イニティウム
神王コスモスが創り出したとされる『エターナルスター』の話を聞き、記憶を取り戻す手掛かりになると考えたナナは、クレアとベータの3人で小惑星ダレットに鎮座する『ネフェロマ聖殿』に向かう。
聖殿内で『エターナルスター』を見つけた彼女らだったが、ナナが手を伸ばした瞬間。星の要部分を残し、消えてしまう――。
一夜明け。ナナは重く感じる体を引きずり、宿舎から基地に向かっていた。
「……なに、してんの」
廊下で蹲るナナの背に、男の声が投げられる。
「さっきから鬱陶しくて邪魔なんだけど」
隠そうともしない気配に堪らず司令室から出てきたケイスは、呆れたように目を細めている。
「クレアなら中にいるよ」
「お、怒ってた……?」
「は?」
ナナが恐れている理由を、ケイスはてんで理解出来なかった。
しかし、普段の彼女からは結びつかない珍しい姿に、ケイスは司令室に振り返る。
「クレアー、なんかナナが怒ってるか気にしてんだけどー」
「せいやっ!」
しゃがみ体勢からの足払い。お見事、と拍手を送りたくなるような綺麗な足捌きに、ケイスは見事引っかかり、背中から床に叩きつけられる。
ナナは倒れ込むケイスをするりと避け、急ぎ司令室に入室。モニターを見つめるクレアに駆け寄る。
「――ごめんなさいクレアっ! せっかく記憶を取り戻せる機会だったのに私余計なことしちゃったよね⁉︎ クレアが怒るのも仕方ないと言うかその……」
「落ち着きなさいな。どうしてそんな風に思っているのよ」
嗜めるクレアの表情は険しかったものの、滲ませていたのは怒りではなく困惑。そのことに、ナナは落ち着きを取り戻す。
「き、昨日、『エターナルスター』に触ろうとしたら消えたでしょう? だから間違えて消しちゃったんじゃないかって……」
「『エターナルスター』は消えていないわよ」
クレアはキーボードを操作し、ほら、とモニターを顎で示す。
モニターにはCG化された『ネフェロマ聖殿』から、合計7つの反応が飛び出す映像が繰り返し流れている。
「どうやら消えたように見えただけで、本当は分裂していたみたいね。今《メーア》で行方を追っているから、もう少し待ってなさい」
メインコンピューターに搭載された魔術システム《メーア》の手にかかれば、分裂した『エターナルスター』の反応を捉えるのも時間の問題となるだろう。
自分の不注意で消してしまったわけではない。ナナはクレアが座る椅子の背凭れに手を置き、深い嘆息を吐きながら顎を乗せる。
「良かった〜……もう心配で心配で、どうしようかと思ったよ〜……」
「ひとまず不安が解消されたようで良かったわ」
心の奥底から安堵するナナに対し、「ああでも」と後方に手のひらを向ける。
「『それ』はどうにかしてちょうだい」
「え?」
ガチャ、と固い物体が後頭部に突きつけられる。
あ。と思い出したナナに銃口を押し付けているのは、理不尽な痛みを負わされたケイス。その口元は微笑んでいるが、瞳には明確な殺意と怒気を宿していた。
「僕になにか言うことがあるんじゃない?」
「う〜ん……めんご」
――パアァンッ!
「オイ、なんの音だ?」
「あっベータ! おはよ〜」
「呑気に言ってる場合か。
「《メーア》から連絡が入ったわ」
と、クレアが一同を会議室に収集したのは、時計の針が正午を指す少し前のこと。ナナ、ベータ、ケイスの他に、離れで作業をしていたサクラも収集に応じる。
彼らは会議室の椅子を引き、壁に投影されたプロジェクターに注目する。
「7つに分裂した『エターナルスター』のひとつは、ワタシの故郷にあるようね」
クレアの故郷――異世界メムに存在する海底国家『ロネウネ・モイス』。文字通り海底に位置し、海の中で暮らす人魚族の国だ。クレアが幼少期を過ごした場所であり、ナナと初めて出会った思い出の地でもある。
現在はクレアの義妹、ルアが女王として君臨している。
「もしかしたら、なにか異変が起こっているかもしれないわ。これから向かおうと思うのだけど、ナナも来てくれるかしら」
「もちろんだよ!」
快く承諾したナナに笑みを浮かべ、次にサクラを見遣る。
「サクラ、悪いけど残ってくれるかしら。アナタのほうでも調べていてほしいの。悪影響を齎しかねないから」
「ええ。わかったわ」
任せて、と微笑むサクラを横目に、ケイスは軽く手を挙げる。
「なら僕も残――」
「残るのはベータ。ケイスは一緒に来て」
ナナから言い渡された指示に、ケイス、そしてベータは大きく目を見開く。
「ちょっと……冗談でしょう? 僕にあんた達のお守りをしろと?」
口角を引き攣らせるケイスは、密かに不満を滲ませる。『あんたからもなにか言いなよ』とベータに視線を投げるも、そっと視線を逸らされた。
「はいはいケイスくん行くよー」
「行きたくない」
「そっかー、楽しみかー、良かったねー」
「随分都合の良い耳をお持ちだこと」
半ば引きずられる形で、ナナとクレアに連れられていくケイスらを、ベータは「行ってら」と半眼で送り出した。
心苦しげに会議室の扉を見つめるサクラに、ベータは眉をひそめる。
「……大丈夫か?」
「えっ、あ、うん、大丈夫よ」
サクラはベータを安心させようと笑顔を取り繕う。
「それよりごめんなさい。私のせいで残ることになって……」
「なんかあったらヤバいし、ナナが言いたいことも分かるから気にすんな」
ケイスが『自分も残る』と言いかけたあの瞬間。サクラが表情を曇らせたのを、ナナは見逃さなかった。
嫌いではない。が、限りなく苦手意識をサクラがケイスに対して抱いている話は、ベータも知っている。ナナに指示されたとき承諾したのは、そういった背景を理解しているからだ。
「ありがとう……」
サクラは眉尻を下げた困り顔でベータに感謝を伝えた。
異世界メム――海底国家ロネウネ・モイス。
クレアお得意の
到着すると同時に、クレアは光球を花火のように打ち上げる。兵士に向けた合図だ。
「さあ、行きましょう」
先導するクレアにナナ、ケイスが続く。
初めて訪れたケイスは、周囲を見渡した。
空の代わりである揺らめく波に合わせ、陽光が海底を照らす。
石畳の通路から眼下を覗けば、上半身が人間、下半身が魚の『人魚』達が、人間とそう変わらない営みに追われている。中でも印象的なのは、人間の足を持った者もちらほら見受けられるという点だ。
一見人間のようだが、人魚と共存していることから人間ではないはず……――。
「あっそうだ、ケイス」
歩きながらナナはこちらを見遣り、ケイスの体を指差す。
「今自分に魔法かけてるでしょ。解除しても大丈夫だよ。地上と同じように過ごせるから」
海底、と聞いてケイスは『万が一の為』に備え、自分自身に環境変化を無効とする魔術を行使していた。それを指摘され、疑いの眼差しを向ける。
「そう油断させて殺すつもりなんでしょ」
「怖っ⁉︎ なんでそういう解釈になるの」
「
「あ〜……納得」
魔術を使えば大抵の環境変化に耐えられるケイスとは違い、ベータは魔法が不得意だ。いくら火山地帯や極寒地域を気合いで乗り切る脳筋でも、数時間息を止め続けることは無理。彼の為の処置であれば、とケイスは術を解く。無駄に魔力を消費し続ける意味はない。
納得できないナナの視線を浴びながら、ケイス達は連絡通路から登城する。
連絡通路にてクレアが放った合図が王城内での迅速な対応に繋がり、一行は不審がられることなく迎え入れられた。
「お帰りなさいませ、クレア様」
「ええ、ただいま。ルアはいるかしら」
遠巻きにこちらを見つめる侍女らにナナが笑顔で対応している側で、クレアは使用人のひとりに話しかけた。
「女王陛下は現在、執務室に居られます」
「そう、ありがとう」
居場所を聞き出した後、クレア達は執務室を目指す。
王城内を忙しなく行き来する使用人――街で見かけた人間らしい人物達とも幾度となくすれ違いつつ。2人を引き連れたクレアは、執務室の扉を叩いた。
「クレアお姉様っ!」
使用人に招かれた一同が入室すると共に、艶やかなライトブルーの髪を靡かせるひとりの少女が、クレアの胸に飛び込む。
「あらあら。立派な淑女がはしたないわよ」
「ちょうど会いたいと願っていたところだったので……」
ひとしきりクレアと
「ナナお姉様っお久しぶりです。お元気でしたか?」
「うんうん元気だよ〜」
頬が緩み切っているナナに頭を撫でられるがままの少女だったが、初めて見るケイスの姿に小首をかしげる。
「お姉様、こちらのお方は?」
それまでクレアとナナに対して『うっわぁ』と心の距離を置いていたケイスは少女の視線を受け、外行きの笑みを貼り付けた。
「お初にお目にかかります、陛下。ケイスでございます。お見知りおきください」
恭しく頭を下げ、少女――『ロネウネ・モイス』女王陛下、ルアに告げる。
クレアもまたケイスにルアを紹介し、ルアは微笑みで返すと、「ご友人の方ですか?」とケイスに尋ねる。
「いえ、同僚です。友達以下の真っ赤な他人です。縁もゆかりも友情もありません」
「すっごい否定してくるじゃん……」
口ではそう言うナナだったが、仮にケイスが『仲間です』と答えたとしても、らしくないと引くのは目に見えている。
「面白い方ですね!」
「……」
屈託のない笑顔を浮かべるルアに、ケイスは思わずクレアを見遣る。義理とはいえ、姉のクレアとは似ても似つかない性格のようだ。
クレアはわざとらしく咳払いすると、ルアに尋ねる。
「ルア、浮かない顔をしているようだけど、なにかあったのかしら?」
クレアの指摘にルアは言葉を詰まらせた。どうやら図星の様子。
追い打ちをかけるようにナナも口添えする。
「そうだよ、ルアちゃん。お城のみんなもなんだか落ち着かない様子だったし、さっき『クレアに会いたかった』って言ってたよね? 相当困ってるんじゃない?」
異変に気づいたのはナナも同じであった。
厚い信頼を置いている2人からそう言われれば、ルアも努めて明るく振る舞うことも、『大丈夫です』と突っぱねることもせず。素直に事情を打ち明ける。
「……実は、成人の儀で使用する宝杖が盗まれてしまったのです」
悲しげに目を伏せるルアに、クレアは「そんな時期なのね」と至極冷静に呟く。
一方でケイスは顔をしかめ、彼女達に尋ねる。
「成人の儀ってなに」
「人魚族が大人として認められる儀式のことだよ。ほら、ルアみたいに、足が魚の尾ひれじゃなくてヒトだった子がいたでしょう? あれは成人の儀を迎えた大人って意味なんだよ」
「その儀式に宝杖が必要と」
「そうそう」
頷くナナに、ふぅんと返す。
彼らは人間でも、人間のようななにかでもなく。皆同じ人魚族の大人。ケイスの疑問が解消されたところで、クレアはルアに問う。
「儀式はいつ?」
「予定では明日ですが、見つからないようであれば延期を――」
「なら明日はワタシのを使いなさい。1日ぐらい貸してあげるわ」
「よ、よろしいのですか?」
「ええもちろん」
暗く沈んだ表情から一転、安堵の表情を見せる妹にクレアは目尻を下げる。
「クレアが使ってる杖と同じなんだ」
「そうよ。ワタシのが本物で、国にあるものは模造品に過ぎないわ。最も、そのことは秘密だけれど」
「犯人はワタシ達が見つけるわ。ここに来た目的と関係があるかもしれないし……ね?」
かくして、宝杖『ロネウネ・オーブ』――の模造品を盗んだ犯人を彼らは探すこととなった。