夢と現と妄想と〜Rêve et réalité et illusion et〜
ほんの少しの間に季節が変わって、だんだんと外の空気が冷たくなってきていた。
「っくしゅん!」
さすがにもう暖房入れないとダメかな……。そんな時間になるまでやっていたのか。
窓の外を見遣ると、日がだいぶ傾いている。
今日、明日とお店は連休にして、私は家中の大掃除をしていた。
由貴人が、ちゃんと記念日も、誕生日祝いで出かけることも覚えていたのなら、もしかしたら、サヨナラは思いとどまったかもしれない。
でも、不思議と別れたことに後悔をしていないから、きっとあのことが無くても、どこかでサヨナラは決断したのだろう。
バサバサと思い出の品やら、処分の許可を貰ったユキトの私物をゴミ袋に入れていった。
「はぁ、お腹もすいたし。捨てて終わりにしよ!」
そう、独り言を言って、ゴミ袋の口を縛って、玄関に置いた。
そこから部屋に戻って、軽く化粧をして、薄手のコートを羽織り、ストールを巻く。
最低限の物を入れた小さいバッグを肩から下げて、さっきまとめたゴミ袋を持って家を出た。
「うりゃっ!」
集合住宅のゴミ置場に積年の思い出を放り投げて、そのまま買い物に出かけた。
妙に気分が爽やかになったせいか、足取りが軽かった。
夕飯の買い出しのつもりだったが、このまま少し出かけてしまおうか。そう思えるくらいには、気持ちに整理がついたみたいだ。片付けるって、心も片付けるんだな。
明日も休みだし、美味しい日本酒でも買って帰ろう。
そう思って、駅前まで散歩することにした。
***
「もう。来るなら早めに連絡くれれば良かったのに……」
「ごめんねぇ。ついつい寝過ごしちゃって……」
そう言いつつも、悪びれている様子がないレイさん。ダイニングテーブルに料理を並べて、冷蔵庫からビールを二本出す。彼は、テーブルについていて、その様子を子供みたいにニコニコしながら見ていた。
「そう言えば、明け方くらいまでツイートしてましたよね?」
「そうだねぇ。ちょっと作業もしてたしね」
今朝、SNSで彼のツイートを見て、今日は来ないだろうな、なんて思っていた。だから、のんびりと買い物をしていたのだが、その帰り道で彼から連絡が来たのだった。
《うちで、ご飯作ろうと思って買い物してきちゃいました》と、返信したら、《カノンちゃんの料理食べたい》なんて言い出したものだから、慌てて帰って、二人分の料理を作ったのだ。
「はーい、お待たせしました。もともと独りで食べるつもりだったから、味の保証はしませんよ?」
やっと、テーブルについてビールを開ける。お疲れ様 と、缶のまま乾杯して、少し遅めの夕食となった。
***
日本酒も開けて、ほろ酔いになってきた。
ふと、時計を見ると、もういい時間だ……。そろそろ、言わなきゃな……。
「ねぇ、カノンちゃん。さっきから気になってたんだけど、何か良いことあったの?」
彼がニコニコしながら訊いてきた。彼も酔ってるのかしら?なんだか機嫌が良さそう。
「なんでそんなこと、訊くんですか?」
「なんかスッキリした顔してるから」
彼の言葉に少し驚いてしまった。そんなこと分かっちゃうのか……すごいなぁ。いや、私が分かりやすいのか。
「あー……。一般的には良いことじゃないんですけど……。彼氏と別れました。もうこの人は私に関心が無いんだなって思ったら、嫌になっちゃって」
吐き捨てるようにそう言ったら、彼は少し驚いたような顔をしたけれど、すぐに穏やかな顔をした。
「そっか……」
「だから、今日、明日は予約もなかったし、お店閉めて、全部捨ててやったの!」
酔ってきたせいか、つい声が大きくなる。私の様子に、ケラケラと笑い出す彼。
「あはは……ご機嫌だね。そんな風になってるの、初めて見た」
「だって、色々後ろめたいって言ったじゃないですか。とりあえず、一個はなくなったもん」
そう言いながら、溜息を吐く。自由になったのは私だけ……。
「後ろめたいことの一個?」
「そうです」
『それ以上は言わないで欲しい』というのが顔に出ていたのか、彼は、それ以上は何も言わなかった。
手元に目線を落とす。さぁ、覚悟を決めろ。
そう自分に言い聞かせて、握っていたお猪口に残っていたお酒を一気に飲む。
「そういう飲み方、良くないよぉ」
と、言いながら、彼が私のお猪口にお酒を注ぐ。まったく。止めたいのか、飲ませたいのか分からない事をするのだから、タチの悪い大人だ。
「いいじゃないですか……酔っ払ったって、すぐそこで寝れますし……」
いくら、私が自由になったとしても、両手放しで喜べないのは変わりない。
略奪愛なんてドラマの中だけでお腹いっぱいだし、実際にやったら裁判沙汰よ。
だから、こっちの関係も終わらせないといけない。
分かっているけれど、心が悲鳴を上げてる。それくらい、自分から切り出すのは辛い。
けれども、
このままじゃ、
絶対にダメだ。
「あの……レイさん……」
「ん?」
「やっぱりダメですよ」
「何が?」
突然、脈絡なく話し始めたせいで、レイさんが、きょとんとした顔をする。
「私は自由になりましたけど、やっぱり略奪愛とかできないし、裁判沙汰とか困りますし……きっと、このままだと、絶対にご迷惑をお掛けすると思うんです!」
下を向いたまま、一気にまくし立ててるので、彼の表情は窺えなかった。
「私にとってのロックスターが目の前にいて、一緒の家にいるということ自体、ホント夢みたいですし、今までとても素敵な時間を過ごせたから、いつ死んでも後悔しないと思うので、私達のこの関係も終わらせないといけないと思います‼︎」
……言った。言ってやったぞ私。よくやったぞ私。
さぁ、これで明日は一日中泣いても大丈夫だ。
清水の舞台どころか、ナイアガラの滝から飛び降りたくらいの覚悟でそう言ったが、暫くの沈黙に心が折れてしまいそうだった。自分の心臓の音がやたらと耳に響いてうるさい。
でも、声が出ない。
「ぷっ……くくく……」
え?
「あはは……急に黙ったなぁと思ったら、そんなこと考えてたの?」
「なっ……わっ、笑うなんて酷い!」
私のナイアガラの滝からの投身自殺をどうしてくれる⁉︎
「ふふふ……ごめんね、そんなに涙目になるまで考えてくれてたのに……。俺、ホントに悪い奴だ」
そう言って、笑うレイさん。
今、何が起こっているのか、ちょっと飲み込めない。なんで、レイさん笑ってるの?
「レイさん……?」
「ごめんね。カノンちゃんに彼氏いたからさ、黙ってたんだけど……。あのね……俺の……。もう随分前に居ないんだ」
「え?」
あれ? なんか急に言語理解ができなくなったよ?
今、日本語でしたか?
「あの……えっと……ごめんなさい。ちょっと理解が追いつきません」
「俺、もう随分前に、バツついてる♡」
はい?
「だから、何も後ろめたいことなんて無いよ」
…………。
「えぇぇぇぇぇ⁉︎」
おそらく、近所迷惑レベルの声で叫んでしまった。
「えっ、あのあの……そんな悪い冗談、ダメですよ!マジで裁判沙汰……。だって、私、高校生の時に結婚したって聞いて、一週間くらいまともに部活できませんでしたよ!それくらいショックだったのに!」
「ほんとほんと!もうとっくにバツついてるから!ニュースに一瞬なったけど、ホントに一瞬だったからね」
私の気持ちなどよそに、飄々としているレイさん。
にわかには信じられず、頭の中で色んなことがグルグルしている。
嘘だ嘘だ。ふらふら遊び歩いてるのは知ってるけど、それは家を守っているパートナーがいるからであって……。
というか、あれよ!あれ!イヌ!
「えっ、あっ、じゃあ、今飼ってるイヌ!あの子、ツアー中とかどうしてるんですか⁉︎海外とか行ってる時!」
「え?母親とか、トキの家に預かってもらってるよ」
あぁ、神様。
夢にしてもすごい展開です。これどうしたらいいですか?
事態が飲み込めないです。やっぱり夢ですよね。
「私……まだ夢見てていいんですか?いや、夢ですよねこれ……」
「ふふっ……信じられないなら、まだ夢見てていいよ。その代わり……」
彼が、椅子から立ち上がって、私を後ろから抱きしめる。
「明日、朝起きた時に、俺が隣にいたら、もう夢じゃないって思ってね」
酔ってるせいなのか、彼の言葉のせいなのか分からないくらい、身体中が熱くなって仕方なかった。
あぁ、神様。私はまだ夢を見ていて良いのでしょうか……?
ハッピーエンドを望んでもいいのでしょうか……?
「あの……レイさん……」
「ん?」
「明日、朝起きたらって……」
「え?お酒呑んじゃったから泊まらせて♡ハナから泊まる気だったけど♡」
あぁ、私は、今夜、正気を保てるのだろうか……?
いっそのこと、夢でいいと思った。
夢でも、現実でも、今夜は目を閉じて眠れる気がしなかった……。
「っくしゅん!」
さすがにもう暖房入れないとダメかな……。そんな時間になるまでやっていたのか。
窓の外を見遣ると、日がだいぶ傾いている。
今日、明日とお店は連休にして、私は家中の大掃除をしていた。
由貴人が、ちゃんと記念日も、誕生日祝いで出かけることも覚えていたのなら、もしかしたら、サヨナラは思いとどまったかもしれない。
でも、不思議と別れたことに後悔をしていないから、きっとあのことが無くても、どこかでサヨナラは決断したのだろう。
バサバサと思い出の品やら、処分の許可を貰ったユキトの私物をゴミ袋に入れていった。
「はぁ、お腹もすいたし。捨てて終わりにしよ!」
そう、独り言を言って、ゴミ袋の口を縛って、玄関に置いた。
そこから部屋に戻って、軽く化粧をして、薄手のコートを羽織り、ストールを巻く。
最低限の物を入れた小さいバッグを肩から下げて、さっきまとめたゴミ袋を持って家を出た。
「うりゃっ!」
集合住宅のゴミ置場に積年の思い出を放り投げて、そのまま買い物に出かけた。
妙に気分が爽やかになったせいか、足取りが軽かった。
夕飯の買い出しのつもりだったが、このまま少し出かけてしまおうか。そう思えるくらいには、気持ちに整理がついたみたいだ。片付けるって、心も片付けるんだな。
明日も休みだし、美味しい日本酒でも買って帰ろう。
そう思って、駅前まで散歩することにした。
***
「もう。来るなら早めに連絡くれれば良かったのに……」
「ごめんねぇ。ついつい寝過ごしちゃって……」
そう言いつつも、悪びれている様子がないレイさん。ダイニングテーブルに料理を並べて、冷蔵庫からビールを二本出す。彼は、テーブルについていて、その様子を子供みたいにニコニコしながら見ていた。
「そう言えば、明け方くらいまでツイートしてましたよね?」
「そうだねぇ。ちょっと作業もしてたしね」
今朝、SNSで彼のツイートを見て、今日は来ないだろうな、なんて思っていた。だから、のんびりと買い物をしていたのだが、その帰り道で彼から連絡が来たのだった。
《うちで、ご飯作ろうと思って買い物してきちゃいました》と、返信したら、《カノンちゃんの料理食べたい》なんて言い出したものだから、慌てて帰って、二人分の料理を作ったのだ。
「はーい、お待たせしました。もともと独りで食べるつもりだったから、味の保証はしませんよ?」
やっと、テーブルについてビールを開ける。お疲れ様 と、缶のまま乾杯して、少し遅めの夕食となった。
***
日本酒も開けて、ほろ酔いになってきた。
ふと、時計を見ると、もういい時間だ……。そろそろ、言わなきゃな……。
「ねぇ、カノンちゃん。さっきから気になってたんだけど、何か良いことあったの?」
彼がニコニコしながら訊いてきた。彼も酔ってるのかしら?なんだか機嫌が良さそう。
「なんでそんなこと、訊くんですか?」
「なんかスッキリした顔してるから」
彼の言葉に少し驚いてしまった。そんなこと分かっちゃうのか……すごいなぁ。いや、私が分かりやすいのか。
「あー……。一般的には良いことじゃないんですけど……。彼氏と別れました。もうこの人は私に関心が無いんだなって思ったら、嫌になっちゃって」
吐き捨てるようにそう言ったら、彼は少し驚いたような顔をしたけれど、すぐに穏やかな顔をした。
「そっか……」
「だから、今日、明日は予約もなかったし、お店閉めて、全部捨ててやったの!」
酔ってきたせいか、つい声が大きくなる。私の様子に、ケラケラと笑い出す彼。
「あはは……ご機嫌だね。そんな風になってるの、初めて見た」
「だって、色々後ろめたいって言ったじゃないですか。とりあえず、一個はなくなったもん」
そう言いながら、溜息を吐く。自由になったのは私だけ……。
「後ろめたいことの一個?」
「そうです」
『それ以上は言わないで欲しい』というのが顔に出ていたのか、彼は、それ以上は何も言わなかった。
手元に目線を落とす。さぁ、覚悟を決めろ。
そう自分に言い聞かせて、握っていたお猪口に残っていたお酒を一気に飲む。
「そういう飲み方、良くないよぉ」
と、言いながら、彼が私のお猪口にお酒を注ぐ。まったく。止めたいのか、飲ませたいのか分からない事をするのだから、タチの悪い大人だ。
「いいじゃないですか……酔っ払ったって、すぐそこで寝れますし……」
いくら、私が自由になったとしても、両手放しで喜べないのは変わりない。
略奪愛なんてドラマの中だけでお腹いっぱいだし、実際にやったら裁判沙汰よ。
だから、こっちの関係も終わらせないといけない。
分かっているけれど、心が悲鳴を上げてる。それくらい、自分から切り出すのは辛い。
けれども、
このままじゃ、
絶対にダメだ。
「あの……レイさん……」
「ん?」
「やっぱりダメですよ」
「何が?」
突然、脈絡なく話し始めたせいで、レイさんが、きょとんとした顔をする。
「私は自由になりましたけど、やっぱり略奪愛とかできないし、裁判沙汰とか困りますし……きっと、このままだと、絶対にご迷惑をお掛けすると思うんです!」
下を向いたまま、一気にまくし立ててるので、彼の表情は窺えなかった。
「私にとってのロックスターが目の前にいて、一緒の家にいるということ自体、ホント夢みたいですし、今までとても素敵な時間を過ごせたから、いつ死んでも後悔しないと思うので、私達のこの関係も終わらせないといけないと思います‼︎」
……言った。言ってやったぞ私。よくやったぞ私。
さぁ、これで明日は一日中泣いても大丈夫だ。
清水の舞台どころか、ナイアガラの滝から飛び降りたくらいの覚悟でそう言ったが、暫くの沈黙に心が折れてしまいそうだった。自分の心臓の音がやたらと耳に響いてうるさい。
でも、声が出ない。
「ぷっ……くくく……」
え?
「あはは……急に黙ったなぁと思ったら、そんなこと考えてたの?」
「なっ……わっ、笑うなんて酷い!」
私のナイアガラの滝からの投身自殺をどうしてくれる⁉︎
「ふふふ……ごめんね、そんなに涙目になるまで考えてくれてたのに……。俺、ホントに悪い奴だ」
そう言って、笑うレイさん。
今、何が起こっているのか、ちょっと飲み込めない。なんで、レイさん笑ってるの?
「レイさん……?」
「ごめんね。カノンちゃんに彼氏いたからさ、黙ってたんだけど……。あのね……俺の……。もう随分前に居ないんだ」
「え?」
あれ? なんか急に言語理解ができなくなったよ?
今、日本語でしたか?
「あの……えっと……ごめんなさい。ちょっと理解が追いつきません」
「俺、もう随分前に、バツついてる♡」
はい?
「だから、何も後ろめたいことなんて無いよ」
…………。
「えぇぇぇぇぇ⁉︎」
おそらく、近所迷惑レベルの声で叫んでしまった。
「えっ、あのあの……そんな悪い冗談、ダメですよ!マジで裁判沙汰……。だって、私、高校生の時に結婚したって聞いて、一週間くらいまともに部活できませんでしたよ!それくらいショックだったのに!」
「ほんとほんと!もうとっくにバツついてるから!ニュースに一瞬なったけど、ホントに一瞬だったからね」
私の気持ちなどよそに、飄々としているレイさん。
にわかには信じられず、頭の中で色んなことがグルグルしている。
嘘だ嘘だ。ふらふら遊び歩いてるのは知ってるけど、それは家を守っているパートナーがいるからであって……。
というか、あれよ!あれ!イヌ!
「えっ、あっ、じゃあ、今飼ってるイヌ!あの子、ツアー中とかどうしてるんですか⁉︎海外とか行ってる時!」
「え?母親とか、トキの家に預かってもらってるよ」
あぁ、神様。
夢にしてもすごい展開です。これどうしたらいいですか?
事態が飲み込めないです。やっぱり夢ですよね。
「私……まだ夢見てていいんですか?いや、夢ですよねこれ……」
「ふふっ……信じられないなら、まだ夢見てていいよ。その代わり……」
彼が、椅子から立ち上がって、私を後ろから抱きしめる。
「明日、朝起きた時に、俺が隣にいたら、もう夢じゃないって思ってね」
酔ってるせいなのか、彼の言葉のせいなのか分からないくらい、身体中が熱くなって仕方なかった。
あぁ、神様。私はまだ夢を見ていて良いのでしょうか……?
ハッピーエンドを望んでもいいのでしょうか……?
「あの……レイさん……」
「ん?」
「明日、朝起きたらって……」
「え?お酒呑んじゃったから泊まらせて♡ハナから泊まる気だったけど♡」
あぁ、私は、今夜、正気を保てるのだろうか……?
いっそのこと、夢でいいと思った。
夢でも、現実でも、今夜は目を閉じて眠れる気がしなかった……。