夢と現と妄想と〜Rêve et réalité et illusion et〜

「ありがとうございました。お気をつけて」
今日、最後のクライアントを見送った。いつも通り、閉店作業をする。今日は、レイさんが家に来るから少しだけ早く閉められてよかった。片付けも、少し浮き足立っているせいか、いつもより手際良く終えることができた。

「よし、帰ろ」
お店のシャッターを閉めて、帰路につく。
さて、夕飯には何を買って帰ろうかな……と考えながら歩いていたら、見覚えのある車が近くに止まった。程なくして、中から人が出てくる。

「よぉ、元気?」
「!」

由貴人だった。
サヨナラして以来、連絡も何もしてなかったから、一瞬、誰だか分からなかった。一体、何の用なのか。これからレイさんが来るのだから邪魔しないで欲しい。
「何か用?」
警戒心剥き出しで、いつもより低いトーンでそう言った。
「あー、たまたま近く通ったから、そろそろ仕事終わる頃かなと思って」
「ふぅん」
「仕事終わったんだろ?飯でもどう?」
「私、この後も用事あるから」
まったく、どうしてここまで何事も無かったかのように振る舞えるのか。腹が立ったので、振り切ろうとすると、
待って!と、止められる。

「なぁ、華音。俺が悪かったのは物凄く反省した。今後は気をつけるから……だからさ……やり直してくれないか?」

 はぁ? 何を言っているの?

「どうして、そんなことが言えるの? 正直、何言ってるのか分かんない」
「あの時は、ホント俺が悪かったし、仕事だったら、華音なら解ってくれるって甘えていた部分はあった! 関心が無くなったとかじゃなくて……!」
「関心が無いから、予定忘れて仕事入れるんでしょう?もう言い訳はいい。それに、あなたの『反省した』は、昔から散々聞いたけど、直った試しがないわ」
「それは……」
「お互い、無理してまで会うほどの気持ちでもなかったってことよ。今更、やり直そうなんて言われても、私、もう付き合ってる人いるんだ。お願いだから諦めて」
そう言って、由貴人を振り切った。追いかけてくる様子はない。というか、彼氏がいる、と言われたら、諦めるしかないだろう。

あぁもう、早く帰ろ。レイさんが来ちゃう。
頭は、レイさんのことを考えていたけれど、アイツに逆撫でられた気持ちは、ずっと刺々しいままだった。

***


 ご飯も美味しく作れた。お酒も、何も変哲のないビールだけど、レイさんと飲んだら美味しい。明日は休みだし、最高じゃないか。
でも、どうにもこうにも、心のトゲトゲだけが取れなかった。誤魔化したくて、酒を煽る。
「カノンちゃん、今日、ペースが早いよ?どうしたの?」
ソファに横並びに座っていたので、缶を握る手をレイさんに取られる。
「どうもしないですよぉ。ちょっと、今日は飲みたいだけれす」
「ほら、呂律がおかしいよ。何かあったの?」
彼に話してこの心の棘は取れるのだろうか?
今、一番と言っていいくらい大好きな人と一緒に居られるのだから、あんな奴のことなんて気にしなければいいだけなのに、こんなに心が乱されるなんて、自分がどうかしてるとしか思えない。

なんで、こんなに心が刺々しいの?
どうしたら、これ、おさまるの?


「レイさん…」
 ソファに座る彼に、向き合うようにして馬乗りになる。
「カノンちゃん……どうしたの? 積極的なのは嫌いじゃないけど」
彼は、くすくすと笑いながら、私の頬を撫でてくれる。
「レイさん……」
「ん?」
「……抱いてください」
 
心のトゲトゲをおさめるために選んだ手段。これが正しいかどうかなんて分からない。
でも、余計なことを考えないで済むと思ってしまったのは事実。
私の言葉に、目を丸くする彼。
「いいけど……君がそんなことを言うなんて、何か嫌なことでもあったのかな……?」
彼の言葉に何も返せないでいたら、彼が、穏やかな顔で私の頬に手を当てる。
「飲み方が荒れてるから、嫌なこと忘れたくて、自暴自棄になってるでしょ?」
「自暴自棄……」
「もし、外で一人で飲んでたら、きっと、だれか捕まえて行きずりかなぁ……?」
「なっ!そんなことないです!」
「カノンちゃん、それくらい心配な飲み方してるよ?」
そう言ったレイさんの目が怒っているように感じた。気まずくなって、彼から目を逸らす。
「いくら相手が俺でも、そんな気持ちで抱いてなんて言わないで。どうしたのか話してよ」
レイさんに、そっと抱き寄せられた。彼の腕の中はすごく温かかった。
彼の香りで気持ちを落ち着かせるように、ひとつ深呼吸をしてから話し始めた。

「……帰り道で……元彼に会ったんです。たまたま近くを通ったからって……」
「うんうん。それで?」
そう言って、彼は、ゆっくり背中を撫でてくれる。少しずつ、気持ちが落ち着いてきた。
「何でもなかったみたいに、あっさりしてて……。オレが悪かったのはすごく反省したから、やり直そうって言ってきて……」
「そっか……」
「私はそんな気ないし、もう彼氏いるからって、振り切ってきたんですけど……」
「ふふっ。よかった」
「あんな奴なんか気にしなければいいのに、モヤモヤしてるというか……気持ちを逆撫でられた感じがして……ずっと気持ちがトゲトゲしてるんです……」
「そっか……」
レイさんは、頷きながら聞いてくれていた。
さっきまで私の背中を撫でていた彼の手が、今は私の頭を撫でている。
「きっとね、前のこと思い出してイライラしてるんだよ」
「あぁ……」
レイさんの言葉が、妙にしっくりきた。
「ほっといて蔑ろにされてたのに、そんなこと言われたらね……。今は、彼に何とも思ってなくても腹が立つよね。やり直そうなんて、向こうから言うことじゃないと思うなぁ……」
そう言って、私の頬を手で包むように触れた。
「レイさん……」
「俺は、ちゃんとカノンちゃんのこと大事にしてあげるから。構えないことは多いと思うけど、蔑ろにはしない」
彼はそう言って、私の背中に腕をまわして、ぎゅぅ……と私を抱きしめた。
彼の体温に、冷えた心が溶かされていくような感じがした。
そうだ、ちゃんと私のことを考えて欲しかった。大事にして欲しかった。
別に、王子様を求めてるわけじゃないけれど、約束を守るという、当たり前のことをして欲しかっただけ。それを向こうはやらなかったのに、やり直すなんて、簡単に言って欲しくなかった。
「だから……」
耳元でレイさんが囁く。
「早く忘れちゃえ。もし、またなんか言ってきたら、俺がやり返すから」
「え?」
パッと、彼の顔を見ると、レイさんがちょっと不敵な笑みを浮かべていた。
やり返すとは……?
彼の笑みに隠された不穏な空気を察して、それ以上は聞かないでおいた。
「……さて、カノンちゃん」
「はい」
「まだ、抱いて欲しいと思ってる?」
冷静になると、我ながらすごいことを言ったものだと、恥ずかしくなった……。顔が熱い……。
「カノンちゃんから誘ってくれるなんて、ちょっとドキドキしちゃったよねぇ……。そんな可愛い格好で乗っかってきちゃうんだから」

なんだかニコニコしてるレイさん。そんな格好というのは、以前、綺子に『カノンはね、色気が足りないのよ!』
と、貰ったモコモコ素材のセットアップなのだけど……。上がパーカーで、下がショートパンツ。オーバーニーのモコモコ靴下も合わせて履いている。女子力高い店で見つけてきたであろう、綺子セットだ。
「……じゃあ……あっち行きましょうか……」
「うん」

気持ちのトゲトゲは収まった……と思う。
きっと、彼を信じていいのだろう。
少なくとも、今までよりは、嫌な思いはせずに恋ができるような気はする。
そう思って、ベッドに倒れこむ。

「今日は、カノンちゃんが上ね」
「なっ……! そんな急に……!」
「ふふふ。さっきみたいに乗っかって来たら良いよ」
……変なところで振り回されそうな気はするけれど……。
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