夢と現と妄想と〜Rêve et réalité et illusion et〜
「はぁ……」
さて、どうしよう……。
トボトボと、夜道を一人歩く。
些細なことでレイさんとケンカして、勢いで飛び出してきてしまった。
一つだけ、運が良かったのか悪かったのか、カーディガンのポケットにスマホだけは入れてきていた。必要に駆られれば、電子マネーで多少の買い物ならできるだろう。
しかし、カーディガンで飛び出すには、少々肌寒かった。
風邪をひいてしまいそうだけれど、この逆立った気持ちが落ち着くまでは、意地でも帰りたくなかった。
正直、引っ越してきてからそんなに散策していないから、勝手が分かる場所ではない。
行く宛がないってこういうことだなぁ……と思いながら、なんとなく歩いていた。
カーディガンのポケットのスマホは、時折震えているけれど無視した。些細なことで怒ったのは私の方。少し心のバランスが良くなかったせい。疲れてる時はどうもダメだな……。
宛もなく辿り着いたのは、公園。プーちゃんの散歩でたまに来る大きな公園だった。とりあえず、街灯のそばのベンチに座る。こんな時間だから、散歩の人もいない。
たまに、ランナーが走っていく程度だ。
やっぱり寒いな……と思いながら、スマホを取り出す。画面には、山のようなメッセージと、着信履歴。アプリを立ち上げなくても読めた彼からのメッセージには、
《もう遅いし、危ないよ。何処にいるの?》
と、書いてあった。
この辺り、物騒だったっけ? まぁ、繁華街が近いから変な人はいるのかもしれない。
でも、三十路を過ぎた女なんて襲いたいものだろうか?
金目的で刺されることはあるかもしれないけれど、あいにく、財布は持っていない。
しばらく、スマホをいじっていたら、気持ちも落ち着いたし、何より寒くなってきた。
仕方がないので、どんな顔して帰ったらいいか分からないけれど、家に帰ろうとベンチから立ち上がった。
しばらく歩いていると……。
「ねぇねぇお姉さん、ちょっと」
路肩に止まっている車から声をかけられた。
いつもなら気にしないのに、どうしてこの時だけは振り向いてしまったのか……。
「はい?」
「こんな時間に一人?」
「……もう帰りますけど」
あぁ、多分ナンパだ。若い頃にも同じように遭遇したことがある。
その時は、道を聞きたいのかと思って、うっかり近寄ってしまったのだ。
「家、この辺りなの? 一人暮らし?」
「……婚約者と住んでます」
そう言えば引き下がるだろう。と思ってそう言った。事実だし。
だが、この声を掛けてきたお兄さんは、これっぽっちも顔色を変えることはなかった。
「へー。今日彼は? いないなら、奢るから飲みに行こうよ」
なかなか強気だなー、この人。
さぁ、どう振り切ろうか? 心底面倒くさい。
そう思っていたその時、
「カノンちゃん‼︎」
後ろの方から声がしたので振り向いた。
「あ、もしかしてお迎え? なんだー、残念……」
私を呼んだ声に、ナンパのお兄さんは、あっさり引き下がって車で行ってしまった。
なんだ、その程度なのか。
ナンパのお兄さんが去った後、ぽつんと一人残された私の元に、レイさんが駆けてきた。
「カノンちゃん……やっと……見つけた……」
そう言いながら、ぎゅうと、きつく私を抱きしめるレイさん。
そんなに息を切らして……。どれだけ走ってきたのだろう……。
この人が、ライブ以外で走るってあまり想像つかない……。
冷え切った身体に、彼の体温が温かくて、気持ちが溶けたような気になった。
「……カノンちゃん、今の車は?」
「多分ナンパですね。下手したら車に連れ込まれたかもですけど」
そう口にすると、彼が一度離れて、私の肩を掴んだ。彼の顔を見ると険しい表情をしていた。
「連れ込まれたらどうするの⁉︎ この辺り夜中は危ないから、女の子一人で歩いちゃダメだって! 何もなかったから……良かったけど……」
「誰も私のことなんて襲わないですよ……」
そう言ったら、さっきよりも強く抱き締められる。ちょっと痛いくらいだった。
「そういうことばっかり言わない。もっと自分のこと大事にしなよ……。ものすごく心配したんだから……」
「レイさん……」
「帰ろう。こんなに身体が冷たくなって……」
「……はい……ごめんなさい……」
そうして、二人で家に帰った。
悪いのは全部私なのに、彼はどこまでも優しくて、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
もう、心配させるようなことはやめよう……。
そう思って、彼の手をギュッと握った。
***
「カノンちゃん、身体冷えてるからお風呂入ろう」
「はい」
帰宅して、暫くしてから、レイさんがそう言ったので、バスルームへ向かう。と、彼が後について来ていることに気づく。
「レイさん? 何で一緒に……?」
「一緒に入ろうっていう意味で言いました」
「えっ、そうだったんですか?」
「今更、恥ずかしがることないでしょ?」
ほら、脱ぐんだと、レイさんに身ぐるみを剥がされる。
たしかに、恥ずかしがることはないのだけど……。
とはいえ、やっぱりどこか恥ずかしいので、さっさとバスルームに逃げた。
湯船に二人で入ると、レイさんに後ろから抱き締められる。身体が冷え過ぎて、お湯が熱く感じるくらいだった。
「熱い……のぼせそう。レイさん離してください……」
お湯が熱いのもそうだし、彼がくっついているせいもあると思ってそう言った。
「身体冷えてるからちゃんと温まらないとダメ。女子は身体冷やしちゃダメって、いつも言っているのカノンちゃんでしょ」
逃げようとする私のお腹の辺りを、腕でしっかりとロックするレイさん。
「うぅ……レイさん、くっついてて冷たくないですか?」
「うん? 冷たいね。早く温まればいいと思ってる」
「冷たいなら離れたらいいのに……」
溜息混じりにそう言ったら、また強く抱きしめられる。
「離れないよ……。勝手にどっか行っちゃう悪い子にお仕置きしなきゃだからね」
さっきよりも低いトーンでそう言われた直後、首筋にキスをされて、彼の手が、するすると身体を滑っていく。首にキスされた感触に驚いて、変な声を出してしまった。
「ちょっと、レイさん⁉︎」
「……何処にも行かないって言ってたのに、どっか行っちゃったから……。今夜はずっとお仕置きです」
そう言った彼の声に、寂しさが含まれていた気がして胸が痛んだ。
「レイさん……ごめんなさい……」
私を抱く彼の腕に触れる。謝ったから、許してもらえるかな……?
なんて、浅はかだった。
「今日は、泣いたってやめないよ……」
「えっ、ちょっと、レイさん!」
「ちゃんとイイコで大人しくしてたら痛くしないよ?」
「レイさんヤダ怖い」
「お仕置きなんだから怖くなきゃ♡」
あぁぁぁ忘れてたぁぁぁ……! この人、怒らせたらいけない人だった……!
そのあとは、文字通り、『今夜は、ずっとお仕置きの刑』に、処されました。
もう、ケンカしても家出はしないと、私は心から誓った。