タロットゲーム

3話 初めての休日


 新学期最初の休日を迎えた『沌邂町てんかいちょう』。
 五つある地区の一つ『風剣地区』の一角に、高く鋭い声が響き渡る。

「常に切先は中心に向くよう意識! 力に頼らず、受け流すことも覚えろ!」
「はいっ‼︎」

 負けじと叫ぶのは柊馬。動きやすいジャージ姿となった柊馬は、顕現けんげんした剣を手に稽古に励んでいた。
 そんな柊馬に指導するのは、長い髪を後ろでまとめる凛々しい女性。柳眉りゅうびを釣り上げる彼女は、手にしたレイピアを華麗に振るう。

体幹たいかんが乱れているぞ!」
「! いっ……!」

 慣れた様子で柊馬の足元を掬う。仰向けに倒れた柊馬は間一髪で受け身を取り大事には至らなかったが、激しく息を切らしていた。

「少し休憩するか」
「は、はい……っ」

 眼鏡をかけなおす柊馬に「お疲れ様」と冷えたペットボトルが差し出される。

「倫先輩もお疲れ様です」

 柊馬と同じくジャージに着替えた零は、女性――『倫』にペットボトルの水を差し入れる。


 前日。【死神】の奇襲を受けて己の無力さを嘆いた零は、『タロットゲーム』のルールから生き延びるため、柊馬が稽古をつけてもらっている人物――『天秤あましょう りん』に、自分も稽古をつけてもらえるようお願いしに来たのだった。
 『倫』は『風剣高校』に通う高校三年生のフェンシング部主将。彼らと同じ『シンボル持ち』であり、『シンボルタロット』はナンバー11の【正義】。シンボルタロットを体現したような正義感が強い性格で、選ばれてから丸二年間生き残っている指折りの実力者。彼らの指導役としてはこれ以上ない適任者である。


「自販機の場所分かったか?」
「はい。教えてもらえたので」
「なら良かった。越してきて間もないと聞いていたから少し不安だったんだ」
「ははっ……僕との稽古中に考え事だとは、さすがセンパイですね」
「お前がアタシの余裕を崩せたら褒めてやろう」
「この柊馬……受けて立ちます! 必ずや実現させてみましょう!」

 少し席を外している間にこってり絞られた柊馬は弱った様子もなく、依然として力強い笑みを浮かべている。
 柊馬より先に受け身の稽古を受けていた零は『凄いなぁ……』と素直に関心した。ぶり返してきた疼痛に苦笑しながら。

「零、痛みはどうだ? あまり加減ができなくて悪かったな」
「そんなっ、倫さんが謝ることでは……痛みなら大丈夫です! まだやれます」

 手を胸の前で左右に振り否定する零だったが、倫は目を細める。

「いや、今日はここまでにしよう。これ以上は怪我に繋がるからな」

 自身の体の状態を看破かんぱされてもなお、零は引き下がらなかった。
 受け身『すら』習得できない自分に焦りが募る。
 「まだ続けてほしいです」と悲願する零に、倫はキッパリ言い放つ。

「駄目だ。やるなら明日以降、しっかり体を休ませてからだ。……一日で強くなれるわけがないだろう。少し冷静になれ」

 嘆息とともに告げられたことで己が冷静でないことに気づいた零は、視線を下に落とす。

「そう……ですよね。すみません……」
「分かってくれればいい。その姿勢を、今後も継続するようにな」

 ひと休みしたら柊馬の稽古を再開すると告げ、倫は水を口に含む。

「今更なのですが……剱持君だけじゃなくて、僕も指導するのって負担ではありませんか? しかも休日に」

 おずおずと尋ねる零の姿に、倫は「いいや?」と涼しい顔で笑い返す。

「少なくとも『今のお前達』を相手にするのは負担ではない。お前達がアタシのカードを狙おうとしても対処出来る自信はある」

 そういえば、零はふと気づく。
 自分と柊馬。二人分の指導をしたというのに、倫は汗ひとつかいていない。倫の言葉は決して見栄ではなく確かな実力から来ているのだと感じ取ることができる。

「それに、少し前までは月矢達の相手にもなっていたから苦ではないさ。あるとしたら、アタシの指導不足ぐらいか?」
「パイセンのご指導は分かりやすくて大変身に染みますよ」
「ほう、雑学がなくて申し訳なかったな?」
「雑学は僕の得意分野ですので」

 師弟漫才が始まりつつあるのを、零はすみませんと遮る。

「光導君もご指導していらっしゃるんですか?」
「今はしていないがな。柊馬のことも、元を辿れば月矢に『見てやってほしい』って頼まれてだ」

 そう語る倫の表情は、僅かに翳りが見られた。
 不思議そうに見つめる零の隣、立ち上がった柊馬が並ぶ。

「……月矢先輩って、どうしてあんなに【死神】と戦っているのですか? 倫パイセンが見ていた頃からだったのですか?」

 柊馬が月矢と出会った日数は僅か数日。零よりか長いとは言え、心の距離を縮めるのはまだ早い段階だ。
 それゆえ柊馬はもどかしい気持ちでいた。月矢の力になりたいと本気で考えてる以上、彼が抱える闇に触れて良いものかを見計らっている。
 倫は柊馬、零を交互に見遣り瞑目。

「……今はまだ話すことは出来ない。本人も、それを望まないだろうから」

 倫の返答は柊馬の質問を、言外に肯定した。
 月矢の身に『何か』があったのは確実で、それを知るにはまだ時間が必要そうだ。柊馬は追求することなく、「分かりました」と質問を終える。

「アタシからも聞いていいか? ――零に」
「僕ですか?」

 そうだと頷く倫はこちらの心を見通すように。鋭い視線を零に送る。

「お前も、自分の身の振り方について考えたほうがいい」
「身の振り方……ですか?」
「ああ。月矢と今後関わる以上、お前も【死神】の標的となる可能性が高くなる。何となく、で共にいるのならやめておけ。お前も月矢も、後悔することになるだろう」

 倫の言うことは正しい。生半端な覚悟で行動を共にしても――月矢が自分を確実に守れるわけでもない以上、足手纏いになるだけだ。いざその時、味方が寝返る可能性も否定できない。
 柊馬に聞かなかったのは、彼は『それだけの覚悟』を既に持ち合わせているからだ。月矢の過去を知らなくとも、共に戦うだけの覚悟を。
 今はまだ、自分の身を守るために彼らと行動している――その考えは否めない。だが、却って危険になるとすれば距離を置くことも検討すべきだ。

「……少し考えます。すぐには決められなくて……」

 零の答えに、倫も柊馬も勿論と頷く。

「急かしてはいないさ。だが、あまり悠長に考える時間もないとは思ってほしい」




 その日の稽古は倫の希望により、陽が傾き始めたお昼過ぎに終了した。
 稽古所がある『風剣地区』から、自分らが暮らす『火杖地区』へ帰路に就く道中。零は柊馬に、気になっていたことを思い切って尋ねる。

「剱持君。答えずらかったら答えなくていいんだけど……」
「柊馬と呼んでください。遠慮は無用ですから」
「なら……柊君で」
「なかなかセンスのある愛称ですね。とても気に入りました。して、聞きたいこととは?」
「その……どうして柊君は、光導君と一緒にいるのかなって。出会ってからそんなに時間が経ってるわけでもないのに」

 柊馬は不快感に眉をひそめることも、困惑する様子もなく。自分の心の整理を終えてから、零の質問に答える。

「きっかけは、僕が『シンボル持ち』に選ばれた時に助けていただいたことです。今の零さんと同じく、右も左も分からない中を導いてくれた。そのご恩を返さねばと、数日は思っていました」
「今は違うの?」
「はい。今は別の目的ができました。まだお話はできませんが、いずれかは。見込みがないお話をするのは好きではないんですよ」

 柔らかい笑みを浮かべる柊馬に迷いは見られない。
 流されるままの自分とは異なる姿に零は「凄い」と思わず溢す。

「……きっと見つかりますよ。零さんも」

 そう柊馬は軽く微笑んだ。

「――お前ら、ここで何してんだ」

 そこに声がかかる。振り向けば、私服姿の月矢が突っ立っていた。

「お勤めご苦労様です」
「仕事じゃねーよ」
「僕らは倫パイセンの所で鍛えた帰りですよ」
「ああ……そういやぁ、昨日言ってたな」
「光導君はどうしてここに?」

 零の言葉に、その場の空気がガラリと一変する。
 首後ろに手を当てる月矢は唇を横に結び沈黙。踏み込んではいけなかったと瞬時に悟った零は俯く。

「先輩。もし良ければ、零さんを送ってもらうことは可能ですか?」

 柊馬の提案に零は内心『今二人きりにされるのは気まずいよ』と嘆きながらも口には出さず。

「僕の家と零さんの家は反対方向ですので、遠回りになってしまいます」
「送るのは別にいいが、お前は一人になるぞ」
「一人でも大丈夫となるように鍛錬を積んでいるのです。どうぞ安心して送り出してくださいませ」

 いざとなれば【戦車】の能力で帰ることもできる。自信満々と語る柊馬に、そうかよと月矢は返す。

「行くぞ」
「う、うん。じゃあね柊君」
「はい」


 暖かな風が彼らの間を流れ、散りつつある桜の木から花びらが舞う。
 風に攫われた桜の花びらを目線で追う零の一歩前を、月矢が先導して歩く。

「も、もうすぐ桜も散るねー……」
「……」

 返ってくる声はない。苦し紛れに笑う零は、数分前に別れた柊馬をちょっぴり恨む。

「今日、何したんだ」
「えっ?」
「稽古。つけてもらったんだろ」

 かと思えば。月矢はこちらに一瞥いちべつもくれないまま話しかける。
 零が稽古内容を話せば、「ふぅん」と一言。それ以上の言葉はなかったが。

「光導君は、」
「苗字で呼ばれるのは好きじゃない」
「……月矢君は、さっきまで【死神】を探していたの?」
「……」

 ここまで来る間、零はどうして月矢が苦々しい表情をしたのかを黙考していた。
 辿り着いた推論に月矢は沈黙。それが肯定であることを、零は理解する。

「なんで【死神】と戦ってるの? 死んじゃうかもしれないのに」
「お前には関係ないだろ」

 月矢が再三口にする言葉に、今回ばかりは零も押し黙ることなく――勇気を出して、踏み込む。

「関係あるよ。だって知っちゃったから。このゲームのことも、月矢君のことも。だから――」


 ――放っておくなんて、できないよ。


「――!」

 振り向けばそこに居たのは『アイツ』――ではなく、新緑の眼をした転入生で。こちらを不安げに見つめるその姿は、『アイツ』と似ても似つかない。
 でも、面影を重ねてしまった。
 同じ希望を抱いてしまった。

「……月矢君?」

 様子を伺うように名前を呼ばれた月矢は、再び瞑目。何でもないと短く返す。
 稍あって月矢はぽつりと口にする。

「……【死神】を従えてる『ヤツ』が、俺の仇だから。それだけだ」

 歩みを再開する月矢の後を、零も遅れて追従する。
 様々な疑問を胸に。

「――零?」

 後少しで自宅が見えてくる頃。零と月矢は、一人の女性と鉢合わせる。
 誰だと目を細める月矢の前に零は進み出た。

「お母さん。何処出掛けるの?」

 なるほど、母親だったのか。月矢は静かに会話を見守る。

「散歩にね」
「なら僕も行くよ。桜見に行こう」

 零は月矢に振り返ると――気持ち早口で――謝辞を述べる。

「ここまでありがとう。また学校で会おうね」
「……ああ」

 零は母親に行こうと声をかけ、二人並んで来た道を戻っていく。
 彼らの背中を見つめながら。月矢は言い知れぬ不快感に眉を寄せた。

(俺……アイツの母親になんかしたか……?)


「一緒にいた子は友達?」
「同じクラスの子だよ」

 友達、だと頷くほど仲良しではない。零がそう返すと、母親は虚空を睨みつけて。

「男の子って感じの子で……私が一番嫌いなタイプ」

 そしてふっとこちらに微笑みかける。

「零はあんな風にならないでちょうだいね」
「……うん」


 ――四季は移ろい、『沌邂町』は初夏を迎える。

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