ミリアッドカラーズ
王都西側、【
本拠地に着いたリアムはエレベーターで職場のフロアに移動。出入口に姿を現したリアムを見て、数少ない出勤者の男性先輩が声を上げた。
「うおっリアム⁉︎ お前なんでここにいるんだよ!」
「あれ、今日休日でした?」
「馬鹿そうじゃねえよ‼︎ 危ないもんが彷徨いてるかもしれない街中をよく来たな⁉︎」
ジェムを持っていないので、とは言えず。同じく先輩の女性記者がまあまあと男性を鎮める。
目に見えて目立つ空席のデスク。見渡す限り、フロアに居るのは彼ら含めて5人。なにか作業をしているのかと思えば、時間を持て余している様子だ。リアムは女性記者に問いかける。
「あの、先輩達はなにをしているのですか?」
「……リアム君、総監督から連絡きてないの?」
総監督――コメィトから連絡を受け取った記憶はない。端末にインストールされているメッセージアプリでのやり取りは、一昨日を最後に止まっている。
女性記者は男性と顔を見合わせる。
「変ね。リアム君には自分が連絡するって仰っていたのに」
「そこまで手が回っていないのかもな。今も1人で対応してるし」
話が見えずきょとんとするリアムに気づき、ごめんなさいねと一言。
「昨日の『ルスト』騒ぎのあと、総監督はすぐに全員それぞれの拠点から出ないよう指示したの。暫くして自宅に帰れる者は早急に帰って身の安全を確保するように、家が遠かったり安全が確保できない環境下の職員はそのまま拠点にいるように、と連絡がきたわ」
「詳しい情報が分かるまでは出勤しなくていいってな。仕事もするなとまで言われてる。まあ、仕事ができる雰囲気でもないしな」
先輩2人の話を片耳に、リアムはフロア端を見遣る。コメィトが執務室として使用するガラス張りの個室はブラインドに遮断され、中の様子は窺えない。
リアムは「ありがとうございます」と
「ふぅ……」
ガシャンと受話器を戻したコメィトから
「失礼しまーす……」
極力音を立てず静かに顔を覗かせたのはリアム。「入れ」と声を掛ければ、リアムは執務室の中に入りコメィトのデスク前へと歩む。
「悪い。オマエに連絡するの忘れてた」
「今さっき先輩達からお話は聞きました。それと、『ルスト』の話も……」
レザーチェアの背凭れに体を預けるコメィトは「そうか」とだけ口にする。
普段の活力溢れる姿とは縁遠い疲弊した姿にリアムはうろたえる。
「い、いくらコメィトさんでも1人で回すのは無茶な話ですよ。僕だけでもお手伝いさせてください」
「いい。……耐えられないだろ」
ふいに溢れた呟きに、リアムは喫茶店でエルやルイスから聞いた話を思い出した。あの混乱下では、情報を厳重に管理するのは難しかったであろう。だが情報漏洩が原因で多くのジェムが『ルスト』によって錆びついたのなら――子供を守れなかった自分のように。責任を重く受け止めてしまうのは当然なのかもしれない。
だからといって、リアムも引き下がるつもりは毛頭ない。
「耐えられます! あ、いや、耐えてみせます‼︎ そうでなければ、コメィトさんの一番弟子なんて名乗れませんから!」
胸を張るリアムの言葉にコメィトは呆然とする。
「それに! コメィトさんアナログ中のアナログじゃないですか。なんの為に僕デジタルを勉強したと思っているんです? 少しでも被害が抑えられるように頑張りますから、コメィトさんはアナログで頑張ってください」
「オマエはアナログをなんだと思ってんだ」
「素晴らしい文化だと思います」
コメィトは絡めた指を額に添え、肘をデスクにつけながら仰々しく息を吐いた。リアムは慌てて両手を振った。
「けっ決してアナログを見くびっているわけじゃなくっ外を出歩くのは不味いかな〜と思ってですねっ」
「違げぇよ」
一転、辛気臭い表情から色を正したコメィトは上体を起こし、腕と脚を組みリアムを見据える。
「……できるか?」
「でっ……頑張りますっ!」
「そこは『できます』って言うところだろ」
「大口叩いといてあれですが自信はないので」
「……無理そうならすぐに引け。いいな」
「わかりました」
リアムは来客用ソファーに掛け、鞄からノートパソコンを取り出すと早速作業を始める。コメィトもまた、取引先との通話を再開し始めたのを背中越しに検索サイトやSNSで『ルスト』についての書き込みを探る。
「うわ……」
画面いっぱいに映し出されるのは、ゴミ処理場や森林、池や海、あろうことか道端にも破棄された大量の『ジェム』の写真。なかには、秩序を取り締まる勢力、【オルディネ】の構成員がジェムを回収している光景も。全勢力のうちで最も所属人数が多い【オルディネ】の人海戦術をもってしても、回収は間に合っておらず。黒く錆びついたジェムの山、病院に運び込まれる黒一色に染まる人々の写真が視界に入れば、リアムは顔を顰めた。
ルイスが口にした『ジェム狩り』という言葉はあながち間違いではないのかもしれない。もしも『ルスト』に表情があるのなら、なにもせずとも勝手に差し出される獲物を前に舌舐めずりでもしていることだろう。
リアムは新たにウィンドウを立ち上げ、個人運営のサイト名を入力。行き着くのは真っ黒の背景に白のフォントが特徴的な、会員制掲示板サイトの1つ。無秩序に言葉が飛び交う中、慣れた様子で書き込む。早速食いついた住人達に返答する傍ら――端末でも有名なSNSアプリで情報を呟いて。ネットの世界の裏と表、地道に正しい情報を流していく。1人でも多くの人が、『ジェムを捨てるのは間違っている』と気づいてくれるのを願って――。
目が覚めたら全て夢でした――なんて都合のいいことはそうそうない。
「……オイ。起きろ」
「んあ……?」
来客用ソファーで爆睡するリアムを、コメィトは容赦なく叩き起こした。少し目を休ませるつもりが、数時間に渡る睡眠となってしまったようだ。窓から射し込む陽の光より、室内の蛍光灯の光が
体を起こし胸を逸らして伸びをするリアムに、炭酸飲料のジュース缶を差し出す。
「ああ……すいません」
プシュッと缶の蓋を開けて口に運べば。ぱちぱちとした刺激が口内に弾け、寝惚けた脳内を一気に覚醒へと導く。強烈な刺激にぶるぶると体を震わせ耐えていたリアムは、ある程度収まると飲み込んだ。通常のジュースと同じ感覚で飲んでしまったらしい。
「まだ昨日の疲れが残ってんじゃねぇか?」
「うーんどうでしょう……? でも今日凄く眠たいんですよねー」
「もう少しなら寝てていいぞ。手も空き始めたからな」
「それって……」
リアムは執務室の窓に垂れ下がるブラインドに人差し指を軽く掛け、僅かに降ろす。そこには、互いに声を掛け合いながらパソコンにキーボードに指を打ちつける先輩達の姿が。コメィトを見遣れば、「なんだよ」と言いたげに目を細められる。
「上司ってもんは部下を使ってなんぼだろうが」
「そうですねー」
良かった。いつものコメィトさんだ。
厳しくも、当たりが強くとも。根は優しく、部下を思いやる気持ちは誰よりも強い。叩いて伸ばすタイプのスパルタ教育についてこれるのは自分だけ。『記者になりたい』という夢を叶えられたのは、他ならぬコメィトのおかげなのである。
『先生』と同じく人間であるコメィトとも、いつか必ず別れの時が訪れる。せめてそれまでは――より一層真相解明に気合いを入れ直すリアムと異なり、コメィトは頻りに窓の外を気にしていた。
「どうしたんですか?」
「いや……」
一度はそう返したコメィトだったが、すぐに話し始める。
「実は知り合いに『相談したいことがあるからそっちに行く』って連絡がきたんだが、なかなか来なくてな。電話しても出ねぇし」
「えっ⁉︎ もしかして『ルスト』に襲撃されたんじゃ……!」
「それはないな。アイツもオマエと同じでジェムを持っていないから……ん?」
噂をすればなんとやら。コメィトの端末からバイブ音が響き、着信を知らせる。「アイツだ」と呟き、着信ボタンを押してから端末を耳に充てがう。
「あー、もしもし?」
通話相手の話に相槌を打つコメィト。リアムが休憩もそこそこにして始めるか、とノートパソコンを開いたと同時。「はぁ⁉︎」と声を荒らげるコメィトに驚き肩が跳ねた。
「なんでわざわざ狭い路地から行こうとすんだよ! ……そっちは逆! 戻れ戻れ!」
コメィトは通話相手に苦戦している様子。話の流れ的に、お知り合いの方は道に迷っているみたいだ。
「あの、もしだったら迎えに行きましょうか?」
「あー……悪りぃ。頼めるか」
「もちろんですっ!」
と、挙手するリアムに軽く頷き、通話相手に事情を説明。その間、リアムは近くに脱ぎ置いた上着に袖を通し、鞄を肩から掛ける。
「……そうそう、今からそっちに迎え寄越すから。……心配要らねぇよ、オマエと同じだから。そこでちょっと待ってろ」
通話を切ったコメィトはリアムに懐中電灯を持たせ、知り合いが待つという場所を伝える。念のため灯りがつくか否かを確認するリアムに、コメィトは「気をつけろよ」と告げた。
「万が一『ルスト』に遭遇したら身の安全を第一に考えろよ」
「すぐに逃げます。僕の逃げ足の速さは常識の
「自分で言うことじゃねぇだろうが」
小さく笑みを溢し、行ってきますと執務室のドアを開ける。向かうは、本拠地から然程離れていない位置に広がる並木道。
懐中電灯の灯りで道を照らしながら並木道を進む。夜の闇に覆われた周囲に人気は全くない。無意識のうちに昔テレビで流れていたホラー映像を思い返してしまい、取り払うように首を横に振った。
(そういえば名前聞いてないな……?)
呼びかけようとしたリアムの動きが止まるも、まあいいかと口を開く。
「コメィトさんのお知り合いさーん、どちらにいらっしゃいますかー? コメィトさんのお知り合いさーん?」
呼応するのは静かな風に揺れる木々の葉音だけ。おかしいなと小首をかしげたリアムはふと、道の真ん中で動く黒い影を見つけた。懐中電灯の灯りをそちらに向ける。
「ひっ――」
カツン、とリアムの手から離れた懐中電灯が石畳みの道に転がる。
人工的な灯りが消え、僅かな月明かりの光に照らされるその体は人ではなく獣――暗闇に光る赤い瞳。頬まで裂けた口に生える鋭い牙。銀色の毛に覆われた体。こちらを威嚇するような低い唸り声が喉を鳴らす。
間違いない。『シルバーウルフ』だ!
こちらを
一瞬たりとも視線を外すことは許されない。じっと様子を窺うリアムは少量の血痕が付着するシルバーウルフの爪先、シルバーウルフの背後に人が倒れているのを発見する。ぴくりとも動かないその人は気を失っているだけなのか、はたまたもう――。
『グルアアッッ‼︎』
瞬間、シルバーウルフがリアムのもとに飛びかかる。もとよりこういった状況に不慣れなリアムが即座に回避や退避などできるはずもなく。迫り来る牙を前に立ち尽くすことしか――。
シルバーウルフは大きく口を開き、獲物に噛みつく。
だがそこに、リアムの姿は『なかった』。
虚空を噛み、着地したシルバーウルフ。続いて、辺りに金属音が響き渡った。自身の目の前に落ちてきた“それ”に、シルバーウルフは吠えかかるが反応はない。暫しの間威嚇を続けていたが、無駄だと悟ったのか。シルバーウルフは並木道を外れどこかへと走り去る。
残されたのは、未だ動かぬコメィトの知り合いらしき人物と――透き通る刃を持つ『一振りの剣』であった。