イニティウム

3燿 セイントピア学園【1】


 最低限の家具だけが揃う物悲しい部屋の主ナナは、机に向き合いさらさらとペンを滑らせる。厚みがある白紙の本に何かをしたためた彼女はそっと本を閉じた。


★☆☆


 異世界メム――クレアの故郷でもある海底国家『ロネウネ・モイス』にて、『エターナルスター』の欠片を無事手に入れたナナ達。
 基地へと帰還した彼らは、引き続き『エターナルスター』の行方を追っていた。


「――『エターナルスター』についての情報は以上よ。何か質問はあるかしら、セレ」

 基地、司令室。クレアは椅子ごと反転。モニターを背に、佇む少女を正面に捉える。
 セレ、と呼ばれた少女は「ううん」と軽く首を横に振る。

「理解したよ。でも伝えてくれて良かったのに。『お役目』の邪魔になんてならないよ」

 眉を少し斜めに釣り上げるセレの心情を知ってか知らずか。クレアは片目を瞑る。

「ごめんなさいね。だけど、無用な心労をかけさせたくなかったのよ」
「それは……そうかもね」

 昨日までの状況が脳裏を過り、セレは苦笑を浮かべる。

「……あれ。でも話してくれたってことは、何かあったの?」

 セレがそう感じた理由は、彼女が口にした『お役目』に通ずるところがある。『お役目』に関しては、後ほど説明させてもらうとして。
 クレアが一言「メーア」と呼ぶと、背後のモニターが移り変わる。

「『エターナルスター』の反応があったのよ。『異世界メム』とは違う世界でね」

 『異世界メム』――一つ目の欠片を見つけた海底国家『ロネウネ・モイス』が存在する世界――とは異なる場所で、クレアの《メーア》は反応をキャッチしたらしい。どうやら分裂した『エターナルスター』は複数の世界に飛び散っているようだ。
 セレは視線をモニターへと移す。

「『異世界ダイル』……?」

 初めて耳にした名前であった。セレとその兄ベータの故郷の名前でもなければ、【コスモス軍】の誰かの故郷でもない。全く心当たりがなかった。
 どうして自分を呼びつけたのか疑問に思うセレに、クレアは手のひらを差し向ける。

「アナタは一度この地を訪れているのよ。『泉の聖女』として」


 『泉の聖女』――それは、セレに課せられた使命の呼称。
 異界に点在する『源泉』を巡り、己が身に宿す奇跡の力で穢れに満ちた源泉を数日かけて浄化する。その間、聖女であるセレは源泉から離れることは出来ない。悪しき心を持った者が近寄れば、源泉はまた穢れに侵されてしまう。全力をもって排除する必要もあるのだ。
 こうした一連の流れをセレは『お役目』と呼び、先程の会話で違和感を感じたのもまた『離れることが出来ない』という点にあった。『心労をかけさせたくない』のなら、クレアはセレに話したりはしないだろう。


「覚えてないわ……」

 眉を下げるセレに、クレアは点頭てんとうする。

「分かっているわ。アナタは数えきれないほど源泉を浄化してきた。加えて、いちいちその世界の情報を知る必要もないもの。知らなくて当然だわ」

 浄化すべき源泉の多くは人気のない場所に位置している。滅多なことが起きない限り、セレがその世界の住民と鉢合わせることもない。クレアも理解していた。

「ただ……この世界と関わりがあるのは、アナタだけだったのよ」
「……どういうこと?」

 妙な言い回しに小首をかしげる。
 ややあってクレアは語り始める。

「……『エターナルスター』の反応がロネウネ・モイスワタシの故郷に現れた時、大して驚きはしなかったわ。ナナが目覚めさせた時にワタシも近くに居たから」

 『ロネウネ・モイス』から帰還後、クレアは同じくあの場に居たベータと関わりが深い世界を重点的に監視していたが――反応が現れたのは、予期せぬ地。

「もしかしたら『エターナルスター』は、今の神王コスモスに近しい人物……ワタシ達に反応している可能性がある。これが事実なら、今後の行動もある程度予測出来るわ」

 憶測の域を出ない話ではあるが、可能性としては高い。

「だからアナタにはこの憶測を確証に変えてほしいの。『エターナルスター』は誰に反応しているのか……ってね」
「でもそれって、私がベータ兄さんと血縁関係だからとかじゃなくって?」

 クレアの憶測を疑うわけではない。しかしセレは兄に対する劣等感ゆえに、素直に信じることができなかった。

「セレ」

 窘めるような声音にセレの肩が震える。
 おずおずと目線を合わせれば、クレアはふっと唇を綻ばせた。

「お願いできるかしら」

 信頼を滲ませる瞳に、セレは小さく頷いた。


「リルーーッ‼︎」


「リルン⁉︎」

 鳴き声を上げながら司令室に飛び込んで来た謎の生き物。先日、セレが『お役目』中に助けたふわふわと浮遊する文字通り“謎生物”だ。
 リルンと名付けられた謎生物は、主人のセレの背後に隠れる。どうしたの? と声を掛ける暇もなく、続けてベータが司令室に。

「兄さん、またリルンを虐めてるの?」

 半眼を向けてくる妹にたじたじとなるベータの手にはバリカンが見え隠れ。

「ちっ違、暑そうだから毛を全部刈ってやろうと……」
「虐めてるのよそれは」
「リル!」

 腕を組むセレの後ろから『そうだ』とリルンが顔を覗かせる。

「いいから兄さんは朝ごはんの準備手伝ってきて」

 妹にそう言われてしまえば仕方がない。ベータはその背に哀愁を漂わせて去って行った。
 それまで愉快げに微笑んでいたクレアは、セレの名前を呼ぶ。

「ん、なぁに?」
「これ、明日までに読んでおいて」

 と、資料の束をセレに差し出す。好奇心に釣られ一頁捲るや否や、単語に目を見開く。

「『セイントピア学園体験入学』……」
「リル?」


★★☆


 出発前夜――基地の目と鼻の先に位置する【コスモス軍】メンバーの家、宿舎。その1階に与えられた自室にてセレは、明日赴く『異世界ダイル』の情報を頭に詰め込んでいた。
 寝台の上で脚を崩し、クレアから渡された資料に目を通す。


 ◆セイントピア
 大陸屈指の大国家。モンスターの侵攻を防ぐ《大結界》が国を守り、人々の安寧を保証している。
 大結界の歴史は古く、のちに初代聖女と初代聖騎士と呼ばれる2人が形成した。各地を侵す穢れを聖騎士が祓い、そこに結界の支柱となる光の柱を聖女が打ち立てる。これを繰り返すことで、強力な大結界を生み出した。
 だが、その効力も永遠ではない。月日が経つに連れ、大結界に綻びが生じ始めた。国家は総力を挙げて聖女と聖騎士を選出し、大結界の修繕を行わせた。以後国家は年に一度、才ある者を聖女と聖騎士に任命するようになる。
 才ある者を国中から集い、聖女・聖騎士の育成を行う場所が――都市に建立された『セイントピア学園』なのである。


(森の中にいたから知らなかったけど、都心部はそんなことになっていたのね)

 『行ったことがある』と言われてもなお、思い出せてはいないが。
 セレは学園が発行している冊子を捲った。この世界にも写真という概念はあるようで、校舎の様子がありありと写し出されている。その様子に胸を弾ませ――頭を振った。

(遊びじゃないのよこれは。しっかりしなさい)

 自分に言い聞かせ、ページを捲る。

(そう言えば……)

 不意に、セレは資料から顔を上げた。枕元ですやすやと眠りこけるリルンを見つめる。

(リルンは連れて行っていいのかな……?)

 ナナ以外の隊員はそれぞれペットを飼っている。異世界へと赴く際、冒険の手助けとなっている相棒達。彼らは常日頃から主人の共をすることはないが、リルンはセレにべったりだ。寂しがり屋なのかもしれない。
 だがそれは、ここ『ネビュラ』だからこそ受け入れられることであり、一度異世界で姿を現せば――化け物と罵られるか、はたまた神の御使と崇められるか――“普通に”受け入れられるとは限らないのである。『隠れていてね』とお願いしても、はたしてじっと待っていられるか……。
 悩みに悩んだ末、リルンを誰かに預けておくことにした。ごめんね、と頭を撫でれば何も知らぬリルンは心地良さげに口元を緩めた。


 日の出も始まり空が白み始める時間帯。

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「あら。なかなか可愛いじゃない」

 穢れなき純白のケープに、クラスカラーである青のスクールワンピ――学園の制服に袖を通したセレに、見送りのクレアが微笑む。

「やっば、どうしよ、ボタンを押す手が止まらない」
「物理的に止めてほしいなら止めるよ?」

 笑みを浮かべるセレの目にハイライトは見えない。即座にナナは端末を背中に隠した。

「それじゃあ、ナナ。リルンのことお願いね」
「うん。ベータからちゃんと守るから」

 セレがトランクケースを持ち上げると同時、彼女の足元に魔法円が広がる。ふわりと風が巻き上がり、光粒の強さが増していく。

「行ってきます!」

 クレアとナナに見送られながら『ネビュラ』を出発。期待と不安を胸に抱くセレは『異世界ダイル』に転送された――。


★★★


 浮遊感。直後、重力が体を襲う。
 難なく地面に着地したセレは、すぐさま周囲に視線を向ける。家屋に囲まれた路地裏の細い道に転送されたセレを見た者は――誰もいない。セレは何食わぬ顔で路地裏から表通りに歩み出る。
 燦々と輝く陽光に目が眩む。光に慣れた頃に細めていた目を開き、頭上を見上げる。

(あれが『大結界』……)

 目を凝らして始めてその姿を確認できるほど薄いドーム状の膜が張り巡らされている。ガラスのように光を反射することも、飛行する鳥を遮ることもなく存在する『大結界』。
 傘下さんかで暮らす人々の表情に陰りは見えず、平穏な暮らしを送っていると窺える。

(そろそろ学園に向かわないと)

 クレアから渡された地図を開き、セレは徒歩で学園までの道のりを進んだ。


「セイントピア学園へようこそ、セレさん。待っていたわ」

 この世界の通貨、文化、常識など。言動に違和感がない程度の情報を、学園までの道のりで得た上で。セレは副学園長と名乗る女性と合流した。

「セレ・アイランチュルです。本日からお世話になります」

 スカートの裾を掴み、頭を垂れ膝を折る。幾度となく繰り返した所作は美しく、副学園長も感嘆した。

「素晴らしいわ」
「お褒めにお預かり光栄です」

 クレアによるスパルタ指導の賜物に――胸中きょうちゅうで苦笑しつつ――セレはにこりと微笑み返す。

「早速だけど、学園を一緒に見て回りましょう。カリキュラムの確認も併せてね」

 トランクケースは、別の職員がこれからセレが泊まる寮の部屋まで運んでくれるとのことで預けた。
 行きましょうと先導する副学園長に追従し、セレは学園に足を踏み入れる。


「リル……?」

 他方『ネビュラ』内では、セレに置いて行かれたリルンが目を覚ました頃であった。軽く身震いし、眠気に満ちた目を隣に向けるも、居るはずの彼女が見えない。

「リル……リルル〜!」

 垂れていた耳がピーンと張り、部屋中を飛び回って探すが見つからず。

「リルン〜」
「リル……⁉︎」

 丁度のタイミングでナナが寝室に入ってきた。勢いよくその胸に飛び込み、訴えかけるような声を上げる。ナナはリルンの頭を撫でながら告げた。

「セレは今ね、お仕事に行ってるんだ」
「リル⁉︎」
「だからいい子で待ってようね」

 言葉を理解したのか、リルンは寂しそうに「リン……」と溢した――かと思えば。ナナから離れ、浮遊。飾り羽に通る光輪を外し、一回り大きく変化。円の内側が光で満ち溢れ、リルンは迷わず飛び込んだ。

「リルーーッ!」

 光に飛び込んだリルンの体は消え、追って光輪も霧散。

「……、えええええええええ⁉︎」

 いずこへと消えたリルンに、遅れて轟くナナの叫びは――セレに届くはずもなく。リルンの脱走を許してしまった。

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