タロットゲーム
──『タロットカード』の期限は来年の3月31日、“青き月”が昇り切るまで。
──“青き月”?
──『シンボル持ち』にしか見えない特別な月のことよ。
そう唇に乗せて告げられた秋模様はとうに過ぎ、花も萎み凍える季節を迎え、年を越した。
クリスマスに浮かれる余裕はなく、年の瀬に思いを馳せる時間はなく。ただの『日常』と化した『シンボル持ち』狩りを粛々と行う日々。
決戦の日は近い──。今日も希星の家で作戦会議を終えた零と月矢は、それぞれの魔道具を手に席を立つ。
「行くぞ、零」
「うん」
ターゲットを視界に捉えた二人は、今日も戦いに身を投じる。
「……」
その背を見送った希星は、机に広げた【太陽】のタロットカードを手にする。注ぐ眼差しはいつになく
「あなたは……」
扉を開けたその先で佇んでいたのは、帝人の忠実なるしもべでもある【死神】の『シンボル持ち』、神吾。通学鞄を所持しているあたり、学校の帰りに直行してきたのだろうか。
暫しの間二人の間に沈黙が落ちる。もともと双方ともおしゃべりなタイプではないのだから、必然といえば必然なのだが。
ややあって神吾は制服の内ポケットを探り、数枚のタロットカード──【オリジンカード】を手渡した。まさしく敵に塩を送る行為。これも上司である帝人の戯れにすぎないだろうが、零の能力向上のために受け取っておくに越したことはない。希星が受け取るや否や、くるりと踵を返し無言で立ち去る彼の姿に。“星詠”と呼ばれる彼女はその慧眼で『見抜いた』。
「【死神】。やはりあなたは……──
まだ【太陽】の
いくら足を運ぶ機会が少ないとは言え、慣れ親しんだ町だ。地図を確認せずとも、帰り道ぐらい感覚で分かる。
「……?」
と思っていた矢先のこと、自然と立ち寄った場所が身を寄せる帝人の屋敷ではないことに疑念を抱く。そこは素朴な住宅街の一角で、特にこれといった捻りもない一軒家の前で立ち止まっていたのだ。
それだけなのに。
この胸の内を焦がすような気持ちはなんだろう──?
「う、ぐああああああ……」
突如として迸る鋭い頭痛に呻き声をもらし、頭を抱える。頭痛は一向に治る気配はなく、脂汗が噴き出し、目の集点が錯綜する。
「あっ……」
そうして遂に膝をついた神吾は、なす術もなく倒れ込み、その数秒後には意識を暗闇へと手放した。
「まあ‼︎ 大丈夫⁉︎」
「……うっ」
緩やかに意識が浮上した神吾は、ぼやけた視界に真っ白な天上を映す。
視覚、聴覚などの五感をぼうっとした意識の中で取り戻していく。やがて辿り着いた思考は、『自分は気絶した』という事実。見慣れない一軒家の前で甚だしい頭痛に見舞われた前後の記憶が曖昧だ。
身を起こすとすぐ側で、「あら」と柔らかい声音が響く。
「目が覚めたのね。良かったわ」
お日様色の瞳を細め、女性は口元に手を添えながら神吾の覚醒を喜ぶ。おっとりとした雰囲気を纏う女性に、神吾の視線は釘付けとなった。
「貴方、私の家の前で倒れていたの。どう? 気分は良くなったかしら?」
はっとして顔を逸らす。なぜ見つめていたか自分にも分からない。
その様子に女性は目をぱちくりさせながらも、微笑を浮かべる。
「貴方、お名前は?」
「……
ようやく言葉を発した少年に、女性は嬉しそうに髪を揺らす。
「素敵なお名前ね」
神吾は持て余している感情を律するかのようにシーツを固く握り締めた。先程からこの女性の仕草や言葉を目と耳で感知する度に、警鐘を鳴らすが如く鼓動が激しく波打つのを感じている。これまでにはない感覚だ。
今すぐに離れなければという理性のほかに、離れがたい欲望がこの心に生まれている。どれだけ悲惨な光景を目にしても動じなかった、冷たく硬い鋼のようなこの心が。
「あっ、鍋の火を止めるのを忘れていたわ。ちょっと待っててね」
そう立ち去った女性は、すぐに「きゃー!」と絹を裂くような悲鳴を家中に轟かせた。
形容しがたい感情に揺さぶられる神吾は自身の中で折りをつける暇もなく、シーツを引き剥がして悲鳴の出所を探る。どうやらキッチンからのようだ。確かさっき、あの女性は鍋の火がどうとか言っていたような……。
「はわわ、はわわ、どうしましょうどうしましょう……と、とりあえず火を……あちっ」
キッチンを覗けば、そこは小さなカオス空間と化していた。右へ左へとおろおろする女性の白い手は、今もなおポコポコと吹きこぼれている鍋の火元に伸ばしては引っ込めてを繰り返している。大方、鍋のつゆが跳ねまくってなかなか上手く事が運ばないのだろう。
「あ、神吾君っ」
スタスタとキッチンに足を踏み入れた神吾は飛び跳ねる熱いつゆをもろともせず、鍋の火を消した。隣で安堵した女性だったが、次にはハッと思い出したようにガッと神吾の腕を強く掴む。
「⁉︎」
「すぐに冷やさなくちゃ!」
これにはさすがの神吾も瞠目し、女性の成すがままシンクの吐水口から勢いよく噴射される水に手の甲をさらされる。
「これでよしっ……って、あらまぁ……」
「……」
ひとり満足する女性とは裏腹に、水の勢いが過ぎたために顔面に水をぶち撒けられた神吾。髪から滴り落ちる水が床を濡らす中、女性は急いでタオルを持ってきては優しく──否、やや強めに拭っていく。口出ししたいところだが、生憎神吾には抗議という行為を持ち合わせてはいない。
「こ、今度こそ大丈夫ね。ありがとう、神吾君」
「別に……」
自分でもなぜ手を貸したのか分からない。普段ならキッチンの惨状を見て見ぬふりしてこの家から立ち去るだろうに。
「あ、良かったらお鍋一緒に食べない? ひとりだと寂しいの」
だからだろうか。彼女の申し出を承諾した自分がいた。
「見て見て、神吾君。にんじんのお花、かわいいでしょ?」
「……」
神吾と卓を囲む女性は無邪気に箸で摘んだお花型の人参を見せてくる。当然神吾は反応しない。正しく言い換えれば、反応に困っている。彼にしては珍しく、固い眉間にシワが寄っていた。
尚も変わらず女性は心の底からこの食事を楽しんでおり、神吾のお皿に具材が無くなれば甲斐甲斐しくよそったりする。
「……どうして助けた」
「え?」
未だ乱される情緒。自身の中でケリがつけられないと判断した神吾は、女性に答えを求めることにした。もちろん女性は虚を突かれた──というより、今更尋ねるのかと思っているような──素振りを見せ、箸を卓に置く。
「放っておけなかった、からかな」
「怪しい人物かもしれないのに?」
と神吾が言い返せば、女性は突如として失笑した。お腹を抱え、涙が滲み出るほど笑う彼女に、ポーカーフェイスだった神吾の表情も歪む。
暫くして軽く息を乱し、目尻の涙を拭った女性は「ごめんなさい」と一言。
「あまりにも貴方が夫と似ていてつい」
「夫……?」
「何年か前に他界してしまったけれど」
このうららかな春のような温かみを持つ彼女が、唯一表情に影を落とした瞬間だった。
女性の視線が神吾から、戸棚の上に移る。流れるように神吾もそちらを見遣ると、女性と夫らしき男性が楽しげに映る何枚もの写真立てが。
「私、セールスを断れないタイプなの。お得だって言われたら買うしかないでしょ? 向こう側からしたらいい鴨なのよ」
よく夫に怒られてたわ、と困り眉で語る女性の言葉に、神吾もまた箸の手を止めていた。
「だからね、あの日も同じように。なんの疑いも持たずに玄関を開けたの。そしたら──
刃物を持った男が居て、夫は私を咄嗟に庇って、刺されて死んでしまった」
この時、初めて神吾は女性に“同情”してしまった。自分も【死神】として『奪う側』にいるのにも関わらず。『奪われた側』はこんな気持ちを抱えて生きているのかと、理解してしまったのだ。
「……さっき、神吾君は『怪しい人物かもしれないのに』って言ったよね。そうかもしれない。私はまた、同じ過ちを繰り返すかもしれない」
どうしてこんなにも感情が揺さぶられるのか、神吾は知る。
この人と自分は何処か似ているからだ、と。
「でもやめられない。私を信じてくれたあの人の行為を、無駄にしたくない」
橋から身を投げ出した【愚者】を助けたとき、自分は帝人に命令されたわけでも、『タロットゲーム』のためでもない。ただ“体が動いていた”。この一言に尽きる。
「それに神吾君はいい子だよ。さっきも助けてくれたし、私の話もまるで自分事のように聞いてくれる」
そうして笑みを戻した女性は、鬱蒼とした雰囲気を断ち切るべく軽く手を合わせた。
「さて、お鍋食べよっか」
「……」
「洗い物してくれてありがとう。まだ調子良くなかったら、泊まっていってもいいんだよ?」
「……いや、帰らなくては」
「そっか。神吾君には、帰りを待ってくれてる人がいるんだね。良かった」
玄関先。通学鞄を手にローファーを履いた神吾は、女性の申し出を今度ばかりはお断りした。こうしている間にも、帝人が待っている。月夜のもと、仮面と黒衣を靡かせ、指輪を刈り取る【死神】の時間を始めるために。
互いに見つめ合う二人の間に沈黙が落ちる。女性はどこか名残惜しげに、唇をキュッと結ぶ。
「またね、神吾君」
「……」
神吾は唇を開かなかった。“またね”など自分にはない。いつだってその日その日を生き延びるのが、『シンボル持ち』の生き様。だから、未来の約束は出来ない。
無言で外へと出た神吾の頬を、身も凍る冷風が撫でる。幾分か頭も冷え、心の整理も出来た。もう心は【死神】へと戻る。暖かい家庭、温かい食事、どれも自分には縁遠いもの。
「……『
でもせめて、名前ぐらいは心の隅に刻んでおこう。
表札に刻まれた苗字を、風に乗せて呟いた。
「ねえ、あなた。今日ね、素敵なお客様が来てくれたの。黄色の制服だったから……『
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