タロットゲーム

エピローグ…?


 ピピピッ、ピピピッ。機械音が寝台ベッドに横たわる彼を呼んでいる。

れい、起きて、時間よ」

 優しく体を揺すりながら語りかける母の声に、零は薄らと目を開ける。

「かあ……さん?」
「今日から学校よ。さあ、支度して」

 そう微笑む母親に頷きを返し、零は体を起こす。
 もう大丈夫だと判断した母親は、「ご飯出来てるからね」と零に告げ、部屋を後にする。
 零は未だ鳴り続ける時計のアラームを止めると、目元を擦った。

「──ッ⁉︎」

 急速に意識が引き戻される感覚に、睡魔などあっという間に退散。
 零は枕元に転がる携帯を素早く手に取り、“今”が“いつ”なのかを確認した。

「な……なんで……」

 携帯の画面に表示された時刻は、一年前の新学期。
 あの悪夢のような『タロットゲーム』が始まった日に、どういうわけか“戻っていた”。
 誰でもいいから、誰か状況を教えてほしい。連絡アプリを開くも、一年前に戻った連絡先に彼らの名前は見当たらない。直接尋ねるしかないようだ。
 零は駆り立てられるように寝衣を脱ぎ、シワ一つない真新しい『火杖高校』の制服に袖を通す。鞄を肩に掛け、携帯に手を伸ばしたその時。目端に映り込んだものに、ぞわりとした悪寒が背中を襲う。
 ベッド横の棚に並べられた2枚のタロットカード。2枚とも違う絵柄だが、数字が割り振られているのは同じ。
 1つは自身の『シンボルタロット』である【愚者】。では、もう1つは──?
 零は2枚のカードを詰襟の内ポケットに入れ、階段を駆け降りた。



 早く新しい学校を見たいからと適当な言い訳で朝食を素早く平らげた零は、目を丸くする母親に見送られ、足早に自宅を出た。
 どこに行けば彼らと会えるだろう。零の足は自然とあの場所へ向かっていた。
 『沌邂てんかい地区』を二つに分割する川が流れる河川敷。
 春も、夏も、秋も、冬も。笑い合い、涙した思い出の場所。体が覚えていなくとも、心はちゃんとその場所を覚えていた。
 食べた直後に走ったからか。脇腹の痛みに耐え忍びながら走り切り、何とか河川敷へと辿り着く。両膝それぞれに両手を置き、乱れた呼吸を整えていると。

「──大丈夫ですか?」

 頭上から聞こえる声。差し伸べられた掌が涙で潤む。
 顔を上げて声の主を確認することも、その手を取ることもせず、零は無言で目の前に立つ相手に抱きついた。

「うわっとと」

 相手は蹌踉めきながらも零を受け止め、目尻に涙を浮かべて微かに笑う。

「全く……仕方がない人ですね。零さんは」

 その言葉に、堰き止められていた涙が止めどなく溢れ出した。
 もう、聞くことはできないと思っていた声。
 もう、見ることはできないと思っていた姿。
 体裁など、気にする余裕はなかった。

「柊君っ……柊君……‼︎」
「ここに居ますよ。零さん」

 零の呼び声に、柊馬しゅうまはそっと瞼を降ろす。肩に顔を埋め、咽び泣く零の頭を撫でていると、柊馬の肩を別の手が叩く。

「良かったな」

 共に来ていたらしい柔らかな月矢つきやの笑みに、柊馬は口を横に結び、何度も頷き返す。
 零は柊馬の肩から顔を上げ、月矢と顔を合わせる。

「……月君」

 言葉を交わさずとも。再び出会えた喜びを互いに分かち合う。最後の別れを交わしたのはつい最近の出来事だと思わず錯覚してしまう。
 柊馬は自前のハンカチで、零の涙をやや乱暴に拭う。

「ほら、そんな顔では何事かと思われますよ」
「い、いたっ、いたたっ、じ、自分で拭くから貸して……」
「仕方ないですね。良いですよ」

 零の涙腺も引いて来たようで、一度拭いただけで落ち着いた。
 月矢は真剣な面持ちで、零に尋ねる。

「零。ここに来たってことは、俺達のことを覚えてるって認識でいいんだよな」
「うん。覚えてるよ」
「なら今の状況について、何か知ってるか?」

 零は首を横に振る。
 月矢は肩を落とし、柊馬は眉間に縦皺を寄せた。

「……あっ。でもこのカードが──」
「──月矢!」

 その場に居た全員が、声がした方向を一斉に見遣る。
 緩やかな傾斜を滑り降り、三人のうち月矢のもとへ駆け寄る人物。『火杖高校』とは異なる制服姿の少年に、月矢は言葉を失う。

「良かった……君に会えないかって探していたんだ」
「しんごなのか……? 俺が知ってる“心吾しんご”なのか⁉︎」

 しんごは月矢に対し、『鎌苅かまかり神吾しんご』ではなく『陽山ひやま心吾しんご』として、相好を崩した。

「他に誰がいるのさ。月矢」

 直後、心吾はぎょっと目を見張る。
 月矢は頬を伝う涙に触れ、どこか他人事のように呟く。

「あれ。なんでだ」

 拭っても拭っても溢れる涙に、袖もぐっちょり濡れてしまっている。
 大丈夫だ。もう終わったんだ。泣く必要はない。そう言い聞かせても、涙は止まることを知らず。

「……月矢」
「悪い……嬉しいんだ、ほんと……」
「……うん。大丈夫だよ。伝わってるから」
「……ならいい……それならいいんだ……」

 月矢は乱雑に片腕で目元を拭い、心吾を見つめ、無理に口角を持ち上げる。
 とても変な笑顔に、心吾は潤んだ瞳を細めた。

「……あれが【死神】ですか」

 笑い合う二人を側から見つめていた柊馬が、ぽつりと溢す。
 【死神】と呼ばれていた“神吾”しか知らない彼らにとって、今の心吾は少し慣れない。気持ちを察し、零は苦笑を浮かべる。

「やっぱり……怖い?」
「多少は。……ですがきっと、あのゲームに巻き込まれた全員に共通していることでしょう」

 奪う恐怖。奪われた恐怖。
 無かったことにされようが、あの時感じた恐怖を拭うことは出来ない。一生付き纏う予感がした。

「取り乱して悪い。改めて整理しよう」

 月矢の一声に、他の三人も頷く。
 零は一度月矢に目配せし、柊馬が脱落したあとの流れを話す。
 予め月矢から聞いていたのか、柊馬は戸惑う様子もなく、心吾は時折相槌を打ち、耳を傾ける。

「──最後に、僕と月君は自分達のシンボルを破壊したんだ。……それで気が付いたらベッドで寝てて……、近くにはカードが置いてあったんだけど」
「これだよな」

 月矢が取り出したのは【月】のカード。柊馬も同じく【戦車】のカードを手にした。

「僕の所にも同じく。シンボルタロットのようですね」
「心吾はどうだ?」
「置いてあったよ。【太陽】と【死神】の2枚」

 心吾も、二人と同じ絵柄のカードを手に取る。
 ここで零は疑問を抱く。心吾のカードが2枚なのは分かるが、どうして自分もなのだろう、と。

「零さん。そのカードは……?」

 零が持つ2枚目のカードを、柊馬は指差す。

「【愚者】のカードと一緒に置いてあったんだ。何か分かる?」

 カードに書かれているのは絵と数字のみ。もとよりタロットに詳しくない零は、もう一枚が何を意味するのか分からない。
 柊馬は眼鏡を人差し指で抑え、凝視する。

「これは……【世界】ですね。ナンバー21。大アルカナ22枚目、最後のカードです」
「22枚目……?」

 零と月矢は、互いに顔を見合わせる。
 彼らはカードの総数を“21枚”だと思い、全て揃うために自分達もカードとなった。それが、『タロットゲーム』を終わらせる唯一の方法だと聞いたからだ。

「まだゲームは終わってない……?」
「──それは分からないわ」

 零の呟きに、今度は少女が答える。
 知らぬ間に現れた希星きらに驚き、一同は肩を震わせる。

「びっくりしたぁ……来てたなら声掛けてよ……」

 これまた異なる制服姿の希星は返事もせず、静かに佇んでいる。
 この中で一人だけ希星に(本当の意味)で会ったことのない心吾は、不思議な雰囲気に困惑した。

「だ、誰? みんなの知り合い⁇」
「悪い。あとで話す」

 月矢は短く返し、希星の言葉に食いついた。

「そう言える根拠は?」
「あなたの前に現れた【世界】のカード……それがその証拠」

 掌で指し示された【世界】のカードに視線が集まる。

「本来ならそのカードは、ゲームの勝者に与えられる願いの源。それが今回、初めて『該当者ゼロ』という結果となったことで、誰の願いも叶えることができずに力を失った……」
「力を失ったならどうして、僕達は過去に戻っているの?」

 零の質問に希星は、僅かに微笑んだ。

「きっと、自分のことを見て欲しかったの。だから過去に戻した」

 そうでしょう?
 希星の視線は、【世界】のカードへと向けられていた。

「何者にもなり得ていない【愚者】の旅は、勇ましい【戦車】と歩み、【死神】によって死を迎え、自ら希望の【星】を見出し、時に【月】に陰りが見えようと、【太陽】の如く輝きを取り戻し──新たな【世界】を創造する。……それが、この瞬間を生きる私達の世界」

 希星の言葉は半分も理解出来なかったが、そういうものかと諦めた。
 元より理解できないクソみたいなゲームをやらされていたのだ。今更理解したくもない。だが、これだけは言える。
 今度は未来に向かって、精一杯生きていこう。

 このカードと、永劫に。

「……ところで零。お前、時間大丈夫か?」
「え? 何が?」
「何がって……今日転入初日だろ? いろいろ手続きとかあるんじゃねぇの?」

 呆けていた零は現状を思い出し、肩を跳ね上がらせた。

「やばいもう行かなきゃ! じゃあみんな、また“あとで”!」

 片手を上げ、零は全速力で走り出す。
 当たり前に訪れる瞬間と、約束を交わして。



「……で、結局『タロットゲーム』は終わったのか?」
「さあ?」
「【世界】のカードが力を失ったのなら、終わったのだと判断するべきでは……」

 あらゆる憶測が飛び交う中、月矢は不意に身を震わせた。──嫌な予兆を胸に。

「月矢⁉︎」

 突如として走り出した月矢の背後から心吾が驚愕の叫び声を上げる。反射的に彼の背中を追い始めた心吾に、柊馬と希星も追従する。

「ふう……何とか間に合いそう」

 他方、零は高校を遠目に捉えるとスピードを落とし、ゆっくりと歩き始める。赤信号が点灯する横断歩道前で時刻を確認。うん、と頷き、青信号へと切り替わった歩道を渡る──最中の出来事。

「えっ……?」

 飛び込んで来た景色は、こちらに無遠慮に突っ込んでくる大型車。限界まで見開かれた双眸が、車の運転手と交差する。

「れーーーーーーーーーい‼︎‼︎‼︎」

 遠くで月君の声がする。尚も車は止まらない。ああ、僕はここで死ぬんだ。二度目の人生はあっけなかったな。

 ──キキキキキッッ!

 金切音のようなブレーキ音が響く。零は潰されたか、はたまた弾かれたのか。駆けつけた月矢の視界からは見えなかった。

「間に……合わなかった……?」

 するりと肩から通学鞄が滑り落ちる。追いついた心吾も、柊馬や希星も目の前の光景に呆然とする。
 しかし──異変を感じ取ったのは心吾。運転席に座る男性の視線が、自分達とは反対方面を凝視していることに訝しむ。

「……来て」
「え?」

 歩き始めた心吾に疑念を抱きながらも続く。トラックを大回りし、反対側へと進めば。目を見張る光景が飛び込んで来た。

「っ、……っ⁉︎」
「……は?」

 零は生きていた。間一髪、飛び込んで来た少女によってトラックの軌道から外れ、助かった。それだけなら素直に喜んでいたが、問題はこの状況。
 零は助けられた少女にのし掛かられ、その唇を奪われていたのだ。
 やがて、熱い口付けを終えた少女は無邪気に笑う。

「会いたかったよ、レイ! 大好き‼︎」

 これより『タロットゲーム』は新たなステージへと進む。
 過酷な試練が待ち受けていることを、このときの零は思いもしなかった……──。



「……久しぶりに帰ってきたな」

 同時機。大人びた雰囲気の人物が『沌邂町てんかいちょう』に足を踏み入れた。
 この町で度々発生する不思議な現象の正体を探りに。

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