エンドレスオーラドリーム

序章 ようこそ、夢と現が混ざり合う世界へ【1】


 これから語りしお噺は、全てが夢の物語。
 なんてことのない日常の、『おやすみ』から『おはよう』までに、紡がれし冒険譚。
 夢を見ていたのは『少年』か、『彼女』か。
 全ては今宵、胡蝶の夢で。


 真っ暗な空間に、ぽつんと置かれた1つの椅子。
 他にも何かあるのかもしれないが、この暗闇の中で唯一確認できたのは、一筋の光が照らすものだけだ。
 天に昇るほど細く伸びた光は、そこに座る『彼女』をも包み込む。
 背を凭れ、瞼を下ろし、息も立てず。
 胡蝶の如く、幸せな夢を見ている。
 その夢から『彼女』を目覚めさせてはならない。
 決して『彼女』の夢を、終わらせてはならない。

 もうじき、少年は夢から目醒める。
 椅子の側に佇む少年を、溢れた淡い光が照らす。
 少年は己が無力さを噛み締め、迷っていた。
 起こしてあげた方がいいのか。眠らせたままの方がいいのか。
 1つの奇跡か、生きとし生けるものの命か、どちらを選ぶべきかは明白。
 だからこそ、目覚めたまま悪夢を見ているような気がしてならない。

 少年の夢物語冒険は今、目覚めのときを迎える。

 延々と続く蒼天に、架かる虹の橋。
 緩やかな弧を描き、浮遊島から伸びるその橋を、少年は虹蝶と共に渡っていく。
 実体を得た虹は、今にもすり抜けてしまいそうに半透明で、凍った湖を歩くように固い。
 次の一歩を無事に踏み出せるかどうか、予想出来ぬ不安。
 虹の上を渡るという童心をくすぐられ、心を躍らせる気持ち。
 いずれも、今の少年の気持ちとは異なる。
 夢の終わりへと続く道を前へ前へと進むたび、心を埋めていく虚しさと悲しみ。
 それらを隠そうと、少年は鍵守と言葉を交わす。きっと、最後になるであろう会話を。

「僕に出来ることはもう何もないけど……皆が暮らすこの世界は、消えてほしくないな」

 風に揺れる灰色の髪は光沢を帯び、紫水晶アメジストの瞳には哀情が映り込む。
 元の世界に帰りたい。その一心で今日までの冒険を駆け抜け、待ち望んでいた瞬間はすぐそこまで迫っているというのに──。
 それは、少年にとってこれまでの日々が、ただ“元の世界へ帰るため”だけでなくなったことを意味していた。

「……私も、同じ気持ちよ」

 子守唄のようにゆったりとした女性の声を放つのは、少年の傍らでぱたぱたと翅を動かし、金の鱗粉を溢す虹の蝶。
 蝶が言葉を話すことに驚くことなく、少年は頷き返す。
 再び前方に視線を戻せば、虹の橋の終わりが見えていた。
 いよいよ、この世界ともお別れだ。

「ねぇ、リアム」

 少年──“リアム”は足を止め、虹蝶を見遣る。どうしたの? と言いたげに、瞬きした。
 虹蝶は囁くような声音で問いかける。

「『エニュプオン』のこと……好き?」

 幾度も耳にしたこの世界の名前。一つ呟けば、胸の奥にじわりと広がる暖かさと切なさ。
 リアムは、来た道を振り返る。
 地平線の先で別れた彼らとはもう、会うことはない。
 それなのに、今もあの先で見守られているような気がして、リアムは微笑んだ。

「……うん。大好きな皆と出逢わせてくれたこの世界のことも。元の世界と同じぐらいに、ね」

 ふらりと。ひらひらと舞う青い蝶が、何処からか現れた。青い蝶の姿に、リアムの瞳が僅かに潤む。
 リアムは目を細め、青い蝶に人差し指を伸ばす。
 指先に止まり、翅を休める青い蝶を前に、リアムは瞼を下ろした。
 薄らと光が差し込む視界の中、まるで子供の頃に集めた大事なものを懐かしむかのように思い出す。
 少年がこの世界『エニュプオン』に降り立ち、始まった一夜限りの夢物語を。
 終わる今、読み返す。


★☆


 リアムが暮らす世界には、摩訶不思議な魔法が存在する。
 科学よりも重要視され、進歩し続ける魔法は、ときに人々の助けとなり、ときに人々を脅かす術となり、決して甘くはない。
 そんな世界の片隅に生まれたリアムはフリーの記者として、生まれも育ちも異なる個性豊かな仲間達と一緒に、儚くも美しい世界を渡り歩いていた。

 ある日の夜、リアムは寝衣に着替え、ベッドの中へ。今日も一日何事もなく過ごし、明日に備えて体を休める。
 横になるや否や、思考回路が鈍くなり、瞼が重くなる。意識が無くなったのは、それから間も無くのこと。
 次に意識が戻ったのは──夢の中。

「ん……?」

 目覚めるように、リアムは薄らと目を開けた。
 飛び込んできたのは、一面に広がる常闇の世界。なのに、自分の姿だけはしっかりと確認出来る。
 自分の掌を握って開いてを繰り返すうちに、朧げであった意識がはっきりする。
 ここは一体どこなのだろう?
 なぜだか不気味さは感じなかった。自室にいるような心地よさ。そちらの方が感じやすい。
 だが、何も無い空間であることには変わらず、何もすることが無い。退屈だなと感じ始めたそのとき。

「こんにちは」
「ぎゃあっ‼︎」

 女性の声に不意打ちを食らい、反射的に叫んだ。
 安心感やら何やらが一気に吹き飛び、反対に心臓が激しく波打つ。
 胸元を抑えながら落ち着けと心の中で繰り返し、乱れた呼吸を整える。
 ようやっと鎮まった頃、リアムは恐る恐る背後を振り返る。

「ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったの。ただ、どんな挨拶が良いか迷ってしまって……」

 憂いを帯びる女性の声は人間の口──ではなく、光粒纏う蝶から発せられていた。
 金色の外縁に長く伸びた尾、虹色の中室。舞う度に零れ落ちる鱗粉は、仄かに光を帯びている。

「えっと……大丈夫?」
「え? あ、うん……多分」

 言語を理解し、言語を話す異質な蝶々。リアムは現実世界で、彼女(と表現しても良いか、リアムは些か疑問であった)のような存在を見たことは無い。せいぜい似たような存在に、青い蝶が脳裏を過るだけだ。

「君は何処から来たの?」
「……あなたが住む世界とは別の世界からよ」
「へえ〜……ん?」

 ようやくリアムは、自分が今置かれている状況に疑問を抱く。

「別の世界? ……ここって、夢の中じゃないの? 僕の」
「半分はあなたの夢。もう半分は、私がやってきた世界」
「……どうゆうこと⁇」
「ちゃんと説明したいところだけど……。ごめんなさい。どうやら時間がないみたい」

 蝶の話についていけず、リアムは疑問を通り越し、不安を抱き始める。先程まで心地良さを感じていたこの空間も不気味に感じ、更に不安を煽られる。
 耐えられなくなり、息を吸い込んだ瞬間。

「ッ……⁉︎」

 どぷんっ──。床が水面のように変化し、底なし沼へ落ちるかの如く体が沈む。
 落ちた先では体の中心にかけて強い圧がかかり、指一本ですら動かせない。
 苦しい。口から息を吐き出すと同時、彼女の囁きを耳にする。

「今宵。真実と虚偽、希望と絶望、夢と現が混ざり合う世界へ。あなたを信じ、導きましょう──……どうか、夢は夢のままで」

 言葉の真意を考える間も与えられず。
 リアムは、謎の空間から放り出された。


★★


「……っ! 痛ったぁ……」

 上空に放り出されたリアムは、お尻から地面に落下。ズキズキとした痛みに襲われ、悶える。
 幸か不幸か。落下距離が短かったおかげで数秒後には回復。リアムは辺りを見渡し、茫然と景色を眺めた。

「エニュプオンへようこそ、リアム」
「『エニュプオン』……?」

 リアムの前に、ゆるりと螺旋状を描いて蝶々が舞い降りた。初めて聞く単語を聞き返したが、はっと驚く。

「……って、ちょっとちょっとどういうことなの⁉︎ なんで僕外に居るの⁉︎」

 頬を撫でゆく優しい風。そよそよと左右に揺れ動く草。
 リアムが落ちた先は、まさしく草原と呼ばれる場所であった。服も寝衣から普段着へ変わっている。

「それは……私があなたをこの世界に……エニュプオンへ連れてきたから。もうここは現実よ」

 『エニュプオン』というのは、この世界の名前だったらしい。リアムは「えっ」と片頬をつねる。

「……いひゃい。いやいやどうなってんのこれ⁉︎」

 ぴりぴりとした頬の痛みに、嫌でも現実だと思い知らされる。
 夢から現実へ目覚める、とはまた違う感覚に、心と頭のずれを感じる。

「……本当のあなたの体は確かに眠っているわ。ここに居るあなたは私がこの世界エニュプオン用に作り出した体……でも魂は本物よ」
「つ、作った?」

 嫌なワードに、眉間に刻まれた縦皺が深くなる。
 蝶々は相槌を打ち、話を続けた。

「エニュプオンは、あなたが居た世界と似ているようで異なる。この世界に生を受け、意志を育み、行動する人々は種族に分類され、個性あるスキルの恩恵を受け、魔法や技を駆使して生活を営んでいるの……」

 どうしよう、話にぜんぜん、おいつけない。
 蝶々の話し方にも原因はあるが、リアムの脳内は混乱状態にあった。

「えーと……つまり?」

 リアムは食指でこめかみを突き、かくんと首を傾ける。

「……あなたがこの世界で活動するには、種族・スキル・技の三つを設定する必要があった……でも本来のあなたには存在しないもの。だから新しく体を作る必要があったの」

 なるほどねと納得しかけた自分に、いや待てと突っ込む。

「活動するってどういうこと⁉︎ 全然話が分からないよ‼︎ 元の世界に帰してくれないの⁉︎」
「……今はまだ、あなたを帰すことはできないの。でもそのときが訪れれば必ず、元の世界へ帰すから……」

 声を荒げるリアムに対し、蝶々はそう告げる。

(元の世界に帰れない……?)
「な、何で……」

 リアムは、悲しみと戸惑いが入り混じる表情で呟く。
 蝶々は少し間を置き、答えた。

「……ごめんなさい。あなたなら助けてくれると思ったの。だから……」
「……ちょっと待って。適当に選んで連れて来た訳じゃないの?」

 リアムの言葉に、蝶々は意表をつかれた。

「ええ……もちろん。あなたを信じて連れて来たの。きっとできると思ったから……」

 蝶々の言葉に、リアムは少しずつ落ち着きを取り戻した。
 勝手に決められて連れて来られたのは不満だが、「帰さない」と言われてしまった以上、自力で何とかするしかない。生きて、元の世界に帰る為に必要なのは──。リアムは思案を巡らせる。

「リアム……私の話、信じてくれるの……?」

 リアムは眉尻を下げ、苦笑する。

「信じる……とはちょっと違うかな。元の世界に帰れないんじゃあ何とかして生き延びなきゃ方法も見つからない。その為に情報が必要だから、かな?」

 必要なのは『エニュプオン』に関する情報。情報という名の武器を持たない丸腰な自分にとって、蝶々のような存在は必須。
 そこに在るのは絆ではなく利用価値。今の状況下で信頼を寄せれるほど、リアムはお人好しではない。相手も、それを理解したようだった。

「それは……そうね。あなたの言う通りだわ。でも巻き込んだ分、あなたに協力するし、あなたを死なせたりしない。なにがあろうとも」

 蝶々の言葉は、重厚音となってリアムの心に響き渡る。

「……あっ。そういえばさ、君のことはなんて呼べばいい?」

 衝撃の出会いから早数分経過していたが、改めてリアムは尋ねた。

「名乗るのを忘れていたわね、ごめんなさい。私は『クラルテ』。そう呼んでくれればいいわ」
「クラルテだね。これから宜しく」
「えっ……?」

 まさか疑問系で返されるとは思わず、リアムは戸惑う。

「ど、どうしたの?」
「その……『宜しく』と言われるなんて思っていなかったから……」

 クラルテのよそよそしい態度は、先のリアムの反応や言動から来ているらしい。リアムはそのことに気付き、少しだけ反省した。

「正直言うと今でも微妙だし、僕が言うのもあれだけど……一緒に行動するなら仲良くはしたいなぁって思って……駄目、かな」
「い、いいえ、ダメじゃないわ。その……ありがとう、リアム。こちらこそよろしくね」

 クラルテに、リアムは小さく笑う。

「初めて『ありがとう』って聞いた気がする」
「そうだったかしら……」
「うん。ずっと謝ってたからさ」

 申し訳ないという気持ちの表れなのだろうが、巻き込んだならもう少し威張ってくれてもいいのに。リアムは密かに思う。

「話を戻すけど、僕は何をすればいいの?」
「それについては今から説明するわね」

 リアムは素直に耳を傾けた。

「エニュプオンにはもともと、モンスターや魔物と呼ばれる存在がいるの。無差別に人々を襲う理性なきもの。だけど最近、そのモンスター達を使役し、力を与える『魔王』が現れて、強化されたモンスターが次々と生み出されているの」

 リアムが居た世界にもモンスターはいたが、魔王という名の存在はいない。どこかくすぐったい。

「そこで地上では、勇者スキルを持つ人間がパーティーを組んで力をつけ、魔王を討伐しようとしているの」
「へぇ、そうなんだ。大変だね」
「それでね、リアム。あなたには勇者として魔王を倒してほしいの」
「……は?」

 長い沈黙の末、やがて発した言葉はその一言であった。他人事のように聞いていた話をやれと言われ、リアムは食い気味に“拒否”する。

「いやいやいや人違いでしょ僕が勇者とかあああありえないよだって勇者って“勇気ある者”って書くじゃん僕そんな勇気ないし魔王に立ち向かうなんて無理なので帰して下さいお願いします」
「ええっと……リアム?」
「ああああそうじゃん帰れないんじゃあああんいやでも勇者なんて無理無理無理無理」
「お、落ち着いて……?」

 困惑気味のクラルテの声に、リアムは我にかえる。

「そ、それでその……魔王を倒せばいいんだね?」
「え、ええ……そのあとはまた──」
「……クラルテ?」

 空中にぴたりと停止したクラルテを、訝しげに見つめる。

「……リアム。ゆっくり後ろを向いて」

 声を顰めるクラルテの言葉に従い、慎重に、ゆっくりと、背後を振り返る。
 数歩離れた先には、小鬼のような姿をした不気味な生き物。一目でモンスターだと察した。
 相手はこちらに気付いており、威圧するように鳴き声を発する。

「ちょっ、待って、まだ心の準備が……」

 リアムは刺激しないよう自身の体を探るが、「あれっ?」と気付く。

「武器がない……⁉︎」

 肝心の攻撃手段が無い。打撃しようにも付近には石ころ一つなく、自分の腕力に自信なんてものもない。

「そ、そういえばまだ武器を装備してなかったわね……」
「えっ、じゃあどうするの……⁉︎」
「……どうしましょう」

 打つ手無しとはこのことか。
 差し迫る危機を前に、リアムは己の不幸体質を呪う。
 リアムは小声で断りを入れ、クラルテに手を伸ばした。

「わっ」

 丸めた両手の中にクラルテを庇い、モンスターに背中を向けて全力疾走。
 足の速さは元の世界と同じだったのがせめてもの救い。リアムの速さにはモンスターも追い付いてこれず、暫くして諦めたようだった。

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