夢と現と妄想と〜Rêve et réalité et illusion et〜
《明日は仕事?》
彼から久しぶりの連絡。
その彼と、さっきまで一緒にいた彼は別の人。背徳感しかない深夜だ。
《明日は家で仕事します》
そう、可愛くない返信をする。
でも、『会ってもいい』とも『会いたくない』とも、とれるような曖昧な返し方をしているな、とは自分でも思っている。
そもそも、背徳感を感じているのは私だけなのだろうか? 彼にだって、パートナーがいるはずなのに。どうして、こんな簡単に連絡をしてくるのだろう。別に、私は彼の仕事関係の人間ではないのに……。
《じゃあ、仕事終わったら構って》
何、その言い方。猫か。彼のメッセージに苦笑いしつつも返信する。
《午前中から仕事を始めるつもりなので、好きなタイミングで来てください》
また、可愛げのない返信をした。今日はもう、シャワーをして寝よう……。
いくらお店は閉めているとは言え、仕事はやらなきゃいけないし。早く寝よう。
彼からの返事は待たずに、私はバスルームへ向かった。
***
翌朝。
いつもより少し遅めに起きて、軽く朝食を済ませて、パソコンで作業を始める。
BGMには、最近出たばかりのLuarのアルバムを選んだ。
しっかり集中してしまえば、大した量ではないので、アルバムが一周する頃には仕事を終える
ことができた。
さてと、次は来月の予約状況を見ておいて……商材のオーダーと棚卸も明日しなきゃな……。
なんて考えていたら、彼からメッセージがきた。
《下に着いたよ》
これは、いつものやりとり。やはり、この集合住宅の階段は覚えづらいみたいで、いつも下まで迎えに行く。
もう昼は過ぎているけれど、思ったよりも早い彼の到着に、化粧は最低限だ……失敗したな。
と、思いながら、サンダルを引っ掛けて外に出た。
***
「あ、アルバム聴いてくれてるんだ」
彼が家の中に入ると、掛けっぱなしにしていた曲に気づいてそう言った。
「毎日聴いてますよ。朝の支度の時とか」
そう言いながら、曲を止める。少し嬉しそうにしている彼が、なんだか可愛いかった。
「仕事はもう終わったの?」
彼は、慣れたようにリビングのソファに掛けながらそう言った。
「とりあえず、今日中にやらないといけないことは終わりましたよ。後は、明日お店でやれば間に合うので」
「へぇ。それならもう構ってくれる?」
彼の言葉に思わず笑ってしまった。遊んで欲しい子供みたい。パソコンのウインドウを閉じて、彼の座るソファへと移動して、彼の隣に座った。
「構ってって。私に何をしてほしいんですか?」
「んー……色々」
「色々ってなんですか」
「ねぇ……」
唐突に右手を取られる。
「仕事……お店って、お客さんに男、来る?」
彼がそう言った。不思議な質問をするなぁと思いつつ、素直に答える。
「基本的に女の人だけです。男の人は、私の昔からの友達とか、昔の職場の人とか、顔見知りの人しか受け付けてないですよ。一人で営業してるからトラブル防止に……」
「そっか……」
彼はそう呟くように言うと、私の右の掌にキスを落とした。
「!」
「この手が、ひとを癒してる……」
そのまま、手を引かれ、私の手が彼の頰を触るような形になった。
「少し妬けるな……他の
「なっ、仕事だし!顔見知りの人たちだし……妬けることないです。それに……その……」
今だって、トリートメント以上に触ってるじゃないか!とは、自分の口からは言えなかった。
「ずるいな。俺にもやってよ……」
さっきから、私の心臓に悪いことばかりするから、どうしたのかと思ったら、トリートメントをやって欲しかったのか……。そう言えばいいのに。
「お店には案内できないので、此処でいいならやりますよ」
「え?できるの?」
「ちょっと狭いんですけどね。少し待っててくれますか?」
そう言って、ソファから立ち上がって寝室に向かう。クローゼットを開けて、練習用の折りたたみマッサージベッドを引っ張り出して、リビングに運んだ。カバーを外し、ベッドを広げる。
「へぇ、そんなのもあるんだ」
「練習用で持ってるんです。お店を持つ前はよく使っていましたよ」
私がセッティングしている様子を楽しそうに見ている彼。ベッドの脚を立てて、それを起こす時は手伝ってくれた。
その後、寝室のクローゼットと、リビングを行ったり来たりしながら、必要なものを揃えた。
お店に置いてあるのよりは種類は少ないけれど、精油のボックスを開けて、彼の好みを聞きながら香りを選んで、トリートメントオイルを作った。
「お待たせしました。それじゃあ、始めましょうか」
***
「昨日は、仕事してたの?」
トリートメントを始めて暫くして、彼がそう言った。
眩しくないようにタオルで目隠しをして、仰向けでベッドに寝てもらっている。
私は、あまり彼のことは詮索しないようにしているけれど、彼はあまり気にしていないみたい。
「えぇ。午前中からお店開けてましたよ。予約もたくさんあったから忙しかったですね。その後は食事に行きました」
「ふぅん……」
誰と? と、思っているのだろうか。私も敢えて口には出さなかったけれど。
「楽しかった?」
そう、彼に訊かれて、一瞬返答に困った。
楽しかった……のかな……?
「えぇ、まぁ。ご飯は美味しかったですよ……」
彼の腕に手を滑らせながら、昨日のことを思い返すが、楽しかったのかどうかあまり印象がない。
『彼氏の隣であなたの事を考えていました』なんて言ったら、この人は喜ぶのだろうか? それとも『酷い女だな』と、嗤うのだろうか?
「そっか……よかったね……」
それきり、彼は黙ってしまった。
そのうち、穏やかな呼吸が聞こえてきたので、眠ってしまったのだろう。
彼は、私に触れられる男友達に妬ける と、言っていたけれど、この状況は彼の何万人もいるファンに、私が殺されてもおかしくない状況だということを分かっているのだろうか……。
街中で刺されそうだから、やっぱりお店には来て欲しくないな……。
そうこうしているうちに、一通りのトリートメントが終わったので、彼の肩に触れながら声をかけて起こす。
「レイさん、終わりましたよ」
「ん……あぁ……寝ちゃった……」
「リラックスできたようで、何よりです」
彼の様子に、リラックスしてもらえて良かったと、少し嬉しくなる。
予め用意していたホットタオルで身体のオイルを拭いてあげてから、ゆっくりと身体を起こしてもらい、そのままベッドに腰掛けて貰った。
「クラクラしたりしないですか?」
「うん。大丈夫」
「よかったです。私、お茶を入れてくるので着替えたらソファの方に座っててくださいね」
彼の服を手渡しながらそう言って、私はキッチンに向かう。
ポットでお湯を沸かしている間に、用意した器具やタオルをまとめて、彼がソファに移動した後、ベッドを片付けた。片付けながら、彼の様子をチラッと見ると、ソファでまだ微睡んでいるようだった。
「気分はどうですか? 気分悪くなったりしていませんか?」
淹れてきたハーブティーを持って来て、彼の前にカップを置きながらそう訊いた。
「大丈夫。あー……すごい楽になった」
「それなら良かったです」
「ありがとう。またやって」
彼が、はにかむように笑って言うものだから、私は、首を縦にしか振れなかった。
「あ、今夜はお酒は控えてくださいね。トリートメントの後は、すごく酔いが回るので」
なんだか、仕事をしてる時の様な言い方になってしまったけれど、これは必ず伝えていることだから、しっかり言っておかないと。特に、彼のようにお酒が好きな人には。
「え、今夜は飲めないの?」
「オススメはしません。ものすごく酔っ払いますよ」
「なんだー。じゃあ一緒に飲めないね」
残念そうに彼がそう言った。さらりと、『一緒に』なんて言うのだから、ほんと悪い人だなぁ。
「あまり遅くまで、私と遊んでちゃダメですよ」
ちゃんと、帰るべきところに帰らないと……と思い、突き放すようにそう言ってソファに座った。それなのに、彼は、隣に座った私の肩に手を回して抱き寄せた。
「レイさん?」
抱き寄せた彼の意図が分からず、彼の名を呼んだ。
「ねぇ……俺といる時って、どう?」
少し彼の声は掠れて、いくらか甘さも含んでいた。どうして、そんな色っぽい声を出すのだろう……。戸惑うじゃないか。
「どうって? 楽しいとかそういうことですか?」
「そう」
「そうですねぇ……」
唐突な質問だなと思いつつ、ここ数ヶ月を考えていた。
不思議なきっかけで出会えて、それだけでも充分に奇跡だというのに、あなたは何故か、私を気に入ってくれて……。
「……嬉しいのと、背徳感が混ざってる感じ。会えるのは嬉しいです。でも、色々と、後ろめたい」
「後ろめたい?」
「……あなたのパートナーと、自分の彼氏に。こんなんでも一応、彼氏いるんです。あまり会ってないですけどね」
だからこそ、心の置き場所がないのだ。『好き』とか『嫌い』とかよく分からない。
でも、よく分からないということは、もはや、惰性で付き合っているだけなのかもしれない。
別れるきっかけもないから、ただダラダラと。
そんなことを考えていたら、突然、彼に抱き締められた。
「っ! 急にどうしたんですか?」
「なんか……悲しい顔してたから。俺といると、悲しい?」
そう言われて、顔を上げて彼を見る。
そんなことを言うあなたの方が、よっぽど悲しそうな顔をしている……。そう、思ったけれど口にはしなかった。
「悲しくないです。けど……自分の気持ちが分からなくて……。あなたと、このまま関係を持ってても良くないと思うんです。でも……今の彼氏に気持ちがあるかどうも……よく分からない……」
ここまで言って、何故か涙が溢れた……。
自分でもどうしたいのか分からない。
いっそのこと、お互いのパートナーを捨ててでも、自分たちが一緒になれたらいいのかもしれない。でも、そこまで酷いことをする勇気も、覚悟もない。全てが中途半端だということもわかっている。
「でも……っ……」
口にしかけた言葉を、一度飲み込んだ。
でも、飲み込んだら苦しかった。苦しくて、苦しくて……。
どうしても、心に留めておけなかった……。
「でも……あなたが好きなんです……こんな形で出会ってしまって……苦しい……」
泣きたくなんてなかったのに、涙が止まらなかった。
きっと口にしてはいけない言葉だった……。
でも、これで面倒な女だと、捨ててもらえたら楽になれると思った。
なのに。
「っ!」
唇が重なった。なんて、ずるいことをするんだろう……。
何度も繰り返されるキスに息ができなくなってくる。
やっと解放されたと思ったら、今度は首筋にキスが落とされる。
「待って……」
せめてもの抵抗で、彼の胸を押し返す。けれど、抵抗もむなしく、耳元で囁かれる。
「待たない……好きだって言われたら……待てない……」
狡い人……。
彼の私に触れる手が優しくて、唇から伝わる熱は熱くて……。
私が、これからどうしたらいいのかなんて、考える隙もないくらい、彼の熱に浮かされて
いった……。
いけないと分かっていても、私は、彼との