イニティウム

2燿 海底国家ロネウネ・モイス【2】


「こちらです」

 話を終えた一向は、宝杖『ロネウネ・オーブ』(模造品)が飾られていたとされる女神像の間に、ルアに仕える従者のひとり海の男マーマンに案内される。
 海の女神を模した像の手に握られているはずの宝杖はなく。像の周囲を囲う水の光が虚しく反射するだけの空間。神々しい、とはかけ離れた光景を前に、ケイスは小首をかしげる。

「随分と高い位置にあったみたいだね?」

 女神像は9メートルはあろうかという大きさを誇り、かつ杖は頭上付近に飾られていた。周囲に登れるような壁はなく、届きそうな梯子を用意することは難しい。
 その疑問に答えたのはクレア。

「足を尾ひれに戻せばあそこまで泳いでいくことは可能だわ」
「でも結構高いよ? 君はあそこまで泳いでいける?」

 ナナは女神像を人差し指で示し、そうマーマンに尋ねる。
 マーマンは杖が握られていたであろう箇所を見上げ、眉をひそめる。

「出来なくはありませんが……私では届くかどうか……」

 クレアはマーマンに聞こえぬように、そっとケイスに耳打ちする。

「人魚族は歳を重ねるごとに泳げる範囲が狭まるのよ」
「なるほど」

 見たところ彼は青年期後半といったところか。となると、杖を女神像から盗んだ犯人、もしくは協力者は10代前半だと仮定出来る。
 そこまではクレア達でなくとも推理出来ており、マーマンは遠慮がちに言う。

「その……本当に子供がやったとお考えなのでしょうか……」
「断定は出来ないけれど、可能性は高いわよね。なにか意図があったのか、誰かに指示されたのか、悪戯なのかは知らないけど、傍迷惑な話よね」

 淡々と答えるクレアにマーマンは不安を拭えない。
 彼が危惧きぐしているのは、子供に罪以上の罰が下ること。クレアの逆鱗に触れたのではないかと恐れていた。

「もう下がっていいわよ」
「時間割いてくれてありがとね〜」

 目の色を変えたクレアに、マーマンは逃げるように「失礼します」と女神像の間から立ち去る。
 その背中を見送るケイスがくくっと笑う。

「すっごいビビらせてんじゃんウケる」
「あら、このぐらいの圧がないと嘗められるでしょう?」
「いや絶対素だよね? なに言ってんの?」

 真っ黒な笑みを顔に貼り付けたクレアの視線を浴びながら、ケイスは口にする。

「さっきから言おう言おうと思ってたんだけど、新しく模造品造るのは駄目なの? 売るにしても大した値段にならないなら、わざわざ取り返す必要なくない?」

 ケイスはクレアが『国にあるものは模造品に過ぎないわ。最も、そのことは秘密だけれど』と言っていたのを覚えていた。
 犯人の目的がお金と仮定して。模造品自体が本物だと認識されている以上、盗んだ宝杖にそれ相当の価値があると考えているに違いない。しかしながら、目利きの鑑定士なら『偽物』と判断した時点で労働以下の値段をつけるだろう。
 それならば、こうして犯人探しをする手間を宝杖を新しく制作することにかけたほうが良いのではないか? ――ケイスの意見をクレアは即却下した。

「無理ね。模造品と言っても、媒介として使用しているオーブは本物と同じで、希少な材料を使って……」

 口の動きが徐々に緩慢かんまんとする。
 そのまま黙考もっこうするクレアに、ケイスは眉根を寄せ、ナナはじっと見つめる。

「……そういうことね」

 暫くしてクレアは、ナナとケイスに告げる。
「行きたい場所が出来たわ。ついてきて」


 王都を囲う石造りの城壁の外側。
 色鮮やかな魚達ですら寄り付かない深い海溝の暗闇に、頼りない青白い光が揺れる。
 海ほたるの光は合わせて5つ。
 それらを従えるのは、いずれも7、8歳ほどの少年少女達。長寿な人魚族といえど、まだまだ子供として育てられる年齢だ。
 一同に見守られながら、ひとりの少年が手にしていた杖を高く掲げる。
 すると視界がぐにゃりと曲がり、次の瞬間、彼らの姿は消えた――。


★☆☆☆


「『追郷の貝郡』?」

 クレアとナナのふたりは、イルカのポセイドンの背に乗り、海溝の中を進んでいた。

「そんな場所あったの? 初めて聞いたよ」
「これまで行く必要がなかったのよ。でもそこが目的なら、宝杖を盗んだことも納得できるわ」
「どうして?」

 ナナは前方のクレアの顔を横から覗き込む。
 クレアはナナを一瞥し、視線を戻す。

「『追郷の貝郡』は特別な地。ロネウネ・モイスワタシの故郷に限らず世界全ての記憶が、水を通じて泡となり、流れ着く場所なの。そして、その道を拓けるのは、ワタシとルアが所有する宝杖だけって話ね」
「だからそこに向かっているんだね。でも違う可能性も捨てきれないよね? 実の実は売ってお金にするのが目的だったりするかも」
「ええ、そうね。無駄足だとしても犯人は見つけられるわ。だってそこには、全ての記憶があるのだから」

 「ついでに『エターナルスター』の在処も見つけちゃいましょう」と、本来の目的をついで扱いされ、ナナは苦笑顔を見せる。なにはともあれ、想定よりも早く見つけられそうだ。
 『キュ』の音とともに、ポセイドンの体が揺れる。
 彼女らは会話を終え、ポセイドンの背から海底に降り立つ。辺りに目ぼしいものはなく、終わりが見えない海溝の景色だけが広がっている。
 クレアは一歩前へ進み、軽く腕を振るっては“本物”の『ロネウネ・オーブ』を召喚。杖先を前方に翳し、光を放つ。
 視界と同時に体が左右に伸びる不思議な感触を覚える。
 数秒間耐え凌げば、そこは暗い海の底ではなく――無数の貝が点在する異空間に辿り着く。

「ここが『追郷の貝郡』? 綺麗だね〜」

 色とりどりに発光する貝の口が開き、天よりふわふわと舞い落ちる泡が渦を巻き、中央に鎮座する真珠の中に吸い込まれていく。クレアの話通りなら、泡のひとつひとつに世界の記憶が眠っているのだろう。

「神秘的だね」
「……アナタが言うのね、それ」
「でも閉じてる貝もあるんだね」

 目立たないものの、閉じ切っている貝もそれなりに見受けられる。

「ある程度記憶を集まったら閉じてしまうのよ。宝杖コレで突けば開けられるけど……見たい?」
「要らない要らない。それよりほら、犯人見つけないと」

 急かされたクレアはくすくすと妖艶に笑み、こっちよとナナを連れて貝郡を進む。


「……あら」

 声音を変えたクレアが足を止めたのは、それから暫く進んでのことだ。
 一際目立つ大きさの貝を、人魚族の子供が5人、ぐるりと取り囲んでいる。クレアの話ではこの場所に来れるのは限られており、一般人が滞在することは出来ない。
 ならば――クレアは子供のひとりが握り締める杖に、目を細めた。

「見つけたわ。犯人達」


★★☆☆


 王国に到着した際に使用した石畳の連絡通路中ば。
 ひとり残ったケイスは退屈そうに、城下町をぼうっと眺める。
 クレアとナナの出発を見送り、ケイスは警備が幾分か緩いここ連絡通路に移動した。クレアの友人(と思われたくないが)とは言え部外者が居座るのは、あらぬ疑いを掛けられそうで面倒だ。ただでさえ、宝杖の件で神経質となっている彼らを刺激したくはない。
 とは言え、だ。2人に同行するのは無駄な体力を消費するだけだろう。
 ケイスはクレアがすでに犯人の目星をつけていることを察していた。そうなればもう白けてしまう。彼が好むのは、盤上の向こう側で微笑みを湛える犯人との攻防戦ゲームだからである。

(早く帰ってサクラの顔が見たいな……)

 許されるならば今すぐにでも『ネビュラ』に帰還したいが、本来の目的は達成されていない。
 ケイスは欄干らんかんに背を凭れ、喧騒を耳朶に思案する。

(神王コスモスが『エターナルスター』を生み出した意図はなんだろう……。“願いを叶える”って具体的には? どうして分裂する必要が?)

 なにもかもが曖昧過ぎる。人の子のものさしで測ろうとするのが間違っているのか。
 盤上の向こう側に大人しく座っている神王ではないだろう。ケイスの捉えられない思考の外から、己の描いた道筋を描くところを見守っている、そんな神物じんぶつ

(考えるだけ無駄なのかな……)

 だが、思考を巡らせなければ気が済まなかった。
 『エターナルスター』の話を耳にしたあの瞬間よりこの胸に渦巻く不安と焦燥。気のせいか、で割り切れるほど小さなものでない。
 ――本当に『エターナルスター』は集めていいのか?

(……いや。自分の勘を頼るのは良くない。他にも材料を集めてからまた考えよう)

 そもそもまだ僕は実物を見てはいないんだし。

「⁉︎」

 うんうんと頷いた次の瞬間。間を見計らったように爆発音が轟く。見ればそちらは城の方角。破片を撒き散らしながら外壁を突き破ったのは、土気色をした巨腕の片割れ。平穏な景色が一瞬にして地獄絵図と化す。

(変だな……さっきまでそれらしき魔力は感じなかったのに……)

 どうやらあの巨腕の持ち主が城内で暴走している様子。次々と崩れ落ちる栄華を前に、ケイスは嘆息をもらし走り出す。


 召喚した魔法円に飛び乗り、加速。外壁に沿うように移動し、ある地点で停止。城の廊下に着地後、使用人達の避難誘導を行なっていた人物の肩を叩く。

「ちょっと」
「うわあ⁉︎ あ、あなたは先程の……」

 その人物とはケイス達を女神像の間に案内した海の男マーマンだった。

「あんた女王付きの従者でしょ。女王様は?」

 ケイスがここで停止したのは、ルア付きの従者が女王から離れていることに違和感を抱いたからだ。

「女王様は突如出現した怪物から我らを守るために、時間を稼いでいらっしゃいます」

 マーマンの言葉に『馬鹿か』と罵りたくなった。
 城の価値より、ここにいる数百名の使用人達の命よりも。王が背負う価値は高く、王が背負う命は重い。クレアが女王であれば、自らを囮に他者を救うなど決してしない。

「クレア様はまだお帰りに……ああっ!」

 背後から引き留めるような声が聞こえるが素知らぬふり。ケイスは再び魔法円で浮遊し、上へ。天井に空いた穴から女神像の間を見下ろす。眼下ではルアがひとりで騒ぎの原因と対峙しているのが確認出来た。
 ルアが展開する光の障壁を打ち砕こうと幾度となく巨腕を叩きつけているのは、女神像より更に一回りも大きい体躯を誇る土人形ゴーレム。苦悶に満ちた表情を浮かべるルアが限界を迎えるのも時間の問題。早急に対処すべきだ。
 ゴーレムが貫いた大穴付近に降り立ち、ケイスは考えあぐねる。普段なら魔力を充填した『エレメント』で核を撃ち抜くか、もしくは動きを封じたのち土属性に有利な属性で吹き飛ばすのだが。どちらも周囲に甚大な被害が及ぶに加え、あの大きさのゴーレムが崩れるとなると、構成している土が城全体を埋め尽くす以上実行は難しい。それに加え、ケイスらには『制約』が存在する。

(まあまあめんどくさいな……。こんな場所で無駄な魔力使いたくはないし)

 ひとまずケイスはゴーレムの動きを止めるべく、指を鳴らす。パチンッと音と同時、ゴーレムの周囲を複数の魔法円が囲い――円から飛び出した『オブシディアン』が、ゴーレムの四肢を貫く。
 問題はここから。
 しかし、刹那にも満たぬ間に。ゴーレムの姿は跡形もなく、綺麗さっぱりと、視界から消え失せる。
 背後から聞こえる足音に、ケイスは肩をすくめた。

「……もう帰って来たの?」

 眼下で障壁を解除したルアが、肩で息しながらもこちらを見上げる。

「大親友の為だからね」

 瞬く銀河色の双眸が、真紅へと瞬時に塗り替えられる。
 ケイスの隣に並んだナナが、ルアに向けて人差し指を唇に添えた。
 『内緒だよ』と告げられたメッセージに頷き返したルアが、女神像の間から歩き出したのを眼下に。ケイスはゴーレムが居た場所に目を向ける。

「どっかの誰かさんが造った失敗作が暴れたんだろうね」
「……そうだね」

 やや遅れての反応したナナを見遣る。

「ん? なに?」

 ケイスの視線に気付き、ナナは小首をかしげるもすぐに。

「ほら早く行こ。ここに居たら怪しまれちゃう」

 いつもの笑みを浮かべるナナに、ケイスも追従した。


★★★☆


 ナナが消えた『追郷の貝郡』は依然緊迫とした空気に包まれていた。クレアはひとりの子供が握り締める宝杖に眉をひそめ、片手を差し向ける。

宝杖それ、渡してもらえるかしら」

 こちらを見下すクレアに、負けじと子供らも睨み返す。自分達の他に来れる人物がいることに初めは困惑していたが、すぐに敵だと認識を改めたようだ。憲兵だと思われているのか、獣のような鋭い目付きで威嚇されている。

(間違ってはいないけれど。素直に渡してくれれば楽なのに……)

 子供の感覚は理解し難いわ、とクレアが手を引いた時、5人の子供達が一斉に動き出した。各自別方向へと走り、クレアを撒こうという作戦も――赤子の手をひねるように。クレアは転移魔術で全員を呼び戻す。

「これは返してもらうわ」

 自分達の身になにがあったのかを理解しないうちに宝杖を取り上げる。すぐさま頭ひとつ分抜きん出た少年がガッと掴み掛かるも、クレアが軽く手を振り払うだけで弾かれ、共犯者なかま達の足元に転がる。
 彼らとの攻防戦開始から数分も満たぬ間。人数の差を覆し優勢に立ったクレアは、何もかも悟ったように吐息する。

「アナタ達、声を『奪われた』?」

 どうやってあの女から宝杖を取り返そうか、と思考を巡らしていた子供達は、彼女が口にした推測に目を見開く。
 クレアは暫し思案に沈み――やがて瞑目しながら推測を語り始める。

「事故か悪意かは分からないけれど、アナタ達は自分達の声を取り戻す為にここへ来た。……こういうことかしら?」

 困惑の色が滲んだ瞳がクレアの推測を確証へと決定づけ、そして彼女を悩ませる。

(さて……どうしようかしら)

 彼らの事情など宝杖と比べれば些事。目的を達成した今、クレア自分『追郷の貝郡』この場所の記憶を操作して城の近くへ転送してしまえば終わりだ――。
 だというのに、迷いが生じていた。それはきっと彼らが、まだ幼い頃のルアやここには居ないセレを思い出させるからかもしれない。
 不思議と悪い気分ではなくて。目尻を下げたクレアは蛍火のような光をリーダー格の少年の喉元に埋め込む。

「あっ、……⁉︎」

 じんわりとした暖かさを感じたと思えば、吐息と共に声が口から飛び出した。

「本来の声とは違う仮初だけれど、使えるでしょう?」

 艶やかな髪を手の甲で払いのけるクレアに、仮初の声を与えられた少年は恐る恐る口にする。

「ま、魔女……」

 第一声にしては想定外の単語。
 クレアは揶揄うように笑い返した。

「魔女よりも恐ろしいかも……ね?」


★★★★


「し、信用ならない」

 クレアのふざけた回答が癪に触ったのか、仮初の声でリーダー格の少年は目端を吊り上げる。

「あら、ならどう答えるのが正解かしら。教えてほしいわね」
「それは……」
「これでも誠実に答えたほうよ?」

 クレアの言い分は最も。魔法を魅せた以上、『魔女ではない』と答えるほうが不誠実だ。

「あと誤解しているようだけど、アナタ達からの信用なんて要らないわ。これはワタシの気まぐれ。無下にするのは勝手だけど――二度目はない」

 笑みを消したクレアに思わず息を呑む。

「さっさと決めなさい。さぁーん、にぃー、いーち」
「ああもうわかった! わかったから!」

 半ば脅される形で少年が叫ぶ。
 クレアは愉快に笑う――にしては少し大げさに。込み上げる哄笑を堪えるように笑っている。馬鹿にされたと子供達は頬を膨らませた。

「ごめんなさい、馬鹿にしたわけではないのよ。アナタに与えた声を知り合いに似せたばかりに面白おかしくって」


 ――ゾワゾワゾワッ!。
「ベータ?」
「……すげぇ悪寒を感じた」
「少し肌寒いものね、ここ」
「話聞いてたか?」


「じゃあ変えればいいだろ」
「一から考えるのが面倒なのよ」

 いくらか落ち着いたクレアは垂れた髪を耳に掛けながら改めて少年に問う。

「話を戻しましょう。アナタ達が声を失った理由はなに?」

 少年は閉じた瞼の裏に経緯を思い浮かべる。

「……魔女だ」

 憎悪と悔しさを瞳の中に滲ませ、少年は拳を強く握りしめた。

「『海の魔女』に声を奪われたんだ……!」

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