ミリアッドカラーズ
アステルとルシャントの出会いから時は前後する。
「ちょ、ちょっと待って、まず一回聞いてもいい?」
目の前の少女から突然、自分は『精霊王』だと言われたリアムは――思考停止に陥るも、ようやく正気を取り戻す。
「君が言っている『精霊王』って、《ジェム》の基になっている存在のこと……?」
「そうね」
「それが僕だって?」
「ええ。……貴方だって気づいているから、否定しなかったのでしょう?」
(確かに腑に落ちた。でも……)
人々に《ジェム》という
つまるところ、リアムは自分が『人間ではない人外』だと確信こそしているものの、世間一般的に知られている『精霊王』の謂れとはかけ離れているのだ。
「『精霊王』には、人間には知られていない『別の存在』があるの」
「『精霊王』の中でも、存在が分かれてるの?」
「そう。2つに分けられるわ」
リアムの胸中を容易く看破した少女は、『精霊王』について語り始める。
「ひとつは、人間が知るように《リトルクリスタル》内に住まう存在。もうひとつは――『化身』と呼ばれる存在」
「『化身』……?」
無論、初めて耳にする単語だ。
首を傾げるリアムに、少女は続ける。
「『化身』は、特殊な条件を満たした『精霊王』だけがなる存在。人間の姿をした『精霊王』のことよ」
「『精霊王』が人間の姿に⁉︎」
驚愕に目を見開くリアムだったが、次には「あっ!」と声を上げる。
「もしかして君もそうなの……⁇」
世界中の鏡と繋がっている《鏡界》を操り、リアムを引き入れる芸当が可能なのは――まさしく『精霊王』ぐらい。
『化身』の話を聞いた今、少女は己が名を口にする。
「『鏡の精霊王』の化身、『ミュティス』。それが私の名前よ」
見目麗しき少女――『ミュティス』に、リアムは目を爛々と輝かせて。
「『鏡の精霊王』と言えば、まだ《リトルクリスタル》が見つかってない稀有な存在! 凄いや僕会っちゃったよ!」
「……貴方も同じなのだけど」
まるでアイドルにでも遭遇したテンションの同胞に、ミュティスは僅かに戸惑う。
「そう言われてもよく分からないしなぁ……」
腕を組み、体ごと傾ける彼からは、『精霊王』としての威厳が微塵も感じられない。
「これまではどう過ごしてきたの?」
「最初は孤児院に面倒を見てもらっていたよ。今は記者の仕事をしているんだ」
完結に来歴を述べたリアムに、彼女は「そう」とだけ返しては。
「人間と長くいたから、『精霊王』としての自覚がないのね」
「そう……なのかな?」
「『精霊王』は本能的に人間を避けるものよ。災いを齎らす、不純な存在に関わりたくないもの」
「そんなこと――」
ない。と、リアムは言い切れなかった。
今世界中を騒がしている『ルスト』も、元を辿れば人間のせいで生まれたと言っても過言ではない。これまでリアムが関わった人々も、全員が良い人だったとは言えない。
『精霊王』であるミュティスからすれば、人間ほど邪魔な存在はいないのだろう。だがしかし、『人間に育てられた』リアムは知っている。
「……全員が全員そうじゃないよ。優しい人もいっぱいいるから、僕は今日まで生きてこれたんだ」
先生やコメィト、マティアス……瞼を閉じれば思い出す大好きな人達の姿。
誰にも理解されずとも、僕だけは知っていればいい。
「……変わった『精霊王』ね」
リアムは口元を緩めたまま、小さく頷いた。
「……ところで、ミュティスちゃんは僕のことを知っているんだよね? なら何の『精霊王』かも知ってるの?」
『精霊王』にはひとつひとつ異なる属性が振り分けられている。
内、大きく二通りに分かれており、『主要属性』・『
『主要属性』は『精霊王』の中でも上位に値し、火・水・風・土・光・闇・無の7種類のみ。『羽翼属性』はその他の要素――鏡、太陽、月など多岐に渡る。こちらは主要属性に加え、要素に応じた能力が追加される。
両者の差異を挙げるならば。前者は加護を持つ人物は限られ、かつ対魔物特化。後者は人口数こそ多いものの、融通が効く。と、言ったところであろうか。
「それは――」
と、答えようとしたミュティスだったが。遮るように、鏡が砕け散る音が鳴り響いた。
驚きそちらを見遣れば。この空間の出入口である鏡が砕け、代わりに在るのは不気味に蠢く黒い絵の具――。
「『ルスト』……!」
直接視覚するのは『星見の塔』以来。ひとつの塊となって右へ左へと浮遊する『ルスト』に、ミュティスもまた瞳を細める。
「なんでここに――……ッ⁉︎」
バチバチバチッ! と激しい閃光がリアムの視界に散る。左手を突き出したミュティスの、半透明の障壁と衝突したからだ。
退いては障壁に突撃を繰り返す『ルスト』に、その顔を衝突の度に照らし出されるリアムは違和感を覚える。
『ルスト』の目的が分からない――。
「下がってちょうだい。そこにいられると邪魔よ」
こちらに一瞥もくれず言い放つミュティスの横顔に余裕は見られない。ここにいても何も出来ないのは事実、リアムは一歩二歩と後退する。
「痛っ」
正面を向いたまま下がっていたリアムの背に、尖った硬いものが当たる。背後を振り返ればそこには、初めてこの空間に足を踏み入れた際にも目にした結晶が。
(もしかして……これが『
ハッと脳裏を駆け巡るのは、
――『ルスト』が狙うのは《ジェム》だけなんじゃ……?
あの時耳にしたピーターの考察が正しいことを知る。
(『ルスト』の目的が《リトルクリスタル》だとしたら……ミュティスちゃんは)
直後、ミュティスが展開する障壁にピシリ、と亀裂が生じた。耐久値の限界を迎えようとしているのだ。
これ幸いにと『ルスト』の攻撃が激しさを増す。
――守れなかったあの子と同じように。また、目の前で誰かが……。
『ルスト』誕生の日に芽生えた後悔が、再びリアムの中で芽吹く。
(そんなのっ……絶対に嫌だッッッ‼︎)
恐怖を超え、リアムは走り出す。
張り巡らされた障壁の外へ出たリアムは、鞄から携帯しているランプを取り出し――『ルスト』目掛けて投げつける。
ミュティスが瞠目する中、ランプは見事命中。大したダメージは与えられなかったが、リアムのほうにヘイトを向けることは出来た。
「リアム!」
ランプの破片を振り払い、『ルスト』がリアムに肉薄する。煽られたリアムがその場に転倒すると、『ルスト』は続けて急降下。転がることで回避したリアムだったが、轟音と共に床の表面が砕かれる。
ビクッと肩を震わせたリアムは次の瞬間――視界が真っ黒に染まる。
眼前に迫る『ルスト』。真っ黒な絵の具からいくつもの視線を感じた。
伸ばされた手がリアムの体に絡みつく。
……怖い。
じぶんが、じぶんでなくなるかんかく。
こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい
「え」
それは誰の声だったのが、自分でも分からない。
だが一つ分かるのは――真っ黒だった視界に光が見えたこと。
『ルスト』を引き剥がすかのように、リアムの前で膜を張るドーム状の結界。シャボン玉にも似た『それ』の発生源は、リアムの鞄――もう使えないはずの魔導書だった。
リアムが手に取ると結界は消滅。一度後退した『ルスト』が再度突撃するが――。
ヒュンッと風を切り、光の矢が『ルスト』を射抜く。
「おいミュティス! なんだアレ⁉︎」
馳せ参じたアステルが弓を片手に、未だピンピンしている『ルスト』を指す。
「少し相手して」
「相手しろってどう……」
アステルの抗議をスルーし、ミュティスはリアムのもとへ。
「その本は?」
「つ、使い捨ての魔導書だったんだけど、何故かさっきは使えてて……」
「貴方の力に反応したのよ」
「僕の……?」
「貴方ならその本を復活させることが出来る」
光が消えた魔導書に視線を落とす。
「やり方は、もう知っているはずよ。『
『まほう……一回しか使えなかったね』
『仕方がないさ。中古品の棚にあったものだったから』
『この本、どうするの?』
『う〜ん……もう使えないし、棄てるかな』
『えー! もったいないよー!』
『なら、リアムが大切に持っていておくれ。大切にしていたら、きっといつか良き友人になれる』
『友達? 本なのに?』
『関係ないさ。人間でなくとも心は通わせられる』
『ふぅーん……』
『名前をつけてあげるといい。友達の第一歩だ』
『名前名前……あっ!』
「……《アンティフォン》」
七色の光が満ちる。
ひとりでに開いた頁から文字が浮かび上がり、白紙の頁に『別の言葉』となって刻まれる。
「な、なにこれ……⁉︎」
魔導書は止まることを知らず。魔法円から飛び出した魔力の音符弾が縦横無尽に『鏡界』を飛び交う。
敵味方関係なく無差別攻撃。ミュティスは《リトルクリスタル》の防御に徹し、アステルは回避を強いられる。
「リアムッ! どうにか止めてくれ!」
「そう言われても〜!」
魔導書の頁を確認しようとも、自分には理解できぬ言語の為、解読不可。
焦ることしか出来ないところに――アステルを追って来たルシャントが到着。『ルスト』の姿と音符弾の群れに眉を顰める。
そしてリアムが持つ魔導書に気づいたルシャントは、音符弾を剣で一刀しながら接近。
「っ」
正面に立ち、魔導書を『閉じた』。
「……おさまったのか?」
埋め尽くさんばかりに溢れていた音符弾は消滅。『鏡界』は、再び沈黙に包まれた。
「大丈夫か?」
「なんとか……」
駆け寄ってきたアステルはそうかと肩の力を抜く。
「あの黒い変なのもどっか行ったな」
「え? ……あ、本当だ」
「『ルスト』なら外の世界へと逃げていったわ」
《リトルクリスタル》を見つめるミュティスの言葉に、どっと疲れが押し寄せる。叶うなら早く家に帰って寝たい。
「――あんたが『鏡の精霊王』?」
ルシャントを見遣ったミュティスは、その瞳を細めて。
「そうよ。貴方は……」
「あんたなら知ってるはずだ。《ギフト》を元に戻す方法を」
「《ギフト》?」
贈り物、と訳すにはあまりにもミスマッチ。
リアムは隣のアステルを見るが、彼もまた疑問符を頭に浮かべていた。
ルシャントの問いに、ミュティスは緩く首を振る。
「元に戻すことは不可能よ。それは、死んだ者を生き返らせることと同意」
「だけど」
「――貴方は、これまでに『殺した』人間を生き返らせることができるの?」
人間を、殺した?
「……もういい。自分で見つける」
立ち尽くすリアムの横を、ルシャントは無表情で通り過ぎる。
「リアム」
ミュティスの呼び声にハッと意識を戻せば、彼女はじっとこちらを見据えている。
「行かなくていいの?」
ルシャントは
去り際。リアムはアステルに振り返る。
「また後でね、アステル君!」
そして今度こそ、『鏡界』をあとにした。