Spectral Color

 毎日、毎日、三十五度前後の気温。
 まるでそれに抗うように、恐ろしいほどに空気が冷やされる職場。

「今日も疲れたね……」
「うん。冷房病ってやつだと思う」
 お互い、職場の冷房にすっかりやられて軽い夏バテだ。
「もう、暑いのも寒いのもやだー」
 僕がそう言うと、安慈が何か閃いたような顔をする。
「あ、あれ使おう。せっかくもらったんだし」
「え? 何を?」
 僕の疑問に、彼はニコリと笑って、バスルームへ消えていった。


「……真夏も入った方がいいって言うけどね」
「なかなか腰が上がらないからね。ちょうど良かったんじゃない?」
 そう言って彼が笑うと、バスルームに声が反響する。
『冷房で怠いならちゃんとお風呂入って疲れを取ろう!』なんて言って、彼がわざわざお風呂を沸かして、今、バスソルトを入れたお湯に二人で浸かっている。
「……ねぇ、狭くない?」
「距離を取ろうとするから狭いんじゃない?」
 安慈はそう言ってクスクスと笑う。別に初めてじゃないけれど、なんだか二人で入るのは慣れない。狭いし。バスタブの中で体育座りしてたら、リラックスもできない気がする。
 そんなことを思っていたら、パチャ、という水音と共に顔にお湯をかけられた。
「なっ! 何するの!」
「あはは、水鉄砲。小さく丸まってると、攻撃しちゃうよ」
 安慈は愉しそうに、片手をキュッと握るようにしてこちらにお湯を飛ばしてくる。
「このっ……」
 悔しくて、同じようにやり返そうとするけれど、一向に飛ばない。
「あれ? 飛ばない」
「こうして、ちょっと空間を作って、ギュッて握ると飛ぶよ」
と、安慈が説明しながら手の形を作って、またお湯を飛ばしてくる。
「ちょっと、顔はやめて」
「ふふふ。やってみて」
 そう言われて、また同じように手の形を作って、ぎゅっと握ってみる。今度は、あさっての方向だったけれどお湯が飛んだ。
「あ、飛んだ」
「お、できたじゃん。じゃあ、再戦」
そう言って、今度は両手でお湯を飛ばしてくる安慈。上手に飛ばしてくるから、顔をまともにあげられない。ちょっと、ずるいよ!
「ねぇ! ちょっと……! もう、おしまい!」
そう言って、安慈の首に腕を回して抱きつくと、水鉄砲の攻撃がおさまった。
「あれ、あんなに恥ずかしがってたのに、くっついてきた」
彼は笑いながら、僕の背中に腕をまわす。
「顔にお湯をかけられるの嫌だからこうする」
「ほら、反対向いて。脚伸ばせるよ」
湯船の中でくるりと彼に背を向けるように体勢を変えると、彼が背中から僕を抱き締める。
「これいい匂いだね」
「うん。ちょっとスースーして面白い」
少し動く度に、水面から出ている肌がひんやりとする。バスソルトにミントの香りがついていたせいなのだろうか。お湯の中や肌が触れているところは温かいのに、それ以外はひんやりするのが面白い。
「ねぇ……」
 彼の方を向いてそう声を掛ける。
「ん?」
「あのさ、近くでいいから、二人で温泉行きたい」
 僕がそう言うと、彼が目を丸くして、僕をぎゅう……と抱き込む。
「もっと広いお風呂がいい?」
「あはは。それもあるけど、忙しい僕たちには、リトリートも必要だと思うんだ」
「リトリート?」
「仕事や日常から離れて静養すること」
「なるほどね。それは必要だね。ちょうど今週でひと段落つくと思うから、来週あたりにでも有給消化しよう」
「僕も今回はみっちり仕事したから同じ日に有給むしり取ってくるね」
「じゃあ、温泉でまた水鉄砲やろうか」
「それはヤダ」

 あはは、と彼が笑ってまた声が反響する。
別に、家のお風呂でもいいんだけど、たまには非日常に行くのもいいかもしれないなって。こんなこと思うなんて、僕も翔に感化されてるのかな? まぁ、いいや。
そんなこと考えながら、僕は、彼の肩に甘えるように頭を預けた。
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