夢と現と妄想と〜Rêve et réalité et illusion et〜

あれから、またしばらく経った。
季節はだいぶ変わって、爽やかな風が吹くようになった。
私は、レイさんの言葉通りに、レイさんの家に引っ越す準備を始めた。
彼は『急がなくていいよ』と言ってくれているのだが、今の家の更新があと3ヶ月後なので、
片付けられるものは、早めに片付けておこうと思っている。
しかし、本当に夢みたいな話が立て続けに起こっているのだから、人生何が起こるか分からないものだ。
元来、ネガティブ思考だから、この後、店が潰れるんじゃないかとか、私が事故に遭うんじゃないかとか、こんな幸せいつまでも続くわけないってどこかで思ってしまう……。
こんな話をレイさんにすると笑われるんだけど……。


***

「あ、そうそう。カノンちゃんにお願いがあるの」
常連のお客様、楠木さんにそう言われた。
楠木さんは、レイさんと会うきっかけにもなった、あの飲み会に連れて行ってくれたプロデューサーさん。開業当初からずっと通ってくれている人。ちょっとエキゾチックな雰囲気の綺麗な人だなといつも思っている。
「はい、何でしょう?」
「今、一緒に仕事してる子なんだけど、こういうトリートメントをやってみたいって言ってるのよ。男の子なんだけど、カノンちゃんできる?」
「えぇ。ホームページにも書いてありますけど、ご紹介の人でしたら、男性のお客様でも大丈夫ですよ。ご予約の時に、楠木さんのお名前を言ってくだされば……」
そう言うと、楠木さんが安堵の表情を浮かべる。
「よかったぁ。どうだったかなー? と思ってて。その子には『すごく良いから教えるね!』って言っちゃったから」
楠木さんが、ほっとした様子で笑った。
「ふふふ。ありがとうございます。今、ご予約されますか?」
そう言いながら、私はタブレットを手に取って、予約一覧を開く。
「あ、ネットか電話で予約するわね。その子、私がお店に連れて来るから」
「かしこまりました。予約状況はネットで見られますけど、ちょっとイレギュラーな時間じゃないと難しいということでしたら、お電話頂けますか? お店開けますので」
「ほんと? 助かるわ。カノンちゃんいつもありがとね♡」
「いいえー。こちらこそ、いつもありがとうございます。またお待ちしてますね」
そう言って、楠木さんを見送った。さて、今日の仕事も終わり。
お店のドアを閉めて、入口のブラインドを下げた。

***

それから二週間後。
「それじゃあ、カノンちゃん。後はよろしくね♡ 私、これからまた別の仕事だから♡」
「はい、楠木さんもお気をつけて」
楠木さんが紹介で連れてきてくれたのは、若い男の人だった。

「あの人、なんか強引ですよね」
「ふふふ。さっぱりキッパリしてて私は好きですけど、お仕事だとそうじゃないのかも知れませんね」
苦笑いしながらそう言った彼、ハルカさんもどうやらミュージシャンだそう。
ごめんね、若い子のバンド全然知らないんだわ……。というか、基本的にLuar以外あまり興味がなくて……。
顔立ちも、可愛らしい子で、ヴィジュアル系なら、さぞかしメイク映えするんだろうな、なんて余計なことを考えてしまった。
楠木さんとは、以前のお仕事で仲良くなったそうで、こういうマッサージとかやりたいって言ったら紹介してもらった、と話してくれた。
雑談を交えながら、彼のコンサルテーションを進めていく。
「それでは、今日は60分のコースで、肩周りをメインに全身トリートメントをしていきますね」
「はい! よろしくお願いします!」


***


「はーい、お疲れ様でした。如何でした?」

トリートメントが終わり、アフターコンサルテーションでハルカさんにそう聞いた。
「身体が軽くなった感じがします。僕、寝てましたよね。選んでもらった香りもすごく良かったです」
恥ずかしそうに笑いながらそう話した彼。笑うと可愛いなぁ、なんて思ってしまった。
「寝ちゃう方、多いので安心してくださいね。私も、気持ち良いんだろうなと思うので、ちょっと嬉しいんですよ」
そんなことを話しながら、簡単な生活アドバイスをしてあげて、コンサルテーションを終えた。

「カノンさん、聞いてもいいですか?」
「えぇ。何でしょう?」
「カノンさん、彼氏いるんですか?」
いきなり直球な質問で一瞬驚いてしまった。
「えぇ。いますよ」
淡々と答える。昔からこの手の質問はよくされるけれど、面倒くさい。
「そっかー、彼氏羨ましいなぁ。いつでもカノンさんにマッサージしてもらえるんだ」
「ふふふ、そうですね。ハルカさんも、ちゃんと予約して頂ければ、お店は開けますけどね」
「じゃあ、また予約しまーす」
子供のような返事をしてにっこり笑う彼。
彼にショップカードを渡して、今日はおしまい。彼を見送って、お店の片付けをして、帰路についた……。


***

家に着いて、スマホをリビングのテーブルに置く。と、同時にスマホが震えた。
あ、レイさんだ。
荷物をしまうなどの帰宅後のルーティンを済ませて、冷蔵庫からビールを持ってきてからソファにかけて、スマホを手に取る。
《お疲れ様。仕事終わった?》
そう、メッセージが来ていたので返信をする。

《レイさんもお疲れ様です。今帰ってきたところです。ちょっと気疲れしました》
《人を癒す仕事も大変だよね》
メッセージと一緒に、何か可愛い生き物が頭を撫でているスタンプを送られる。
彼、意外と可愛いの送ってくるんだよなー。なんて、少し和んでしまう。
《今日は忙しかったの?》
《予約自体はそうでもなかったんですけど、最後に楠木さんの紹介で男の子やったんです》
《少年?》
《いえ、25歳くらいの子。楠木さんの紹介だから、バンドやってるのか、ソロなのかは分からないけど、ミュージシャンだそうです。レイさんも知ってるかもですねぇ》
《ふぅん。誰だろ?》
《個人情報だから、これ以上は喋りませんよー》
《別に、男は興味ないからいいやー》
 私のメッセージに、今度は変なスタンプ付きで返事が来る。 
《楠木さんの紹介って、粗相が無いようにって気を使うからちょっと疲れちゃって。明日お休みにしてよかった》
返事と一緒に、うさぎがぐったりしているスタンプを送る。

《そうだよね。お疲れ様。明日は何時頃来る?》
《お昼頃でいいですか? お昼ご飯の材料は買って行きますね》
《うん。もし、寝てたら鍵開けて入って来ていいから》
《はい。寝てたらお部屋に起こしに行きますね》
明日会ったら、お互いまた忙しくなるのでしばらくは会えなくなる。
だから、明日がいつもより楽しみだった。

 今日の出来事が、これから先、面倒なことになるなんて、
 この時の私は、これっぽっちも想像していなかった……。


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