タロットゲーム

8話 ひとり、またひとり
【前編】


 季節は移ろい秋の紅葉日和──。
 燦々と輝いているはずのお日様はその身を厚い雲に潜め、灰色の空が今日一日の始まりを告げる。
 自宅の台所で普段通りに朝食を作っていた零は、軽く瞠目してそちらへ──階段の方角を見遣る。『普段通り』ではないことが起こったからだ。

「お、おはよう、お母さん」
「……おはよう。零」

 気まずげに挨拶を交わせば、母親は覚束ない足取りで零のもとへ。流石に危ないとコンロの火を止め、母親の肩を優しく支える。

「大丈夫?」
「……ええ。大丈夫よ」

 やんわりと突き放された零は、母親が雑に椅子へと腰掛けるのをただじっと見守るだけで。
 母親は俯いたまま、「ねえ、零」と傍にいる息子に問いを投げた。

「私に何か、隠し事をしてない?」

 俯いたまま顔で手を覆う母親にハッと言葉を飲み込んだ。こちらに目を合わせないところが、不気味な雰囲気をも物語る。

「……してないよ」

 ややあって零は嘘をついた。
 たった一人の肉親に嘘をつくなんて胸糞悪いとか言っていられない。こっちは自分の命がかかっているのだから。
 そう制して、零は偽りの笑みを浮かべる。
 ようやっと顔を上げた母親も、そうと唇を綻ばせた。
 何気なくついた『嘘』。
 我が身がかわいいばかりについた『嘘』。
 それらが予想だにしない悲劇を生むことを──『タロットゲーム』のシナリオをなぞることになろうとは──、このときの僕は知らなかった。



「あれから調子はいかがですか、零さん」

 お昼休み。相変わらず空が灰色の雲で覆われる下、各々お昼ご飯を持ち寄って校舎裏に集まった零、月矢、柊馬の三人。
 【愚者】の力が開花してから一ヶ月あまり。柊馬がそう進捗を尋ねれば、零は手のひらを開いては握りを繰り返して答える。

「うん、だいぶ力の使い方が分かってきたよ。例えばほら」

 ピュッウっと口笛を華麗に鳴らせば、どこぞより半透明の白い猛犬が現れた。グルルルッと唸るような仕草で周囲を警戒するも、零にひと撫でされれば煌めく刃の如く歯を閉ざし、その場に横たわる。
 これぞ【愚者】特有の能力──眷属召喚。
 調教に成功している姿を見て、柊馬はほうと感嘆した。

「素晴らしいですよ、零さん! ここまで上達するなんて!」
「僕もいつまでも足手纏いにはなりたくないからね」

 優しく背を叩けば、白い犬は霧散して消滅。
 パンを頬張る月矢を横目に、零もまたお弁当を箸でつつきながら今後の流れを切り出す。

「学校も始まったことだし、二人さえ良ければ『水杯さかずき高校』に行かない?」
「それは……零さんに【正義】のカードを譲り託したという『希星きら』さんに会いに……ということでしょうか」

 【愚者】のもう一つの能力である『カードになった《シンボル持ち》の能力を引き継ぐ』効力を発現させるきっかけとなった少女に、零は会いたいと思っていた。

「もしかしたら他にもカードになってしまった『シンボル持ち』はいるかもしれない。希星がもし回収しているのなら……帝人さんに立ち向かうためにも譲ってもらいたいんだ」

 ハッキリとした意思表明に、柊馬は力強く頷く。

「分かりました。この柊馬、お供いたしましょう」
「……俺も行く」

 それまで沈黙していた月矢が突然賛同する。
 零は瞠目しながらも、ありがとうと謝辞を述べた。

「早速今日の放課後にでも会いに行こう。みんなもそれでいいかな?」
「はい」
「ああ」

 息盛んに眦を釣り上げた零は、活力をつけるためにお弁当を胃袋の中へとかきこんだ。


★☆


 時は流れ、約束の放課後。
 零達が通う『火杖ひじょう高校』から『水杯さかずき高校』までは距離があり、徒歩では時間も労力も大幅に費やす。
 幸いにも近くまで運行するバスがあることから、合流した三人はバス停で来るのを待つが──。

「あっ……」

 携帯端末を起動した零が、表示された内容を見て眉間に皺を寄せた。

「どうした」
「お母さんから話があるって呼び出されちゃった……」

 どうしようという目線に、月矢はぶっきらぼうに答える。

「行ってこいよ。その希星ってやつには俺らから話しとくから」
「大事な話であればそちらを優先してください」

 月矢に乗じて柊馬も笑みで返す。
 二人の優しさがじんわりと沁みる中、「行ってくるっ」と零はバスの列から外れた。
 駆け足で向かう零の後ろ姿を見つめていた二人のうち、やがて柊馬はふふっと笑みをこぼす。

「……なんだよ、急に」
「いや、お二人の仲が良好になったなぁって」

 含みを持たせるような言い回しに、月矢は大層不愉快げに眉を曲げた。

「別に、アイツもアイツなりに考えてんだなって思ってるだけだし」

 巷で噂のツンとデレの定型的テンプレな発言をしてはまたもや明後日の方角に顔を向けて。

「零さんも、初めて出会った頃より頼もしくなりましね」
「倫先輩のこともあったからだろうよ」
「……僕ももっと強くなって、もう誰も失いたくないようになりたいです。必ずや先輩方のお背中を守ってみせますよ!」

 拳を握りしめる後輩を横目に、「そうだな」と珍しく同調する。
 自分にはいつだって後悔が巡り回っていることを忘れてはならない。
 そう。今、この時でさえも。



 バスに乗車してから数分。
 『水杯さかずき高校』正門に到着した月矢は、さてどうしたものかと途方に暮れる。
 正門を通り抜ける青色の制服が目印の生徒からすれば、柊馬と自分は他生徒。悪目立ちするのも無理はない。

「僕、話しかけて来ますよ!」

 立ち往生するのは時間の無駄。そう判断した柊馬が生徒の一人に話しかける。ゆるふわな長髪が可愛らしい少女。

「あの、すみません。人を探していて──」
「【月】と【戦車】ね」
「「⁉︎」」

 少女は二人を見るや否や、彼らに与えられた『シンボルタロット』を言い当てる。
 柊馬は瞠目し、月矢が警戒する中。少女は手のひらを自身に押し当てて。

「初めまして、私が【星】のシンボルを与えられた希星よ。聞きたいことがあるのよね」

 胸中を言い当てられた二人は唖然とするばかり。
 希星は呆れもせず、「こちらに来て」と二人を何処かへと誘う。
 連れてこられたのは学校近くにあるカフェのテラス席。
 迷いなく鞄からタロットカードを取り出した。
 円卓に座る月矢と柊馬に、希星はテーブルにクロスを引きながら問いかける。

「あなた達が求めているのは、『シンボル持ち』がカードになった──『オリジンカード』のことよね」
「『オリジンカード』?」
「通常のタロットカードと区別するためにそう呼ばれているの。因みにこの子達は『オリジンカード』ではないわ」

 だとしたら話は早い。月矢は肘をテーブルにつき、無遠慮にも希星へと詰め寄る。

「そのカードを俺たちに譲ってほしい」
「【愚者】のため、かしら」
「ああ。アイツが強くなるのにはその『オリジンカード』ってのが必要だ。それはアンタも分かっているだろう?」
「そうね」
「! なら……」
「でも、あなた達に託すわけにはいかない。これは本人が直接受け取るべき『責任』だから」

 弾かれてしまったものの、言外に『本人なら渡してもいい』と言われ密かに安堵する。それならば後日改めて、零を連れて希星のもとを訪れればいい。

「せっかく来てもらったから、彼の未来でも占ってみましょうか」

 希星は慣れた手つきで大アルカナカードをシャッフルし、展開スプレッドする。
 開かれたカードに──月矢と柊馬は瞠目した。

「【死】……?」

 DEATH.
 席を立った月矢に「落ち着いてください!」と柊馬が腕を引く。

「【死】の正位置は悪い意味だけではありません! これから変化するって言う意味もあります──」
「──『本来』のカードならそうね」

 口を挟んだ希星に二人の眼差しが注がれる。
 【死】のカードを見つめたまま、彼女は隠れた真実を語る。

「だけど、『タロットゲーム』における【愚者】とならば話は別」
「どういう意味だ……⁉︎」
「なぜ【愚者】だけが、あれだけ特殊な能力を持っているのか。それは『代償』が存在するからよ」

 希星の言葉に喉が震える。

「【愚者】の『シンボル持ち』は1年以内に『タロットゲーム』とは関係のない要因で……」
「っ」
「月矢先輩‼︎」

 最後まで聞かずに月矢はカフェを飛び出した。
 向かうは零が帰ったという彼の自宅。
 焦燥は激しく鼓動を加速させ、警鐘を鳴らし続ける。
 月矢はただひたすらに願う。
 『間に合え』、と──……。


★★


 時は前後し、静まり返る自宅へと帰ってきた零。

「ただいまー」

 いつもの言葉を口にし、スニーカーを脱ぐ。

「お母さん?」

 母の姿を探して彷徨うも、一階にはいない。二階かなと階段を上ろうとした零の足元に、白薔薇の花びらが落ちていることに気づく。
 なぜだろうと考えながらも花びらを追って二階へ。花びらは二階にある母の部屋まで続いていた。

「お母さん、帰って──」

 開いていた扉から顔を出したその時。
 零はあまりの窓から降り注ぐ光の眩さと信じられない光景に目が眩む。

 ギシ……ギシ……。

 綱に繋がれた人の体。
 舌を出し白目を剥いたまま蒼白な表情となった『母親』の足は地についていない。
 肩からするりと鞄が落ち、膝から崩れ落ちたことにも気づかなかった。
 衝撃でひらりと床に落ちた──遺言にはこう書かれている。


『向こうで会いましょう。愛おしい子よ』


「あ、あ……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ‼︎‼︎‼︎」

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