夢と現と妄想と〜Rêve et réalité et illusion et〜
寒い……。今日は一段と寒い。
天気予報でも『今季一番の冷え込みです』と言っていたけれど、今季一番の冷え込みは、毎日のように更新されている気がする。
これでも、手持ちのコートで一番モフモフしたコートと、あったかいタイツと、ムートンブーツと、マフラーとニット帽。という完全防備で来ている。
うーん……寒い……。
けど、これからレイさんとデートだと思うと、今季一番の寒さも我慢できる。
暫くすると、エンジン音を響かせて彼の車が来た。停まったところで助手席のドアを開ける。
「お待たせ! ごめんね、寒かったよね」
「楽しみで待ってたので大丈夫ですよ」
車に乗りながらそう言った。車のドアを閉めて、シートベルトをする。車の中は、暖房で暖かかったから、ほっとして一息ついた。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
彼が、アクセルを踏んだ。
***
目的地に着いた。
レイさんが車を停めて、エンジンを切る。
道中は、他愛のない話をしながら、私は運転する彼の横顔を盗み見ていた。
はぁ、運転する姿も格好良かった……。と、思うのは『恋は盲目フィルター』のせいなのだろうか?
車の中で脱いでいたニット帽を被ってから車を降りる。
「わ、海の匂いがする……」
久しぶりに感じた海の香りに深呼吸をした。
アロマテラピーで植物の香りは扱うけれど、やはり、海や森などの自然の香りは心地良い。
今日、こんな海沿いまで来たのは……以前から彼と約束をしていた水族館デートのため。
「カノンちゃん、行こうか」
「はい」
いつものように、並んで歩きだす。と、彼に右手を取られた。
「レイさん⁉︎」
「だめ?せっかく二人で出かけたから……」
「あの……いいんですか?もし……」
少なくとも、彼は有名人。彼のことを狙っていなくたって、そういうマスコミの人がいないとは限らない。
「いいの。書かれるのも、撮られるのも慣れてる。別に疚しいことは何もないし、君は一般人だから君のことは詳しく書かれない」
「でも……」
「今更、俺の恋愛沙汰なんてネタにならないよー。それに……」
彼がそう言って、私の右手をギュッと握る。
「俺、カノンちゃんの手、柔らかくて温かくて好きだから」
微笑みながらそう言われて、嫌とは言えなかった。
「あ……ありがとうございます……」
そう言って、彼の手を握り返した。思っていたよりも彼の手も温かかった。
「あ……」
「どうかした?」
彼にそう聞かれて、一瞬返答を躊躇った。
「その……指先が……やっぱりギタリストだなって。あっ、別に変な意味じゃなくて……」
彼の左手の指先に触れて、そこだけ少し硬くなっていることに気付いてそう言ってしまった。
彼は、私の様子に、少し驚いたような顔をしたけれど、すぐに笑った。
「そう言えば、カノンちゃんと、こうやってきちんと手を繋いだの初めてかもね」
「そうですね……。ごめんなさい、変なこと言っちゃって」
「ううん。だって、いつもちゃんと手を繋がせてくれなかったから、今、初めて知ったことでしょ?」
「あ……そうですけど……」
「ちょっとずつ、これから知っていけばいいよ。お互いにね」
そう言って、レイさんが微笑んだ。彼の言葉に嬉しくなって、頷いた。彼の優しさに、少し胸の奥も温まったような気がした。
そうして、手を繋いだまま、水族館へ向かう。
チケットを買って中に入ると、小さめの水槽から並んでいた。
一つずつ、中に何がいるか覗いて歩く。
水槽の周りについている解説を読みながら、中の魚を覗いては、他愛のないことを話していた。
だんだん水槽も大きくなってきて、魚の種類も増えて来た。
この、天井まである大きな水槽は、暫く眺めていられるので、あまり邪魔にならないところで立ち止まって、中の魚を眺めていた。
「エイのお腹って笑ってるみたいだよね」
レイさんの目の前を、大きなエイが横切っていった後、彼がそう言った。
「ちょっと可愛いですよね」
「でも、あれ、尻尾で刺されるとヤバイって」
「ヤバイですよ」
私が、ごく普通に返したら、レイさんが驚いた顔をする。
「え?カノンちゃん海行くの?」
「行かないです。危険生物が好きで詳しいだけです」
「あはは……」
マニアックだなぁと、笑われてしまった。
そうかなぁ?小さい頃から、色んな生き物の図鑑が好きなだけなのに……。
「あぁ…水族館なんていつぶりだろう……? 最近はダイビングもしないからなぁ」
水槽の魚を見つめながらレイさんがそう言った。
「ふふふ……。こうやって、魚が泳ぐのを見ているだけでも癒されるんです。だから、水族館が好きなんですけど。大きいところはなかなか行けなくて」
今度は、私の目の前を、大きなエイが横切っていく。
「そっか……。そしたら、また違う所の水族館行こうか。ドライブ兼ねて」
「え、いいんですか?」
「うん。カノンちゃんが行きたいなら」
ニッコリと笑ってそう言ったレイさん。嬉しくなって、彼の手を握って頷いた。
その後は、カラフルな熱帯魚の水槽を眺めたり、チンアナゴの水槽をジッと張り付いて見たり、クラゲを見たり。たまたま時間が合ったので、久しぶりにイルカのショーを見たら年甲斐も無くはしゃいでしまった。
そして、休憩も兼ねたランチを済ませて、残りの水槽もゆっくりと見て回った。
「カノンちゃん、楽しい?」
水槽の中の魚達を見ながら、レイさんがそう訊いてきた。
「はい! すごく楽しいです」
彼の手を取って、そう返事をした。今日は時々手を繋ぎながら歩いているので、デートらしいデートをしている気がして楽しい。
「良かった。カノンちゃん、すごくいい顔してるから俺も嬉しい」
「レイさんと水族館来られるなんて思わなかったから、すごく楽しいです」
そんなことを話していたら、水槽も終わりになったので、出口近くの売店に寄り、自分にお土産を買って水族館を出た。
***
外に出ると、冷んやりとした空気が肌を撫でる。
「カノンちゃん、少し海見ていく?あそこから海沿いに行けそう」
「あ、少し見たいかも……。いいですか?」
「うん。散歩しようか」
水族館の出口から少し歩いたところに、海岸に出られるところがあるので、浜には入らないようにしながら海沿いを散歩した。
「寒いね!」
ビュウッと、海風が強く吹いた。思ったよりも海岸沿いの散歩は過酷だった。
もう夕方で、辺りも暗くなっているから、余計に寒く感じる。
「そうですね。風邪ひいちゃうから戻りましょうか」
「暖かくなった頃にまた来ようか」
「はい」
海風で冷えた気がしたので、ここぞとばかりにレイさんにくっつく。
レイさんは、私を風から守るように肩を抱いて歩いてくれた。
おかげで、いくらか寒さも和らいだ。彼のちょっとした優しさが嬉しかった。
そうして、駐車場まで、他愛のない話をしながら歩いていた。
「あれ、華音……?」
ふと、レイさん以外の人に名前を呼ばれた気がして、後ろを振り向く。すると、
「なんであんたがここにいるの……?」
由貴人だった。何故、こんなところに…?
いや、この人の仕事柄、何かの取材か、ゴシップ探しかのどっちかだけど……。
「カノンちゃん、どうかした?」
私が急に立ち止まったので、レイさんが少し先で不思議そうにそう言った。
「いや、それはオレが聞きたい。お前、まさか……」
「もう、あなたとは終わったんだから、関係ないじゃない」
「珍しい人が歩いてると思ったら、まさか華音が一緒だなんて……」
「っ!撮ったの⁉︎」
思わず由貴人に詰め寄る。
「いや、お前だと分かって撮ったんじゃない!最近、この辺り、お忍びが多いから撮ってこいって言われて、たまたま撮ったら華音だったんだよ!」
「消してよ!」
「いや、これはこれで……」
あぁ、むかつく!これだからパパラッチは嫌いだ!やってることが下衆すぎる!
「カノンちゃん、落ち着いて。どうしたの?この人、知り合い?」
レイさんの声で、ふと我に返る。気づけば、レイさんが私の所まで戻ってきてくれていた。
「ごめんなさい。この人、元彼です……。こういう仕事の人で……。ごめんなさい、迷惑かけちゃって」
「あぁ、そうなんだ」
レイさんの方に向き、そう言ったが、妙に落ち着いている様子の彼。
やはり慣れっこなのだろうか。以前も、こんな風にゴシップ探しの記者に鉢合わせしたことあるのだろうか。
レイさんは、私の顔をちらっと見ると、由貴人をジッと見つめた。
「……お兄さん、別に僕のことはどう書いてもらっても構いませんよ。今更、僕の恋愛事情なんて、ネタになるとは思いませんけど……。ただ、彼女は、いくらお兄さんの元彼女だったとしても、今は僕の彼女です。彼女を危険に晒すようなことや、彼女の社会的地位を脅かすような書き方をするのであれば……」
すっ……と、レイさんが由貴人の目の前に迫る。
「全力であなた、及び出版社を訴えますから、そのつもりで書いてください。僕のことは、いくらでも悪く書いてもらってもいいので。でも、根も葉もない話は、誰も面白くないと思いますけどね……」
ニコリと笑ってそう言ったレイさん。いや、目は笑ってない……。
「あぁ……その、ネタにするかどうかはオレが決める権限無いんで…」
「あぁ、そうなんですね。それなら良かった。だったら、尚更私情を挟んで仕事してはいけないと思いますよ」
「え?」
レイさんの言葉に、固まる由貴人。その瞬間、レイさんの表情が変わる。
「こんな良い子、放ったらかして蔑ろにしたんだ。ここで君が彼女を見かけたのは、君への戒めだと思うんだな」
こんなに冷たい声で話すレイさんを見たことがなくて、ゾッとした。
その瞬間『行こう』と、彼のいつもの声音でいわれて、慌てて彼の後をついて行った。
ちらっと振り返り、立ち尽くしていた由貴人を見ると、カメラをいじっていたので、恐らく写真を消したのだと思う……。
きっと、自分の記憶も一緒に抹消したいだろうな……なんて余計なことを考えてしまった。
「あの……レイさん……すみません」
「カノンちゃんが謝ること、何もないよ?」
「でも……」
「大丈夫。心配しないで。全部さっき言った通りだから」
「ぜんぶ……」
その『全部』に、色々含まれているなと、思ってしまった。
「でもさ、ああやって鉢合わせするのなんて、ブレイク直後以来だったなー!あの人、カノンちゃん見かけて出てきちゃったんだろうね。俺を撮りたかったのか、カノンちゃんを撮りたかったのか……」
どっちにしても、隠し撮り下手だね! なんて、笑いながら言ったレイさん。
もう、いつも通りの彼だったけど、由貴人に話していたトーンは、明らかに怒っていた。
この人は敵に回さない方がいい部類の人だろうな……。
そうこうして、やっと駐車場に停めた車のところまで来た。
レイさんが車のカギを開けてから、二人で乗り込む。そして、彼がエンジンをかける。
「海風、寒かったですね」
「そうだね。冷えちゃったね」
そう言って笑い合う。なんとなく、目が合ったので、そのまま顔を近づけてキスをした。
「ふふっ。レイさん、唇冷たい……」
「じゃあ、もう一回」
もう一度キスをしたら、ふわっと車のエアコンから温風が吹いた。なんとなく、その風に邪魔をされた気がした。
「さ、帰ろうか」
エンジン音を響かせて車が走り出す。
彼の新たな一面を垣間見たけれど、今日は一日とても楽しかった。
また、こういった時間を彼と過ごせますように。と、密かに願った帰り道だった……。
天気予報でも『今季一番の冷え込みです』と言っていたけれど、今季一番の冷え込みは、毎日のように更新されている気がする。
これでも、手持ちのコートで一番モフモフしたコートと、あったかいタイツと、ムートンブーツと、マフラーとニット帽。という完全防備で来ている。
うーん……寒い……。
けど、これからレイさんとデートだと思うと、今季一番の寒さも我慢できる。
暫くすると、エンジン音を響かせて彼の車が来た。停まったところで助手席のドアを開ける。
「お待たせ! ごめんね、寒かったよね」
「楽しみで待ってたので大丈夫ですよ」
車に乗りながらそう言った。車のドアを閉めて、シートベルトをする。車の中は、暖房で暖かかったから、ほっとして一息ついた。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
彼が、アクセルを踏んだ。
***
目的地に着いた。
レイさんが車を停めて、エンジンを切る。
道中は、他愛のない話をしながら、私は運転する彼の横顔を盗み見ていた。
はぁ、運転する姿も格好良かった……。と、思うのは『恋は盲目フィルター』のせいなのだろうか?
車の中で脱いでいたニット帽を被ってから車を降りる。
「わ、海の匂いがする……」
久しぶりに感じた海の香りに深呼吸をした。
アロマテラピーで植物の香りは扱うけれど、やはり、海や森などの自然の香りは心地良い。
今日、こんな海沿いまで来たのは……以前から彼と約束をしていた水族館デートのため。
「カノンちゃん、行こうか」
「はい」
いつものように、並んで歩きだす。と、彼に右手を取られた。
「レイさん⁉︎」
「だめ?せっかく二人で出かけたから……」
「あの……いいんですか?もし……」
少なくとも、彼は有名人。彼のことを狙っていなくたって、そういうマスコミの人がいないとは限らない。
「いいの。書かれるのも、撮られるのも慣れてる。別に疚しいことは何もないし、君は一般人だから君のことは詳しく書かれない」
「でも……」
「今更、俺の恋愛沙汰なんてネタにならないよー。それに……」
彼がそう言って、私の右手をギュッと握る。
「俺、カノンちゃんの手、柔らかくて温かくて好きだから」
微笑みながらそう言われて、嫌とは言えなかった。
「あ……ありがとうございます……」
そう言って、彼の手を握り返した。思っていたよりも彼の手も温かかった。
「あ……」
「どうかした?」
彼にそう聞かれて、一瞬返答を躊躇った。
「その……指先が……やっぱりギタリストだなって。あっ、別に変な意味じゃなくて……」
彼の左手の指先に触れて、そこだけ少し硬くなっていることに気付いてそう言ってしまった。
彼は、私の様子に、少し驚いたような顔をしたけれど、すぐに笑った。
「そう言えば、カノンちゃんと、こうやってきちんと手を繋いだの初めてかもね」
「そうですね……。ごめんなさい、変なこと言っちゃって」
「ううん。だって、いつもちゃんと手を繋がせてくれなかったから、今、初めて知ったことでしょ?」
「あ……そうですけど……」
「ちょっとずつ、これから知っていけばいいよ。お互いにね」
そう言って、レイさんが微笑んだ。彼の言葉に嬉しくなって、頷いた。彼の優しさに、少し胸の奥も温まったような気がした。
そうして、手を繋いだまま、水族館へ向かう。
チケットを買って中に入ると、小さめの水槽から並んでいた。
一つずつ、中に何がいるか覗いて歩く。
水槽の周りについている解説を読みながら、中の魚を覗いては、他愛のないことを話していた。
だんだん水槽も大きくなってきて、魚の種類も増えて来た。
この、天井まである大きな水槽は、暫く眺めていられるので、あまり邪魔にならないところで立ち止まって、中の魚を眺めていた。
「エイのお腹って笑ってるみたいだよね」
レイさんの目の前を、大きなエイが横切っていった後、彼がそう言った。
「ちょっと可愛いですよね」
「でも、あれ、尻尾で刺されるとヤバイって」
「ヤバイですよ」
私が、ごく普通に返したら、レイさんが驚いた顔をする。
「え?カノンちゃん海行くの?」
「行かないです。危険生物が好きで詳しいだけです」
「あはは……」
マニアックだなぁと、笑われてしまった。
そうかなぁ?小さい頃から、色んな生き物の図鑑が好きなだけなのに……。
「あぁ…水族館なんていつぶりだろう……? 最近はダイビングもしないからなぁ」
水槽の魚を見つめながらレイさんがそう言った。
「ふふふ……。こうやって、魚が泳ぐのを見ているだけでも癒されるんです。だから、水族館が好きなんですけど。大きいところはなかなか行けなくて」
今度は、私の目の前を、大きなエイが横切っていく。
「そっか……。そしたら、また違う所の水族館行こうか。ドライブ兼ねて」
「え、いいんですか?」
「うん。カノンちゃんが行きたいなら」
ニッコリと笑ってそう言ったレイさん。嬉しくなって、彼の手を握って頷いた。
その後は、カラフルな熱帯魚の水槽を眺めたり、チンアナゴの水槽をジッと張り付いて見たり、クラゲを見たり。たまたま時間が合ったので、久しぶりにイルカのショーを見たら年甲斐も無くはしゃいでしまった。
そして、休憩も兼ねたランチを済ませて、残りの水槽もゆっくりと見て回った。
「カノンちゃん、楽しい?」
水槽の中の魚達を見ながら、レイさんがそう訊いてきた。
「はい! すごく楽しいです」
彼の手を取って、そう返事をした。今日は時々手を繋ぎながら歩いているので、デートらしいデートをしている気がして楽しい。
「良かった。カノンちゃん、すごくいい顔してるから俺も嬉しい」
「レイさんと水族館来られるなんて思わなかったから、すごく楽しいです」
そんなことを話していたら、水槽も終わりになったので、出口近くの売店に寄り、自分にお土産を買って水族館を出た。
***
外に出ると、冷んやりとした空気が肌を撫でる。
「カノンちゃん、少し海見ていく?あそこから海沿いに行けそう」
「あ、少し見たいかも……。いいですか?」
「うん。散歩しようか」
水族館の出口から少し歩いたところに、海岸に出られるところがあるので、浜には入らないようにしながら海沿いを散歩した。
「寒いね!」
ビュウッと、海風が強く吹いた。思ったよりも海岸沿いの散歩は過酷だった。
もう夕方で、辺りも暗くなっているから、余計に寒く感じる。
「そうですね。風邪ひいちゃうから戻りましょうか」
「暖かくなった頃にまた来ようか」
「はい」
海風で冷えた気がしたので、ここぞとばかりにレイさんにくっつく。
レイさんは、私を風から守るように肩を抱いて歩いてくれた。
おかげで、いくらか寒さも和らいだ。彼のちょっとした優しさが嬉しかった。
そうして、駐車場まで、他愛のない話をしながら歩いていた。
「あれ、華音……?」
ふと、レイさん以外の人に名前を呼ばれた気がして、後ろを振り向く。すると、
「なんであんたがここにいるの……?」
由貴人だった。何故、こんなところに…?
いや、この人の仕事柄、何かの取材か、ゴシップ探しかのどっちかだけど……。
「カノンちゃん、どうかした?」
私が急に立ち止まったので、レイさんが少し先で不思議そうにそう言った。
「いや、それはオレが聞きたい。お前、まさか……」
「もう、あなたとは終わったんだから、関係ないじゃない」
「珍しい人が歩いてると思ったら、まさか華音が一緒だなんて……」
「っ!撮ったの⁉︎」
思わず由貴人に詰め寄る。
「いや、お前だと分かって撮ったんじゃない!最近、この辺り、お忍びが多いから撮ってこいって言われて、たまたま撮ったら華音だったんだよ!」
「消してよ!」
「いや、これはこれで……」
あぁ、むかつく!これだからパパラッチは嫌いだ!やってることが下衆すぎる!
「カノンちゃん、落ち着いて。どうしたの?この人、知り合い?」
レイさんの声で、ふと我に返る。気づけば、レイさんが私の所まで戻ってきてくれていた。
「ごめんなさい。この人、元彼です……。こういう仕事の人で……。ごめんなさい、迷惑かけちゃって」
「あぁ、そうなんだ」
レイさんの方に向き、そう言ったが、妙に落ち着いている様子の彼。
やはり慣れっこなのだろうか。以前も、こんな風にゴシップ探しの記者に鉢合わせしたことあるのだろうか。
レイさんは、私の顔をちらっと見ると、由貴人をジッと見つめた。
「……お兄さん、別に僕のことはどう書いてもらっても構いませんよ。今更、僕の恋愛事情なんて、ネタになるとは思いませんけど……。ただ、彼女は、いくらお兄さんの元彼女だったとしても、今は僕の彼女です。彼女を危険に晒すようなことや、彼女の社会的地位を脅かすような書き方をするのであれば……」
すっ……と、レイさんが由貴人の目の前に迫る。
「全力であなた、及び出版社を訴えますから、そのつもりで書いてください。僕のことは、いくらでも悪く書いてもらってもいいので。でも、根も葉もない話は、誰も面白くないと思いますけどね……」
ニコリと笑ってそう言ったレイさん。いや、目は笑ってない……。
「あぁ……その、ネタにするかどうかはオレが決める権限無いんで…」
「あぁ、そうなんですね。それなら良かった。だったら、尚更私情を挟んで仕事してはいけないと思いますよ」
「え?」
レイさんの言葉に、固まる由貴人。その瞬間、レイさんの表情が変わる。
「こんな良い子、放ったらかして蔑ろにしたんだ。ここで君が彼女を見かけたのは、君への戒めだと思うんだな」
こんなに冷たい声で話すレイさんを見たことがなくて、ゾッとした。
その瞬間『行こう』と、彼のいつもの声音でいわれて、慌てて彼の後をついて行った。
ちらっと振り返り、立ち尽くしていた由貴人を見ると、カメラをいじっていたので、恐らく写真を消したのだと思う……。
きっと、自分の記憶も一緒に抹消したいだろうな……なんて余計なことを考えてしまった。
「あの……レイさん……すみません」
「カノンちゃんが謝ること、何もないよ?」
「でも……」
「大丈夫。心配しないで。全部さっき言った通りだから」
「ぜんぶ……」
その『全部』に、色々含まれているなと、思ってしまった。
「でもさ、ああやって鉢合わせするのなんて、ブレイク直後以来だったなー!あの人、カノンちゃん見かけて出てきちゃったんだろうね。俺を撮りたかったのか、カノンちゃんを撮りたかったのか……」
どっちにしても、隠し撮り下手だね! なんて、笑いながら言ったレイさん。
もう、いつも通りの彼だったけど、由貴人に話していたトーンは、明らかに怒っていた。
この人は敵に回さない方がいい部類の人だろうな……。
そうこうして、やっと駐車場に停めた車のところまで来た。
レイさんが車のカギを開けてから、二人で乗り込む。そして、彼がエンジンをかける。
「海風、寒かったですね」
「そうだね。冷えちゃったね」
そう言って笑い合う。なんとなく、目が合ったので、そのまま顔を近づけてキスをした。
「ふふっ。レイさん、唇冷たい……」
「じゃあ、もう一回」
もう一度キスをしたら、ふわっと車のエアコンから温風が吹いた。なんとなく、その風に邪魔をされた気がした。
「さ、帰ろうか」
エンジン音を響かせて車が走り出す。
彼の新たな一面を垣間見たけれど、今日は一日とても楽しかった。
また、こういった時間を彼と過ごせますように。と、密かに願った帰り道だった……。