夢と現と妄想と〜Rêve et réalité et illusion et〜

旅行を終えて、昨晩、自宅に戻った。
でも、まだ休みはあるからと、飽きることなく今日もレイさんと一緒にいる。
昼頃に、私がレイさんの家に遊びに来たのだけど、特に何をするわけでもなく、ソファに掛けてのんびりしていた。

「……」
さっきから、レイさんがぼーっと遠くを見ているような気がする。
どうしたのかな? 疲れてるのに無理させたかな……?
「レイさん。疲れてます? 少し休みますか?」
私が、そう声をかけると、彼が驚いたような顔でこちらを見た。
「あ、ごめんね……。疲れてる訳じゃないんだけど……」
「でも……さっきから黙ってるし……」
私がそう言うと、彼が少し苦笑いをする。
「久々に地元に帰ったせいか、昔のことを思い出すんだけど、ものすごく記憶が曖昧なんだよね。なんか嫌な記憶なんだろうけど、何で嫌なのかも思い出せなくて。モヤモヤしてるだけ。だから心配しないで」
そう言って、いつもの優しい笑顔を見せてくれる彼。
「お父さんのこととか関係無しに、ですか?」
「うーん……多分。それすらも曖昧なのに、なんか嫌だったなってことしか思い出せない」
「そうですか……」
「でもさ、忘れてるってことは、大したことじゃないと思うからいいや。ごめんね、心配かけて」
そう言いながら、隣に座る私を抱きしめる彼。
「カノンちゃん。今日はどうするの? 泊まっていく?」
「うーん……そうしたいですけど、明日は家で片付けとかしたいので、夜には帰ります」
「そう? じゃあ……」
 まだまだ明るい時間だけれど、レイさんが甘えたような声を出す。
「もう、仕方ない人ですねぇ……」
「いいじゃない……二人だけなんだし」
そう言って、唇を重ねる。
甘ったるい雰囲気になったので、そのまま寝室へ連れ立って行く。
窓から差し込む明るい光に、多少の罪悪感を覚えつつも、彼がくれるキスに応えていた……。

          ***

「ん……」
いつの間にか眠っていた。
日の傾き具合からすると、そこまで時間は経ってはいないと思う……。
寝返りをうつと、隣りで寝ていたレイさんが身動ぎをする。
「ぅ……」
なんか辛そうな顔をしている……大丈夫かな……?
「……めろ…」
なんだろう? と思ったら、バッとレイさんが飛び起きた。

「っはぁ……はぁ……」
「レイさん……?」
「……カノンちゃん……」
レイさんは、こちらを振り向き、ほっとしたような表情を浮かべる。
「大丈夫ですか?」
私も身体を起こして、彼の顔を覗き込む。
「うん……ごめんね。起こした?」
「いえ。大丈夫です。レイさん、魘されてましたよ」
そう返事をして、彼の様子を窺うと、少し震えてる?
「レイさん、震えてます……? 寒いですか?」
未だに、息を荒くしている彼の肩に毛布をかけて、その上からそっと抱き締める。
すると、すぐに背中に手が回されて、強く抱き締められた。
彼の、ただならない様子に戸惑う。
「ごめん……大丈夫だから……」
一言だけ、彼がそう言った。
目覚めてすぐに色々と話すのもどうかと思って、彼が落ち着くまで、黙ってそうしていた。

「ごめん……びっくりさせたよね」
暫くして、落ち着いたのか、彼はそう言いながら、私の胸元にキスを落とす。するすると、彼の手が背中を滑る。
「嫌な夢……見たんですか?」
「うん……。たまに見るんだけど……。でも平気……」
彼がそう言うと、そのまま、ベッドに押し倒された。
「本当ですか? あんなに震えて……」
彼の様子から、とても平気には見えなくて、そう訊いてみたけれど……。
「大丈夫…」
「でもっ……ん……」
私の言葉は、彼の唇で塞がれた。
「じゃあ、カノンちゃんが嫌な夢、忘れさせて……」
「んっ……ぁ……」
「ね……もっと声、聞かせて……」
「やっ……レイ……さ……」

そう彼が低い声で囁くから、肌が粟立つ。
忘れさせて という言葉通り、彼はさっきよりも、私を欲しがった。
重なる肌が熱かった……。
求められるのは嬉しいけれど……。
いつもと彼の様子が違うことだけが、少しだけ引っかかっていた……。


***


あれから、夕食も済ませて、ゆっくりしていた。
そろそろ帰る支度を……なんて、思いながら荷物をまとめたりしていた。

あれ? なんだろう……?

ソファの後ろを通ったときに、ふと、立ち止まる。

背の高いレイさんを、私が見下ろすことなんて無いから、ソファにかけているレイさんの肩口に、妙な傷があることに気付く。
普段、髪で隠れてるから気づかなかった……。
今も、ちょうど傷が見えるように、髪が分かれていなければ、見えなかっただろう。
「レイさん、この傷……」
彼の背後からそう声をかけて、傷の辺りにそっと触れた。
すると、
「‼︎」
レイさんの肩がビクッと跳ねた と思ったら、ものすごい勢いで私から離れて、部屋の端に行ってしまった。
「ぁっ、ごめんなさい‼︎」
咄嗟に謝ったけれど、レイさんは首元を押さえながら、怯えたような目をして、私をじっと見つめたまま黙っていた……。

痛かったのだろうか……? 気に障ることをしてしまったんだ……。
「痛かったですか……?」
そう言って、側に寄ろうとした。
すると、

「来るな‼︎」
「!」

彼が、急に声を荒げたので、足が竦んでしまった。彼は、未だに怯えたような目をしている。
「ごめんなさい! 私、そんなつもりじゃなくて……」
いつも穏やかな彼が声を荒げるなんて、私、なんてことをしてしまったんだろう。
急に大きな声を出されてびっくりしたせいか、少し視界が滲んできた……。
「ごめんなさい……」
そう言うと、彼が大きく息を吐いた。
彼は、両手で顔を覆うようにして、壁にもたれたままズルズルと床に座りこんだ。
「ごめん……俺っ……。ごめんね……カノンちゃん。カノンちゃんは全然……」
さっきの一瞬とはまた様子が違う……? とは思ったけれど、足が竦んでしまって、彼の傍には寄れなかった……。
「ごめん……今は……一人にしてくれる……?」
「はい……ごめんなさい……。私っ……帰りますね」
荷物とコートを持って、私はレイさんの家を出た。







「ごめん……俺……また……」


誰にも届かない呟きは、静寂に消えていった……。


***



「はぁ……」

なんとか、家に帰れた。
荷物もコートも、ダイニングの椅子にかけて、そのままリビングのソファに座った。

レイさんの怯えた様子が、脳裏に焼き付いて離れない。
あの傷のせいなのだろうか……?
古い傷だな、とは思ったけれど、もしかしたら、中に何かあって痛かったのか……。
そもそも、いきなり触ったら驚くか……。
いくら、恋人とはいえ、『触れてはいけない領域』だったのかもしれない。
もしかしたら、その傷に嫌な思い出でもあったのかもしれないし……。
「ちゃんと……謝らないといけなかったね……」
けど、一人になりたい と言われたのに、残れるほど図々しくはなれなかった……。私も動揺していたし……。
レイさんだって、今は誰にも会いたくないだろう……。
「はぁ……」
どんな顔をして、謝りに行ったらいいのか……。あんな怯えた顔されたら……。

きっと、酷く傷つけてしまった。嫌われたかもしれない。
このまま、サヨナラを切り出されてもおかしくない。

「サヨナラ……」
そう思ったら、視界が滲んできた。
私が、嫌だと思っていても、彼が私といることを望んでいなければ、一緒にはいられない……。
一人にして、と言っていたのだから、しばらくは、連絡取らないでおこう……。
そう決めて、今夜はもう寝ることにした……。


          ***


あれから、二週間くらい経った。
連絡しよう、という気持ちと、気まずいな、という気持ちが綯い交ぜになったまま、時間ばかりが過ぎてしまった。
お店を閉めていた長期休みも終わり、今は仕事漬けになっていたから、気は紛れてはいた。
けれど、家で一人になった時に、連絡しようかどうしようか、スマホを握っては置いてを繰り返してばかりだった。


「ありがとうございました。お気をつけてお帰りくださいね」
今日、最後のクライアントを見送って、入口のブラインドを下げた。
さぁ、片付けなきゃ。

そうして、一通りの片付けが済んだ頃……

コンコンッ
入口のドアをノックする音が聞こえた。

あれ、お客さんかな……?
そう思いながら、入口のブラインドを上げてみると、背の高い男の人が立っていた。
マスクをしていたから、ぱっと見の顔は分からない。とりあえず、知り合いではなさそう。
「ごめんなさい、もうお店終わりで……」
そう言いながらドアを開けた。すると、
「カノンさんという方、いらっしゃいますか?」
「はい。私ですが……」
「あぁ、そうでしたか。初めまして……」
そう言いながら、長身の彼はマスクを外した。
甲斐田かいだ時哉ときやと申します。うちの里村怜が、お世話になってます」
礼儀正しく頭を下げた彼は、LuarのTOKIトキさんだった。
「えっ、あっ、わっ、玉崎華音です!こちらこそ大変お世話になっております!」
慌ててこちらも頭を下げた。何故、リーダーがこんなところに……。
色々疑問だったが、とりあえず、トキさんを中に入れた。


「ごめんなさい、散らかってて……」
コンサルテーションテーブルに置いていたものをレジカウンターにどかして、トキさんには、椅子にかけてもらう。
「いえ、こちらこそ突然伺ってしまって申し訳ない」
トキさんは座りながらそう言った。
私は、慌ててカウンター裏からカップを取ってお茶を入れる。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
トキさんにお茶を出して、私も向かいの椅子にかけた。
「あの……どうしてここに……?」
「カノンちゃんに、レイのことで話がしたくて、レイにお店を聞いて来ました。驚かせて申し訳ない」
「レイさん……」
思わず身構える。と、トキさんに気付かれたようで、苦笑いされてしまった。
「大丈夫、ちゃんとレイは生きてるよ」
「あっ、そういうわけじゃないんですけど……その……」
何故、トキさんがレイさんのことでお店に来たのだろう……? 分からないことだらけで、戸惑いが隠せなかった。
「それじゃあ、早速、本題に入ろうかな。落ち着いて聞いて、そして、答えてほしい」
「はい」
彼の言葉に、一瞬体を固くしてしまったが、ゆっくりと息を吐いて気持ちを落ち着かせる。

「カノンちゃん。前に、レイが急に豹変して驚いたよね?」
「えぇ……。レイさんから聞いたんですか?」
あの時のことを思い出すと、胸が痛い。
「あぁ。多分、あの後すぐだと思うけれど、レイから連絡もらって。レイがそうなる前、カノンちゃんはどうしてた?」
そう聞かれて、少し思い返す。 
「えっと……レイさんがソファにかけていたんです。その後ろにたまたま立ったら、レイさんの首の所に、小さいんですけどケロイドみたいな傷があって……。多分、鏡で見ても自分じゃ見えづらい場所だと思ったので、その傷の辺りに触りながら、この傷どうしたんですか?と、聞きました」
「後ろから声かけた?」
「そうですね……こう、両肩に触るような感じで……」
そう答えながら、手を肩に置くような動作をすると、トキさんが、何かを確信したように、ふぅと溜息をついた。
「カノンちゃんは、レイにそうしたのは初めて?」
「えぇっと……その傷については、初めて知りました。後ろから声をかけることはしていたと思いますけど」
「そうか……ありがとう。結論から伝えると、この前のレイが、急にあぁなったのはPTSD。それで、ここから先は、落ち着いて聞いて欲しいんだけど……」

トキさんが、少し間を置いてゆっくりと話し出す。

「レイ……高校卒業前に、同級生の女の子にカッターで刺されてるんだよ」
「えっ⁉︎」

刺されてるって⁉︎ 首を⁉︎ それは殺人未遂では……?
「えっ、レイさんそれで……。あぁ、刺した子は? えぇぇ……レイさん、よくご無事で……あぁ、生きててヨカタ……」
予想外すぎて、頭がパニックになっている。それは、ニュースになっているじゃないか。
あぁ、でも当時は未成年だから名前は出ないのか……。
「カノンちゃん落ち着いて。変な刺され方をしたから、傷は残ったけれどレイは無事だった。
 ただ、背後から、傷の辺りに触られると、襲われた時と同じ状況になるらしく、恐怖心だけが思い出されて、カノンちゃんが見たようなことになるそうだ……」

あぁ、そうか……。
トキさんの話で、色々と繋がった気がした。
旅行から帰ってきた時に様子がおかしかったのも、あの時、急に人が変わったように声を荒げたのも。そのトラウマと、たまたま同じ状況になってしまっていたんだ……。

「レイさんは、その襲われたこと自体は覚えてなかったんですか?」
「あぁ。なんか長い黒髪の女が一瞬頭を過ぎったみたいだけど、刺されたこと自体は覚えてなかった」

長い黒髪の女……。少なくとも、ショートボブの長さの私とは一致しない……。
断片的にフラッシュバックしたのかな……?
それが、『なんか嫌だった記憶はあるけどよく覚えてない』ということだったんだ。

「それを……私なんかに話していいんですか? 病院の先生の方が……」
そこが一番の疑問だ。
PTSDだというのなら、トキさんがレイさんを是非とも病院に連れていってほしい。
原因だと思うことをトキさんがご存知なら、きっと先生も治療しやすいでしょう。
私がそう言ったら、トキさんが少し笑った。
「大丈夫、もう病院の先生も知ってるよ。そうなるって分かったのも、きちんと病院に相談済みだから分かったことだし」
「それなら、良かったです……。仕事に支障が出ていないかな、というのも心配でしたから」
「その辺りは、こちらでなんとかしてるから心配いらないよ。どうやら、前にも同じようなことがあったらしいんだけど、それはたまたまで片付けてしまったらしい。けれど、今回は、レイが、カノンちゃん泣かせたって、俺に言ってきたんだよ。
傷のことも怖かったことしか覚えてないって言うし。だから、洗いざらい全部話してやった」

うわぁ、なんて荒療治……。トキさんの言葉に思わず絶句してしまった。
けれど、それで記憶が補完されて、時間の経過と共に落ち着いたりする、というのも聞いたことがある。
「そうだったんですね……」
色々と繋がって、分かったことはたくさんある。けれど、内心、戸惑っている。
そもそも、旅行から帰ってきてから様子がおかしかったのだから、そんな事があったのなら、
彼の故郷に行きたいなんて、軽々しく言わなければ良かった……。

彼に、会いたい気持ちはあるけれど、私に会うことで、刺激してしまわないかとか、色々と考えてしまう。
「トキさん。お話ししてくれて、ありがとうございました。でも、私どうしたらいいか……」
自分の中で、一番良いと思える答えが見つからず、俯いたままそう言った。         
「……レイは、謝りたいと言っていたよ」
「ぇ……」
「どうするかは、カノンちゃんが決めて」
そう言って、トキさんは、微笑んでいるだけだった。


もしかしたら、正解なんて無いのかもしれない。でも、自分がどうしたいか。
答えは一つしかなかった。

「あの、トキさん。こんなこと、トキさんに聞くのも変ですけど……」
「何でしょう?」
「その……レイさん……。それが原因で……離婚したんですかね……?」
私からしたら、あんなハイスペックな人とあっさり離婚できるなんて、よっぽど、どっちかに難有りなのだろうとは思ったのだけど……。かと言って、本人に面と向かって聞くのもなぁと。
私の言葉に、トキさんは苦笑いした。
「あー、なくはない。前にも、同じことはあったらしいけどね。でも、それが自体が原因だったというよりも、レイは家庭を顧みないタイプだったから。いつまでも好き勝手してたし。未だにそうでしょう?」
「あ……そうなんですか……」
あっさりと切られて拍子抜けしてしまった。私の考えすぎだったのか……。
よほど、呆けた顔をしてしまったのだろうか、私の顔を見てトキさんが笑った。
「はははっ……それじゃ、そろそろ行こうかな」
そう言って、トキさんが立ち上がる。
「あの、トキさんが私の所に来たこと、レイさんは知ってますか?」
「いや」

 え?

「お節介って、あいつは言うんだろうけど。あいつのことだから、きっとまだ一人で悩んでる。トラウマを自分の口から話すのもなかなか辛いことだし。だから、勝手にカノンちゃんに話しに来た」
「えっ! そんな……大丈夫ですか?」
店の入り口に向かおうとしているトキさんに、慌ててそう聞いた。
すると、
「そんなことじゃ、バンドは解散しないから大丈夫」
振り向いて、そう言ったトキさんの笑顔がとてつもなく素敵だった……。

「急に押し掛けて申し訳ない。お茶ごちそうさま」
「いえ……こちらこそ、わざわざありがとうございました」
「レイのこと、これからもよろしくね」
そう言って、トキさんは帰っていった……。
彼の背中を、見えなくなるまで見送ってから、お店のドアを閉めてブラインドを下ろす。

「……」
色々と思うことはあるけれど……。
閉店作業の残りを片付けて、お店を閉めた。



 もともと明日は休みにしておいた。
 だから……。

 スマホを握りしめて、彼に電話をかけた。


「…………レイさん……今から会いに行ってもいいですか?」


***


急いで電車に乗る。
電車に揺られている間も、なんだか落ち着かなかった。

突然『会いに行く』なんて言ったものだから、彼は少し驚いていたけれど『いいよ』と返事をもらえたので、レイさんの家に向かっている。
あれ以来、連絡ができずにいたから、どこから話したらいいのか……。
とにかく、無神経に傷に触れてしまったことを謝らなきゃ。
あと、今日トキさんがお店に来てくれたことも話しておかないと……。
自分から、会いに行くと宣言したのに、レイさんの家に近づくにつれてだんだんと緊張してきた。

到着して、インターホンを鳴らす。程なくして、鍵が開く音がして、ドアが開いた。
「こんばんは」
「やぁ……入って」
久しぶりに会ったのに、お互い、なんだか気まずい感じで、視線を彷徨わせてしまった。
中に入るとそのままリビングに通された。コートとバッグを、ダイニングの椅子に置かせて
もらった。
「あの、レイさん……」
そう声をかけたら、思い切りレイさんに抱き締められた。
「レイさん……」
「ごめん……怖い思い、させたよね……」
痛いくらいに抱きしめられているので、彼の表情は窺い知ることはできなかった。
「違いますっ……私が無神経だったんです!誰だって、いきなり傷を触られたらびっくりしますし……。レイさん、すごく怯えてたから……本当にごめんなさい……」
もともと、そこまで頻繁に会っていたわけではなかったけれど、
もう会えないかもしれないと思っていたから、彼の腕の中がすごく温かく感じた。
でも……。
「レイさん、あの……」
「どうしたの?」
「ちょっと痛いです……」
「あぁ、ごめん……」
お互いちょっと苦笑い。そのまま、ソファに並んで座った。

なんとなく、目が合わせられず、自分の手元に視線を落とす。
先に、今日のことを話してしまおう。そう思って、レイさんの顔を見る。
「レイさん。あの……今日、トキさんがお店に来たんです」
「え?トキが?なんで?」
予想外の名前が出たせいだろう。レイさんの切れ長の目が丸くなっている。
「レイさんのこと、よろしくって……。その……レイさんのこと、話してくれたんです」
「えぇー……。あいつ、そういうことかよー。カノンちゃんの店聞いてきたの」
眉間にしわを寄せて、不服そうな顔をするレイさん。きっと隣にトキさんがいたら、軽く喧嘩になるところでしょう。

「レイさんは、その……私に『話したい』と思いましたか? もし、レイさんは話したくない、
知られたくないと思っていたのに、トキさんが勝手に話したというのであれば、私は、トキさんから聞いたことは忘れます」
私がそう言うと、レイさんは首を横に振る。
「あいつ、ホントお節介だなとは思うけど……。カノンちゃんに、あんな顔させたのに、何も話さないで一緒にいるなんて、俺、最低じゃん」
「レイさん……」
「知っているならそれでいいよ。俺自身も、刺されたこと自体はショックで忘れてたから、あの時と同じような状況になるまでは、きちんと思い出せなかった……。正直、あの時は、カノンちゃんに見えなくて……全然顔は覚えてないけど……カノンちゃんじゃない、女の影が見えて……」
そこまで言うと、急に黙ったレイさん。
「無理に思い出さないでいいですから……」
「いや、大丈夫……。前にも同じことしたのに、放っておいた俺が悪かったから……。カノンちゃんは、何も悪くないんだ。本当にごめん……」
そう言って、頭を下げるレイさん。
レイさんだって悪くないのに……。
レイさんの顔にそっと触れて、彼の顔を上げる。
「カノンちゃん?」
「もういいんです……。謝らないでください。誰もレイさんのトラウマに気づいてあげられなかったんです……。前に同じようなことがあったなら、誰か……その時に気づいてあげられれば良かったのに。レイさんが、ショックで忘れてるからって、みんな触れないできたから……。あなた一人だけに辛い思いさせてた……。
謝らなきゃいけないのは、私も含めて、放っておいた周りの人です……。ごめんなさい、すぐに気付いてあげられなくて……」
「カノンちゃん……」
話しながら涙が止まらなかった……。
傷に嫌な思い出があるのかもって、私も気付いたのに、自分が傷つくのが怖くて、すぐに連絡しなかった。その間、彼は独りで、心の傷と向き合っていたのだろうと思うと、とても残酷なことをしてしまった。
「ごめんなさいっ……酷いことしたのは私の方です……。あなたの……レイさんの傍にいるべきだった……」
「あぁ、そんなに泣かないで……」
ぎゅぅ……と彼の胸に抱きしめられる。
いつもの彼の香水がふわっと香って、少しだけ気持ちが安らいだ。
「そんなこと言ってくれたのも……君が初めて……。ありがとう」
「っ……私、もう、レイさんに会えないかもって……思ってた……」
「えー? なんで? 嫌われたと思った?」
レイさんが、クスクス笑いながらそう聞いてきたので、頷く。
「それは、俺の方だよ。泣かせたし、嫌われたかもって思ってた。
 でも、カノンちゃんがそんな風に思ってくれてたなんて……」
「だって……」
「ありがとう。君がそう言ってくれるなら……もう、怖くないと思う」
「レイさん……」
「大丈夫……ちゃんと向き合って、克服するから」
そう言った彼の声に決意を感じて、顔を上に向けると、
「!」
そっと、唇が重なった。
「っ、レイさん! 今のタイミングずるいです……」
「それなら、早くその涙を止めて……」
「ん……」
そう言いながら、彼は私の涙を指で拭って、またキスをする。

「ねぇ……傍にいて……」
キスの合間に、彼がそう言った。返事の代わりに、彼の背中に腕を回す。
「……私はどこにも行きませんよ……」
そう言ったら、彼が安堵したように少し笑った。
 
もう、大丈夫……。もう、あなたを、一人にしない……。
私が傍にいるから……。
そう思って、彼の手を強く握った……。

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