたテープに、野次馬の群れ。
 膝から崩れ落ちそうになるもなんとか持ち堪え、月矢は野次馬の群れを荒々しく突っ切って警官の眼前へ。バッと現れた少年に警備を担当する警官は瞠目して両手を前へ翳す。

「君っ危ないから下がっ……」
「──零はっ!

 警官の制止も待たず、噛み付かんばかりに月矢は言い放つ。

「零はどこに⁉︎」
「……君、ここの家の子の知り合いかな?」

 おおよそ物事を頼む態度ではない少年に対して、警官は叱責することなく目の色を変える。

「我々もその子を探していて……」
「っ──!」
「あ、ちょっと!」

 ここにはいない、と判断した月矢は警官の言葉を待たずして再び走り出す。

「すみませんっ!」

 その直後であった。月矢を追いかけていた柊馬が野次馬の群れに謝りつつ眼前に躍り出たのは。

「あの、ここの家に零って名前の人が暮らしていると思うのですが」

 と尋ねられた警官は、月矢の説得を諦め柊馬にチェンジ。

「君もその子の知り合いなんだね。今、話を聞こうと探しているところなんだ」
「な、何があったのですか?」
「……君のような子には残酷な話かもしれない。それでも聞きたいかい?」

 柊馬は即断。大仰に首を縦に振る。

「もちろんです。教えてください」
「……分かった。少し待っていて、話をつけてくるから」

 警官が刑事と話をするのを前に、胸元をギュッと強く握りしめた。

(月矢先輩……零さん……!)



 なにを、どこで間違えたのか僕にはわからない。
 お母さんは何も教えてくれなかった。
 僕は母さんのために色んなことを我慢したのに。
 普通の親子みたいに話したかった。
 普通の男の子みたいな髪にしたかった。
 普通の学生みたいに友達を紹介したかった。
 ただ……それだけだったのに。

「……」

 街の喧騒から逃れた場所に位置する河川敷に掛かる橋の上。
 灰色に映る世界の中で、零はそこに立っていた。
 橋の下を見下ろせば、さわさわと流れる川が続いている。

(……逝けるかな)

 あの世で会えたら、ちゃんと話してくれるかな。
 また、仲直りできるかな。
 光を宿さないどん底の瞳にはそれしかなかった。
 死ぬかもしれない恐怖より、『死なせてしまった』罪悪感が零の体を支配する。
 カツン、と鉄の格子に足をよじ登る。

「……今逝くよ、お母さん」

 風に花が攫われるように。
 零の体は宙に浮く。

「──零! ダメだ‼︎」

 ……遠くで誰かの声がする。
 でも、もういいや。
 重力に則り落下する零の意識はぷつんと途切れた。


 が、物語は悲劇的にも続く事となる。


「おま、え、は……」

 橋の中央まで辿り着いた月矢に、『その人物』は黒く濁り切った瞳を向ける。
 間一髪、川に落ちる零の手を掴んだのは月矢ではなく──【死神神吾】。
 臨戦体制を整える間もなく動揺する月矢を他所に。神吾は軽々と零の体を引きずり上げると、橋の上で横たわらせた。
 そしてそのまま何事もなかったかのように、月矢の側を通り過ぎていく。
 月矢はその背中をただただ見つめるだけで何も声をかけられなかった。
 秋の冷たい風が、月矢と神吾、そして瞼を硬く閉じる零の髪を稲の如く揺らす。


★☆


 真っ白な空の下。こちらとあちらのたもとを分つように川が流れている。
 その先では自分の母親が静かに佇んでいた。
 零が母親のもとへ逝こうとした時、突然川の流れが早くなり激流となる。

『お母さん!』

 黒い濁流に足元を掬われかけながらも必死に叫ぶも声は届かない。
 最期に見たのは、悲しくも嬉しげな『母親』の表情であった。



「──っ!」

 はっと瞼を大きく見開く零は現実に戻ってくるのに数分を要した。
 暫くして、脳裏を過ぎる母親の姿に渾々と涙を流す。感情がぐちゃぐちゃになって真っ白になっていた。

「……ほら」

 そこに、すっとタオルを差し出したのは月矢。どうやら自分は月矢の家まで運ばれ、ベッドに横たわっていたらしい。
 ゆっくりと上体を起こした零はタオルで涙を拭く。

「月君……」
「いいから。……何も言うな」

 噂は聞き及んでいるのだろう。月矢は何も追求しなかった。
 そんな月矢の優しさと、じわじわと襲いくる己に対する罪の意識に。

「ぼく……ぼく……あ……あぁ……あぁああああ……‼︎」

 激しく慟哭する零の肩を抱き、ただ静かに瞑目する。
 『大切な人』を喪った悲しみは、その人にしか分からないものだから。

「あ……」
「零?」

 少し落ち着いた零は、カーテンの隙間から射す眩い光にポツリと呟く。

「朝だ……学校に行かなきゃ……」
「学校よりも先に警察に行くべきだ。先生には俺から話しておく」

 一晩中付き合ってくれた月矢の気遣いに、零は力なく笑う。

「そうだね……行かなきゃ……」
「っ……」

 覇気のない零に危惧しながらも、自分に慰めるなんてことは出来やしない。
 一株の不安とともに家を出た月矢は、学校とは反対の方角にある警察署にふらりふらりと左右に大きく揺れながら辿々しく向かう零の姿を見えなくなるまで見送る。

(本当に大丈夫かアイツ……)
「月矢先輩!」

 入れ違いで現れたのは柊馬。はあはあと息を切らせながら膝に手をつく。

「零さんの様子は……」
「……相当ひどいなありゃあ」

 歩き始めた月矢の隣に柊馬も並ぶ。二人の間に流れる雰囲気は酷く重たい。

「なんとか零さんは助けられましたが、お母様のほうは……」
「残念だったとしか言いようがない」

 柊馬、と月矢は真剣な面持ちで目を合わせる。

「これに乗じて帝人が攻め込んでくるかもしれない。零の様子に注意してくれ」
「わ、分かりました」

 背筋を伸ばして頷き返す。柊馬もまだ動揺しているのだ。なかなか事実を受け入れられない。

(ですがこの柊馬、先輩方のお背中を守ると誓った身。その誓いを履き違えることはいたしません……!)

 固い決意を結んだ柊馬は、「遅れるぞ」と待ってくれている月矢に追従する。


★★


「さようなら帝人会長」
「ああ、また明日」

 放課後。数多の生徒に見送られながら『地貨高校』をあとにした帝人は、珍しく徒歩で街の中を歩いていく。
 お付きの神吾は先に自宅へと帰っており、じいやには「寄りたい場所があるから」と送迎を断っていた。それもすべて、“計算通り”ならかの場所にいると思ったから。

「……予想通り、だったな」

 足を運んだのは緩やかに流れる川沿いに沿って広がる河川敷──そう。昨日零が身を投げ出そうとした現場だ。

「皇さん」

 そこにはすでに、制服姿の零が佇んでいた。無論、事前に連絡などは取り合っていない。彼らは互いに互いがここに来ると感じていたのだ。

「母君のお話は伺っているよ。君が自殺しようとしたのをうちの神吾が助けたのも」
「……」
「あれは英断だった。【愚者】の『シンボル持ち』である君が、ゲームとはなんの因果関係もなく死亡したのなら、このゲームの勝者は決まらなかっただろうからな」

 零は淡々と語る帝人の言葉に耳を澄ましていた。
 それは、全くもって興味がないと言外に言わんばかりに。
 帝人はやれやれと肩をすくめると、自身の武器である王笏を顕現。零に向ける。

「ここにいるということは、私に殺される覚悟が出来たということで間違いないかね?」

 慈悲を持って尋ねる帝人に、零は光が失せた瞳を伏せて頷く。

「……もう、生きている意味がわからないんです。ならいっそ、死んでしまったほうがいい」

 自嘲気味に笑う彼を、帝人は微笑んで見つめる。
 実に残念だといいたげに。

「楽に殺してあげよう」

 振り上げられた王笏を、享受するように瞑目。
 が、次の瞬間。


「零さんから離れろぉ‼︎」


「ぐはっ……!」

 死角から飛び込んできた『戦車』に轢かれた帝人の体が河川敷に転がる。
 助けに馳せ参じたのは【戦車】の『シンボル』を持つ柊馬。具現化した戦車を離脱させた柊馬は、零を背に帝人と相対す。

「くっ……【戦車】……よくもやってくれたな……!」

 黄色の制服をボロボロにしながら、帝人は体制を整える。
 王笏を構える相手に剣を腰に添え、眦を釣り上げた柊馬は勇ましく立ち向かう。

「柊君!」
「零さんは黙っててくださいっ‼︎」
「!」

 柊馬は激怒していた。
 零を殺そうとした帝人を、帝人に殺されようとしていた零を。そして、無力な自分自身に。

「先輩方のお背中は……この柊馬が守ってみせます!」

 切先を帝人に向け、地を蹴り発走。最速を持って帝人に斬りかかる。

「貴様ごときが私に勝てると思うなよ……!」

 と、次なる魔導具宝珠を取り出した帝人を中心に。赤色の半透明なドームが展開される。
 ドーム内に閉じ込められた柊馬、零を流し目に。帝人は王笏を構え直し高らかに叫ぶ。

「『我に屈服せよ、愚民ども!』」
「うわっ⁉︎」

 轟きとともに、零の体は重力に引き寄せられるように重くなり両手両膝を地面につける。
 満足気に片方笑む帝人だったが、柊馬の様子が変わらないことに瞠目した。
 なんの変化もない柊馬は眼鏡のフレームを指先で押さえながら、カラクリを語る。

「【皇帝】の能力は『空間内の僅かでも心を乱した者の能力を無効化する』。であれば、心を乱さなければいいだけの話」

 今の柊馬には“怒り”の感情しかない。
 それに揺らぎはなく、帝人の能力の条件に当てはまらなかったのだ。

「なるほど……なかなか面白──」

 愉快げに笑う帝人に、柊馬は剣を片手に突撃する。
 やすやすと受け流されつつも、これまでの経験を活かし、柊馬は何度も帝人へと立ち向かう。

「どうして……」

 その姿勢に、地面に這いつくばる零は不思議に思わざるおえなかった。
 零の言葉を聞いていたか否か、柊馬はあらん限りに叫ぶ。

「僕はただ、尊敬する先輩方を守りたいだけなんです! それこそが僕が【戦車】として選ばれた理由だと思うから‼︎」

 甲高い音が音速並みに響き渡る。
 激しい攻防に冷や汗を流しながら、それでも柊馬は負けじと叫ぶ。

「相手がどう思っているかなんてしりません! ただ僕は……僕のために先輩方を守るんだッ‼︎」
「──っ!」

 想いの丈が上昇すればするほど、柊馬の剣技はより一層激しさを増し、あの帝人を相手に優勢に立っていた。

「ああああああああああっ‼︎」
「ぐぅう」

 やがて顔を大きく歪めるほど追い詰められた帝人は、未だ地面に膝をつく零に着目する。

(こうなれば……!)

 帝人は一瞬の隙をつき、零の正面へ接近する。

「……⁉︎」

 言葉を失う零。振り翳される王笏。
 先程までなら快く受け入れていたそれに恐怖を感じているなんて気づかずに。
 零は脱落する──はずだった。

「……え?」

 確かな打撃音のあと、パリンッとガラスが砕け散る音がした。
 ずるりとこちらに向かって倒れた柊馬の体は動かない。やがて彼の体は輪郭からじんわりと光粒と化して消えてゆく。

「……外したか。が、当初の目的通りだな」

 帝人はそれだけ呟いてはその場を去り、残された零は柊馬の体を恐る恐る抱きしめる。
 自分を庇って『シンボルリング』を破壊されたのは想像にかたくない。

「柊君……柊君っ……!」

 軽く揺さぶると、意識を取り戻した柊馬が目を覚ました。

「零さん……無事、ですか……?」
「馬鹿! なんで僕なんか庇ったの⁉︎」

 飛び出した罵倒に柊馬は力なく笑う。

「言ったじゃないですか……先輩方のお背中は守るって……」
「だとしてもこんな……こんなことって……!」

 目尻から溢れる涙が柊馬の頬に垂れては流れる。
 そんな零の涙を拭った柊馬は、光溢れる体の終わりをひしひしと感じながら伝えた。

「零さん……僕からの、最期のお願い……僕の『やりたいこと』を叶えてください……」
「最期だなんて──!」


 ──今は別の目的ができました。まだお話はできませんが、いずれかは。見込みがないお話をするのは好きではないんですよ。


 それは柊馬と出会ったばかりの頃に話した内容。
 体が光に包まれて消えゆく中、柊馬は零に願いを託す。

「この『タロットゲーム』を終わらせてください、零さん」

 その言葉を最期に。柊馬は目の前から──この世界から消えてしまった。

「……柊君?」


 敗北者。【戦車】の『シンボル持ち』・剱持けんもち 柊馬しゅうま


「ふぐっ……うう……ああああああああ……」

 カードと化した友を胸に、天を仰ぐ。
 交わした約束も必ず叶える、そう固く誓いを込めて。

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