ミリアッドカラーズ
「待って!」
無事に外の世界――『ニュイエトワ地方』の廃村に帰還した二人。
鏡の地下室から抜け出したリアムは、村の外へと歩くルシャントを呼び止める。
「早く行くよ」
「その前にさっきの……ミュティスちゃんが言ってたのってどういうこと?」
二人きりの廃村で交わされる沈黙。
晴天の下。時折落ちる影が、彼が秘めた闇を深くする。
「――数千年前、この世界は汚れていた」
顔も合わせずに、ルシャントは口を開く。
「『星神』が消えたことで世界は常闇に包まれ、多くの精霊王は死に、人間達は惨めにも争った」
それはリアムが――いや、現世を生きとし生けるもの全てが知らぬ、世界の歴史だった。
闇に葬られた理由は、すぐに明らかとなる。
「だから僕は――『大罪人』となった」
「!」
「身勝手な神が作った世界を、愚かな人間が支配する世界を壊して……『彼』の願いを叶えるために。
――全てを、『消滅』させた」
まるで世界が肯定するかのように、一陣の風が彼らの髪を激しく揺らす。
声を失うリアムの視界、青い蝶へと変化したルシャントが、体の中へ戻っていく。
頭のどこかで、顔を合わせなくて良かったと感じていた。今の表情を、鏡で見ることさえも恐ろしい。
きっと、ルシャントを傷つけてしまうような――酷い顔をしているだろうから。
(リアム、いるかな……)
日暮前。リアムの自宅を訪れたマティアスは、扉横に備え付けられたチャイムに指を伸ばす。
――ドンッ!
「り、リアム⁉︎」
触れる寸前、室内から響く鈍い音に肩を揺らしたマティアスは、すぐに扉を開いて中へ。
「あ、マティ……」
「おでこから血が出てるよ! 救急箱貸してっ」
壁際に寄り添うリアムは無断侵入に怒ることもなく、額から一筋の血を垂らして片笑む。
マティアスはリアムの手を引き椅子に座らせると、拝借した救急箱から必要な道具を取り出し消毒する。
「何してたの」
「ちょっと情報整理してて……」
慣れた手付きでガーゼを貼れば、リアムは乾いた声で苦笑。
「無理に笑わなくていいよ」
「うん……」
撫でられた頭からじんわりと優しさが溶け込む。
目端に涙を溜めながら、「あのね」と話し始めた。
「色んなことを知ったんだ」
自分の正体。
『精霊王』について。
世界と、ルシャントのこと。
「知れて良かったはずなのに。……自分は何も出来ない、そう思い知った気がして」
魔導書もろくに扱えない自分が、『ルスト』をどうにか出来るわけもなくて。
埒外に立つ自分が、ルシャントの過去に踏み込めるはずもなくて。
「分からなくなったんだ」
自分『ごとき』が動いたところで、何も変わらない。
言外にそう告げるリアムに、マティアスは厳しい眼差しを向ける。
「……らしくないよ、リアム」
「え……?」
「分からない事を分かるようにするのが『記者』で、とにかく行動に移すのが『リアム』でしょう?」
マティアスにはリアムが抱えてる悩みを、察することすら出来ないが。
「君が今、一番やりたい事は何?」
思い出させることは、きっと出来る。
(僕が一番やりたい事……)
瞑目し、考えてみる。
出来るか、出来ないか。そんなのは考えないで。
心の赴くままに。
「……全部。全部、やってみたい」
何ひとつだって諦めたくない。
僕なりの方法で、叶えたい。
「『なんとかなるように』頑張ってみたい」
絶対、と言い切れるほどの力も勇気もないけれど。
頑張ることなら、僕にも出来るから。
「うん。それでこそリアムだよ」
満足げに笑うマティアスに釣られ、リアムも破顔する。
「……よしっ、そうとなれば早速行動だ!」
「どこに行くの?」
鞄を引っさらい肩に提げたリアムは、「職場!」と元気に答える。
「コメィトさんに相談したいことがあって……」
「なら、先に渡しておくね」
マティアスが取り出したのは真新しい一冊の分厚い本。表紙には『精霊王辞典』の文字が。
「しかも最新版の高いやつ! これ……僕に?」
「ルイスから頼まれたんだ。『きっと必要になるだろうから』って伝言と一緒にね」
受け取った本を胸に抱き、ありがとうと囁く。
「リアム。キッチン借りてもいいかな?」
「もちろん。でも何で?」
「お夕飯。帰ってきたら食べられるようにしとくね」
「ありがとうっ!」
玄関の扉を押しながら、「いってきます」と手を大きく振る。
パタンと扉が閉まると同時、リアムは自転車に乗って丘を下って行った。
「いってらっしゃい」
「なんだと……?」
王都西側、【
ようやく出勤したリアムを見上げるコメィトの顔はいつになく
「お前、自分がどれだけ危険なことをしようと分かってんのか」
「はい。その上で――『ルスト』の行方を追うつもりです」
『アルヒ地方』に向かったとされる『ルスト』。狙いが《リトルクリスタル》であると判明した以上、放置するわけにはいかない。――そう考えたリアムは、上司であるコメィトに長期休暇の許可を求めていた。
『精霊王』の身であろうと危険は危険。魔物も平然と辺りを
「まさか一人で行く気じゃないだろうな」
「同行者に心当たりはあるので、あとは直接話して『はい』と頷かせるだけです」
「そいつらが良くても、俺がノーだったら?」
「なにがなんでも頷かせたいので、コメィトさんの初恋の話とか叫びますよ」
「嫌な脅しをすんな、上司に」
コメィトはこめかみを抑え、やれやれと嘆息。
「……何がきっかけかは知らねぇが、こうなったお前は止められないからな」
レザーチェアから立ち上がり、懐から取り出した財布をリアムの胸に突きつける。
「思う存分やってこいリアム。次に会う時までに、多少は男前の顔つきになってろよ」
まるでエールを送るように、リアムの胸を力強く押す。
掌で財布を受け止めたリアムは、堪えるように下唇を噛み締め――やがて顔を上げる。
「『オラトリオ地方』第2勢力【
これ以上離れがたくなる前に。リアムはコメィトに背を向け、執務室から立ち去る。
「失礼します。コーヒーお持ちしました」
入れ違いで入室した部下に、窓の外を見つめるコメィトは振り返ることなく。
「ありがとう。そこに置いておいてくれ」
ただ一言、謝辞を述べた。
自宅へ戻る前に。リアムには、どうしても立ち寄りたい場所があった。
王都の喧騒から逃れた地、数えきれない死者の墓標が立ち並ぶ霊園。
恩師――『先生』の骨が眠る安息の地だ。
『先生』の墓碑の前で屈んだリアムは、彼の者と掌を合わせるように、固く冷たい石に触れる。
「……そこにいる?」
掛けた言葉は背後に立つ少年へと届く。
いつからそこにいたのだろうか。ルシャントはただじっと墓跡を見つめている。
「さっきの話、聞いてたでしょ? ルーはどうしたい?」
「どうするもなにも、僕はあんたについていくしか……」
「そうじゃなくて」
分かるでしょう? と沈黙が語る。
はたりと口を閉ざしたルシャントの視界で、リアムが動く。
「僕の目的が君に結果をもたらすとは限らない。あやふやになるのなら、今ここで決めておこうよ」
背中を向けるリアムの表情は窺えない。
ぐっと拳に力を入れ、ルシャントは答えた。
「ひとまず協力する。でも、僕に不利だと分かればその時は」
「うん、分かった。それでいいよ」
互いの目的を果たすために、互いの存在を利用する。
きっと今は、それぐらいの関係がちょうどいい。
「?」
振り返ったリアムはルシャントの手を取り、何かを握らせると横を通り過ぎる。
「それあげる」
硬い感触に恐る恐る手を開いてみれば、小さな青い蝶のタックピンが。
リアムが廃村で見つけ、拾ったものだ。
「……僕と一緒にいたこと、後悔するよ」
表情に影を落としたルシャントは、警告するように、あるいは情を拒むように、言って聞かせる。
「僕は、不吉な青い蝶だから」
足音が途絶える。
「別にいいよ」
今度はルシャントが瞠目する番となった。
「不吉な君と、不運な僕。ちょうどいいじゃん」
足音が再開する。
タックピンを手に、ルシャントもその後を追う。
ひとりとひとりの影が深く伸び、
世界に、黄昏が暮れる。
――その言葉だって嘘に決まってる。
違う、違うんだティナクル。
オレが……オレが嘘をついたのは……!
「っ⁉︎」
「うわっびっくりした」
肩を叩かれたアステルは仰天し、慌てて後ろを振り返った。
「リアム……⁉︎ オマ、どうして」
一人『鏡界』にやってきたリアムは、アステルの反応に苦笑する。
「二人に話があってさ、自分ちにある鏡でも行けるかなと思って叩いたら入れてくれた」
(すげー叩いたんだろうな……)
ミュティスは叩かれた鏡の音を頼りに姿を見せるため、実のところリアムのやり方は『鏡界』への行き方の正解に近しい。
が、一度や二度叩いたとて反応するわけもない。ミュティスが『うるさい』と感じるぐらいには音を立てていたのだろう。
「二人ってことはオレにも話があるのか?」
……閑話休題。
リアムと視線を合わせるために向き合ったアステルに、うんと神妙な面持ちで頷く。
「アステル君、僕に力を貸してほしいんだ」
リアムは『ルスト』の解決の糸口を見つけるべく、『ルスト』を追う旅に出ることを話す。
「僕がひとりでやるには限界がある。だから、みんなに手伝ってほしいんだ。僕の我儘を」
お願いします、と頭を下げられる。
アステルは狼狽えていた。
彼に頭を下げられるほどの力が自分にあるとは思えないし、何より旧知の『ティナクル』も同行するのだろうと思えば――気乗りはしない。
「……誘いは嬉しいが、オレは『
「それなら大丈夫だよ。ミュティスちゃんにも確認したけど、アステル君はもう外の世界に行っても平気だって」
「……そうなのか⁉︎」
嬉々として声を上げるが、次には逃げ道が塞がれたことに気づいてしまう。
「一緒に行こうよ、アステル君。『鏡越し』じゃなくて、同じ目線でお話したいな」
顔を上げたリアムが片手を差し伸べる。
初めて会った時に言われた言葉を反芻され、少し狡いなと感じた。
「……ああ。一緒に行こう」
募る不安より、外の世界への好奇心が掻き立てられる。
――『あの頃』に思い描いていた夢を、叶えられる予感が背中を押してくれた。
「ありがとうっ! そうとなれば早速作戦……」
「――話終わった?」
「ぎゃああああああああああ⁉︎⁉︎」
破顔したリアムの表情が驚愕へと塗り変わる。
近くの鏡面からぬるりと登場したミュティスは、ビビって尻餅をつくリアムに小首をかしげる。
「何をしているの?」
「オマエがおどかしたんだよ」
アステルに助け起こされたリアムは未だ激しく打ち鳴らす心臓を抑えながら尋ねる。
「ど、どうしたの……?」
「何処へ向かうのかを聞いておきたくて」
「え、ミュティスも行くのか?」
「そうよ」
「……意外だな。オマエが外に出るなんて」
「他人事ではないもの」
それで、と話を戻したミュティスの視線に、リアムは一転笑みを浮かべて。
「詳しい話は
「え⁉︎」
声を上げたアステルはすぐに「悪い」と謝罪。
「ううん、平気。じゃあ行こうか」
彼らはミュティスの力でリアムの家の中へと降り立つ。
そこにルシャントの姿は無かったが――最初の目的地について話し合う。
「まずは『ルスト』情報があった『アルヒ地方』に向かおう!」
この旅路の先に何が待ち受けているのか。
『誰にも』分かりはしない。