Richromatic

今日は一段と彼の機嫌が悪い。
家に来るなり抱きついては来たけれど、どうしたのか聞いても全然口をきいてくれない。
彼はソファの上で膝を抱えて座っている。
こんな風に彼が不機嫌で黙っている時は、大抵、父親と喧嘩してきた後。
昔から折り合いが悪いのは知っていたけれど、今回は相当派手にやってきたんだろうな。

「隣に座っていいかな?」
彼の分の紅茶と、自分の分のコーヒーを淹れてきて、ローテーブルに置いてからそう訊くと、彼は黙って頷いた。
こういう時は、無理矢理聞き出さないことにしている。もどかしいとは思っているけれど、彼も頭の中で整理しないと誰かに話せないのだろうと思って詮索はしないでいる。
彼の隣に座ると、部屋に沈黙が訪れた。
彼が何かを話したそうにしているのは感じ取るけれど、ここで色々聞くのはきっと違う。
俺はそのまま彼の様子を伺っていたのだが、そのうち彼の瞳からぽろぽろと涙が溢れてきた。
「えっ、ど、どうしたの?」
突然のことに動揺して、思わずそう聞いてしまった。
「う……ごめん……」
懸命に指で涙を拭う彼だったが、全然追いつかないくらい次から次へと涙が溢れてくる。
そのうち、自分の腕に顔を伏せてしまった。
彼が話したくなるまで待とうと思って、それ以上声を掛けるのは控えたけれど、何もせずにはいられなくて、彼の肩をそっと抱き寄せた。
暫くすると……

「……家族に言ったんだ」
くぐもった声で彼がそう言った。
「何を?」
「……僕たちのこと。二番目の兄さんが、婚約したんだ……。それで、そんなような話が出て……。見合いなんかしないって……。多分、史上最高に喧嘩してきた」
「そんなに?」
抱き寄せていた肩をぎゅっと強く抱きしめる。
「だって……。僕のことを悪く言うのは全然構わないけれど、よく知りもしないくせに君のことを悪く言ってきて、僕、我慢できなかったから……」
「……それで、喧嘩して飛び出してきたの?」
「うん……。悔しくて……。大切な人なのに……これっぽっちも分かってくれない。分かろうともしてくれない。だから……もう、絶縁していいと思ってる……」
それだけ強いことを言っているのに、彼の目からは涙が止めどなく出ていた。
膝を抱える彼に、おいで と声を掛けると胸の中に飛び込んできたので、そのまま抱き締めた。
「……そうやって、俺のこと守ってくれたんだね。ありがとう」
「でも……何も解決しなかった……。全然、話にならなくて。どうして、分かってくれないんだろう……こんなに大切だって言ってるのに……」
「泣かないで。君のせいじゃないから……」
それから、彼はぐすぐすと泣きじゃくるだけで、また黙ってしまったので、俺は腕の中の彼の頭を早く落ち着くようにと、ずっと撫でていた。

「多分ね……これから先も似たようなこと、たくさんあると思う。同じように、悔しくて泣きたい時もあると思うんだ……」
自分でも、うまく言葉を紡げなくて辿々しく彼に話す。
「前にも言ったけれど、君が幸せでいることが、俺にとっても一番の幸せだから……。
例え、誰も認めてくれなくても……俺の、君への気持ちは揺らがないから……」
そう言うと、彼が顔を上げた。
「もしかしたら……家族が君を傷つけるかもしれないよ?」
「そんなの気にしないよ。君を守るためなら、どれだけ傷ついたっていい。君が守ってくれたように、俺も、君を傷つけるものから守るから……」
そう言うと、せっかく泣き止んでいたのに彼の瞳からまた涙が溢れてきた。
「だからもう泣かないで。泣いてるのも可愛いけど、笑って欲しいな」
そう言って彼の頬を撫でて、そのまま唇を重ねた。ゆっくり顔を離すと、彼が少し恥ずかしそうに微笑んでいた。
「……僕、笑えてる?」
「うん。まだ泣いてるから、泣き笑い」
「ふふっ。だめだね。今、笑うの、難しい……」
彼はそう言って、また俺の胸に顔を埋めてしまった。きっと、暫くはこのままだろう。
「……今、たくさん泣いておいて、笑うのは、これから二人で作っていけばいいよ。この先、まだ長いからね」

彼の頭を撫でながらそう言うと『そうだね』と、くぐもった声で返ってきた。
きっと、この先も、悲しいことや辛いことがたくさんある。けれど、それを超えるくらい君と楽しくて幸せな時間を作っていこう……と、密かに誓って、腕の中にいる大切な人を強く抱き締めた。
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