夢と現と妄想と〜Rêve et réalité et illusion et〜
「はぁっ……はぁっ……」
収録が終わり、スマホの画面に表示されていた、ものすごい数の着信履歴。
カノンちゃんの番号なのに、折り返したら、出たのは病院の人だった。
そして、速報で入っていたニュース。
『都内で起きた通り魔事件 30代女性 重傷』
その重傷の女性が、カノンちゃん。
もう、一気に色々なことが起こりすぎて、頭で整理し切れない。
とにかく、搬送された病院に向かって走っていた。
「さっきこちらに運ばれた、玉崎華音はどこの部屋ですか⁉︎」
病院に着いて、救急の受付でそう言った。
受付の人は、俺の
「ご家族の方ですか?」
家族……でないと、きっとこういう時に側にいられないと思い、
「……夫です」
と、答えた。すると、受付の人の態度が少し軟化したような気がした。
「あちらの廊下を真っ直ぐに行って、右に曲がったところに、救急処置室がございます。まだ、処置中ですので、扉の外でお待ちください」
「ありがとうございます」
そう言って、処置室の方へと急いだ。
***
「っ! なんで……?」
救急処置室の前に来ると、絹恵と、絹恵の夫と思われる人がいた。
「緊急時だというのに遅かったわね」
何故、絹恵とカノンちゃんが繋がったのか。
会うなりいきなり悪態をつかれるし、さっきから分からないことだらけだ。
「……これでも急いだ。なんでここにいる?」
「今日、私がカノンさんのお店にお邪魔したのよ。サロン出てから、少し近くで買い物をしていたら、あんなことになってて。カノンさんが心配だったけれど、私もこの身体だから、救急車には一緒に乗らないで、後から主人とここに来たの」
「そうか……」
彼女の夫に、向き直り、ご迷惑をお掛けしました。と、頭を下げた。
彼も、お気になさらず、と声をかけてくれた。
「とりあえず、まだ処置はかかるみたいよ。さっき、初期処置が終わって、そのまま集中治療室に入ったって。カノンさん、意識なくなっちゃって、救急隊が来るまで呼びかけていたんだけど……」
絹恵は、そう言うと、ふぅと一息ついてから、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
立ち上がる彼女を、彼女の夫が手を引いて支えていた。
「それじゃあ、あなたが来たから、私たちは帰るわね」
「あぁ。お二人とも、ご迷惑をお掛けしました。彼女に付き添って頂き、ありがとうございました」
そう言って、二人に頭を下げた。
顔を上げると、絹恵が何故か驚いた様子だったが、すぐに笑った。
「いいのよ。私、カノンさんのお友達だから。彼女、すごくいい子だから大事にしてあげてね」
絹恵はそう言って手を振り、廊下を歩き出した。
彼女の夫も、俺に軽く会釈をしてから、彼女の後についていった。
お友達……。いつからそんな関係になったんだ?
それよりも、カノンちゃんの容態はどうなんだ……?
[手術中]のライトは、未だに煌々と点いていた。
誰の出入りもなく、薄暗い廊下は、ただただ静かだった。
今朝、いつも通りに出かけて行った彼女が、どうして……。
『明日はお休みなんです。レイさんは?』
『そっかー。でも、早く終わりますよね? じゃあ、夕飯は何か美味しいもの作りますね。何が食べたいですか?』
そんなことを言いながら、コロコロと表情が変わる彼女の姿が瞼の裏に浮かぶ。
彼女が何をしたというんだ……。何故、こんな目に遭わなければならない……。
溜息をついて、廊下の椅子に座ってはみたものの、この静寂に押し潰されそうになった。
たまらず、トキにメッセージを送る。
すると、程なくしてトキから着信が入ったので、廊下の端の通話エリアに移動した。
「ごめん。今、処置待ってるんだけど……。一人だと潰れそうで……。さっき集中治療室に入ったって……」
【まだ、終わらないのか……】
「あぁ……」
【ちょっと待ってろ。すぐ行く】
「ごめん……」
【謝るな。人の命がかかってんだ。お前だけの問題じゃない】
ブツッと、乱暴に電話を切られた。きっと、あいつの事だからすぐに来るだろう。
薄暗い中[手術中]のライトが消えるのを待っていた……。
***
「レイ」
廊下の椅子に座って俯いていると、頭上から声が降ってきた。トキだった。
「トキ……ごめん……」
「大丈夫、家族も心配してた。特に天音がな」
天音が? あぁ、そういえば、カノンちゃんにやたら懐いていたっけ。トキが来たのとほぼ同じタイミングで、マオやヨウ、トムからもメッセージが入っていた。
収録終わりで、説明もロクにしないまま飛び出して行ったんだから、当然と言えば当然だ。
「なぁ、トキ……。俺のせい……なのかな……?」
待っている間にも、報道がどんどん更新されていた。犯人の女は、すぐに捕まったらしい。
そいつの供述によると、俺と同棲しているというニュースから、どんな手を使ったか知らないが、カノンちゃんを特定して、路上で刺したらしい。
「俺が……」
「お前のせいじゃない。誰のせいでもない。カノンちゃんだって、お前の彼女だってあちこちに公言していたわけじゃない。ごく普通の生活をしていただけだ」
そう言って、トキが俺の肩に手を置いた。
「トキ……」
「こんな仕事でも、俺たちにだって当たり前の生活をする権利はある。たまたまカノンちゃんがお前の大切な人で、一緒に生活をしていただけ。悪いのは、犯人だ。お前ができることは、カノンちゃんの回復を祈ること。それで、カノンちゃんの目が覚めたら、ちゃんと結婚しろ! 中途半端にしてるから狙われるんだ!」
そう言われて、何も返せなかった。こんな時に気丈でいられない自分が情けなくなる。
「そんな顔をするな。大丈夫。面倒なことは俺が引き受ける。だから、お前はカノンちゃんが目覚めるのを待ってろ」
「あぁ……ありがとう……」
トキの言葉に、不安で潰れそうだった心が少し和らいだ。
それから……どれくらい時間が経ったのかよく分からない。
処置室のドアが開く音と同時に[手術中]のライトが消えた。
***
あったかい……なんだか気持ちいいなぁ……。
これは……夢? なんだか、ふわふわしてる……。
あれ……私、何してたっけ……。
今、何時……? 今日は休みだっけ?
あれ……レイさんは……? レイさん……どこ……?
会いたい……。
…………。
夢と現実の間を行ったり来たりしていたけれど、緩々と現実に戻ってきたようだった。
視界に入ってきたのは、暗くて、見慣れない白い部屋。
ここはどこ……? 暗いから、多分まだ夜。
まだぼんやりしていたけれど、自分の身体中に色んなものが繋がれていることに気付く。
心電図の機械が、無機質な音を出している。辺りを見回して、やっとここが病室だと認識した。
左手に温もりを感じて、そちらを見ると、レイさんが私の手を握ったまま、ベッドに顔を突っ伏して眠っていた。
「……レイ……さん……」
そう呼んだけれど、声がひどく掠れていて、彼に聞こえたかどうか分からない。
「レイさん……」
もう一度呼ぶ。と、ガバッと彼が飛び起きた。
「レイさん?」
「カノンちゃん‼︎」
彼は、私の顔を見るなり、立ち上がって私の顔に触れる。
「カノンちゃん、気分はどう……?」
「なんか、ふわふわしてる感じはしますけど……悪くないです……」
レイさんの方を向きたくて、身体を捩ると、
「痛っ‼︎」
「ダメだよ、動いちゃ」
彼に肩を押されて、元の体勢に戻される。腹部に激痛が走ったことで思い出した。
私、通り魔に刺されたんだった。
あれは……通り魔なのかな? 完全に私を狙っていた。
熱烈なファンにしては、執念深いというか……。一体、どうやって私を特定したのだろうか。
何にせよ、ものすごく怖い……。
そう思いながら、身体は動かせないので、顔だけレイさんの方へ向ける。
「レイさん。私、刺されたんですよね」
「そう。傷口は大きくはないけれど、結構深かったみたいだよ……だから、すぐ動いたらダメ」
そう言って、すぐそばの椅子に座り、私の左手を両手で握る彼。
そのまま、彼が握った手を自分の額に付けるようにして俯いた。
「……良かった……怖かったよね……ごめんね……」
「レイさんが謝ること、何も無いですよ?」
彼の声も、手も震えていることに気づく。
少しでも安心して欲しくて、あまり力が入らないけれど、精一杯の力で彼の手を握り返した。
「カノンちゃん……」
そう言って、顔を上げた彼の頰を、一筋の涙が伝っていた。
「っレイさん……泣いて……」
「泣いてなんか……」
握られていた手を解いて、彼の目元に触れる。拭った涙が、とても温かかった……。
「あーぁ。私、レイさん泣かせちゃった……」
「これはっ……髪の毛が目に……」
泣いてないと、なんとか誤魔化そうとしている彼が、ちょっと可愛かった。
「ふふふ。もう、心配かけないようにって思ってたのに……。また心配かけちゃいましたね……ごめんなさい……。謝らないといけないのは私の方です」
「カノンちゃんのせいじゃない! 悪いのは犯人で……」
きっと、犯人の詳細も、報道でレイさんは知っているのだろう。
何か言いかけたけれど、その先は言わなかったから、話を別の方向にしようと口を開く。
「私……レイさんに会いたいなぁって思いながら、目が覚めたんですよ。だから、すぐそばに居てくれて嬉しかったです……」
そう言ったら、彼の目が少しだけ見開かれた。
「カノンちゃんっ……今、そんなこと言うのっ……ずるい……」
「ふふっ……レイさんだって、狡い人だったじゃないですか……。今は二人きりだから、泣いていいですよ」
「っ……」
「レイさんに、また、会えて良かった……」
本当は、彼を抱きしめたかったけれど、身体が動かないので、彼の手を握っていた。
彼が、その手をもう片方の手で包むように握って、また額に付けるようにして俯いた。
そんな彼の様子を見て、生きてて良かった、と安堵したら、私も少しだけ涙が出た。
しばらく、そうしていて、お互いに落ち着いてきた頃、ふと思い出した。
「あの……レイさん。絹恵さんは?」
「絹恵? 俺が病院に着いたら、旦那さんと帰っていったよ」
「絹恵さん、私が刺された直後にずっと呼びかけてくれてて……」
あぁ、妊婦さんに余計な心労をかけてしまった。あとでお詫びをしなきゃ……。
「絹恵から聞いたよ。お礼も言っておいた。カノンちゃんとは友達だから気にしないでって言ってたよ」
「そうですか……」
絹恵さんに何事もなかったなら良かった、と安心して一息ついた。
でも、私とお友達だからって……。レイさんに気を遣わせたくなかったのだろうか……。
それとも、興味本位で私に会いに来たことを隠す為だろうか……。
また会えたら聞いてみようかな……?
「あー……そろそろ、先生呼ぶね。目覚めたら呼んでくれって言われてたのに、結構時間経っちゃった」
悪戯をした子供みたいに笑って、レイさんは病室を出て行った。
あぁ、きっと治り悪いんだろうな……。講座もお店も全部キャンセルしなきゃ……。
これは完全に有事の際だから、セラピスト仲間に助けてもらおう……。
そんなことを考えていたら、病室に先生と看護師さんが入ってきた。
レイさんは、外で待っているように言われたのだろう。一緒に入ってくることはなかった。
処置の経過を診て、点滴の交換と追加。そして、簡単な問診をされて終わった。
詳しいことは、また明日の朝になるらしい。
明日の朝は朝で、今度はきっと警察やら何やら来るのだろう。
マスコミはNG出してもらおう。煩いのは嫌。
先生たちが出て行ったのと入れ替わりに、レイさんが部屋に入ってきた。彼は、ベッドの側に来ると、左手の指だけを絡めるように手を握った。先程付けられた点滴で、私の左手は殆ど動かせなくなっていたから。
「カノンちゃん。そばに居たいけど、そろそろ帰るね。メンバーにも話しておきたいし」
「はい、また……」
「うん、また明日ね」
離れる指先の温もりが名残惜しかった……。
少し寂しく思いながら彼の背中を見ていると、彼が思い出したように振り向いた。
「あ、カノンちゃん」
「はい」
「お母さんの連絡先教えて。こんなことになったのに、連絡できなくて困ってたんだ」
「えっ、レイさんが連絡するんですか?」
「え? 妻の有事に、夫が親に連絡するのは普通でしょ?」
「あ……そう……ですね……」
レイさんに、私のバッグに入っているスマホを取ってもらい、母の連絡先を表示する。
彼はそれを受け取ると、自分のスマホを操作して連絡先を登録したようだった。
「ありがとう。今日は遅いから明日の朝に連絡するね」
「はい」
「じゃあ、また明日ね」
そう言って、彼は部屋を出て行った。
……妻の有事に夫が親に連絡するのは普通。そうですよね。
ですが、これは……正式に、ということでよろしいのでしょうか。
間違いなく、今は顔が真っ赤になっているだろう。
すごく顔が熱いけれど、ものすごく嬉しくて、動けるなら小躍りしているくらいだ。
あぁ、お母さんに先にメッセージ入れておかないと。
私が刺されて入院したことより、きっとLuarのギタリストと付き合ってる方が大ニュースになるだろうな……。
***
翌朝……。
当然、警察から事情聴取があった。色々と聞かれたけれど、犯人のことは何も知らないのだから答えようがなかった。まだ傷が塞がってないのだから、もう少し優しくして欲しいと思った。
そして、講座のスケジュールを全部キャンセルしたり、お店の予約キャンセルは一番付き合いの長いセラピスト仲間に代行してもらい、1ヶ月位を目安に休業した。入院中も、お店の管理などであちこちに連絡しなければならなかったから、忙しくしていた。
退院後もしばらくは自宅療養と、色々とお店の関係で弁護士に相談したりで、仕事はしていなくても、やはり忙しなく過ごしていた。
ただ、ある程度動いてないと体力がつかないので、これはこれでいいのかもしれない、なんて思っていた。
それから、幾らか月日は経って……
「レイさん。お昼何食べましょうか?」
他愛のない話をしながら、二人で区役所を出る。最近、やっと春めいてきたので、日差しが暖かかった。
「何にしようか? たまには、外で食べる?」
「いいですねぇ。あ、そうだ。私、仕事上は名前変えませんよ。この前、新しく名刺をいっぱい刷っちゃったし」
「別に構わないよ。芸名みたいなものでしょ?」
そう言って笑うレイさん。
「ふふっ。そうですね。今の名刺なくなったら、私もステージネームっぽくしようかな。KANONって」
「あっはは……いいねそれ」
そんなこと話しながら、彼の手を取って歩く。
幸せの形も色々だから、
私たちは、私たちらしく、
お互いを尊重して、尊敬して、
二人で生きて行こうと
今日、この日に誓いました。
「レイさん」
「ん?」
「色々あったけれど、私、レイさんに出会えて良かったです」
そう言ったら、彼も優しく笑ってくれた。
「俺もそう思う。ありがとう」
嬉しくなって、彼の手をぎゅっと握った。
これから先もずっと、あなたのそばで笑っていたいと願いながら、
私は、春色の澄んだ空を見上げた。
あなたと共に 歩む未来が どうか幸せであるように。
この幸せが 永久であるように。
私は、大切なあなたの隣で、そんな夢を描いた。
25/25ページ