ミリアッドカラーズ
「準備よーし! 忘れ物もなーし!」
目まぐるしい展開の連続から一夜明け、世界には再び陽が昇る。
当たり前の日常――とは言い難いが。新たな旅路を祝福するかのように、空は何処までも蒼く、清々しい朝だ。
指差し確認を終えたリアムは、肩掛け鞄のフラップに魔導書《アンティフォン》と、腰に提げた大事なカメラに触れる。
いってきます。
「『アルヒ地方』にいざ出発‼︎」
視線を受け止めたミュティスが、リアムの家にある姿見に触れる。すると鏡面に映る彼らの姿がぐにゃりと渦を巻き、眩い光を放つ――『アルヒ地方』にワープ出来る合図だ。
「さっさとして」
「え。お前ぇえええええ‼︎‼︎」
勝手が分からずもたもたするリアムが、ルシャントに背中を突き飛ばされる形で先行。続けて
「ちょっと! 危ないじゃ――ぎゃああああああ⁉︎」
「どうしたリア……うっ」
『アルヒ地方』のいずこへ放り出された一行。
悲鳴をあげるリアム、片腕で視界を守るアステル、なおも無表情のミュティスを襲うのは――未曾有の大嵐。
「お、『オラトリオ地方』はあれだけ晴れてたのになんでー⁉︎」
「ミュティス! 《リトルクリスタル》の反応は⁉︎」
轟音にかき消されまいと声を大にするアステルに、ミュティスは首を横に振る。
「気配こそあれど正確な位置まではわからないわ。恐らく『ルスト』のせいね」
「じゃあ地道に探さなくちゃいけないってこと⁉︎」
「そうね」
「嘘〜〜‼︎」
「本当よ」
「……というか、ミュティスはこんな状態でも微動だにしないな」
とにかく! と、目もまともに開けられない状態のままのリアムは二人に告げる。
「ひとまず雨宿りが出来そうな場所を探そう! これじゃあ探すに探せないよ!」
「そうだな……。ミュティス、オマエは一旦鏡に戻れ。オレが持つから」
「……わかったわ」
ミュティスの体が光に包まれたかと思えば光の形が変容し――金の装飾に縁取られた『鏡』となってアステルの手元に落ちる。
「ミュティスちゃんが鏡になっちゃった⁉︎」
『あなただって剣になれるでしょう? それと同じよ』
「あ、そうだったね」
「急ぐぞリアム」
「うんっ!」
二人となった彼らはバケツをひっくり返したような豪雨と凄まじい風圧に煽られつつ、森林地帯を進む。
「そういえばルーの姿も見えないね」
「ティ……ルシャントならリアムの中に戻って行ってたぞ」
「えー⁉︎ 自分だけ楽してずるいぞー‼︎」
「……ははっ。水が苦手なのは今も変わらないんだな」
懐かしむアステルの眼差しに、文句を垂れていたリアムは口を閉ざす。
「……それじゃあ仕方ないね」
「? 悪いリアム、聞き取れなかった」
「なんでもないよ! はぐれないように気をつけて!」
「おう!」
しっかりと手を繋ぎ、ぬかるんだ地面を一歩ずつ慎重に進む。
幾分の時が過ぎた頃だろうか――彷徨い歩く彼らの視界に、一縷の希望が見えたのは。
「アステル君! あれ見て‼︎」
先に発見したのはリアム。声を張り上げ、前方に聳える建物らしき影を、後方のアステルに向けて指で示した。
「なんで山奥にあんな立派な建物が?」
「この際、廃墟でもお化け屋敷でもミステリースポットでもなんだっていいよ! ちょっと雨宿りさせてもらおう!」
「……ミステリースポット⁇」
強引にアステルの腕を引くリアムは、不安定な足場をもろともせず目的地まで一心不乱に進行。その甲斐あって、速くも建物の入り口に辿り着く。
人気のない森の奥にひっそりと佇む、不気味な雰囲気を漂わせる洋館――お化け屋敷、という揶揄がぴったりな恐ろしげな建物だった。
「うわぁ〜……立派なお屋敷だ……」
「な、中に誰か住んでるんじゃないのか……? 聞いてからにしようぜ……」
アステルは両手を膝につき激しく肩を上下させながら、一刻も早く雨宿りをしたいリアムを制する。
「そうだね。ちゃんと聞かなきゃ。……すいませーん‼︎」
ドンドンッと玄関の扉を叩く。
暫し待ち、扉の内側で動く気配がないことを確認したリアムはひとり頷いた。
「よし。お邪魔しまーす!」
「昨日の喧しさは何処に行ったんだ……」
謙虚な姿勢に呆れるアステル。そんな彼を他所に、リアムは室内へと足を踏み入れる。
遅れてアステルも遠慮がちに中へ。すると鏡からミュティスが、リアムの体からルシャントが実体化した。
先程まで耳にこびりついていた――轟々と鳴り響く風と窓に打ちつける雨の音が、どこか遠くに聞こえる。
体をずぶ濡れにしながら、ふぅと息を吐いたリアムは洋館の内部――眼前に広がる光景に軽く瞠目した。
「ここって……図書館?」
「――いかにも。ようこそお客人、我が図書館『ビブリオテカ』へ」
響く声に顔を上げれば――窓の外で瞬く閃光に声の主の顔が照らされる。
「我が名はルートヴィッヒ。ただのしがない語り部だ」
「気づくのが遅くなってすまない。君達は……初めましてかな?」
紅色の仮面で顔を覆う男――『ルートヴィッヒ』はそう口元に笑みを湛え、来客者である彼らを出迎えた。
「……リアム」
背後からアステルに耳打ちされたリアムはハッと肩を揺らし、ルートヴィッヒと名乗る人物に挨拶をする。
「僕はリアム! こっちがアステルとミュティス。で、そっちがルシャント。
勝手に入ってごめんなさい。少しだけ雨宿りさせていただいてもいいですか?」
顔色を伺うリアムだったが、それも杞憂に終わる。
「もちろんだとも。少しとは言わず、雨が止むまで休むといい。……君達二人はまず、体を温めたほうがいいだろう」
ぽたぽたと雫を垂らすリアムとアステルは互いに苦笑をこぼす。数多の本を貯蔵する図書館にとって水は天敵。
「すまないが少しばかり待っていてくれ。タオルを持ってこよう」
一同は本棚が立ち並ぶメインホールのさらに奥――ルートヴィッヒが普段暮らしている居住地帯に案内された。
ロココ調の絨毯が敷かれた応接間の暖炉前。体にぐるぐるとタオルを巻いたリアムとアステルは暖を取る。すでに湯浴みも済ませた上、乾くまでと代わりの服も用意してもらっていた。
暖炉の中でパチパチと薪が爆ぜる音が耳朶を打つ中。湯気が立ち上るマグカップを手に、ルートヴィッヒが二人に歩み寄る。
「はいどうぞ」
「いただきます」
「……あちっ」
「ふふ、少し冷ましてから飲むといい」
小さく笑うルートヴィッヒは、絨毯に直接座る彼らのすぐ近くに置かれたレザー製のアームチェアに腰掛けた。
「……あっ。ルートヴィッヒさん、他の二人は今どこに?」
甘いココアを堪能するリアムは不意にそう訊ねる。湯浴みから戻ってきて以降、ルシャントとミュティスの姿を見かけていないことに気づいたからだ。……何かやらかしてないといいが、と不安が募る。
「ルシャント殿は図書室に、ミュティス殿はロビーに行かれたよ」
「静かにはしてくれてるんだ……」
そっと胸を撫で下ろすリアムに、「それはそうと」と指先で顎に触れる。
「君達はどうしてここへ? 見たところ村の者でもないようだが」
「それはその……」
言おうか言うまいかどうするか。顔を見合わせた二人が口を開く前に――ロビーから戻ってきたミュティスが答えた。
「この付近にある《リトルクリスタル》を探しているの」
「ちょっとミュティス」
「聞いたほうが早いわ。彼はきっと知っている。それも、かなり深い繋がりの持ち主」
そうでしょう、と目線で問いかけられる。
ルートヴィッヒは黙考。暫しの沈黙を重ね、顔を上げる。
「……君の指摘通り、
「そうでしょうね。あなたはその加護を受けているのだから」
万が一《リトルクリスタル》が破壊されようものなら、《リトルクリスタル》に住まう精霊王は消滅。加護を受けた者の命も危機に晒される。ルートヴィッヒが慎重になるのも無理はない。
しかしながらリアムは、ピーターの情報が正しかったこと、『伝え方次第』ではルートヴィッヒから情報を聞き出せることに安堵を覚える。
「僕から説明します。ありのままの真実を」
「……承知した。君の話を聞かせてくれ」
事件の発端――《ロードクリスタル》から産み落とされた黒い絵の具の姿を持つ『ルスト』。それは《ジェム》をも侵食し、持ち主を物言わぬ漆黒の何かに変えてしまう。
そしてその『ルスト』は死した『精霊王』の集合体であり、狙いは《ジェム》でなく《リトルクリスタル》ではないかと仮定した自分達は、目撃情報があったここ『アルヒ地方』へ赴いた。
「……以上が、事のあらましです」
話を締め括ったリアムに、傍聴していたルートヴィッヒは「そうだったのか」と呟く。
「都会ではそのような事態になっていたのだな」
「『ルスト』のこと知らなかったのか?」
幾ら僻地とはいえ、『ルスト』の情報ぐらいは伝わっているはず。首をかしげるアステルに、苦笑を返す。
「最後に村へ下りたのは一週間前でね。加えて私は文明の利器というものにとことん好かれていなくて、所持していないのだ」
「『ルスト』が発生したのはつい最近だもんな」
「それで、あなたは場所を教えてくれる気になったの?」
話を戻したミュティスが判断を問う。
緊張が走る中、ルートヴィッヒはふっと頬を緩める。
「《リトルクリスタル》の危機を前に、断る理由などないさ。
その台詞にリアムは、ぱあっと笑顔を咲かせた。
「ありがとうございます、ルートヴィッヒさん!」
「礼を言うべきなのはこちらのほうだ。ああ、それと」
大げさに片手を突き出した語り部は、疑問符を浮かべる彼に告げる。
「どうか普段通りに。名前もルーイで構わない。少々呼びにくいのだろう?」
看破されたリアムは照れくさそうに頬をかく。
「僕、五文字以上の名前の人略しがちだから……」
「なんだそれ」
二人のやりとりをにこやかに見つめていたルートヴィッヒだったが、ふと壁掛け時計を見遣る。
「おや、もうこんな時間か。ご飯を作らねば」
「それなら僕作るよ! ここまでしてもらったお礼をしたい」
「オレも! ……出来るとこまでなら」
そう名乗りを上げた両名に、席を立ったルートヴィッヒは「そうか」と片笑む。
「ならばお言葉に甘えるとしよう。ダイニングルームはそちらだ。材料は好きに使ってくれ」
「よ〜し頑張るぞ! お借りしまーす」
タッタッと軽快に小走りするリアムのあとを、アステルも急いで追いかける。
「……どこへ?」
揺らめく赤き炎がミュティスの顔を照らす。
ルートヴィッヒは背中越しに顔を向けた。
「もう一人の子が迷子になっていないか確認しに行くだけさ」
と、図書エリアに続く扉を押し開く。
ギィィィと音を立て閉まりゆく扉を、ミュティスはただただ静かに見守り――独りごちる。
「彼らの真実はどこにあるのかしら」
「なんの話ー?」
「……リアム」
入れ違いに現れたリアムはミュティスの返答を待つも、彼女は答えない。いや、『答えたくない』ようだ。空気を察し、当初の目的に切り替えた。
「そうだ、ミュティちゃん。ルーイどこにいるか知らない? キッチンに作りかけ……? のビーフシチューがあってさ、いつ作ったか聞きたいんだよね」
「彼なら書室に向かったわ」
「ありがとう! あ、もしだったらキッチンでアステル君の手伝いしてくれる?」
「ええ」
軽く頷き返したミュティスに「すぐ戻るから〜」と片手を振り、図書エリアへと急ぐ。
「……キッチンってなにかしら」
(改めて見ると広いよなぁ、ここ……。御伽噺系が多めだけど、どれも珍しそうなものばかり……)
思わず手が伸びるが――料理が脳裏を過り、ふるふると首を横に振る。読ませてもらうなら後にしよう。
(それにしても『アルヒ地方』にある図書館、か。……どっかで聞いた覚えがあるんだけど、どこだったかな〜? ……ん? 今物音した⁇)
ルートヴィッヒ探しを再開したリアムは人の気配を感じ取る。釣られて向かえば、目的の人物の他に――ルシャントの姿も。
なんだここにいたのか。嬉々として本棚の影を飛び出すも。
「おー……い……」
前へ進むたび、足の動きが緩慢となる。
例えるなら張り巡らされた蜘蛛の糸に気づかず、飛び込んだ蝶のように――動きを完全に止め、瞠目する。
飛び込んできた光景は異様そのもの。
首元に充てがわれた青き刃を、語り部は『享受』するかの如く手を添える。
服の襟を鮮血で染め上げてもなお、笑っていた。
「さあ早く、私を殺して喰べてくれ。君になら私の命、喜んで差し出そう」
嵐の勢いが強まる。
まるで、誰かの自我とシンクロしたかのように。
雷光に照らされし表情が恍惚に満ちていく――。
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