Richromatic

仕事終わりで彼と食事をした。家へ戻る前に『ちょっと寄り道したい』と彼を連れて行った先は、前からずっと気になっていた店。
いつも外に出ている看板には季節毎のオリジナルカクテルの名前が書いてあって、それにとても惹かれていた。
間口の狭い入り口から、地下へと続く螺旋階段を下りて行くと、だんだんと空気も暖かくなってきて、オレンジ色の光が出迎えてくれた。

「いらっしゃいませ」
マスターと思われる初老の男性がそう声を掛けてきて、空いているところへどうぞと言った様子で右手を動かした。
店内は俺が思っていたよりもずっと広くて、奥のテーブル席には、仕事帰りの人やカップルが数組いて、それなりに賑わっているようだった。
空いていたカウンターの席に彼と並んで座ると、マスターが静かに寄ってきた。
「表の看板に書いてあった、シルバームーンください」
「ちょっと待って。ご飯食べた後だから、甘いの飲みたい……」
「今夜も冷え込みましたから、ホットカクテルはいかがですか?」
マスターがそう言って、ホットカクテルのメニューを出してきた。
「あ、いいかも。ちょっと甘めのが良いんですけどおすすめありますか?」
「それでしたら、ホット・バタード・ラム・カウはいかがでしょう?
とても温まりますよ」
「じゃあ、それでお願いします」
注文を終えると、マスターは俺たちの席から離れてカクテルを作り始めた。
「どんなのかな……?」
「楽しみだね」
マスターが作っている様子を目を輝かせながら見ている彼。そのうち店内を見回していた。
「ここ、いい雰囲気だね」
「うん。もっと早く気付けば良かったね」
「ふふふ。これから通えばいいよ」
彼はニコリと笑ってそう言った。暫くすると、マスターがドリンクを運んできた。
「お待たせ致しました。シルバームーンです。そして、こちらがホット・バタード・ラム・カウです」
カクテルがそれぞれの前に置かれていく。
「わぁ、綺麗な色ですね」
俺の前に置かれたカクテルを見て彼が感嘆の声を漏らす。カクテルグラスの中には淡い藤色。グラスの縁に塩があしらわれていた。
「シルバームーンは、バイオレットリキュールとホワイトラムをベースに、グレープフルーツでスッキリと飲みやすい仕上がりになっています」
「ありがとうございます」
「こちらは少し甘めになるように角砂糖を多めに入れました。お気に召して頂けると嬉しいです」
「ありがとうございます。楽しみです」
マスターはニコリと微笑むと、カウンターの奥へ行ってしまった。

「改めて、お疲れ様」
グラスを合わせてカクテルを口にする。マスターの言った通り、スミレの華やかな香りと柑橘の爽やかな香りが鼻を抜けていく。
「美味しい」
「僕のも美味しいよ。すごくあったまる……」
耐熱グラスを両手で大事そうに持っている姿が可愛いらしいと思いながら彼の言葉に頷いた。それから、カクテルを口にしながら、仕事の話や今度二人で行きたい場所やなど他愛のない話をしていた……。


「ありがとうございました。またお二人でいらして下さい」
「ありがとうございます。また来ますね」
今夜は一杯だけにして、会計を済ませて店を出る。螺旋階段を上っている途中で、彼が俺のコートの袖をくいっと引っ張った。
「どうしたの?」
「あの……家に行ってから言おうと思ってたんだけど……」
「うん?」
薄暗いけれど、酔いが回っているのかいつもより彼の頬が赤くなっているのがわかる。たったそれだけのことですら可愛いと思っているのだから、俺も酔っているのだろう。
「僕……家を出ようと思うんだ。だからっ……!」
誰からも見えない狭い空間。
彼の言葉の続きは、唇を重ねて飲み込んだ。
「っ……もう……誰か来たらどうするの……」
「ふふふ。一瞬だったし、ここなら見えないから大丈夫だよ」
「そういう問題じゃなくて」
恥ずかしそうにマフラーに顔を埋める彼の手を取って地上へ出る。
冬の冷え切った空気が火照った肌を撫でていった。
「ねぇ、さっきの……勝手に解釈して受け取っていい?」
彼が、俯きながらそう言った。
「いいよ。きっと答え合わせしなくても合ってるはずだから」
俺がそう言うと、珍しく彼が手を握ってきた。
「……大好き」
「俺も」
珍しく気持ちを口に出来たのは、酔ったせいなのか、彼の言葉が嬉しかったせいなのか……。
外の冷たい空気が気にならないくらい、繋いだ手から伝わる彼の体温に幸せを感じていた。

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