イニティウム
※物語の都合上、女性特有の表現があります。
何卒ご理解くださいませ。
「お早う御座います、姫様」
また朝日が昇り、一日が始まる。
女中達に着飾られた『アストロン国』女王代理、ユリアの前にそう現れたのは彼女直属の臣下である『ルフュー』。平民の身でありながら、若くして臣下へと上り詰めた才ある青年だ。
「本日のご公務についてですが──……、」
「る、ルフュー? どうかしたの?」
ルフューの視線は手元の資料でも、ユリアでもなく、部屋と廊下を繋ぐ扉に注がれていた。答えない彼にもどかしさを覚え、扉へ近付こうとするも──ルフューが片腕を伸ばして制止させる。
普段から表情の起伏がない彼だが、いつになく鋭い目付きにユリアは大人しく身を引く。
「……足音が二つ」
「え?」
「そのうちのひとつは、メイドのエルガ。ですが、もうひとつは……初めて耳にするものです」
ユリアが身を引いたのを確認したルフューは片腕を、今度は腰に帯剣しているレイピアの持ち手に触れる。
静寂に包まれる緊迫した部屋の中、ようやくユリアの耳にも二人分の足音が聞こえてきた。それらは部屋の前を横切ることなく──彼らが見つめる扉の前で止まり、ノック音が響く。
『ユリア姫様、メイドのエルガです。謁見したいという者をお連れしたのですが、宜しいでしょうか』
ユリアとエルガは、単なる姫とメイドの仲ではない。
この目で見る前に姿を消してしまった異母兄──ケイオスに仕えていたメイドのうち、唯一“生き残っていた”存在。ゆえに、人目がない所で兄に関する話を聞いている秘密裏の仲。
ルフューを一瞥すると、彼は警戒したまま扉を凝視している。何も言わない、ということはこちらの好きにしていいということなのだろう。
「構いません、エルガ」
ユリアの答えに、扉の向こうからエルガが謝辞を述べた上で入室する。
エルガ──あの廃墟で再会を果たしたケイスが『ばあや』と呼ぶ老婆──のあとに現れたのは、重厚な黒衣を翻し口元から上を漆黒のベェールで覆い隠す謎の人物。
「姫様、こちらのお方は『レコーティン』様。プルイーナ家のご子息であられた方です」
「初めまして、ユリア姫様。この度はお目見えすることができ、光栄でございます」
恭しく頭を下げるレコーティン。何を隠そう彼こそが、架空の人物に扮したケイス“本人”。

エルガの紹介に、ユリアは眉を顰め、ルフューは臨戦態勢のまま、レコーティンを見据える。
「プルイーナ家といえば……お屋敷に火が放たれたと聞いたことがあります。もしかしてそのお顔は……」
「ええ、姫様の仰る通りでございます。大変恐縮ではありますが、このような醜い焼跡を貴女様のような高貴な方々にお見せするわけには参りません。何卒、ご無礼をお許しくださいませ」
「い、いえ、私のほうこそ失礼なことを……」
萎縮するユリアに代わり、今度はルフューがレコーティンを問い詰める。
「……プルイーナ家は数年前に没落したと聞いているが、子息がいる話はなかったはず」
「表向き、ではそのような話になっているのでしょう。しかし、このお話を語るには
強調された単語で複雑な色恋沙汰だと判断したルフューは問いただすのをやめ、エルガに目を向けた。
「それで、ユリア様にどのような御用だ」
「それについては、僕の口から説明させてくださいませ」
エルガが一歩下がると同時、レコーティンは一歩前へ。
「非常識極まりないお話ではありますが……僕をどうか、貴女様のもとで働かせてはいただけないでしょうか」
「……え」
当惑するあまり硬直するユリア。同じく戸惑い臨戦態勢を弛緩していたルフューが再び縫い直せば、問われるより先にレコーティンは発言。
「あの日以来。僕はありとあらゆる方のもとで仕え、『軍師』としての職務を全うしてきました。それらの知識を踏まえ、お国の役に立ちたいと思っております」
「……信用ならない」
「騎士様は疑い深いですねぇ〜……。ですが今、僕が欲しいのは姫様のお言葉であり──貴方ではない」
「……!」
先程までの穏やかなものとは一転──声音に込められた異様な圧に、ルフューは開きかけた口を閉ざす。まるで見えない針と糸で縫い付けられたかのように、唇を動かすことを許されなかった。
そうしたやり取りの傍らでユリアは、レコーティンの提案に賛同しかねていた。何故なら今や王宮は、帰還した異母兄ケイオスの話題でありふれており、もともと『御飾り姫』と称されていた自分の立場は切り立った崖のすぐそばまで迫っている。その中で、自分に仕えたいというのには何かしらの違和感を感じ得ない。
(──私を“暗殺”するためとか……?)
そう。真っ先に思い浮かぶのはその二文字。
今や自分の存在は、兄を囲う者達にとって目の上のたんこぶ。要らないもの。ただの税金泥棒。
仮にそれらの類いではなく、先の言葉通りだったとしても。落ちこぼれの自分に仕えては『国のため』にはならない。
刻々と時間が過ぎてゆく中、不意に、レコーティンの背後に佇むエルガと視線が合う。彼女はしわくちゃな顔を柔和にしては、そっと前髪の左側に触れてなぞった。
「……分かりました。あなたを迎え入れます、レコーティン」
数分に及ぶ思案ののち、ユリアが下した判断にレコーティンは「ありがとうございます」と一言。ルフューは眉を顰めたまま、レイピアから手を離す。
かくして、ケイスもといレコーティンは無事、王宮内部に忍び込むことが出来た。これからはユリアの臣下として立ち振る舞いながら、自身の名と姿を
アレは神王とは違う。ちゃんと席に座り、僕との
たったひとつの結末へ導くピースはまだ足りない。
また、ケイスはすでに『結末』を知っている。
(あとはそれに至るまでの過程を選択するだけ……)
エルガの提案で王宮を見て回ることになったレコーティンは、口元に妖艶な笑みを浮かべてユリア達の前から立ち去る。
扉が閉まり、暫しの沈黙後。ルフューは「宜しかったのですか?」と彼女の身を案じた。
「明確な素性も分からない者を配下に置くなど……」
「……ええ」
ユリアは、エルガが示した“ヒント”をルフューに伝えることはなかった。
なぜなら、自分でもこの仮説に疑問を抱いているから。
(あの人はまさか……本当に……?)
王家の証である──紅いメッシュの髪の位置は王族によって異なる。
エルガが示したその位置は……。
レコーティン殿が配属されてから、六日目の朝。
あれから、ユリア様の臣下として本格的にお供するようになった彼は、急速に彼女の信頼を得ていった。それこそ、五年ほど前から配属された
だからこそ私は見極める必要がある。
この男は、本当に信頼に値する者なのか。
この男は……私の“目的”を阻害する存在なのかを。
主君たるユリア姫様のもとへ向かう通路の物陰にて、これから来るであろうレコーティン殿を待つ。
そうして待機すること数分。予想通り、レコーティン殿の足音が聞こえてきた。宮仕えの者達の足音は“全て”記憶している。同じように聞こえても、足の大きさや靴の種類によって僅かな違いが生じるものだ。それに加え、彼の靴音は非常に分かりやすい。まるで楽器を演奏するかのように、舞台に立つ演者のように、高らかと響かせて……。近づくにつれ、私はレイピアをいつでも引き抜けるように構える。そのまま無人の部屋に連れ込み、その素顔ごと洗いざらい話してもらう──。
「ああ、おはよう。ルフュー」
彼の気さくな声は、私のすぐ背後から聞こえてきた。
いつ、どうして、私の気配に気づき、どうやって背後を取られた……⁉︎ 一秒たりとも警戒を緩めてはいなかったのに。
「レコーティン殿……!」
波打つ心臓に落ち着けと宥め、平常心を保ったまま振り向き──またもや目を見開く。
なぜなら、彼の顔を覆うヴェールが外され、その下に隠されていた素顔を晒していたから。爛れた皮膚に、膿が出来た痕跡、本来の肌色とはかけ離れた赤い焼痕……あまりに酷い有様で思わず吐き気を催すほどの。
私の反応を確認したレコーティン殿は再びヴェールで顔を覆い、平然と歩き始める。
「姫様がお待ちですよ、騎士様?」
そうふっと笑えば、彼は私を置き去りに姫様のもとへ。
嘘ではなかった。姫様へ向ける忠義心でさえも、きっと。
ならば彼は──私の“敵”だ。
やつの正体が分からないのは依然そのまま。であるなら、まだ姫様が信用し切っていないうちに実行するべきか。
私の大切なものを……守るためにも。
(……上手く誤魔化せたっぽいね。ま、この顔の傷は死人の皮膚から作った偽物なんだけど)
歩きながらケイスは人知れず、素顔に被せた顔面パック(?)を剥ぎ取る。顔に付着した怪しげで不気味な液体を布で丁寧に拭き取り、通りかかった通路の身鏡の前でヴェールの下からサッと前髪を整えては、いつもの不敵な笑みで最終確認。
最高の“レコーティン”を整えた上で、ユリアの自室にノックする。……が。
(音がしない?)
最低限の魔術を発動。気配を探索すると、ユリアの魔力がこの部屋から検知された。それも、ひとり、断続的な脈を打って。
「入りますよー」
レコーティンは訝しみながら扉を開けて入室。周囲を軽く見渡すも、賊が入った形跡はなし。
魔力が検知された寝室への扉を叩けば、ようやくユリアの『はい……』というか細い声が返ってきた。明らかに弱っている様子に、レコーティンは小首をかしげる。
「おはようございます、ユリア姫様。……もしかして、風邪でもひかれましたか?」
『あ、いえっ、風邪ではなく、その……』
もごもごと何か発しているようだが、扉を隔てたこちらまでは届かない。一体どうしたというのか。数少ない材料からレコーティンが導き出した答えは──。
「レコーティン殿。……姫様に何か?」
そこに遅れてやって来たルフューが到着。
一瞥したのち、レコーティンは肩をすくめてユリアに告げる。
「これは大変失礼いたしました。すぐにメイド達を呼んで参ります」
そうくるりと踵を返したレコーティンはすれ違いざまにルフューのマントを掴み、寝室の扉から遠ざける。もちろんすぐにルフューはその手を振り払い、『なんだ』と言いたげにレコーティンを睥睨。
「……察しなよ。“アレ”の日が来たんだよ」
「アレ……? あ、ああ、そうか……」
「僕はメイド達に事情を話してくるから、君は殿下に報告しといて」
「──待て。」
肩を掴まれたレコーティンは億劫げに振り向くと、ルフューはいつになく眉間に縦皺を寄せていた。
「……何?」
「聞いた話によると、貴方はまだ殿下と一度もお会いしたことがないようだ」
「……」
“ケイス”の推測が正しければ、偽物の自分と対面したその瞬間──自身の正体は見破られ、戦闘を余儀なくされる。ケイスが王宮入りしてから魔力を使っていないのも、ひとえに偽物の自分に悟られないため。顔の焼跡も、普段の自分なら精神魔術を自分にかけて誤魔化している。いちいち死者の皮を剥いで作ったりなどしないし、したくない。正直気持ち悪い。
「殿下を避けているのは……その顔のせいか?」
なんてつらつらと語った裏事情を話すわけにもいかず、“レコーティン”はルフューの推察に「そうだね」と素直に肯定。ここではぐらかしても余計に詮索されるだけだ。
「そう、か……」
ルフューの手が離れていく。まだ何か気になるようだったが、
「それじゃあね」
レコーティンは颯爽と部屋を後にして、ルフューの耳朶に扉が閉まる音が響く。
足跡が遠のいていくのを、瞑目したまま聞き届けたルフューはユリアの寝室に歩みながら腰に帯剣していたレイピアを『引き抜いた』。その瞳に光はなく、虚な闇が広がるだけ。
──キィンッ!
振り翳したレイピアが扉のドアノブを捉え、役目を失ったドアノブがゴトリと床に落ちる。
鍵は開かれた。扉にレイピアを持つ手とは反対側の手を添える。
寝室にいるはずのユリアの声は聞こえない。気づいていないか、はたまた、気づいていないのはこちらか。いずれにせよ、彼女に助けは訪れない。この部屋に誰か訪れる前に、自分は、“五年前”から与えられていた役目を果たす。
それだけが……あの子を救うたったひとつの方法。
「──本当に?」
「⁉︎」
今日だけで、この男には何度驚かされてきただろうか。
またもやそこには、腕を組みこちらを見据える──レコーティンの姿。悠々とした態度に苛立ちを覚え、レイピアの切先を向ける。
「貴様……! 私に嘘をついたな……‼︎」
「そりゃあ、お仕えしている主君の身を守るのは、臣下として当たり前でしょうが」
聞こえているはずのユリアの声はなおも聞こえない。
彼女は今し方初めて知ったのだ。自分を殺そうとしていたのはレコーティンではなく──ルフューのほうだったのだと。恐らくショックの余り、筆舌に尽くし難い状況に陥っている。
それらを他所に、レコーティンは飄々と交渉した。
「それは今置いといて。ここで騒ぎを起こすのは、僕的にもあまり宜しくないんだよね。だから、ちょっとばかり君にご褒美をあげよう」
「ご褒美……⁉︎」
「入ってきて、エルガ」
レコーティンに呼ばれ、入室したエルガ──の後に続く可憐な少女の姿にルフューは今までにないほど過敏に反応した。
「『シュルディ』……⁉︎ ど、どうしてここに……!」
『シュルディ』と呼ばれた少女は、瞳に涙を浮かべながら顔を綻ばせる。
「会いたかったよ、お兄ちゃん……!」
運命に引き裂かれた兄妹が再会を果たすに至ったのは──三日ほど前にまで遡る。
「ようこそ、お客様。『愛蜜の館』へ」
気品と蠱惑な雰囲気に溢れたドレス姿のママが迎える。
「初めてのご利用ですね」
仕事終わりにケイスは“レコーティン”として、城下町の裏通りにひっそりと佇む、『愛蜜の館』へ足を踏み入れた。世間一般でいう風俗店でもあるここで働く女達には、金を積めばなんでもしていいという暗黙の領域も存在する無法地帯。
そのような場所にレコーティンが訪れたのは、『とある人物』と接触するため。
「そうだね。ここはお金さえ出せば何でもしてくれるって聞いたけど?」
「うふふ……。お客様、それは内密ですよ。それで……本日はどのように?」
レコーティンの胸に擦り寄って甘い声で誘うママの手に封筒を忍ばせ、耳元で囁く。
「これで奥の個室と、『シュルディ』を呼んで欲しい」
封筒に入れられた金額を確認したママは妖艶な笑みを浮かべると、ご案内しますと個室へ。
特別部屋の豪華なソファーに腰をかけたレコーティンの隣に、ママが座る。
「お客様、お名前をお伺いしても宜しくて?」
「僕の名前はカラミティ」
弱みを握られるのを回避するため、さらなる偽名を重ねる。
「カラミティ様ですね。すぐにシュルディを呼んで参ります」
ママは疑いもせずに個室から出て行くこと五分。
コンコンと扉が叩かれ、「シュルディです」と可愛らしい声が聞こえた。
どうぞと答えたレコーティンに、失礼しますと綺麗なドレスに着飾るシュルディが入室。
「カラミティ様。本日はご指名いただきありがとうございます。シュルディです」
「隣どうぞ」
「失礼いたします」
扉を閉め、レコーティンの隣に座る。
「お飲み物はいかがいたしますか?」
「君に任せるよ。お酒には強い方なんでね」
「分かりました」
レコーティンのためにお酒を作り始めるシュルディ。それを傍目に、両手脚を組むレコーティンが口を開いた。
「──ルフューって君のお兄さんでしょ」
ピタリと手を止めるシュルディ。
やがて彼女はグラスを机の上に戻すと……足のベルトに挿していた小型ナイフを抜き、なんとレコーティンを襲った。
そう来るだろうなぁと予測していたレコーティンはナイフの突きを軽々と躱し、彼女の両手首をそれぞれ捕まえ、ソファーに押し倒した。
「感心しないなぁ……女の子がこんな物騒なことするなんて」
「離して! もうあなた方の野望に巻き込まれたくないの!」
「……来てよかったよ。まさか、こんなに収穫があるなんて」
「これは没収」と、レコーティンはシュルディの手から小型ナイフを奪い取ると、シュルディから離れた。
「貴方……一体誰。あいつらとは違うの……?」
「一緒にされるなんて吐き気がするよ。訳あって本名は名乗れないけど、お姫様に近い存在……といえば分かる?」
戸惑いながらも頷くシュルディ。
「顔を隠している臣下がいると……」
「まさしく僕のことだね、それ。早速本題に入るけど、君はさっき“もうあなた方の野望に巻き込まれたくない”って言ったね。それはつまり、ルフューの裏切りに関して知っている人物が複数人いるっていう解釈でいい?」
「えっ……はい」
「ふぅん……やっぱり一人じゃなかったか。あ、お酒欲しいんだけど」
レコーティンの不思議なペースに飲み込まれながらも、作りかけのお酒を完成させ、提供。
「どうも。……うん、いいね」
「あ、ありがとうございます……」
「それでさ、君。お兄さんから何か聞いてない? お姫様に関して何を企んでいるのか」
知りませんと拳を握りしめる。
「もしくは……お互いにお互いを人質にとられているのか」
シュルディはその言葉に肩を震わせた。
図星だと判断したレコーティンはヴェールの下で目を細め、彼女に交渉を持ちかける。
「なら、僕が君達を助けてあげる」
「……えっ」
「君達を脅しているやつらを釣り上げて、破滅に導いてあげるからさ──
お兄さんにどうか、お姫様を殺さないように説得してくれない?」
提示された条件に虚をつかれて目を丸くする。
「ルフューの実力って、僕から見ても大したもんなんだよね〜。だから、お姫様を護るにはうってつけなんだよ。それなのに叛逆罪で裁かれるのは勿体無くてさ」
レコーティンの言葉に、シュルディは声を震わせながら尋ねた。
「あ、あなたにとってユリア姫様は……どういう存在なんですか……?」
その問いに、彼は悪魔のような笑みを浮かべて答える。
「僕の『復讐』に欠かせない存在だよ」
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