Spectral Color

「お疲れ様でーす」
 終業時間。仕事を終えた人からさっさと身支度をしてラボを出ていく。俺も今日はしっかり仕事を終えられたから、早く帰れる。

「なーんか、倉光くん雰囲気変わったよね」
 先輩がデスクに頬杖をつきながらそう言ってきた。この先輩は、俺が入社した時に教育係でついてくれていた人。今でもよく話す人だ。
「え? そうですか?」
「うん。前は、仕事一辺倒! って感じだったし、暇さえあれば海外の論文読んでたし……」
「それは今も変わらないですよ?」
そう返すと、先輩は首を振る。
「違うのよ。なんて言うのかな? 人間っぽくなった! 雰囲気も柔らかくなった気がするし」
「人間っぽくなったって……俺はアンドロイドですか……」
……まぁ、先輩の言いたいことは分かる。瑞貴があの日、転がり込んでくるまでは、毎日淡々と過ごしていた気がする。
「うん。新人だった頃は『仕事は楽にこなせるけど、感情の起伏が無い顔の良いアンドロイド』だと思ってたわよ」
「わぁ、褒めてるのか貶してるのかわからないやつ……」
「なんで人間っぽくなったの? 彼女でもできた?」
 首を傾げながらストレートに聞いてきた先輩。まぁ『彼女』ではないにしろ、恋人はいる。
「えぇ、もう、一年くらいになりますけどね」
そう言うと、先輩が驚いて立ち上がった。
「うっそ! そんな前からいたの! 知らなかった! 教えてよぉ」
「嫌ですよ。教えても俺に何のメリットもないじゃないですか」
「う……。他の人には言わないから、どんな子なの? 教えてよぉ」
手をスリスリしながら寄ってくる先輩から、俺はさりげなく距離を取る。
「その『他の人に言わない』が一番信用できないから言いませんよ」
「倉光くんのけちぃ。何歳で何の仕事してるかくらいは聞いてもいいでしょー?」
先輩は『人の恋バナが面白いお年頃』だから仕方ないとはいえ、なかなか質問が終わらない。このままでは帰るのも遅くなるから、最低限の情報だけ置いていこうか。
「仕方ないので、最低限のことしか言いませんよ。年齢は俺の一個下です。美術館の学芸員をやってます。美大卒で油彩画専攻だった人です」
「わぁ……そんな文化的な人なの。アンドロイドにはぴったりじゃない」
「どういうことですか」
「ねぇねぇ、なんて呼んでるの? なんとかニャンとかいうの?」
「言うわけないじゃないですか。先輩、ネットの見過ぎですよ」
独身女性も拗らせるとこうなるのだろうか? 面白いけれど、だんだん面倒になってきた。
「で、なんて呼んでるの?」
「そこ、そんなに大事ですか?」
本当のことを言えば、普通に名前を呼んでいるだけだが、ここはちょっと古い情報を置いていこう。
「えっと……」

***

 先輩を振り切って会社を出る頃には、瑞貴の方が先に家に着きそうだったから、連絡をして今日は先に帰ってもらった。
「ただいまー」
「おかえり」
 やっと家に着くと、瑞貴が玄関で出迎えてくれたので、そのまま彼を抱き締めると、彼も俺の背中を抱き返してくれた。
 帰宅後のルーティンを終わらせている間に、瑞貴は買ってきた夕飯をテーブルに並べてくれていた。一息つきながら俺がソファに掛けると、瑞貴がお茶の入ったグラスを手渡してくれた。
「先輩、なかなか帰してくれなかったんだね」
 帰り道に先輩に捕まった旨をメッセージで送ったら、メッセージ上でも笑っていた彼。今もクスクスと笑ってる。
「アンドロイドが人間っぽくなったっていうのが、僕ずっとツボに入ってて……」
「あぁ、それ? そんなに面白かった?」
「僕はそんな状態の安慈を見たことないから分からないけど、会社ではそうなんだね。ちょっと新鮮」
「あと、何て呼んでるのかしつこく聞かれたからね、教えてあげた」
「え? 瑞貴って言ったの? まぁ、名前の音だけなら分からないか」
「ううん。みーちゃんって言った」
「なっ! それっ!」
慌てた様子で俺の顔を見上げる瑞貴。
「それ、小っちゃい頃の呼び方じゃん! しかも、僕を女の子と間違えてた時でしょ!」
「そうだよ。だから、一番古い情報を置いてきたんだ」
「その呼び名は、この先はもう封印してよ。恥ずかしいから……」
「ふふふ。必要になったら出すかもしれないけどね。みーちゃん」
「やめてよぉ」

 彼の恥ずかしがる反応を見ていると、意地悪な気持ちが顔を出してくる。時々、不意打ちで呼んでみようかな?
「みーちゃん」
「だからやめてってば!」
 怒られてしまったけれど、暫くこれで楽しめそうだな……と、意地の悪いことを思っていた。
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