イニティウム

3燿 セイントピア学園【3】


 静謐たる純青の水面に幾重にも伝う波紋。

(落ち着く……)

 学園に体験入学してからはじめての休日――セレはひとり、人々の喧騒から遠く離れた森の中にいた。木漏れ日が反射し生み出される幻想的な泉に、その白き脚を沈めている。今ここに腕利きの画家が邂逅したならば、間違いなく筆を滑らせるであろう。

「ここにいたのか、セレ」
「リル!」
「リルン……と、兄さん」

 音もなく傍に現れた実の兄に、邪魔されたと言わんばかりに愛らしい柳眉を顰める。
 ベータの肩に乗っていたリルンはすかさずセレの膝上に滑り込み、温もりを噛み締めるように身を預けた。

「おいリルン退け。そこは俺の場所だ」
「馬鹿なの兄さん」

 半眼を作る妹から、ベータは泉へと視線を変える。

「それにしても、よくこんな場所見つけたな。とても綺麗な泉だ」
「……私が唯一知っていた場所だもの」

 ぽつりと呟かれた言葉に軽く瞠目し、次には納得する。

「……なるほど。お前が『浄化』した泉か」

 セレが【泉の聖女】として行う『お役目』のメインである『源泉の浄化』。元々縁もゆかりもないこの世界へ訪れたのも、そういった繋がりがあるからだ。
 通りで魂まで惹き込まれる純美感がある。と、ベータは眼を細めた。

「もしかしたらここに《エターナルスター》に繋がる手がかりがあるかもって思ったけど……的外れ」
「それで木浴ってところか。だが、年頃の娘が生脚を曝け出すのは……」
「兄さんの馬鹿」

 嘆息したセレは泉から地面へ脚を下ろし、伝う水滴を掬い上げるような所作を行う。
 するとどうしたことか。彼女の脚を流れていた水滴は宙を舞い、一つの塊となる。乾いた脚に袴下こした類を着用したセレは、すっと立ち上がり、腕を『薙ぎ払う』。
 動作に合わせ、水の塊は目にも止まらぬ速さで森の奥へ。直後、『ドカァン!』という衝撃音と共に鳥の羽音が重なる。
 そちらを見遣るベータも、いつになく表情を険しくした。

「密猟者か?」
「さあ? ……人間が考えることなんて、いつも碌でもないわ」

 腕に抱えたリルンは震え上がり、セレにぎゅっと掴まっている。その『異常』な怯え具合にセレが訝しむ中、ベータは声を顰めて。

「セレ。お前は下がってろ」

 セレが頷くと同時、草叢から飛び出したのは複数の人影。それも、こんな森外れの場所を好みそうでない高貴な身なりの者ばかり。いずれも、装備は最低限である上に、額と口元を大きな布で覆っていた。

「俺達に何か用か?」

 正面、左右と敵陣に囲まれながら、ベータは頭目かしららしき長身の男に問う。浮かべる表情は気心知れた友人ダチに向けたようであり――かと言って、決して付け入る隙を許さないような。
 正面切って尋ねるベータと、男の眼差しが交差する。
 男は何も答えなかった。が、彼ら兄妹は男達の目的を正しく理解していた。自分達を囲う彼らの一人が巧妙に隠し持っている『それ』のおかげで。

『――斉射』

 長身の男の号令に従い、膨れ上がる魔力。
 配下の男達は全員、魔法を従わせる魔術師であったのだ。
 短文詠唱による一斉放射。激しい爆発音を生み、煙幕のような砂塵が辺りを覆う。
 威力が落ちるとはいえ、近距離からの集中砲火に耐えられるはずがない。『実験体』の生死はこの際なんでもいい。
 そうして霧が晴れた頃、男はその双眸をあらんばかりに見開く。

『どこに行った……⁉︎』


 場面は転じ、ベータとセレに戻る。
 男達による魔法の一斉射撃が、黒煙となって天へと昇る。その景色を、リルンを連れた彼らは数キロ離れた場所から見つめていた。

「おっ。やったか」
「……速すぎよ兄さん」

 五秒。
 それは、『斉射』という合図から魔法が放たれるまで費やされた時間。
 与えられた僅かな時間で――ベータはセレを連れてその場を離脱。軍随一の『速さ』を誇るベータからすれば、近距離であろうが回避するのは容易いことだ。

「でも良かったの? 痛めつけなくて」

 いわゆる“お姫様抱っこ”状態のまま、セレはベータを見上げる。

「俺達の目的はあくまで《エターナルスター》探し。戦いの火種を作ることじゃない」
「……そうね」

 下ろされたセレは兄の言葉に、やや納得していない様子。
 やれやれ誰に似たんだかと肩をすくめたベータは、ついでに『掠めた』物を目線と同じ位置まで掲げた。それは先程の男が隠し持っていたブツであり――リルンを『捕獲』しようとしていた証拠の品。

「……リルンはこの『ゲージ』に見覚えでもあるのか?」
「そうみたいね」

 普段あれだけ元気に飛び回っているリルンが、先程からセレの元を離れようとしないばかりか明らかに怯えている。――ちらりとベータが持つ狭く頑丈なゲージを見遣るも、すぐに顔を背けた。
 鳴き声ひとつ漏らさないリルンの頭を、セレは優しく撫であげる。

「にしてもこれ……変な魔力を感じるな」
「内側に魔力封じをメインとして、あらゆるデバフ効果が複雑に入り乱れてる。うーん、これは嫌がるのも分かるな〜」
「おお、凄いなセレ。そんなことまで分かっ――」

 感嘆したベータが隣へと顔を向ける。
 が、そこにいたのは妹ではなく。宿敵とも言える軍師の姿。

「てめ、ケイス! いつから俺の妹に成り代わってた! 俺の妹を返しやがれ‼︎」
「……何言ってんのこのシスコン」
「今日はシスコン度数が高いのよ。気にしないでちょうだい」
「あ、なんだ。そこにいたのかセレ」

 セレの白眼視をもろともせず、ベータはいつの間に出現した――『ケイス』に目を向ける。

「でお前は何してんの?」
「君達が一週間も音沙汰がないから、様子を見に来たんだよ」

 さらっとゲージを奪おうとするケイスの手を払うベータ。
 兄達のやりとりを前に、セレは一人思案を巡らす。

(ケイスがわざわざ来るなんて変だわ……何を考えてるのかしら)
「それは悪かった。これといった手がかりがなくてな」
「ふぅーん、まあいいや。ところでそのちっこいやつ大丈夫そ? 連れて帰ろうか?」

 ちっこいやつ、と呼ばれたリルンはその耳をぴんっと逆立て、いやいやと反発。

「リル! リルリル〜‼︎」
「……なーんて言ってんのか知らないけど、とりあえず嫌がられてるのは分かった」

 伸ばしかけた手を即座に引っ込め、ベータの手からゲージを奪う。

「これは持っていくね。じゃ、またあとで」
「あ。おい、ケイス」

 軽く手を振ったケイスの姿が、足元から湧き上がる光粒に紛れて消える。
 お得意の転移術で姿をくらませた彼に、ベータは後頭部をわしわしと掻き乱す。

「結局、何しに来たんだあいつは」
「知らないわよ」

 セレが嘆息混じりに返す。すると、腕の中にいたリルンがもぞもぞと身動ぎをした。

「リルン?」
「リ……」

 リルンは念入りに周囲を目視。ほっと息をついたかと思えば、セレの肩に移動。

「顔色が良くなったみたい。落ち着いたのね。ゲージが無くなったからかしら」

 首元に触れる小さな温もりを掌で包み込む。リルンもまた、甘えるようにセレの首元に頭を擦り付ける。
 ベータはむっと口を尖らせたが、今回ばかりは見逃すことにした。

「……あと一週間で見つけないとな」
「そうね」

 今度こそ森を後にした二人は、再び学園での日常へと戻る。


★☆


「えいやっ!」

 マイムの号令に応え放たれし水塊が、遠くの的に水沫を弾かせ被弾ヒットする。軌道コントロールは上々、威力の強弱も申し分ない。傍らで見守るセレが、笑みを湛えて拍手を送った。

「これなら魔物を相手にしても大丈夫そうだね」
「そうかな……不安だけど、セレちゃんと一緒だもん。気合いを入れなきゃ」

 拳を握るマイムに小さく点頭する。
 連続で消費した魔力と気力を回復するべく、彼女らは中庭に聳える木の根本で足を崩した。ふぅ、と嘆息したバディにセレは水筒を差し出す。

「お疲れ様」
「えへへ、ありがとう。にしてもセレちゃんは凄いね! その体で、あたしよりも沢山の魔力を消費しているんだから」

 ぎくりと心のうちに住むセレが硬直する。
 不思議と彼女は――マイムは、物事の本質を見抜く才能があるようだ。当の本人はそれに気づいていないが。

「リルっ!」
「セレちゃんのペットさんだ。今日も元気だね」

 彼女らが凭れる幹の反対側より、リルンがひょいっと顔を覗かせた。ふわりふわりと二人の周囲を浮遊するリルンに、自然と頬が綻ぶ。

「おいで〜リルンちゃ〜ん」
「リル」
「ふっわああああ! このもふもふ具合サイコー!」

 その胸に迎え入れたマイムが、すりすりとリルンの体に頬を滑らせる。「リルゥゥ……」と唸り声が聞こえるも、満更でもない様子。

「……あ。そうだセレちゃん」

 何かを思い出したかのような彼女の反応に、セレは小首を傾げた。

「どうしたの?」
「あのね、セレちゃんが前に教えてくれた《エターナルスターさがしもの》のお話あったでしょう?」

 それは、体験入学初日まで遡る。
 試験参加のためマイムとペアを組んだセレは、引き換えとして《エターナルスター》の情報収集に協力するようお願いした(勿論、ある程度ぼかしている)。
 しかし、セレ本人はあまり気にしてはおらず、申し訳なさげにするマイムを励ますだけのつもりだった。

「……それがどうかしたの?」
「この学園に昔から伝わる話のひとつにさ、気になる事があったんだよね」

 するりとマイムの腕の中から抜けたリルンが、両脚を折り曲げるセレの膝上に寝そべる。

「あたし達が今度受ける学外試験って、一番優秀な成績を納めた生徒に学園からブローチが贈られるんだけど――その形が、ちょっと変わっているらしいの」
「ちょっと変わった形のブローチ……」
「うん。どんな形かまでは実際に見てみないと分からないけれど、セレちゃんの話だと星の一欠片……なんだよね?」

 気にならない? と目線で訴えかけるマイムに、セレの口元から笑みが消えた。

「その話、もう少し詳しく教えてくれる――?」


 すっかり夜も更けた時間帯。
 蒼然たる月光を背に、セレに与えられた部屋の窓を叩く人物がひとり。

「入って、兄さん」

 手早く部屋に招き入れたセレに、全身を黒衣で覆い隠したベータはありがとうと一言。

「わざわざ部屋に来なくても、電話で良かったのに……」
「いいじゃないか。誰にも見つかってないし」

 無遠慮にベッドに腰掛ける兄へと眦を釣り上げるも、諦めたように嘆息。

「で、兄さん。私のメッセージ見てくれた?」
「ああ。学外試験で使われるブローチの話だろ?」

 確かに面白い話だな、とベータは片笑む。

「元々そのブローチは、『どこからともなく落ちてきた宝石』を生かして作られたもののようだ。しかも、その年の学外試験で生徒に贈ったはずが、『いつの間にか』学園内に戻って来ていたらしい。それを毎年繰り返してる」
「……噂は本当なのね」

 マイムから聞いた話とベータの話は合致する。臨時教師という立場を利用して聞き込みをしたベータの情報だ。信憑性は高い。

「ブローチの写真とかはないの?」
「ないみたいだ。撮れたとしても、数分後には写真ごと消えている」
「まるで誰かの記憶に残りたくないような……そんな風に捉えられるわね」

 頷き返したベータは笑みを浮かべ、両腕を組む。

「どのみち、それらしい情報がブローチこれしかないんだ。お前達には頑張ってもらわないとな」
「マイムちゃんには申し訳ないけど……仕方がないわね。【ブレイズコメット】で魔物を一掃よ」
「……ほどほどにな。ってか、水属性の技を使え」

 森ごと焼き払わん勢いの妹に半目を向けたベータは、ふいに目を細めて。
 生温かい視線に気づいたセレはあからさまに表情を歪めた。

「……なに、兄さん。笑ったりして」
「いんや。友達と仲良くしてるみたいで良かったよ」

 皆まで言われずともマイムの事だと察し、セレは「そういうわけじゃ……」と口にしつつ小恥ずかしい思いを抱く。

「……あまり肩入れしすぎるなよ。言わなくても分かってると思うが」

 忠告にも似た言葉に、胸の前で握り拳を作る。

「分かってるよ。……兄さんの妹だから」

 ベッドから立ち上がったベータは目尻を落とし、そっと頭をひと撫で。行きと同じく、窓からセレの自室から姿を消した。

「……大丈夫。分かってる。……分かってるよ兄さん……」

 復唱する主の顔を、リルンはただじっと見上げていた。

「――リン」


★★


(……意地悪なことをしたな)

 窓や壁を伝い女子寮を離れたベータは、教師寮の屋上――より高い屋根にて、白銀に輝く月を眺めていた。
 煉瓦造りの屋根に片膝を立て座るベータを、突如として影が覆う。

「せんせーが不良してるー。いっけないんだ〜」
「うっせーな、ケイス」

 背後から顔を覗き込むように前屈みになっていたケイスは、「おお、怖い怖い」とおどけながら一歩下がる。

「何に怒ってんの?」
「なんだっていいだろ。兄妹がいない奴に分かってたまるか」

 ベータの突き放すような言葉に対し、ケイスは一拍後に返答。

「妹ならいるよ」

 思わず背後を見遣ったベータと、真剣な面持ちのケイスの視線が交差する。

「……初耳だが」
「今初めて言ったし。……会ったことはないけど」

 追及しようと口を開くベータを遮るように――ケイスは「そんなことより」と話題をすり替えた。

「この前貰った『ゲージ』あったでしょ? あれの持ち主達の所にさっき行って来たんだけど。……面白いこと考えてるみたい」

 ケイスが言う『面白いこと』は、大抵碌でもない。
 にっこりとした笑みに、ベータは嘆息を禁じ得なかった。

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