カミサマノ イナイ セカイ 〜Eine Welt ohne Gott〜

嵐は夜の間に過ぎ去り、朝日が森を照らしている。葉に残った雫がキラキラと輝き、嵐が去ったことを喜ぶように鳥や小さな動物たちが動き出していた。
これらは森の日常の風景であったが、一つだけ不自然なことがあった。
白いラッパ状の花が咲く木の下に、女が一人横たわっている。
透き通るような銀髪は腰の辺りまであり、肌も人間のそれにしては白すぎるくらいだった。
すらりとした身体は、嵐の後にも関わらず傷一つなく衣服も一切身に纏っていなかった。

女は、日の光に気づいたのかゆっくりと目を開けた。彼女の目の前には、白いラッパ状の花を咲かせる木。彼女は既視感を覚えながらも、自分の目の前に手をかざし、手を開いたり閉じたりしている。
何故? 何故こんな姿に? 彼女はそう思いながら
ゆっくりと身体を起こして、自分の身体を確認するように見回した。
……人間みたいな形だ。
彼女は、そう思いながら、自分の腕や脚を手で触っていた。
そうしていると、小さな鳥が彼女の側に降り立った。
彼女は、その鳥を愛でるようにそっと背中を数回撫でる。すると、その鳥が突然苦しそうに身体を震わせてパタリと倒れてしまった。
突然のことに戸惑った彼女は、動かなくなった鳥を何度か指でつついたりしていたが、その鳥が動かないことがわかると、悲しそうな表情を浮かべた。
そして、何か思い立ったようにすぐ側にあった草にも触れてみると、その草も触った部分からジワジワと枯れていってしまった。
「なんで……?」
彼女はそう呟いた。

……私が触ると生き物が死んでしまう。
何もかもが分からない中、彼女が唯一理解したことだった。

「お前、こんなところで何してるんだ?」
そう言った低い声が聞こえて、女は顔を上げた。
彼女から少し離れた場所に、顎髭をたくわえた体躯の良い男が立っていた。男は革のマントを纏い、革の鞄と狩猟銃を肩から下げていた。
その格好から猟師であることは確かだった。
「わからない」
女は、男の言葉にそう答えた。
すると、男は小さく笑う。その顔を見て、彼女はこの男に見覚えがあることに気づく。
そうだ、この男。よくこの近くで動物達と話していた。そう思って、頭上の白い花を見つめる。

……そうだ。私、この花だった。

彼女はそう気づいたが、何故人の姿になったのかは全く分からなかった。
その花を見つめていても答えは降ってくるわけでもなく、彼女は視線を男に戻した。
「そうか。森の中でそんな格好でいるとクマの餌になるぞ」
猟師の男はそう言って纏っていた革のマントを女の身体に掛けた。
「……『クマ』の『エサ』ってなんだ?」
女は、男にそう訊いたが、男は苦笑いするだけであった。
「何も無いが、ここに居るよりはマシだろう。ウチに来るか?」
そう言って、男は女に手を差し伸べるが、女はその手を取ることはなかった。
「私が触ると死んでしまう……」
「は? 何を言っているんだ? そんなことないだろう」
男は、女の言葉に笑ってそう言ったが、女は少し躊躇いながら近くに生えていた花を握った。
すると、彼女が握った辺りからじわじわと花が枯れていき、その様子に男は唖然としていた。
「だから、私のことは放っておけ」
女はそう吐き捨てるように言うと男から顔を逸らした。
昨夜の嵐でこの木から落ちたのだろう。そのまま枯れていくはずだったのに、こんな姿になって、触れたものは死んでしまう。これからどうすればいいのか……。
「なぁ、これ使ってみろよ」
その言葉と共に、男は女に向かって何かを投げ渡した。
女は、投げられたものを恐る恐る手に取った。
すると、生き物ではないものならば、触っても何も変化はないことに気付く。
「手袋っていう。それを、自分の手の形に合わせて付ける」
男がそう説明すると、女は言われたように手袋を手に嵌めてみる。
「よし、そしたらまたその辺の草触ってみろ」
何をさせるのだろう……。
女は、男の指示を不思議に思いながらも手袋を付けた手で側に咲いていた花の茎を握った。
「!」
女は暫く花を握っていたが、先程の花と違って枯れていく様子はなく、それを見ていた男は笑った。
「おぉ、お前の手に直接触らなければ死なないみたいだな!今日はとりあえずそれ付けてろ」
男はそう言って、女の手を取り、彼女を立ち上がらせた。


***


 男は、女を連れて自分の山小屋へと戻った。
決して大きくはないが、木造の家の中は、木材独特の香りがする。連れてこられた銀髪の女は、家の中をキョロキョロと見回しながら、木の匂いに心地良さを感じていた。
男は、奥の部屋に女を連れて行くと、壁際に置かれた棚をごそごそと漁り、彼女に服を手渡した。
「とりあえず、これを着てろ。それじゃあ、何かと困る」
女が手渡されたものをジッと見つめて戸惑っていると、男が そうか、と小さく呟いた。

「あぁ、悪かった。これは服だ。俺が着ているようなものだ」
 男は、この銀髪の女が『普通の人間ではない』ことに気づいて、苦笑いしながらも渡した服の着方を彼女に説明をした。
「……分かった」
「それじゃあ、着替え終わったらこっちの部屋に来てくれ」
女が返事をすれば、男はそう言って部屋を出て行った。
部屋に残された女は、戸惑いながらも手渡された服を着ていく。
何かを身に纏うのは心地良いものではないが、この姿だと、こうしないといけないのだろう。
なんだか動きにくいな……。
そう思いながら、服を着終わったので、女は部屋を出て男の元へ戻った。


「……これで、良い?」
女がそう聞くと、男は頷いた。その後、そこのイスに座れと、彼女に促したので、彼女は素直にイスに座った。
「さてと。俺は、ハンス。お前の名前は?」
「……名前って、なんだ?」
「お前のことを呼ぶ時に困る。名前はないのか?」

女は、彼の言葉に少し考えてみるがそのようなものがあった記憶がない。仕方なく、ありのままを伝える。
「……名前は必要なかった……多分……私は、あの白い花だったから」
「あぁ、なるほど。お前、あの花なんだな」
『白い花』と女が言うと、ハンスもどの花なのか分かった様子だった。彼は暫く考えた後、口を開く。
「じゃあ、お前のこと、ダチュラと呼ぶ。あの花の名前だ」
「ダチュラ……」
「この辺りの言葉だと、なんか別の呼び方らしいが、俺が生まれたところの言葉だとダチュラという。今からお前の名前はダチュラだ」
「ダチュラ……」
「そうだ」
ハンスは嬉しそうに笑う。ダチュラはその笑顔を不思議に思ったが、ふと思い出した。
花だった時、彼に寄ってきた森の動物に、彼が食べ物を与えている時と同じ顔をしていた。穏やかな優しい顔だと思っていた。
「ダチュラ……って、人間にとってどんな花?」
「お前も見たとおりだと俺は思うが?」
「それじゃあ、分からない」
「美しい花だろ? 別名で、エンジェルトランペットとも呼ばれる。でも、強力な毒を持っている。お前から花の甘い香りがするのも、きっとそうなのだろうな」
「そう……」
「お前が触ると生き物を殺してしまうのは、そのせいかもな。でも、手で直接触らなければ死なないみたいだから、手袋して過ごせばいい」
「私……ここにいていいの?」
「あんなところに転がってたくらいだから、お前も行く宛など無いのだろう? ただでさえ、外は物騒だ。フラフラ出歩く方が危険だからな。
お前さえ良ければ、俺以外出入りのない家だ。好きに過ごせ」
「……」
ハンスの言葉に、ダチュラは抱いていた不安のようなものが消えていくのを感じた。
何かを彼に伝えたいと思ったが、うまく言葉が出てこなくて、戸惑っていた。
「……こういう時、なんと言えばいいか分からない。花も喋ることは喋るが……言葉がわからない」
「へぇ!花も喋るのか。俺もそんな気はしていたがな」
ははは、と豪快に笑うハンスにつられてダチュラも少し笑う。
「ダチュラ。誰かに何かしてもらって、自分が嬉しいとか、助かったとか、楽しいとか、良い気分になった時は、相手に『ありがとう』と言う。人間のフリして生きていくなら覚えておいて損はないぞ」
「わかった。……ありがとう」

よくできた!と、ハンスは笑いながらダチュラの頭をわしわしと撫でた。ダチュラは少し困ったような顔をしていたが、不快ではない様子だった。



--この日、ダチュラの花の化身が生まれた。
それが何を意味するのか
何が起こるのか
まだ 誰も知らない……。

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