タロットゲーム
零が『沌邂町』へ――【愚者】のカードに選ばれ『シンボル持ち』となってから、1ヶ月の時が過ぎようとしている。
今だに零の能力は開花する兆しがなく、同じ『シンボル持ち』である月矢と柊馬に助けられる日々。
しかしながら、こちらの事情など学校は露知らず。勉学に励めと言わんばかりに重なる課題――の、やり残した分を取り組んでいた零は、朝礼が始まると慌てて机の上を片付けた。
「今日は
担任から指示を受けて教壇に立った体育委員が、黒板に種目を書いていくのを目に。零はそんな時期かと一人思う。
「前にいた学校もこんな感じだった?」
「うん。あんまり変わんないかな」
そうクラスメイトに答えた零は、転入前の学校を想起しながら密かに苦笑する。
皆が忌避した『110m走』を内気な性格ゆえに
リレーとは異なりただただ一人で走る『110m走』は盛り上がりに欠け、まだ眠気残る朝一番に行われるとあってまともに見て貰えすらいない。却ってそれが気を楽にはするのだが。
(今年は絶対に走らないぞ……)
元より零の運動神経は平均であり、運動自体も嫌いではない。が、異常に転びやすい性質なのだ。そう、転びやすいだけなのだ自分は。決してドジなのではない。
種目決めが始まると、やはり人気の種目は取り合いになった。騎馬戦や借り物・障害物競走、そしてリレー系は早々に枠が埋まる。
走らない系かつ大人数が好ましいが一人二種目というルールがある以上、玉入れや綱引き以外にも出なければならないのだ。
(もう一つどうしようかな……)
朝礼終了まで残り5分。
引き戸の扉を開け、堂々と教室に入ってきたのは月矢だった。
「おい光導ー、遅刻だぞー」
「……」
「はぁ、やれやれ」
(……昨日も【死神】を探していたんだろうな)
担任を無視して着席する月矢を、零は不安げに見つめる。
非常に遅刻が多いで有名な素行不良の月矢だが、その原因は夜中に――仇の手下である【死神】を探して回っているゆえの『睡眠不足』。授業中も寝ていることが多く、不良などと揶揄されているのを知っている。
「じゃあ光導は余ってる種目をやってもらうとして……『110m走』と、『二人三脚』なんてどうだ?」
「『二人三脚』……?」
月矢は訝しげに眉をひそめた。他にも残っている種目がある中、なぜパートナーが必要な『二人三脚』を担任は提案してきたのか。
その理由はすぐに判明する。
「天地も決まってないみたいだし、二人で出場してみたらどうだ?」
「えっ⁉︎」
月矢も、突然名を出された零も、揃って目を見開く。
「で、でも僕、走るのはちょっと……転んじゃうかもしれないです……」
「二人三脚なんて走れなくて当然なんだから気を張るなよ」
ちらりと月矢を一瞥すれば、額の皺がより深く刻まれている。『嫌だ』と態度に出しても口にしないのは、月矢なりに負い目があるからだとは思うが――
「じゃあ決まりだな」
(そ、そんなぁ〜……)
かくして、やや強引に月矢と『二人三脚』に出場が決まった零は、少しでも良い結果にしようと練習を始めることにしたのだった。
「断る」
放課後。急ぎ足で下校する月矢を、零は昇降口付近で引き留める。理由はもちろん二人三脚の練習をする為だが、ご覧の通り取り付く島もない。
「ほんのちょっとでいいから!」
「練習なんて別にしなくていいだろ」
「最下位だったら恥ずかしいし……」
「俺は勝とうが負けようがどうでもいい。……帰らないなら先に帰る」
もたつく零に嘆息した月矢は、颯爽と昇降口を後にする。
月矢を練習に誘うのを失敗し、このまま残って走り込みだけでもするか、それとも帰宅するか。悩んでいる零は「あの」と呼びかけられる。
「いかがしましたか、零さん」
「あ、柊君」
そこにいたのは後輩の柊馬。鞄を持っている辺り、共に帰宅しようと零達のクラスへ向かう途中だった様子。
首をかしげる柊馬に、零は体育祭のことを話した。
「……という流れで、月矢君と一緒に二人三脚に出場することになってさ。練習に誘ったんだけど〜……」
「断られてしまった、と」
「う、うん」
「そういう事情でしたら、この柊馬。先輩に代わり、僭越ながら練習にお付き合いしますよ」
「ほ、ほんとっ⁉︎ じゃあお願いします」
零と柊馬は学校指定のジャージに着替え、校庭の隅っこで準備運動を済ませると早速練習を開始。
「どう足を出す?」
「『1』で内側、『2』で外側を出しましょうか」
紐で繋いでいる足を先に出す、という話で『せーのっ』と一歩踏み出す。
「「1」」「「2」」「「1」」「「2」」
「1」
「……零さん。もう少し早めません?」
「そうだね……ただ歩いてるだけだもんね僕達」
「ではもう一度……せーの!」
「「1!」」「「2」」「「1」」
「に……」
「っ⁉︎」
「零さん⁉︎」
綺麗にぐるんと半回転した零の体が地面に打ち付けられる。
「いたたた……」
「大丈夫ですか? 足捻ってませんか?」
「うん……な、なんとか。続きやろ!」
すぐさま立ち上がる零と柊馬は、再び掛け声を合わせて挑戦するも――数歩ごとに零が転倒する。
「きょ、今日はこの辺りにしましょうか……」
自身とは打って変わり、土まみれの零を見かねた柊馬の提案に「そうだね」と頷く。
「ごめんね……足引っ張っちゃって……」
「明日もお付き合いいたしますから、大丈夫ですよ。頑張りましょう!」
柊馬の励ましに元気をもらいつつ、零は笑顔を取り戻す。
「うん! 足手纏いにならない程度に頑張る!」
「……零さん、大丈夫ですか?」
「うん……。大丈夫。大丈夫だよ」
体育祭まで残り一週間に迫る放課後。日に日に零の表情は曇り、柊馬の応答にも覇気を感じられない。
理由は明白だ。零(と付き添いの柊馬)は、今だにコースを走り切った試しがない。半ばで零がつまづいてしまい、中断してを繰り返しているからだ。
(ある意味才能ですね……)
倫との稽古風景を見ている柊馬は、零が運動音痴ではないことを知っている。これは天性なのだ、きっと。
柊馬はどうしたものかと思案していたが、ふらりと現れた人物に目を丸くする。
「月矢先輩。お帰りになられなかったのですか?」
傷の手当てをしていた零もその声に顔を上げた。
制服姿の月矢は乱雑に通学鞄を地面へ下ろすと、無言で柊馬に手を差し出す――彼が持つ、足を結ぶ用の紐を『寄越せ』と言いたげに。
「……付き合ってくれるの?」
「出るのは俺なのに任せっきりも良くないだろ。帰っていいぞ、柊馬」
「え〜と……ほ、本日はご一緒しますよ。心配ですし……」
奥歯に物が挟まったような言い方に眉を顰めるも、月矢と零の練習は始まった。
「へぶっ‼︎」
「うわっ⁉︎」
「いっ……!」
――やはりといった具合に、零はこれでもかと転倒する。これには流石の月矢も困惑の色を滲ませ、柊馬もはらはらと見守っている。
「ごめんね月矢君……足引っ張っちゃう……」
「……俺のことはいいから、自分のことを気にかけろよ」
「僕なら大丈夫だよ。もうちょっとだけやっ」
「――練習はもうやめろ。充分にしただろ」
そう言葉を遮った月矢は零の意志関係なく、足を繋いでいた紐を解く。
「分かったよ、じゃあ明日……」
「明日も明後日も。本番まで練習はするな」
どうしてと尋ねるより速く月矢は――攻撃的に言い放つ。
「毎日毎日練習する度に傷が増えていくのをお前は『何でもない』『仕方がない』って思うのか? 誰かに迷惑をかけないなら自分が痛い思いをしてもいいって?」
「そ、れは……」
口ごもる零をそっちのけに続ける。
「……お前はいつも自分のことは後回し。誰かを助ければ自分はどうなってもいいって思ってる」
柊馬は話の流れが変わっていることに――体育祭ではなく、『タロットゲーム』の話になっているのだと気づいた。
たしかに零は、月矢や柊馬が【死神】に襲われた際も身を
「じゃあその『助けられた側』の気持ちまで考えたことがあるか? 死ぬまでずっと後悔し続けることを、『助けた』って言えないだろ!」
これまでに溜まっていた
出会ってから1ヶ月間、月矢が感情的になる姿は見たことがない。零も、柊馬もだ。だからこそ月矢の言葉は胸に突き刺さる。
「っ……先に帰る」
余計なことまで口走ってしまった、と感じた月矢は逃げるように校門へと向かっていく。
残された柊馬は月矢から零を見遣る。
零は俯いていた。足元の一点だけを見つめて。
「……そうだよね。誰かが怪我してたら不安だよね。……ごめん柊君、気づかなくて」
胸元を握りしめた零の声は震えていた。涙を堪えるように目を瞑る姿に、柊馬は何も言えずにいた。『そんなことないですよ』と否定できぬほど、月矢の言葉は正しいと感じていたから。
「……期待に応えたいのにな」
彼の呟きは誰にも届かず。吹き抜ける風に乗って空へと儚く舞う。
――迎えた体育祭当日。
見慣れた校庭は一変。数々のテントが立ち並び、生徒や保護者でごった返す。
清々しい晴天の下、校長による挨拶が終わればいよいよ開催。各学年とクラスごとに振り分けられた白組と赤組の戦いの火蓋が切られた。
「やっぱ速ぇーな光導!」
赤組のテント内。第一種目の『110m走』で軽々と一位通過した月矢がクラスメイトに笑顔で迎えられる。
「リレーも出られれば良かったのにな」
「リレーは好きじゃない。こっちのほうが気楽だ」
変わらず無表情で返す月矢を、零は遠巻きに見つめていた。
あの日から結局。零は一度も練習をしていない。もちろん体育の授業内ではやったが、月矢がすぐにやめてしまうので練習という練習ではなかった。
賞賛される月矢を前に、プレッシャーが重くのしかかる。
「天地君! 移動するよ!」
「はっはい! 今行く!」
バタバタと飛び出していく零を、月矢は横目で見送った。
『二人三脚に出場する生徒は入場ゲートに集合してください。繰り返します――』
(来ちゃった〜……)
体育祭もいよいよ大詰め。午後の部の半ばで、遂に零と月矢の出番はやって来た。
二人並んで出番を待つ間、それまで沈黙を続けていた月矢が口を開く。
「親は?」
「え」
「親、来てんのか」
零は緩く首を横に振る。
「来てないよ。……月矢君は?」
「もう三年も会ってない。一人で暮らしてるし、伝える必要もない」
瞠目する零に月矢は再び黙する。
「……凄い」
沈黙を破るように零の呟きが落ちる。
今度は、月矢が目を見開く。
「……『凄い』?」
訝しげに問い返せば、我に返った零は慌てて訂正した。
「その、悪い意味じゃなくて、一人暮らしって大変だと思うから、凄いなって思って……」
後半につれて徐々に小さくなっていく声。
無粋な発言だったと零が後悔する中。
「怒ってるわけじゃない。……そう言われたの初めてだったから」
「そ、そうだったんだ……」
多くの者は、月矢の環境に『可哀想』と嘆くフリをする。
誰もいない部屋に帰って来た時、『寂しい』と感じたことはないかと言われれば嘘になる。だが、自ら選んだ選択だ。後戻りは出来ないし、したくもない。
そんな寂しさを紛らわせてくれたのはアイツで、それを奪ったのは――
「――月矢君! 呼ばれてるよ」
回想していた月矢はその言葉に軽く頷き返して応え、彼らはゲートをくぐる。
(駄目だ……練習でも走りきれなかったのに……)
脚を紐で結びながら、零の心臓は激しく鼓動を打ち鳴らす。
月矢は――先程動揺していたとは思えないほど――涼しい顔でスタートの合図を待っている。
「位置についてー、よーい、」
ドンッとピストルが天に打ち上げられるのを皮切りに、一斉に掛け声が響き渡る。
「1、2、1、2……」
柊馬との練習を思い返しながら零は奮闘するも――「あっ」と脚を滑らせてしまう。
「っ⁉︎」
転ぶ――かと思えば、傾く体を強引に引き戻される。
「ビビるな。俺がいる」
引き戻してくれた月矢の言葉に、零も眉を逆さにして頷く。
(凄いですね……)
一年のテント内。彼らの様子を見ていた柊馬は、人知れず微笑んだ。
――パンッパンッ!
「はあっ……はあ、はあ……」
初めてのゴールを決めた零は、立ち止まると両膝に手をついて呼吸を整える。
その間に紐を外した月矢が「おい」と声を掛ければ、大丈夫だと笑って。
「ありがとう月矢君。とっても楽しかった!」
最大限の感謝を伝えたのだ。
結果は――惜しくも二位だったが、好成績には変わりない。
何より、月矢が支えてくれたことに。零の瞳から感涙が溢れ落ちる。
月矢は後頭部に手を当てていたが、その頬はほんの少し緩んでいた。
体育祭は白組の勝利で幕を閉じる。
クラスメイト達と「また来年頑張ろうね」と言葉を交わしたのだった。
「天地、片付けご苦労さん」
興奮が冷めない中、片付けに勤しむ零にそう声を掛けたのは担任だった。
「転入して初めての体育祭はどうだったか?」
「とても楽しかったです」
「そうか」
笑顔で答えた零に対し、担任の表情が曇る。
「……悪かったな。強引に光導と出させてしまって」
「いえそんなっ、月矢君と一緒は全然嫌ではなかったので謝られるほどじゃ……」
強引に決めたという自覚はあったようで。謝罪する担任に零は手を振って否定する。
苦笑した担任は「ありがとな」と返す。
「友達なのか?」
「……僕は友達だと思ってます」
今日だけじゃない。これまでの日々を通して、零は月矢と『友人』になりたいと強く思うようになった。
例え本人から嫌がられようとも。
「そうか……光導はいつも一人だったから心配してたんだ。――あれ、でも一年の頃は誰かと仲が良かった気がするな」
顎に指を添えて小首を捻る担任に、零は軽く瞠目する。
(仲の良い生徒がいた……? でも今は……)
月矢が他生徒と話している姿を見かけたことはない。
クラスが分かれた可能性もあるが、それにしても変だ。なぜなら――
「誰だったっけなぁ……全く思い出せない。転校した生徒じゃないはずだが……?」
『全く』思い出せない――?
担任の言葉に違和感を覚えた零は、「失礼します!」と深く頭を下げて走り出す。
「――月矢君!」
「あっ零さん。片付けは終わりました?」
零の帰りを待っていた柊馬を通り過ぎ、零は月矢に詰め寄る。
「一年の時に仲良くしていた子がいたって本当?」
問いかけられた月矢は目を見開くだけでなく、その表情すらも歪めた。
「その子ってもしかして、『シンボル持ち』だったんじゃない?」
「『シンボル持ち』……⁉︎」
飛び出した単語に柊馬も目を見張る。
「さっき先生が言ってたんだ。月矢君が仲良くしていた子がいた、でも全く思い出せないって」
「……確かに不自然ですが、それと『シンボル持ち』であることに何の関係が……」
「――いや、ある」
ようやく口を開いた月矢に視線が集まる。
月矢は鋭い眼差しで彼らを見つめ返し、真実を語る。
「ソイツの名前は『
でも。
月矢は血が滲むほど、掌を固く握りしめる。
「同じ『シンボル持ち』に殺されて、カードになった」
「「!」」
『カードになる』――それは、この『タロットゲーム』において敗北と死を意味する。
「……カードになったヤツは、『シンボル持ち』以外の人間の記憶から存在が『消える』。知人も、友人も、親ですら。ソイツの……心吾の存在は消えてしまった」
その時の絶望感が、今だに月矢の心を錆び付かせる。
「……だから月矢君は、その人の『仇』を取ろうとしているんだね」
――【死神】を従えてる『ヤツ』が、俺の仇だから。それだけだ。
数週間前に言われた言葉が、零の脳裏を駆け巡る。
ようやく分かった。月矢がどうして『仇』にこだわるのかを。
それだけ、彼は後悔しているのだ。
今までずっと。これからもずっと。
「陽山さんを殺した相手とは、一体誰なのですか?」
柊馬の問いに、ややあって月矢は答える。
「『地貨高校』三年、ナンバー4【皇帝】のシンボル持ち――『
赤
その一角。窓際の席に座るのは、紅の瞳を瞬かせる一人の青年。
至る箇所が痛んでいる古い本を開けば、乱雑に破れたページを細い指でなぞり、整えられた柳眉が愉快げに下がる。