タロットゲーム
「うああああああああああああああああああああああああああああ⁉︎」
ひとりの人間が放つとは思えない――喉が
「おぅえ……っ」
「月矢君……‼︎」
胃から逆流した吐瀉物が月矢の足元に溜まり、目端から溢れた涙が小さく跳ねる。
その場に頽れた月矢の肩を引き寄せ、零は一歩ずつ歩み寄る【死神】を虚しくも睨みつけた。
(僕がどうにかしなくちゃ二人とも殺される……! でも……)
自身に与えられた【愚者】の能力が開花する兆しは未だ見えず。頼みの月矢は激しく狼狽え、とてもではないが戦える状態ではない。
「……」
攻撃範囲内に彼らを捉えた【死神】の鎌が大きく振りかぶられたその時――。
「まあ、待て。そこまでにしようじゃないか、
砂利を踏む音に、誰もがそちらを見遣る。
声の主である
「ここは一度矛を収めようではないか。ルーキーには優しくしてあげよう」
夕陽に照らされし真紅の瞳を細める。【死神】――『
「ごきげんよう、【愚者】に選ばれた憐れな子羊よ。こうして顔を合わせるのは初めてだね」
男は品格ある所作で、零に向けていた手のひらを自身へと添える。
「私の名前は『
幾度となく名前だけは耳にした――【皇帝】帝人は、そう会釈のような素振りを見せた。
戦慄する零の姿に、帝人は口元に薄笑いを浮かべる。
「安心してくれたまえ。今ここで
「っ……」
湧き上がる感情をぐっと堪え、零は口を横に結ぶ。
月矢が万全でない今、『見逃してくれる』ほど有難いものはない。
「……クソ野郎が」
しかし、彼は違った。
『仇』を、そしてその隣に平然と並ぶ『シンゴ』を前に――月矢はふらりと立ち上がった。
「……お前、心吾に何をした」
帝人はやれやれと肩をすくめ、憎悪に燃えたぎる月矢に言い返す。
「今私が話をしているのは君ではないのだが」
「心吾がこんなことをするはずがない! 答えろ!」
「……勘違いしているようだが、今回の件に関して私は何も言っていないさ。彼は彼自身の意思で、【正義】を狩り取ったに過ぎない」
と、神吾を尻目に告げられた言葉。
黒く濁る眼差しは何も語らない。
「こうして再会出来たのは喜ばしいことじゃないか。また、『仲良く』する機会を設けたのだぞ?」
「ッ〜うるさいうるさいうるさいうるさいッッ‼︎」
「月矢君!」
理性を見失い駆け出す月矢を、零は背後から取り押さえる。
暴れ狂う月矢を必死に抑え、唇を噛む零。そんな彼らに、帝人は嘆息をこぼす。
「興が覚めたな。帰るぞ、神吾」
「……」
彼らを背に歩き出した帝人に、無言で追従する神吾。
離れゆく二人の――神吾の背中に、月矢は精一杯手を伸ばす。
「し、んご……」
ぐちゃぐちゃに歪む視界。
完全に姿が見えなくなると、月矢は零の肩に顔を埋め嗚咽する。
(何も出来なかった……倫さん……)
茜色の空を見上げ、零もまた悔し涙を流した。
『そんな……倫
零の口から告げられし俄かには信じがたい言葉――柊馬の動揺が電話越しに伝わってくる。
数時間後、自宅へ帰宅した零は先刻の出来事を嘘偽りなく後輩の柊馬に話した。ベッドの縁に腰掛け項垂れる零は、ありありと浮かぶ悪夢のような現実に涙を浮かばせている。
「ごめん……ごめんなさい……僕何も出来なくてっ……ぼく、なにも……」
声を震わせる相手に対し、柊馬は掛ける言葉を失う。
『それは……僕のほうです。あの時お二人と別れなければ、何か……何か出来ることがあったかもしれないのに……!』
そう後悔の念を吐き出した。ひとつの行動が運命を変えるとはこのことなのだろうか。ダンッ、と拳を打ちつける音が零の耳に響く。
『……! 零さん、月矢先輩は……?』
「分からない……月矢君の家の前までは一緒に居たけど、今どんな気持ちで何をしているのかは……」
『……【死神】が陽山さんだったなんて知ってしまえば、苦しいなんてものじゃありませんよね……』
「うん……」
想像に絶する痛みを背負うことになった彼を想えば、胸が千々に張り裂けそうだ。
二人の間に静寂が流れる。ややあって柊馬は、零の名を呼ぶ。
『今日は僕達も休みましょう。明日学校でお会いした際に、詳しく教えてください』
今の状態では話すらままならないと判断。柊馬の提案に零は素直に頷く。
「そうだね。……おやすみ、柊君」
『おやすみなさい』
通話を終えた零は端末から窓へ視線を向ける。
「新月……」
闇に覆われた夜空に浮かぶのは――太陽に隠れし月と、
零にはそれが、今の月矢と重なって見えてしまい。蓋をするかのようにカーテンを閉めた。
次の日、学校の登校日。
予想はしていたが――月矢が教室に現れることはなく放課後を迎え、零は柊馬と二人。
一夜明けた今日。昨日の出来事を引きずりながらも、落ち着きを取り戻した零から改めて話を聞いた柊馬。腕を組み、黙考する。
暫しの沈黙を経て、柊馬は顔を上げた。
「……あれから僕なりに考えてみました。これからどうすべきか、どうあるべきなのか……。考えても考えても、浮かぶのは後悔ばかり」
瞑目していた彼は、ゆっくりと瞼を開く。
「どんなに苦しくても前に進まなければならない。倫先輩の想いを引き継いで、僕は僕がやりたいことをする。――この柊馬、そうでなくてはと思い直したのです」
ベンチから立ち上がり、一歩二歩と前へ。
「……今の僕では、最適解を見つけることは出来ません。ですので、まずは行動すべきだと」
「行動って……どうしたら……?」
出来るならとっくに考えついている、と言外に告げる零に振り返った。
「僕達は今、あらゆる問題に直面し混乱している。であるなら、真っ先に解決すべき問題に目を向けるべきです」
「解決すべき問題って……月矢君?」
「はい。今の状態ではいつ他の『シンボル持ち』に狙われるか分かりません。もう二度と失わないよう、僕達に出来ることをしませんか」
問いかけてくる瞳が決意の色に染まる。
倫のことを考えた結果、生み出した答え。柊馬の意思に、零も腹を括る。
「うん。分かったよ、柊君。僕も力になるよ」
ふっと綻ばせた柊馬は「ありがとうございます」と微笑む。あの場に不在の自分の言葉に耳を傾けてくれるかどうかなんて、杞憂だったようだ。
「だけど、具体的にはどうする? ……月矢君を励ますようなこと僕には……」
「……今、月矢先輩と関わるのは避けたほうが良いと思います。昨日今日ですし……」
眉尻を下げ、次には引き上げる。
「僕達は【死神】について調べませんか?」
「【死神】というと、陽山さんのこと?」
「はい。倫先輩の話と、僕達が見ている【死神】はかけ離れ過ぎています。本当に陽山さんなのか、それとも別の『誰か』なのか……調べてみる価値はあるかと」
だがそれは、自分達の身を危険に晒すのも同意。まして、零が【愚者】の能力に覚醒していない中では、柊馬の負担は非常に重い。
零は賛成するか否か迷うも――他でもない本人が言うのだからと意思を固める。
「そうだね。こっそり調べてみよう」
「そうと決まれば明日、『
「早速なんだね……」
行動力の高さには思わず苦笑するが。零は胸中、柊馬の強さに憧憬を覚えた。いつか、自分も彼のように強くなれるのだろうか。
(夢のまた夢かな……)
念には念を、と退避ルートを割り出し始めた――気合い充分な柊馬のナビに従い。次の日彼らはHRが終わるや否や駆け出すのであった。
「あそこが『地貨高校』?」
道中でタクシーを拾い、徒歩で向かうよりも数分短縮した甲斐もあり――『地貨高校』カラー黄色の制服を着用する――生徒がちょうど下校するタイミングに到着。目立たぬよう遠くの影から、彼らは正門を見据える。
「『
「私立ですから」
「あ〜……納得」
「それでは計画通りに」
「うん。僕は正門で、柊君は裏門を見張って、動きがあったら即連絡。……だよね?」
その通りと言いたげに柊馬は頷き、裏門目指して走り出す。正門と違い人の出入りが少ない裏門は可能性こそ低いものの、見張っておこうと彼らは考えた。
まだらに正門をくぐる生徒を見逃さぬよう、零は目を皿のようにして凝視する。
一点に集中するあまり――背後から近づく気配に気づけなかった。
「あなた、そこで何をしているの?」
「ひっ」
情けない声を発し、肩を震わせる。恐る恐る振り返ればそこには、小柄な
ふわりとした髪質に青の制服――ん? 青?
(この子、『地貨高校』の生徒じゃない……?)
尚も見つめてくる瞳に狼狽えながらも、零は返答。
「さ、探しものをしてて……」
「……なら手伝ってあげる。ついて来て」
「え、あ、」
くるりと髪を靡かせ、正門とは真逆の方面に歩き始めた女生徒。
今離れるわけにはいかない、というのは十二分も承知の上。しかしながら零の性格では、女生徒の好意を無下にもできず。
(……ごめんっ、柊君)
ぱちんっと手を合わせた零は、致し方なく女生徒についていく。
「……?」
そんな二人の姿は――今し方正門を潜った帝人の視界に捉えられていた。ひと目で【
「会長、お知り合いの方がいらしてますよ」
追おうとした帝人であったが、生徒の一人に呼び止められる。聞けば、自身の知り合いだと名乗る他校の生徒が会いたがっているらしい。
笑みを貼り付け生徒に礼を述べ、指定された場所へ赴く。
「【皇帝】帝人、だな。……のこのことやって来るとは呑気なものだ」
知り合いだと自称した他校の生徒は、相対する帝人を前に殺気を隠そうともしない。
「余裕といってもらいたいな」
対する帝人も嘲笑の色を浮かべ、相手を挑発する。
怒りに飲まれ襲い掛かるのを目に――思案。
(『星詠』が動き出したのか……まあいい。私は私の道を征くだけだ)
「白玉あんみつ」
「じゃあ僕もそれを……」
「白玉あんみつお二つですね。少々お待ちください」
オーダーを受けた店員が裏へと消えていく。
女生徒に連れられた先は――『地貨高校』の目と鼻の先に位置するファミレスだった。手伝う、と言ったはずなのに室内でのんびりしている。零は混乱するばかりだ。
向かい合う形でボックス席に座る女生徒に、零はようやく疑問を投げかける。
「ええっと、君は一体……」
「私は『
「!」
口上はまさしく『シンボル持ち』そのもの。
希星と名乗った女生徒は、窓から見える『地貨高校』の正門に視線を移して。
「あなたは気づいていなかったようだけど、帝人を憎む『シンボル持ち』があの場にいたの。もう少しであなたも巻き込まれるところだった」
「そうだったんだ……」
強引に引き剥がしたのは自分を助けるため。
だがしかし、彼女に零を助けるメリットはあるのだろうか。
「……どうして助けてくれたの?」
居住まいを正し、努めて冷静に尋ねる。
「あなたはここで、死ぬ運命ではないから」
見つめ返す瞳は深海の如く深い闇で覆われていた。
カランッ、とコップの中で溶けた氷が音を立てるのを皮切りに。零は身を乗り出して問いただす。
「それはどういう――」
「白玉あんみつお二つ、お待たせいたしました!」
間が悪く、注文の品を運んできた店員に声を遮られてしまう。各々の前に置かれたデザートに呆けていると、早くも食べ進めている希星が『食べないの?』と目線で訴えかけてくる。
「いただきます……」
また改めて聞けばいい。そう思いながら、冷たい白玉を口の中へと運ぶ。
「ん、美味しい!」
あんこの甘さと黒蜜が絶妙に絡み合い、口の中に広がる。白玉もほどよい弾力でとても美味しい。もはやファミレスも侮れない時代となってきた。
「良かったわね」
淡々とした声音で返した希星のあんみつは、もうすでに半分もない。食べるのが早いのか、はたまた好物なのだからか。いずれにせよ早いと、零は微苦笑する。
「そういえば、希星はどこの学校に通っているの?」
「『
「へえ〜……えっ、歳上⁉︎」
「接し方なら気にしなくていいわ。あなたに敬意を払われる覚えはないもの」
胸中を容易く看破され、零はあははと頬を引き攣らせる。
「ところでさっきの話なんだけど――」
「お下げしますね〜」
話を戻そうとした零の言葉はまたもや遮られる。ここまで来ると、わざとであろうかと疑いたくもなった。
食べ終えたらしい希星は小銭をテーブルの上に広げ、鞄を手にする。どうやら帰るつもりらしい。
「……いずれ分かるときが来る。あなたが望まなくてもそのうちに」
席を立った希星は去り際、零に『あるもの』を渡す。
それは一枚の――『タロットカード』。
「あなたの『探しもの』に導くでしょう」
最後まで意味深な言葉を残し、零のもとを去り行く希星。
残された零は渡されたカードをじっと見つめる。
「このカードが僕を導く……? どういう意味なんだろう」
不思議な雰囲気の人だったな。
再び巡り会う予感は、きっと当たることだろう。
自分が【愚者】である限り。
「零さん‼︎」
お支払いを済ませ退店した零は、血相を変えた柊馬と合流する。
「ど、どちらにいらして……探したんですよ!」
「ごめん柊君! 実は――」
希星という【星】の『シンボル持ち』と出会い、危うく戦闘に巻き込まれるところを助けてくれたのだと話した。
聞いているうちに柊馬の乱れた呼吸も整い、平静を取り戻すと眼鏡のフレームを押し上げる。
「その可能性は視野に入れておりませんでした。……迂闊に近づくのは危険ですね。希星さんには感謝しなければ」
自分だけスイーツを食べてのんびりしていた――と告げるのはやめておけと本能がいう。
今度何か奢ろうと考えつつ、零は希星から渡されたカードを柊馬にも見せた。
「あと、これも貰ったんだよね。なんていうカードか、柊君なら分かると思って」
「……零さん。少しはお勉強してください」
憐れみの眼差しに胸が痛む。ひっそりと落ち込む零を他所に、柊馬はカードを確認。
「これは……【正義】のカードです」
JUSTICEL。
カードに描かれた文字に、零は目を見開く。
あまりにも。あまりにも……タイミングが悪い。まるで過去現在未来、全てを見通せる千里眼のような。
柊馬から返されたカードに描かれし女性の視線が絡み合う――。
【月】が満ちる。
意味もなく吐き出した慟哭を吸い尽くす蒼然とした夜天が、バルコニーに立つ月矢を見下ろしている。
蒸し返るような昼間の暑さとは裏腹に。何処に吊るされた風鈴の音と共に涼風が頬を撫でた。
なぜなのか。
なぜ、こうなってしまったのか。
そればかりを問いかける。
無論、答えが返ってくるわけがない。
答えを見つけることもできない。
だから、『こうするしか他はない』。
「お前を殺して、俺も死ぬよ。心吾」
ならば自分も守らなくては。
今度こそ俺が死ぬために――。
「……ごめんな」
なあ、神様。いるならどうか叶えてくれ。
いつの日かまた、心吾に会える日が来ることを。
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