Spectral Color

夏らしい、というべきなのだろうか。仕事が終わる時間でも、空はまだ明るい。
「結構遅い時間なのに、外明るくなったよね」
「そうだね。なんか早く上がれた気分になっちゃう」
今年の春から、僕は恋人の安慈あんじと一緒に暮らし始めた。仕事終わり、お互いにメッセージを送り合って、時間が合えば家の最寄駅で待ち合わせて一緒に帰る。いつの間にか、二人の間で習慣になっていた。
「僕、この黄昏時の空の色、好き」
橙と空色のグラデーション。日によって黄色に近かったり、紫に近かったりと空に広げられる色彩の違いを見るのが好きだった。
「うん。綺麗だよね」
「たそがれ、なんてオシャレな言葉を充てたよね」
「もともとは、誰、そ、彼、らしいよ」
そう言って、安慈は指で誰、彼、と漢字を空に書く。
「へぇ。あの字は後なんだ」
「そうそう。顔がぼんやりして誰か分からなくなるくらい、暗くなるってことらしいよ」
「ふぅん」

 夏場の日の長さならまだしも、大昔は街灯なんてなかったのだから、確かに相手が誰か分からなくなるくらい暗かったのかもな……なんてぼんやり思っていると、彼が口を開く。
「けどさ、これくらいって顔がぼんやりしても、なんとなくシルエットでも誰かくらいはわかると思わない?本当に誰か分からないくらい暗かったのかな?」
「まぁ……昔は街灯もなかったんだろうし、暗かったんじゃない?」
「そう?」
そう言って、安慈が急に顔を近づけてきた。
「わっ! ちょっと! 急に何⁉︎」
突然のことに慌てる僕をよそに、彼はクスクスと笑っている。
「君は誰? なんて言って、好きな子に近づく為の口実だったのかもしれないよ?」
「え? そんなわけ…………ない、とも言い切れないけど、そんな理由も含まれているとしたら風情も何もないね……」
溜息混じりに僕がそう返すと、彼がまたクスクスと笑う。

「人間なんてそんなもんだよ」
「そう?」
「だって、今、顔近づけたら目閉じてたよ。キスしたかった?」
彼がそう言って、意地の悪い笑みを浮かべる。
「なっ!  顔の前に急に何か来たら普通は目を閉じるってば!」
「えー? 素直じゃないなぁ。続きは家着いてからね」
「もう、違うってば!」
僕の返事にケラケラと笑う彼。そうやっていつも僕を揶揄うんだから。

見上げれば、空の色に少しずつ藍色が増えていく。
いつもと同じように、彼と他愛のないことを話しながら、この季節の黄昏色に包まれて、家路を歩くのだった。

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