イニティウム

4燿 アストロン国【2】


 ──御飾り姫。

 はっ、と目を見開きうつらうつらとした思考の中で物思いに耽る。
 自身の不安から生まれた幻聴だろうか。それとも部屋の前を横切る女中達の囁き声だったのだろうか。

(……どちらでもいいですね)

 だってその通りなのだから。

「『ユリア』姫様」

 聞き慣れた大臣の声。微睡む脳内に喝を入れ、私はお行儀良く、はい、と扉に声を返す。
 窓辺から離れ、部屋の中心に佇む私の前に現れた大臣は、彼を『従えた』人物にこうべを垂れ、自分は一歩後ろからこちらの様子を伺っている。

「やあ、ユリア。忙しいところすまないね。街へ視察に向かう前に会っておきたかったんだ」

 その人は柔和な動作で私との距離を詰め、親しげに目を細めた。

「……ケイオスお兄様」

 私は、この人のことが苦手だ。


★☆☆


「ああもうっ、邪魔だな」

 黒水晶オブシディアンで形成した剣を軽く振るい、道を阻む木の幹を切り結ぶ。隆起した根に足元を取られぬよう苛立ちながらも慎重に足を運ぶケイスの耳に、トゥルルトゥルルと鳴り響く端末の着信音は虚しくも届かず。
 『アストロン国』城下町にてベータが連絡を入れた同時刻──彼は同じく国内、それも城下町からそう遠くない場所に単独足を踏み入れていた。
 長年放置された森の中を進むこと数分。木漏れ日の光が瞬く間に大きく、強く、草影ひとつない辺鄙な地を照らしているそこは。

(……帰ってきたよ)

 貴族の屋敷を彷彿とさせる絢爛豪華な──『室内』が確認出来る、崩れかけた廃墟。
 この場所こそ。ケイスをケイスたらしめた因縁の場所牢獄であり、以前所属していた【カオス軍】──『終王ついおうカオス』と初めて出会った地でもある。

(さあて、何か見つかるかな)

 あれから数年。見ての通り放置され続けた廃墟を前に目を窄めたケイスは、ふと、瓦礫に紛れて蠢く影に気づいた。影の正体はまだこちらに気づいていない。ケイスは瓦礫を盾にしながら気配を殺し徐々に距離を詰めていく。
 目と鼻の先。最後の瓦礫に身を隠しつつ、魔銃《エレメント》を装填。ローブを翻し飛び出したケイスは銃口を影に突きつけるも。

「えっ……?」

 影の正体──もとい、その人物に瞠目する。
 相手もまた目をひん剥かせ、シワが目立つ顔をくしゃくしゃに歪めた。

「『ケイオス』坊ちゃん……⁉︎」
「ばあや……!」



 ──ケイスが『ばあや』と呼んだ老婆と邂逅を果たした頃。
 ナナとクレアの二人と合流したベータは、三人並んで城下町での事情聴取を再開。行き交う人々、軒を連ねる屋台の売り子、重い荷物を背負う商人……選り好みせず聴取を続けていたその時。

「殿下の馬車よ!」

 一人のご婦人が興奮気味に声を上げ、周囲の人々の視線を奪う。それはもちろん三人も例外でなく、物珍しげな視線に隠れて注意深く──絢爛豪華な馬車の窓越しに悠然と民に手を振るケイスそっくりな人物を凝視する。
 たった数分。されど数分。
 石畳みの路をガラガラと音を立てて進行し姿を消したあとも、周囲の民達は焚き付けられたように熱を持って口々に話し合う。

「美しさの中に凛とした強さも併せ持つお方でしたわ……」
「王族の証もちゃんとあったし、偽物なんかじゃなかったな!」
「あの方が『あん竜』のもとから生還したという伝説の……!」
「こりゃあ次の王様は決まったも同然だな」

 ぽっと頬を赤る女性、豪快に笑う男性。様々な反応が飛び交う中、ナナ達は実に冷め切っていた。

「……クレア、ベータ。『ちゃんと』見た?」

 正面を見据えたまま問いかけるナナに頷き返す。

「ええ、ちゃんと見たわ」
「ああ。……アイツが知ったら怒りで狂いそうだな」

 確かに、と笑みをこぼすナナの目は笑っていない。
 実際に見た上で確信を得た彼らは、お祭り騒ぎの街角からひっそりとその姿を消した。


★★☆


「──坊ちゃん、……ケイオス坊ちゃん!」
「ん……なあに、ばあや……」
「こんなところでお休みになられては、お風邪を召されますよ!」

 あれはまだ、僕が『何も知らない子供』だった頃の話。
 『アストロン国』第一王子として産まれたケイオス・アル・アストロン。それが僕、ケイスの昔。
 僕が産まれて間も無く亡くなった正妃と現陛下の間に産まれ、王位継承権第一位でありながら生まれつき体が弱い僕は、王城から離れた位置にある離宮で蝶よ花よと生活していた。
 離宮での暮らしを余儀なくされた僕を支えくれたのは、歴が長い『ばあや』と呼んでいた使用人を含む数人。それが僕にとっての小さな王国だった。

「大丈夫だって。今日は天気もいいし」
「だとしても油断は禁物ですよ。……おや、その御本は」
「そっ。帝王学の本。いつかは学ぶわけだし、予習したっていいでしょ」

 僕は体を第一に考えられていたから、他国のように幼い頃から政務に関するあらゆる事柄を教えてもらう機会がなかった。とは言え、王子として表に出るときに必要なテーブルマナーや社交ダンス、対話術は最低限身につけていたけど。
 僕は天才じゃない。でもセンスはあったと思う。
 それなりに努力すれば大抵のことは身につけられたから。
 そして僕は、皆や自分が思うよりも『優れていた』。

「殿下。本日のおやつにございます」
「……」
「殿下? いかがなさいましたか?」
「う、ううん。なんでもないっ」

 お抱えシェフが作る甘いケーキを丁寧に切り分け、味わう。
 ……いつからだろう。このケーキに、致死量に満たない『毒』が混入し始めたのは。
 吐き出したい衝動を必死に抑え、食べたくもないケーキをおくびにも出さず口にする。
 僕は知っている。こうして少しずつ、毒耐性のある体にしていく事を。きっとお父様だって乗り越えてきたはずだと信じて食べる。
 だけど……甘いものは嫌いになった。

「ま、参りました……」
「お見事ですっ、殿下!」

 響く拍手、眉を八の字に曲げる使用人の表情。
 子供ながらに優越に浸る僕は、ちょっぴり恥ずかしかった。

「僕の策が上手くいって良かったよ」

 卓上遊戯であるチェスに目をつけるのは早かった。手に入れられるだけの戦術書を読み漁り、離宮で働く使用人を全員負かすのにそう時間はかからなかった。
 いつか自分が王となり他国から攻められたとき、ただ王座にふんぞり返っている愚王では僕の理想と違う。
 それに芸の一つや二つあったほうが、社交界の場でも話の種として使えるだろうと見込んでのこと。
 全てはこの国のため。
 王子として産まれた以上、この努力は無駄にならない。無駄にしない。
 そう思っていた自分は──誰よりも甘くて愚かだった。



(もうこんな時間……少し夜更かししちゃったな)

 その日の僕は、この国に関わる呪い……と言っても過言ではないとある伝説について調べていた。
 ──『あん竜ネメシス』。
 この世界に息づく竜の姿をした神様の一柱であり、『アストロン国』が信仰している偉大な存在。王家の者は皆竜の加護を授かっており、髪に現れる赤いメッシュがその証拠。しかし、その『加護』とやらを含め深く言及されておらず、幼い僕は数少ない書物から推測しようとしていたのだが。結局徒労に終わった。
 離宮の一階と二階を結ぶ螺旋状の階段を登ろうとした、その時。

「──しかし殿下も報われないよな。あんだけ努力してるのに」

 耳朶を打つ使用人の声に思わず足を止めた。
 ……嫌な予感。脳が『早く部屋に戻れ』と言いたげに警鐘を鳴らすのも厭わず、僕は階段裏で話す使用人達の会話に耳を傾けていた。

「だな。本当に王になったならいい国になっただろうに」

 言葉に意味を見出せない。次の王は、僕のはずだ。

「陛下も酷いよな、殿下のことを『レコーティン』って呼ぶなんて」
「あー、確か『生贄』って意味だったけな」

 ……生贄? 誰が?

「もうすぐだよな、殿下が『あん竜』に捧げられる日」

 ……、……僕?

「災難だよなぁ、今までの王族で一番竜血の力が強いからって生贄に選ばれるなんて」
「まあでもそのおかげで俺らは平和に過ごせるんだ。それだって王族の役目だろ」
「違いねぇな」

 気がついた頃には部屋に向かって走っていた。聞いていたことを彼らが知ってしまえば不味いと反射的に判断して。部屋に戻り静かに扉を閉め、ずるずると背を預けて床に座り込む。
 捧げられる? この命を?
 『加護』は美味しく食べられるもののことだった?
 なら僕がしてきたことは一体……?
 どくんどくんと内側から激しく叩かれる心臓を服越しに握りしめ、早くなる呼吸を必死に押し殺す。
 帝王学を学ばせてくれなかったのも、この離宮に住まわせのも、間違って毒で死なないようにしたのも。
 全部、『いずれ死ぬ命を逃がさないため』だったから──?

(王族だから国のために死ね……?)

 どうして赤の他人がそんなことを言える。
 どうして自分が平和なら簡単に他人を見捨てられる。

「……してやる」

 なら、僕がすることは。

「滅ぼしてやる……!」

 死ぬはずだった運命を覆して、内部からこの国を滅ぼす。
 華麗に。完璧に。唯一無二に。
 が、その決意は呆気なく崩れ去る。


 ──ズドォン!
「きゃああああああああああああ‼︎‼︎」
「うわああああああああああああ‼︎‼︎」


 瞬きすらも許されぬ一瞬の間。絶叫が辺りから響き渡ると同時、僕の景色は一変する。
 正体不明の攻撃を受け、『僕の部屋だけを残して』瓦礫の山と化した離宮。
 不気味なほど静寂に包まれた月夜に紛れ、“あの方”は現れた。

「──願いは聞き届けた」

 同時刻。国王だった父親が殺されたと知ったのは少し時間が経ったとき。
 目の前に舞い降りた神物じんぶつは、僕に片手を差し伸べた。

「力が欲しいなら私の手を取れ。お前の内に眠る力を引き出してやろう」

 僕はこの瞬間。自分の全てを捨てた。
 名前も、地位も。住む場所も。
 【滅びの軍師】『ケイス』は、こうして産声をあげた。


★★★


「ばあや……ああ、貴方様は確かにケイオス坊ちゃんなのですね……!」

 感涙を滲ませる老婆に、ケイスは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。まさかこのタイミングで──幼少期一番親身になってお世話してくれた人──と遭遇するなんて誤算だ。

「このばあや、てっきりあの晩お亡くなりになってしまったものだと……」
「いや勝手に殺さないで……って、ちょっと待って」

 話の流れから、老婆の指先に摘まれた花は自分にお供えようとしたものだというのは察した。だが、世間では王子は奇跡の生還を果たしたと英雄扱いにも関わらず『死んだ』と嘆いていた彼女。

「……君はどうして、あの僕を僕だと信じなかったの?」

 ケイスの質問に老婆は素直に答えた。

「ばあやも初めこそ殿下の生還を喜びましたが……昔のように話しかけたところ、呼称が異なっておりました。このわたくしめを『ばあや』と呼ぶのは貴方様だけでございますから」
「敢えて呼ばなかったという説は? 君達を恨んでいるとは思わなかったの?」

 刺々しい発言に老婆は後ろめたさから目尻を落とす。

「その節は弁解のしようもございません……ですがわたくしは、殿下は殿下ではないと感じたのでございます」
「……そう」
「こうしてお会いできるのもまた運命。さあ、わたくしに罰を」

 沈黙が落ちる。
 老婆はケイスが下すであろう自身に対する罰を今か今かと待ち続けた。離宮が破壊されたあの晩、生き残ったのは彼女ただひとり。こうしてこの地に足を運んでいたのも、彼女なりの贖罪だった。

「……なら協力してよ」
「協力でございますか?」
「そう。僕の偽物を舞台から引き摺り下ろすのを」

 対して、ケイスが下した罰は『協力』だった。
 彼が組み立てた計画の遂行に城の内通者による協力は必須。ケイスにとって老婆との再会は、彼女の立場を利用しよと天から与えられたチャンスに違いないと感じたのだ。……最も彼は『天』なんてものを当てにしていないが。

「もちろんでございます。このばあや、誠心誠意尽くさせていただきます」

 うやうやしくこうべを垂れる老婆にほくそ笑む。

「じゃあ早速働いてもらおうか」
「はっ。何なりとお申し付けください」
「うん。なら──僕を臣下として推薦してほしい」

 瞠目する老婆は「で、ですがっ」と口を挟む。

「同じ顔であれば怪しまれるのは必須……それにあの殿下の周りは城内に務める者の中でも権力を持つ者で固められております」
「顔は酷い怪我を負ったとか言って隠すから平気。それに、僕の偽物の臣下になるつもりはない」
「というと……?」

 指先を唇に添え、三日月に歪める。

「もう一人いるでしょ? 王族が」
「まさか……」
「そ。僕の腹違いの妹……『ユリア』だよ」

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