Spectral Color

「ただいま」
 仕事を終えて家に帰ると、珍しく瑞貴がリビングでノートパソコンを開いていた。
「あ、お帰り。ごめん、ご飯まだ出来てない……」
「あぁ、いいよ。珍しいね。仕事持って帰ってきたの?」
俺がそう言うと、瑞貴が大きく息を吸ってから大きな溜息をついた。
「そうなの。今、夏休み期間の子供向けイベントの準備中でものすごく忙しいのに、デザインの発注漏れがあって、急遽、僕がデザイン考えなきゃいけなくなったの! 絵が描けるって理由だけでね! ほんと! 無茶振りにも程がある!」
よっぽど腹が立ったのだろう。だんだんヒートアップする瑞貴を宥める。
「まぁまぁ。とりあえず、夕飯にしようか? 後で俺のデスク使っていいよ」
「うん……そうだね。ご飯にしよう。ありがとう」
一気に愚痴を吐き出したらスッキリしたのだろう。ニコリと笑うと、彼はノートパソコンを寝室の俺のデスクへと持っていった。
さてと、夕飯の支度をしないとね。

 夕飯を終えて、瑞貴はデスクのノートパソコンに向かった。俺はというと、ベッドに掛けて適当にスマホを弄ったり、読みかけの本を読んだりとのんびりしていた。
「ところで、何のデザインなの?」
そう彼に問いかけると、彼がくるりと振り向く。
「あ、言ってなかったね。団扇だよ。よく、お店で配ってるような紙の丸いやつ」
「あぁ、あれか。穴開いてるやつね」
「そうそう。これのデザイン忘れるとか職務怠慢すぎるでしょう……両面デザインとか別でギャラ取るからね」
そう言って、パソコンの画面に向き直る彼。ちょっと落ち着いたと思ったのに、またイライラさせてしまったようだ。申し訳ないと思いつつも、俺は、彼がパソコンに向かう姿に新鮮さを感じていた。

 そっか。瑞貴はいつもこんな感じで見ていたんだな。俺が持ち帰り仕事をしている後ろで、彼はいつもベッドに横になったり、メモパッドに落書きしたり、本を読んだり、俺に悪戯したりしていた。…………確かに退屈だから色々やりたくなるね。
 とはいえ、芸術家気質の彼が集中している時に、うっかり悪戯をしようものなら、きっと凄い形相で睨まれるだろう。なんならその後暫く口もきいてもらえないかもしれない。そんなリスキーなことは、今後の俺のQOLに関わるからやめておこう。そう思って、手に取った本を開いた。

***

「進捗はどうですか?」
三十分くらい経った頃、俺は彼にそう訊いた。
「うーん……とりあえず第一案は終わりかな。あともう一個デザインする……」
「もう一個かぁ……子供向けなら、スタンプラリーとかにしちゃえば片面埋まるよねぇ」
何気なくそう言うと、瑞貴がくるりと振り向いた。何故か目を丸くしている。
「安慈……ありがとう。それだ」
「へ?」
「スタンプなんてどうせ倉庫にいっぱい転がってるだろうから、それ拾ってくればイベントにも使えるし!」
 
瑞貴は、またパソコンに向かうとペンタブをサラサラと動かし始めた。
 おぉ、大したことしてないけど、彼の役に立てたなら良かった。スイッチが入ったのならすぐ終わるかなぁ……? どんなのができるのか、君の作品なら見てみたい。
「ねぇ、瑞貴デザインの団扇、できたら一枚もらってきてねぇ」
「んー。どうせ余るだろうから好きなだけもらってきてあげるよー」

 彼はこちらを見ずにそう返事をした。
 ちょっと今夜はいつもと違う。こういうのもたまには悪くないね、と思いながら、俺は彼の後ろ姿を見つめていた。
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