イニティウム
「セレ・アイランチュルです。今日から二週間、こちらでお世話になります。短い間ですが、仲良くしてください」
あらかた校内を周り終えたセレは、副学園長から担当教師を紹介され共に教室へと向かった。
にこりと微笑めば生徒から歓迎の拍手を送られる。
「好きな席に座ってもらって構いません。ですが今日は初日ですので、マイムさんの隣で一緒に授業を受けてくださいね」
教師の指示でクラス委員を務める少女の隣に着席。マイム、と呼ばれたショートヘアが似合う快活な少女に「よろしくね!」と声を掛けられる。
「あたしマイム! この水属性クラスの委員をしているの。分からないことがあれば何でも聞いてね!」
朝礼が終わるや否や、マイムから元気な挨拶を受ける。
「はい。よろしくお願いします、マイムさん」
「堅苦しいのはナシ! 気軽に接してよ」
ウインクを飛ばすマイムに、セレはナナの面影を重ねた。何処となく彼女に似ている……気がした。
「じゃあ、マイムちゃん。よろしくね」
「うんっ。ねねっ、どうしてこの学園に来たの? しかも二週間だけなんて珍しいよね」
来た――セレは僅かに体を強張らせる。大丈夫、ちゃんと頭に入れたのだから。他の生徒も密かに聞き耳を立てる中、平然と『嘘』を口にする。
「私は都市からだいぶ離れた場所で暮らしているんだけど、生まれつき体が弱くて……最近良くなってきたから、夢だった学校に通わせてもらうことになったの。二週間なのは、いつ体の発作が出るか分からないからなんだ。転入してすぐに休学ってなると、卒業も厳しいしね」
――もちろんこれは、セレが学園に通うにあたり用意した『設定』である。
セレは辺境に暮らす貴族の家の娘で、体が弱いことからほとんどの時間を屋敷で過ごしてきた。
しかしながら近年は体の調子が安定しており、長時間の外出も可能となったことで、
――というのが、クレアが提案しサクラが
設定自体はサクラが考えたものだが本人曰く、最近読んでいる本にリスペクトされたらしい。
「そうだったんだ……聞いちゃってごめんね」
マイムの謝罪に「大丈夫だよ」と返すセレの胸中は複雑だ。
「セレちゃんの学校生活が楽しめるように、あたしも協力するね!」
「うん。ありがとう、マイムちゃん」
休み時間が終わり、いよいよ初めての授業を迎える。
「えー、今日の授業は転入生がいるとのことなので、前学期にやった内容を復習するぞ。教科書を開けー」
「目次の次のページだよ」
真新しい教科書に困っていると、横からマイムが指定ページを教えてくれた。ありがとうと返しつつ、教科書を開く。
「この国における《大結界》についてだが――」
《大結界》については、
「じゃあその《大結界》を作る上で必要な《神聖魔法》について話していくぞ」
(《神聖魔法》……)
その言葉は事前に読み込んだ学園発行の冊子でちらりと登場していたが、どのようなものかは知らない。名前からして特別な魔法であるのは間違いないだろう。
「《神聖魔法》は通常の魔法とは違って、強力な聖なる力だ。後天的な力だが、習得するのはなかなか難しい。あと《神聖魔法》に属性はないが、光属性が習得しやすいと言われているな」
『セイントピア学園』は各学年ごとに属性でクラス分けがされ、制服もクラスごとにカラーが違う。セレが所属するクラスは水属性だ。
(光属性が《神聖魔法》を扱うのは何となく想像出来るけど、他の属性の時はどんな感じになるのかな……)
などと考えているうちに、授業終わりのチャイムが鳴り響く。教師が退室し周囲が賑わうのを片耳に、あっという間だったなと初めての授業を振り返る。
「授業大丈夫だった?」
「うん。知ってる内容だったから」
「そうだよねー」
「《神聖魔法》ってもう発現させてる人はいるの?」
《神聖魔法》は通常10代のうちに発現するというが、稀に例外もあるらしい。
これだけ多くの生徒が集う学園なのだから一人ぐらいいる可能性はあるのでは? と考えた。
「……うん。一人いるよ。光属性クラスに」
ややあってマイムは答えた。その顔に苦笑を貼り付けて。
マイムの表情にどうしたのかと首をかしげていると、賑わっていた教室から途端に声が消えていく。
それが魔法などではなく一人の少女の登場によるものだと気付いたのは、彼女がセレが座る席で足を止めた時だった。
「ごきげんよう。アナタが転入生かしら」
派手な縦巻きロールの髪に吊り上がった
「ごきげんよう。セレ・アイランチュルです」
席を立ったセレは流れるように膝を折り挨拶を行う。
目の前の少女は――こちらを値踏みするような眼差しを送ると――手にした扇をセレに突きつける。
「決めましたわ! アナタ、わたくしの荷物持ちをなさい」
(……ん?)
セレは困惑した。当然である。名も知らぬ少女にそのようなことを言われたら、誰だって困惑するであろう。
そしてセレは思考を巡らせる。「荷物持ち」――すなわち少女のお付きとなれば行動が制限されるのは明確。学園生活はおろか、本来の目的である『エターナルスター』探しにも支障をきたす。それだけは回避しなければならないが、すぐに無難な言い回しが思いつかない。さあどうする。
「流石セリカ様ですわ!」
「転入生に華を持たせてあげるなんて……お優しいですわ〜!」
いわゆる取り巻きの生徒にもてはやされた少女(『セリカ』という名らしい)は、ふふんと得意げだ。
どう返すべきかと悩むセレの後方から、「あのっ!」と声が上がる。
「こ、困ってるじゃな――」
「『平民』ごときが、わたくしに指図を?」
『平民』という言葉と共に睨みつけられたマイムは押し黙ってしまい、彼女の取り巻き達がくすくすと嘲笑う。
何がおかしいというのだろう。
憤りを覚えこそしなかったが、セレはセリカに同情する。そんな簡単なことも周囲に教えてもらえなかったのだと。
「
「な、何ですって……!」
「国家の先導に立つ貴族には大いなる責任がつきものですわ。だからこそ貴族は裕福であり、崇められる存在なのです。そうでなければ誰も貴族などやりません。
「わたくしは平民とは違い高尚な存在ですわ!」
「つまりセリカさんの血液には……黄金が含まれていると?」
「どうしてそうなりますのッ‼︎」
つらつらと正論を述べるセレに、顔を真っ赤にしたセリカは淑女とは思えぬ行動に出る。
「口を慎みなさい!」
振りかぶられた手のひらを他人事のように見つめるセレだったが――ぱしんっとセリカの腕が第三者によって止められた。
「俺の『妹』に何か用か?」
(兄さん……⁉︎)
仲裁に入ったのはセレの実兄であるベータだった。いるはずのない兄の登場に瞠目する。
「離してくださいまし!」
「ああ、悪い。……で、俺の視界ではお前が妹に手を上げようとしてたように見えたんだが……」
「お前ですって⁉︎ この、セリカ・フォトンをお前呼ばわりするとは何様のつもり⁉︎」
((王族ではある……))
このまま騒がれても困ると判断したセレはベータとアイコンタクトを交わす。
「申し訳ありません。私達、辺境に暮らす『ど田舎』貴族ですから」
「『ど田舎』貴族だから都会に詳しくなくてな。知らなくて悪いな」
嫌がらせの如く『ど田舎』を強調すれば、定番セリフ「覚えてらっしゃい!」を捨て吐き、セリカと取り巻き達は水属性クラスから撤退。
「……なんだってこうなったんだ?」
「兄さんは初対面の相手に『荷物持ちをやりなさい』って言われたら不審者かと思うでしょう?」
「思う。あと、荷物を持つという労働に見合う対価の提示を求める」
「そこまでは考えなかったけど……まあそういうことよ」
「なるほど。ともあれ、お前に怪我がなくて良かったよ」
ベータはセレから背後のマイムに目を向けると、「大丈夫か?」と眉を曲げた。
「顔真っ青だぞ。保健室行くか?」
驚き振り返れば、確かにマイムの顔色は悪かった。セレは自分が無理をさせたせいだと思い、マイムを気遣う。
「ごめんなさいマイムちゃん……」
「ううんっセレちゃんのせいじゃないよ。それに大丈夫! 休むほどじゃないから。……ちょっとスッキリした。ありがとう」
マイムの言葉を筆頭に、教室の至るところから「ありがとう!」「よく言ってくれた!」と歓声が響き渡る。なんだなんだと不思議に思う二人だったが、次の授業開始時間が迫っていた。
「セレ。あとで時間をくれ」
「もちろん」
軽く頷いたベータは急足で教室をあとにし、入れ違いでやって来た教師の姿に皆それぞれ着席する。
「はーい、では授業を始めますねー」
「――で。どうしてここにいるの」
半眼で詰め寄る妹をどうどうと鎮める。
二限目の講義を終えたお昼休憩時。セレはベータと人目を忍んで合流するや否や、不満げに頬を膨らませる。
「どうせ私一人じゃ出来ないって思ったのでしょ」
「そんなことはない。心配……ではあったが。俺だって自分で受けた依頼があったし、お前のフォローに回るつもりはなかった」
「ならどうしてよ」
ベータは嘆息をもらすと、人差し指をくるりと回す。すると何の前触れもなく二人の間にゲージが登場。中にいたのは――。
「リルン?」
「リ!」
ナナに預けていたはずのリルンだった。
それまですやすやと眠っていたリルンはセレの声に反応し、耳をピンッと立てた。ベータはリルンをゲージから抜き出すとセレに放り投げる。
「そいつ、お前が出発した直後に脱走しやがった」
「……え?」
リルンの脱走から時は前後する。
自主的に受けた依頼を片付け【コスモス軍】拠点『ネビュラ』へと帰還したベータは早々、騒がしいことに気づく。
「何騒いでんだよ」
「リルンがどっかいっちゃったんだよ〜……」
音の出所である『司令室』ではクレアがモニターを操作しており、その傍らではナナが半泣きになって見守っている。
「どうしようベータぁ……セレにドアノブ氷漬けにされて開けなくさせられちゃうよ〜……」
「んなくだらないことはしねぇだろ。……リルンの足取りは?」
ベータの問いかけにクレアは緩く首を振る。
「あの子、《メーア》に反応してくれないの。セレを追ったなら『異世界ダイル』にいるはずだけれど」
「分かった。探しに行ってくる」
「えっガチ⁉︎」
「反応しないなら仕方ないだろ。放っておいたらセレの迷惑になりかねない」
軽く支度を整えたベータは『異世界ダイル』へと向かう。
そのまま探したとて行く宛がなければ、広い世界で迷うだけだ。そもそもの話、この異世界にリルンがいるとは限らない。
森の中に転移したベータは鞄から秘密兵器を取り出す。『ネビュラ』を立つ前に用意したブツ――個包装タイプのマシュマロだ。ここ最近リルンと触れ合う機会が多いベータは、リルンが重度のマシュマロ好きであることを理解していた。
森を練り歩きながら等間隔に落としていき、終着点にゲージを配置すること数分。
「リルーーーッ‼︎」
両手と飾り羽いっぱいにマシュマロを抱えたリルンを捕獲した。
「そ、そうだったのね……」
リルンに異世界を渡る力があったことは驚きだったが、それ以上に兄とリルンの攻防には苦笑いしか出てこない。
「リルンのことは分かったけど、兄さんが学園にいる理由は?」
「俺はリルンを連れて帰ろうとしたんだが、『どうせまた脱走するだろうし』ってことで。セレの傍にいられるように学園長との交渉と、万が一リルンがやらかした時のフォローを任された。お前と同じ二週間だけの臨時教師だ」
ベータは制服ではなく、普段の真っ白なケープを脱ぎジャケットを着用していた。故郷では一時的に教師をしていた兄なら納得だ。
「授業外ならリルンを連れていいらしいから、ちゃんと言っておけよ」
「分かったわ。ありがとう兄さん」
「ああ。俺のほうでも『エターナルスター』の情報を集めてみるから、お前も学生を適度に楽しみつつ探してみてくれ」
じゃあなとベータは急足でセレと別れ、タイミングをずらしてセレもリルンを連れて教室へと戻る。
「わっかわいい〜! セレちゃんのペット?」
「うん。リルンっていうの」
「リル!」
リルンのふわふわの頭を撫でながら笑みを浮かべるマイムに内心安堵する。特に疑問もなくリルンは受け入れられているようだ。
「あっそうそう。午後の授業は外だから案内するよ!」
「ありがとう。外で何をするの?」
「魔法の演習だよ。もうすぐで学外試験もあるからねっ」
「試験?」
目を丸くするセレに「あれ知らない?」とマイムは首をかしげるが、すぐにそうかと合点がいく。
「ちょうど二週間後だから、セレちゃんには話されてないんだ……もし興味があるなら相談してみたらどうかなっ! 魔物退治だからアレだけど……」
学生の成績に大きく影響する学外試験は、聖女・聖騎士が直面する魔物退治の試練。ある程度の安全は保証されるが、基本的には授業で学んだ知識と技術を駆使して自ら討伐する。
「興味あるかも。相談してみようかな」
「うん! でも無理はしないでね。体を第一に、だよ!」
くすぐったい言葉に、セレははにかみながら頷いた。
「試験に参加したい……ですか」
魔法演習担当教師――水属性クラス担任に、セレは試験参加を申し出るが、あまり良い反応は返ってこない。
「体験入学中では駄目なんですか?」
同伴したマイムの言葉を、担任教師は「いいえ」と否定。
「成績には入りませんが、学園長先生の許可が降りられれば参加は可能です。ですが……セレさんのお身体のことを考えると、魔物退治をさせるのは些か……」
担任教師は魔物退治によってセレの体調が悪化するのを懸念していた。『設定』をなぞれば担任教師の懸念も頷ける。
セレも試験に意欲があるかと言われればそうではなく――寧ろ『お役目』中に遭遇するのは珍しくない――出来ないならいいかと見切りをつけようとした時。
「その積極性には私もぜひ答えたい。セレさんさえ宜しければ、魔法演習の成績次第で許可を出しましょう。マイムさんの問題も解決いたしますから」
「問題?」
名を出されびくりと肩を震わせたマイムは、恐る恐るといった具合に告げる。
「試験は
魔物退治において不得意は致命的。いくら試験とは言え魔物を相手取る以上、命が危険にさらされる。また、成績に関わるという点もマイムが積極的になれない要因だろう。
「……分かりました。先生、授業の成績が良ければマイムちゃんのペア相手として、試験に参加させてください」
「い、いいの? あたしは嬉しいけど……」
「うん、いいの。私もマイムちゃんと一緒に頑張りたいから」
握手を求められたマイムは破顔しながら応じた。
「さて、では早速見せてもらいましょうか」
魔法演習の時間は座学とは異なり、基本自由行動。教師の目が届く中庭であれば誰と魔法の練習をしようとも構わず、本の持ち込みも可能である。中には魔法と関係のない話をする生徒もいるのだが、試験が近いこともあり皆真面目に魔法の腕を磨いている。
「セレさん。あそこにマトがありますね?」
そんな中庭の一角にずらりと並ぶ円型の
「まずはどのような方法でもいいので、魔法を使ってマトに何かを当ててください」
「分かりました」
セレが手を払う動作を行えば、何もない場所からテニスボールほどの水のかたまりが生み出された。それを軽く弾くと水塊は真っ直ぐマトに飛んでいき、ぴちゃんと衝突。
「コントロールも的確で素晴らしいです。基礎は十分出来ていますね」
「ありがとうございます」
「明日以降はもう少し難しいものを用意いたしますね。残り時間は自習練習を行っていてください」
担任教師は他の生徒を見るべく離れ、その場にはセレとマイムだけが残る。
「セレちゃんごめんね。あたしが無理やり誘ったみたいになっちゃって……」
「無理やりじゃないよ。参加してみたかったから先生にお願いしたの。……その代わりと言ってはなんだけどね?」
「なになにっ」
「見つけたいものがあって……」
セレとマイムが交わした会話に――密かにほくそ笑む生徒が一人。聞き耳を立てていた彼女は怪しまれぬようにそっと、彼女らから距離を置いた。