タロットゲーム
『それ』は、人知れずして幕を上げた。
世界の片隅でひっそりと、脈々と、後世に受け継がれる悲劇。
数え切れぬカードが散らばる舞台で踊る、絶えることのない役者。
彼らに拍手を送る観客はとうの昔に消え、誰が為に劇は続く。
──彼らが【世界】を求める限りは。
ここは、とある世界の片隅に存在する『
夜天に月が輝くその晩。春先の心地よい風が、一人の少年の頬を撫でる。
少年の名は、『
時刻は日付が変わる寸前。人々が寝静まり沈黙が落ちる町を、零はあてもなくふらついていた。
それも終わりにしようかと、零が
『──────』
「……?」
拾ったのは衝突音。断続的に鳴り響く音に、零は吸い寄せられるかのように出所へと足を向ける。
足元をネズミが横断するビルの狭間を、携帯のライトを頼りに進んでいく。
近づくにつれ激しさを増していく衝突音に、心臓が波打つ。脳裏を過ぎるのは『この先に進んでもいいのか』という
ようやく抜けた先、零を迎えたのは小さな公園。
そして、目撃する。この世のものとは思えない摩訶不思議な音の正体を。
月光を背に、身の丈以上の鎌を
夢でも見ているのか──?
まるでゲームのような光景に、零は我が目を疑う。
脚はぐるぐると鎖が巻かれたように微動だにせず、目はかっぴらいたまま瞬きすら許されない。『異様』な光景に、零は立ち尽くすことしかできなかった。
「──! げほっけほっ」
「⁉︎」
余波を受け舞い上がった砂埃に思わず咳き込んでしまった零を、少年は驚き見遣る。
「づっ‼︎」
少年が晒した一瞬の隙を見逃すまいと、男は少年と距離を一気に詰め、足払い。接近に対応が遅れた少年は足を取られ、転倒。弾みで地を転がる弓矢に手を伸ばすも、『動くな』と言わんばかりに腹部に深く脚が沈み、少年は口から血を吐き出す。
天高く振りかぶられる鎌が月光を浴び、ギラリと光を放つ──の前に。零は、飛び出していた。
少年の胸に鎌が突き立てられるよりも速く、零は男に全力で体当たりする。側面からの衝撃に男はよろめくが、少年の解放には至らず。
「がっ──⁉︎」
次には、その細い首を片手で掴まれる。
「ぅ、……⁉︎」
首を圧迫する手を引き剥がそうともがくも、男の力の前では圧倒的に無力。急速に意識が遠のき、力が抜けていく。
黒衣の男は片手間で、鎌を少年に向けた。
目尻に涙を溜め、零はただただその瞬間を見届けることしかできない。
──助けて。
零が溢した
次の瞬間。
『……⁉︎』
彼ら三人を、白く美しい光が包んだ。
瞼の裏を貫く光輝。零の視界は糸が切れたように、ぱちんっと暗転する。
同時刻、
テーブルに並べられたカードを一枚、表に返す。
「……そう。新しく選ばれたのね」
少女の呟きは重く部屋に木霊した。
「──ッ⁉︎」
弾かれるようにがばっと上体を起こす。呼吸は激しく乱れ、服には冷や汗が滲んでいる。悪夢を見たあとのような感覚だ。
ピピピッと鳴る機械音に意識を現実へと戻せば、そこは段ボールの山がちらつく自室。知らぬ間に零は
先程の光景は夢か、
本日から通うことになる『
真新しい制服に裾を通した零の脳内は学校のことで支配されており、『あの光景』のことはすっかり忘れていた。
支度を整え外に出た零はふと自身に向けらる視線を感じた。辺りを見渡すも、それらしき人物は見当たらない。
気のせいか、と歩みを再開する少年を──上空、電柱を足場に男が見下ろしていた。
やがて男は黒衣を
「天地零です。宜しくお願いします」
『火杖高校』二年C組。クラスメイトに拍手で迎えられた零は向けられる視線に体を硬らせて、指定された席に座る。朝礼が終わるや否や、零の元に生徒がわらわらと集う。
「どこから来たの?」
「どうして転校して来たの⁇」
「髪きれいだねー」
「ええっと……」
質問攻めに戸惑いつつも答える零の後ろを、遅刻してきた男子生徒が通り過ぎる。
生徒は零より前の席に座ると騒つく後ろを振り返って──目線が合った零もろとも
「何だよ、
「……知らねーよ」
『
やがて始業のチャイムが鳴り、生徒が各自戻ると。零は
(昨日会った人にそっくりだ……! やっぱり夢じゃなかったのかな……あとで聞いてみよう)
昨晩、月光の下で戦っていた二人のうち、襲われていた少年と『月矢』は瓜二つだった。服装こそ制服ではなかったが、跳ねた髪型や、夕暮れのような瞳の色は同じ。それに加え、先程視線を交わした際に向こうも驚いていた。きっと向こうだって覚えているはず。
零はそわそわしながら授業を受け、休み時間となるのを待つ──がしかし、終わると同時に月矢は教室を出て行ってしまい、追いかけようとするもクラスメイトに囲まれてしまう。結局零は一度も月矢に話しかけることができないまま、放課後を迎えた。
(結局話しかけられなかったなぁ)
慌ただしい転入初日を終え、帰路に就く零は密かに
(明日は聞けるかな? 大丈夫だよね……?)
何度目かの嘆息が口からもれる中、零の頭上を黒い影が過ぎる。
「っ⁉︎」
自身の前方に舞い降りた影は、道を阻むかのように鎮座する。黒の
急速に血の気が引き、みるみるうちに零の顔は色を失う。
『昨晩の光景は夢ではなく、現実だった』と理解すると同時、『逃げなければ』と反射的に来た道を戻る。
しかしながら、行手を塞ぐように男に先回りされ、零はいよいよ成す術が無くなる。じりじりと距離が詰められていき、男が持つ鎌の範囲内に突入。大きく振りかぶられた鎌に、零は腕で顔を覆いぎゅっと
──ガキンッ!
直後、甲高い金属音が零の耳を貫く。
時を移さず男は跳躍し、続け様に放たれた光の矢を回避。腕をおろした零の足元に矢が刺さる。
顔を上げれば、弓を構えた月矢の姿が。矢を番え、零の背後に着地した男に向けて射る。
顔すれすれを通過する矢に冷や汗が滲む零。男は一瞥もくれずに顔を逸らして躱せば、逃げるようにその場を去っていった。
怪訝そうに眉を
「あ、あの……助けてくれてありが──うわっ」
お礼を言い切る前に、月矢は零の手首を掴み引き寄せる。
「ど、どうしたの?」
「……」
零の指を凝視する月矢。暫くして手を解放すると、冷淡に言い放つ。
「今のヤツと出くわしたら人が多くいる場所に走れ」
「それってどういう……」
「関わるな。『死ぬぞ』」
直接的な言葉と威圧を受け、肩が震える。
「俺はもう行く。次は助けてやらないからな」
遠ざかっていく月矢の背に、零は声を掛けられなかった。
分からないことだらけの現状。
唯一知り得るのは、自分がとてつもないことに巻き込まれた事だけだ。
それがどんなに過酷なのか、零はまだ知らない。
道端に停まる汚れ一つない車に、黄色の制服が眩しい一人の学生が乗り込む。中では同じ制服の学生が乗車しており、二人の学生を乗せた車は目的地に向けて出発した。
「それで、確認はできたのか?」
先に乗っていた学生がそう声を掛けると無言で頷いた。
「珍しいことがあるものだ。今頃になって新しく選ばれるとは」
妖艶に微笑む彼は愉快げに眼を細める。
「今年は誰が生き残れるのだろうな。“──”」
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