サイドストーリー
太陽が眠り、月明かりが自分の体を照らし始める頃、仮眠をとっていた筈だが、すっかり寝てしまったことを周囲の暗闇から感じながら、目が覚めた。
「おはよう」
寝ぼけた瞳を数度瞬かせている間に、横から心が落ち着く声が耳を通る。
「眠り姫のお目覚めかな?」
1つ、冗談を零しながらこちらに近付いてくるこの男は、情報屋と言う立場で何故か騎士である自分を助け、死体を偽装し、死を偽ってくれた上に、隠れ家に匿ってくれているのだ。
国に尽くしてきたと言うのに、その功績が牙を剥き、自分の立場を揺るがしかねないのか、こちらが悪事の証拠をつかんでしまったからなのか、国王にとって目障りとまで思われ、命を狙われ暗殺されかけた自分に恩を売ることが、この男にとって何の得になるかはわからない。
特に、この男は自分以外の人間を信用していないように見え、態度も飄々と掴み所がない。冒険者の人達には自分から「敵でも味方でもない」なんて言っている様子だった。国王から命を狙われる自分を助けることは、デメリットのほうが大きそうなものだが、それなのに彼は偶に、仲間を見るような目線を投げかけてくるのだ。
…これに関しては気のせいかもしれない。よくよく考えなくても、名前の1つも教えてもらっていない。
「…女性らしさだけで言うのであれば、あなたの方がよほど姫君らしいと言えるでしょうね。」
目線を彼に向ければ、白のカーテンが風に舞い、開いている窓に暗闇を彩りながら、妖し気な紫色の長い髪の毛が、窓の外の闇夜を背景に揺れている。左目は髪の毛で隠れていて見えないが、垂れた右目の赤色が動く、下まつ毛まではっきり捉えられる瞳が細まり、微笑みを向けられていることが伺えた。
やはり、前言を撤回すべきだろうか。姫君と言うには、この男の雰囲気は妖艶なのだ。
「ふふ、私がお姫様と言うのなら、おとぎ話の様に手を取って、ここから連れ出してくれるのかい?世界が、自分達を中心に回っているかのように駆け出して、幻想のような現実に愛でも誓おうか。」
目の前の彼が動けば、彼のフリルの多い服が揺れる。冗談が巧みで、本当に何を望んでいるか計り知れない。言葉だけ聞けば姫にかけた何の意味もない冗談、そもそも、連れ出すも何もここは彼の隠れ家なのだ。そうはわかっていても、彼から発される言葉にはつい、何かあるのではないかと思わせる魔力がある。結局は、自分はいつも何もわからないまま、冗談で遊ばれているだけなのだが。偶には反撃でもしてやろうかと、寝起きの体をゆっくりと起き上がらせ、相手の手に触れた。手のひら同士を重ね、自分の手の上に相手の手を置いてから、手首を掴んで引き寄せる。
「お望みならば連れ出してみせましょうか。ただ、私は国王様に命を狙われる身。言わば、立場としては魔王であると言えるでしょうね。となると、勇者に討伐されてしまうかもしれませんが。」
何となく細身であるとは思っていたが、実際に触れると一般男性よりやはり華奢なようだ。自分も、血筋の都合で体つきは良くならない方ではあるが、この痩せ方は栄養が足りていないように思える。彼の掴めなさ、情報の正確さを考えると、情報屋一本でも稼げそうな実力を持っている事は明白であるのに、あまり食事をしないのだろうか。
掴んだ手首にそう考えながら、姫の様に抱き抱えた。さすがの情報屋も珍しく驚いたような顔をしていたが、直ぐに首へ腕を絡めて距離を縮めてきた。慣れているのかはわからないが、反撃は大した反応も得られなかったようだ。
「勇者ねえ…、魔王が正しかったとしても、魔王を討伐した者は勇者とされるんだろう。でも私は、君と共に勇者を倒すし、君を倒させもしない、魔王は…私の勇者様なのだからね。君の役割が何であれ、どんなものであっても、私は君に寄り添ってみせるよ。」
お互いがお互いの瞳を写しながら軽口を叩くことを止めない。この悪ふざけは恐らく、自分が寝ていたから、情報屋が退屈していたのだろう。今は彼の退屈しのぎの時間というわけだ。
しかしながら、音楽や礼儀作法、社交ダンスなどのひと通りの習い事は叩き込まれたものだが、演劇の練習なんてものはしたことが無い。ましてや、自分は騎士だ。昨今の魔物活性化で休みなど取れず、仕事が終わったあとの自分の時間は鍛錬や勉学に励んでいた為、観劇したことも多くなく、少ない記憶を掘り返しても、子どもの頃から止まってしまっている。
「この先に海があるだろう、あの辺りは人が寄り付かない。今日はそこに行くというのはどうだい?あぁ、勿論ここから飛び降りてくれるんだろう?魔王様♪」
遊び足りない様子で、雰囲気がいつもの彼に戻った。夜風は体に障るだとか、靴を履いてないのに飛び降りるのかだとか、言いたいことは山ほどあったが、今日に関しては悪のりしてしまった自分が悪い。ならば仕方ないと、恩人である彼の遊びに付き合うことにした。
手摺に足をかけ、少し抱きかかえる力を強める。自分に密着する情報屋から少々戸惑いの声が聞こえた気がするが、二階の窓から飛び降り、そのまま地面に着地した。然程高くはないにしろ、素足はやはり足の裏が痛む。
「足に怪我をしたら最悪ですね。」
「魔王様なら大丈夫だろう。……なんてね、靴くらい履いて来て良かったのに。」
「……そう言うのは先に教えてくれませんか?」
みっともないながらも、一度隠れ家に戻って靴を履いた。ただ、これだけの時間すら幸せに感じられるほど、二人きりの時間は意外に尊く、楽しいもので。
なぜなら、等身大にバカをやって遊ぶなんて言う経験は、生きてきた中で一度もなかったのだ。次期当主として、騎士として、常に凛としなければと己を律していた。だから、彼が遊ぼうとふざけてくれるこの時間は新鮮で、何だかようやく、本当の自分で居られるような気がして、実のところ悪くない。この感情を、夜の高揚に責任転嫁することは勿体なかった、全身で感じていたい感情、初めての体験。世界が自分を忘れた様な、だからこそやっと、自分らしくいることを、自分という存在を許されたような感覚。心の奥底がざわつきもするが、心踊る時間。やるべき事は沢山ある中で、気を抜いてもいいと思わされるような隔離感。
楽しい気持ちが湧き上がる度に、ざわざわと胸が締まる感覚がする。これは楽しんでいる場合じゃないという、現実的な理性だ。そして、隔離感に対し気を抜いてもいいだなんて思ってしまう、自分自身の使命に対する思いへの、不甲斐なさから感じるもの。居心地の悪さが胸の中が締まるような感覚と同期していた。今自分の存在を一番許されている気がするのに、居心地が悪くなるとはどういう事なのか、今はわかりたくなかった。いったい自分は、世界とどう向き合っていたのだろうかなんて、考えてはいけない気がした。
「そろそろだよ」
聞き心地の良い声が響くと共に、目の前に美しい海が広がる。
光る水面がさざ波をたてて、夜の沈黙を彩っていく。海に魅入られ、情報屋を自分の腕の中から下ろした。情報屋は靴を脱ぎ、長い髪を靡かせながらこちらの手を引いてきた。
「あは、やっぱり君の方がお姫様みたいじゃないかい?月光に相応しい君の髪の毛、綺麗でさ。存在を象徴する眩さが好きなんだよね。それと同時に、眩しすぎて嫌いでもあるけど。」
「はぁ……、私は騎士です。私の事をそう例えられると、この身に余ると思ってしまうので複雑で…手放しに喜べませんね。そもそも、私は男ですし。」
好きなのか嫌いなのかよくわからない部分は無視をして相槌をうつ。情報屋は常に、どこか謎を含むような言い方をしてくるのだ。まあ、情報屋たる態度としては当然の言い回しであるとは言えるだろう。
「あははっ、あえて君を姫と例える理由がわからないのかい?………"王子様みたい"なんて、その通り過ぎる見た目だからね、君は。からかいにならないんだよ。いやぁ、君たちアイシェの人間は本当に容姿が良いよね、きらきら光って長〜いまつ毛に、一言で言えば容姿端麗、黙ってれば浮世離れしているとも言える美麗さだ。右のグレー色の瞳が色素薄くてさ、月明かりをそのまま反射して…照明なんかが街なかで当たっていると、その照明の色が綺麗に映ったりして。」
「………はぁ。」
「…どっちにしても身に余る光栄って思っていそうだから、あまり変わらなかったかな。容姿も褒められ慣れてる?意外に君は照れないよね。まあ、顔の左半分の大きい切り傷と失明して入れてる…魔工義眼《まこうぎがん》だよね、それ。それは王子様らしくはないし、騎士様らしい傷だってフォローはしておこうかな。何でその義眼の色、魔力で着色してないのか不思議だけど。」
左頬に手を添えられ、ゆるりと撫でられる。
魔工義眼は、精巧な魔力回路を人に合わせて、一から作成する魔具だ。魔力回路を繋げることで、ほとんど、元々あった瞳と同じ様に動き、機能する。瞳の色は基本ホワイトで、魔力回路が繋がることを確認した後、自身の魔力を流し込んで、右目と情報を共有させて同じ色に着色するのだが、精密な魔力操作ができる人間であれば、外側からでも義眼に着色する事は出来る。これは、一度着色すると塗り直しができないことから、魔力の使い方があまり得意ではない人間や子どもは、大人に着色してもらう為だ。
ならばなぜ、自分の義眼が白いままかと言うと──過去の事を思い出しては、目線が下に落ちる。唇を少し噛み締めてしまってから、すぐに力を解いた。
「…………その、自分でやって、失敗しまして…」
「えっ?」
恥ずかしさで声が小さくなってしまった。波の音にかき消されたのか、きょとんと目を丸めた情報屋が首を傾げる。2度も言うのは恥ずかしいながら、聞こえていないのであればと、もう1度口を開いた。
「……………自分でやって、失敗しました。子どもの頃の話ですので…、今でも魔力操作は得意ではありませんが、小さい頃はてんで駄目で…」
「あぁ…、あー……なるほどね。着色してないんじゃなくて、白色に着色したという事かい。…でも君、お付きの使用人とか居るはずだろう、どうして自分で着色しちゃったんだい?」
至極当然な質問が投げかけられる。その通りとしか言いようがない。昔の事を思い出すと、ため息が出てしまいかけ、少し目を泳がせれば情報屋はこちらが言いたくなさそうだと悟ったのか、左頬から手を離された。
「まぁ何でも良いよ。君の情報は高く売れる、君が言いたくない事なんて、世に出ていないだろうから尚更ね。そう言う情報で生計を立てる私に、安易に口を滑らせないのはいい判断だ。」
こちらが言いたくない理由を、相手が不審であった為という尤もらしい理由に変えられた。これは情報屋がこちらの事を勘違いしているわけではなく、こちらが言いにくそうに、且つ断りを入れるのに言葉を選んで黙ってしまったから、軽く話題を流してくれたのだろう。この情報屋が、こちらがある程度信用を寄せて口を滑らせて良いと思っている事に、気付いていないわけがないのだ。
緩やかな夜風が駆け抜け、情報屋が海の方に向かう。いつも不思議な空気感を纏うミステリアスな彼が、月夜の下、夜の海の煌めきに佇む光景は絵になるほどに美しかった、風に運ばれて流れる紫色の髪は、夜に溶け込みそうな脆さを兼ね備えている。瞬き1つの内に、この世から消えてしまいそうなその背中を追いかけ、隣に並んだ。身長はほとんど同じくらいだろう、目線を横に向けると目が合った。
「情報屋さん、さっきの義眼の話なんですけど」
「おや、情報を売ってくれるのかい?それは高くつきそうだね。」
また冗談。いつもこうして、のらりくらりとして居るのだろう。
「…お代は結構です。どうせ売れる情報ではありませんから。」
「ほう。」
知る事にリスクがある情報と言うことは察するはずだが、彼は声色1つ変えることはなく、特に驚く様子もなく、こちらの話を聞こうとしているのがわかる。
「小さい頃は周りの大人の誰が信用できるのか、今以上にわかっていませんでした。簡単に言えば、使用人を信じていなかった。それだけの話です。」
「…………ふぅん、あの理想の権化、まさしく騎士、民に優しく民を信じ、一部では英雄やヒーローのように扱われている君がねぇ。」
「私は英雄でもヒーローでもありません。それに、これは小さい頃の話です。…あの頃は警備体制がきちんととれていなくて、食事に毒を盛られた事がありました。…犯人は、お付きの使用人の1人です。私は直ぐに毒を吐き出し、使用人を捕らえましたが、猛毒だったので口から血が止まらずに倒れてしまったんです。」
貴族ならまあまあよくある話だ、暗殺されかけるなんていつもの事。悪い事なんてしていないが、何せ何もしていなくても存在が目立つ、人々のヘイトの的としても丁度いい存在なのだ。この使用人だって、魔物に家族を殺され、近くに騎士が居なかったから助けてくれる人が居なかったと、それで逆恨みの結果、騎士家系の人間を狙っていただけだった。
そう話していれば、情報屋から若干の殺気を感じ取れた。普段のこの人なら全部隠すだろうに、自分の話に対して、使用人への怒りを肌で感じた。
「何であなたが怒っているんです?」
「大人が子どもを殺そうとする…私はね、そういう性根が腐り落ちたような輩が大嫌いなんだ。すまないね、続けてくれたまえ…いや、いまのが理由か」
小さく息をついて落ち着こうとしている様子が伺える。子どもを大切に思っていると言うよりは、彼が子どもの頃に救われなかったからこそ、自分だけでもと子どもに優しくしようと思っているらしい情報屋だからこそ、自分の不幸を理由にして他人を傷つける行為が許せなかったのかもしれない。
「いえ、その後ですね。目を覚ました幼い日の私に与えられたのは、倒れる前に使用人を取り押さえた事への賞賛でした。さすがだと、立派な騎士になると」
「……………は?」
「まだ毒が完治していなかった私は、苦しいとは言えずに微笑む事しか出来ませんでした。……ご理解いただけたと思いますが、必要とされているのは私ではなく、この一家から輩出される立派な騎士になりそうなシンボル。…それが、私の存在価値です。…私の事を見てくれない人達に、自分の人体となる一部を着色させる事が怖かった、嫌だった…幼い私はそういう思考でした。…あぁ、勿論、今はみんなが嫌いなわけではなく、家族のことも、信用できる使用人のことも、好きですよ。シンボルになること、家の役に立つこと…それは今の私の本望でもあります。」
家族は好きだ、使用人たちも。だからこそ、家の役に立つ事は自分のしたい事でもある。例えそれが、自分自身としてではなく、ただの称号として見られる事だとしても。
父上も母上も尊敬しているし、従弟も可愛いと思っている。然しながら、幼心にはまだその感情が上回ることがなく、自分自身をもう少し見てくれたらな、なんて思ったものだ。
話し終えると、情報屋が眉間に皺を寄せている。彼のことだ、こちらの言っている事は理解しているはず。自分のこの気持ちも、シンボルになることを本気で望んでいることも伝わっているはず。とはいえ、理解はできるが共感はできないと言った感情だろうか、相槌を打つこともなく情報屋から零れた小さなため息が、波の音に拐われていく。
「ふふっ、自分で勝手に着色して、失敗して。…こっ酷く叱られたものです、大馬鹿者〜なんて。…どうです?この情報。売れないでしょう。」
目を細めて笑みを向ける。こんな情報売れる理由がないのだ、何故なら自分はアルフローズ・フォン・アイシェ。アイシェ家の跡取り息子で、騎士らしく民を守る"偶像"だからだ。
こんな話をしたとして、本人が話していたと言ったとして、受け取り手が信じられるわけがない。自分の行いは、振る舞いは、ヴィオレフィアの民に夢を見せている。その自信があるし、だからこそ今までの行いを誇りに思っている。
そう自分が思っていることも伝わっていそうな情報屋は、笑みの消えた顔で海を眺めていた。つまらない、というわけでは無さそうだ、これはきっと、まだ少し怒っているんだろう。
「…あぁ、確かに売れないようだ。私が見ている君は、たしかに現実のはず、今聞いた言葉が真実のはずなのに…、民から見たらこれは理想的な君ではない。信じられる現実ではない。だから、受け入れない。そういう情報だ。」
「えぇ、だからこの情報は…」
「ねぇ、気づいてないのかい?君は、世界から本当の自分を受け入れてもらえてないって、それでもいいって、自分から言っているんだよ。」
「……」
想定外の返答だった。あの情報屋がこちらを気にかけて、片眉を下げ、苦虫を噛み潰したような顔をしている。ついつい驚いてしまって、一瞬目を丸めてしまうも、それはすぐに笑いへと変わった。
なぜならそんな事は、とうの昔に理解しているからだ。それでもこの道を進むと決めたのは自分だ。世界に受け入れられなかったら何だと言うんだろう、自分がやるべきことも、成すべきことも変わらない。それでもこの国に命を捧げ、国1番の剣となり、理想の騎士であり続けると決めたのは自分だ。
「私がその事に気づいていて、それでも歩みを止める気がないと言えば、あなたはどう思うんでしょうね、少し興味があります。」
「は?クソ悪趣味だね、君。」
「あぁ、怒ってます?」
この人は偶に口が悪くなるが、そういう時は本気で怒っている証拠だ。いつも人を怒らせるような言動をしておいて、煽られたら怒るんだから少し笑える。
「あなたって結構優しいですよね。人の為に怒って、本当に不機嫌になって。だから、こうして少し煽られたくらいで感情が出る。」
「……」
「ふふっ、でも、こんなあなたの事、誰に話したって信じてもらえませんね。みんな、あなたの事は冷静で気分屋で、人に大きな感情を向けないミステリアスな人だと思ってますから。この情報は、私だけのものですね。」
気分良く話していると、情報屋の顔がむすくれた。どうやらこちらの言いたいことを理解したらしい、じとりとした目線がこちらに流され、ため息をつかれる。
「さっきの君の話も、私だけのものとしてプラスに受け取れって?」
「さぁ、私はそんなこと言ってませんよ。」
「君っていい性格してるよね。」
伝わっている通りの意味だが、確定させてしまえば正面から口論が始まると思い、適当にはぐらかす事にし、微笑みだけを返すことにした。情報屋も口を閉じ、少しの静寂に波の音が響いて、水面はさざめきながら幻想的に煌めいた。
「リド。」
静寂を破った情報屋の口からは、一言だけ言葉が発せられた。聞き覚えのない言葉に、思考が止まる。
「へっ?」
言葉の意味を聞こうとするも、間抜けな声が出てしまった。いつの間にか、海を見ていた彼は体をこちらに向け、しっかりと見つめ合う状態になっている。
「"僕"の名前。……君に教えたところで、他の人は僕の名前だなんて思わないだろうね、つまり、これは君だけの情報だ。」
「えっ?な、なん、で?どう、したんです…?」
さも先程の会話の続きのように言葉を続けられる。名前?と言うか1人称が変わっていないか?と頭が急速に回転を始めるも、向こうの言葉を続ける速度のほうが速く、思考が彼の言葉に追いつかない。
「僕のトップシークレットだよ、君だけのものにしたまえ。…さて、義理堅い君のことだ、きっとこの情報に釣り合う君の話をたくさん聞けるんだろうね。」
距離が縮まり、思わず後退る。何を企んでいるのかわからない、少し意地悪を言った仕返しだろうか、いやそもそも名前が本当とは限らないし、自分が情報を開示するには…等と考えていると、両頬に手が添えられて、真っ直ぐ情報屋をみるように顔を固定された。思わず、その腕を掴みながらも戸惑いが隠せない自分を見て、情報屋が笑ったのがわかる。
「な、なんですか?急に…そうやって嘘か本当かわからない情報で、私のことを暴こうとしていらっしゃいます?」
「おや、君にも信じてもらえないのかい?…自覚が無いようだから言わせてもらうけど、僕は結構君のことを気に入っていてね。だからこそ、さっきの話を聞いて、君の周りの頼れない大人どもに怒りを覚えたんだよ。そのくらい気に入っている君にならこの情報を教えても良いと、僕が判断した。」
「いやあなたが私のこと大好きなのはわかってますけど…」
「わかってるんだ、いい性格しすぎでしょ」
頬を伸ばされた、痛い。伸ばしてきている手を軽めに叩くと、伸ばされることが無くなった。
「あのねぇ、確かに君の周りには怒りを覚えたけど、僕しか知らない君の情報というのは、僕にとっては甘美なものでね。…君の騎士らしくないぐちゃぐちゃな部分も知りたくなってきてしまったよ、言わば未知なのだからね、これ程興奮するものはない。」
情報屋が素直に話し始めてきたことにも驚いてしまったが、そう言えばこの人は未知ジャンキーなところがあるんだった。とは言え、人に対してその未知ジャンキーな部分を見せるのは、本当に気に入られているからだろう。知りたいと言う欲は相手に興味がなければ湧かない感情だから。まあ、気に入られていると言うのは、思惑があったにしろ、必要ではない自分の救出を行ったこと、こうして2人で夜の海に出ている事などから推測はできた事だが。
「君から出る情報はどんなものなんだろうね、さっきの話からして、結果的に僕の感情をぐちゃぐちゃに捻り潰してくるんだろうなぁ…ふふ、それも悪くないと思えてしまう。」
「……悪趣味なのはどっちなんですかね…。」
「あは、痛いところをつかれてしまったね。言っておくけど僕は君の何倍も悪趣味だよ、しっかり付いてきたまえ。」
何だか気分が良さそうな情報屋を前に、少し狼狽えてしまう。もしかして、いやもしかしなくても、情報屋は自分に対して、何でも曝け出して良いと思ってるほどに、こちらの事を気に入っているのだろうか。そんな彼の情報の対価として、こちらの素の部分を所望しているのだろう。ここまで曝け出すつもりの無敵の人を相手どるのは、その交換条件ではこちらが不利だ。そこまで求められる事を考えていなかった自分の甘さに若干の後悔が残る。
「こちらの情報に"誠実な騎士様"であれば答えてくれると思うけど、君が今素で居るのであれば、無言も悪くないだろう。…ふふ、でも君って、誠実なのは元々の性格だろう?だから葛藤する。横暴だって言ってしまえばそれまでなのにね。この条件は君が不利、でも呑んでくれるくらい、君も僕のことを信じてくれているだろう?」
「………………ずるい人。」
「あはっ、お互い様。」
バレていない訳が無い。彼といる時間を心地よく感じていて、ある程度彼を信じてなかったら、そもそも助けられたあとに行く宛がないとしても、直ぐに彼の傍を離れただろう。そうしなかった時点で、彼のことを信じている事など隠し通せるわけがない。
今度はこちらがむすくれると、情報屋が楽しそうに笑った。いい性格をしているのも、悪趣味なのも、一体どっちだと言いたい。そう思いながら、彼が少し無邪気に見える今、彼の素を垣間見ている今、彼の深みを知れることに喜ぶ自分がいる。きっと、先程の名前も本当の情報なのだろう。だとすれば、ともすれば、自分はそれ相応の対価を払わずにいられるような性格ではなく、結果的に自分の素の部分を話すことを考えているのは、目の前の彼が言う通りだった。
「……リドさん」
「なぁに、アル。」
「えっ、急に呼び捨てですか?距離縮めて来すぎでは?」
「そっちも敬語無くせばいいのに。と言うことは置いておいて、何か話してくれる気になったかい?」
寒空の下、肌を撫でる風が冷たく、海風が運ぶ潮の香りに包まれながら、両頬にまだ添えられているリドさんの手の甲に自分の手を重ね、しっかりと、赤い瞳を見据える。
「寒いんでとりあえず隠れ家戻りません?」
「賛成。思ったより寒くて君のほっぺで暖とってた。」
「でしょうね。あなたの手冷たいんですよ、一旦離してもらえます?」
自分の頬から冷たい手が下ろされると、ほ、と息をつく。魔法で暖をとれそうなものだが、彼はこの寒さも楽しんでいたんだろうか。そう言うところはまだわかり得ない。
夜が深くなっていき、気温が下がりきる前に、二人で隠れ家に戻ることにした。それまでの間、どんな事を話すか決めておこう。彼の隠れ家は、世界に爪弾きされたような素の自分の存在を許してくれる、世界から隠してくれるような、そんな気さえする。だから、どこまでも話していい気もしてきている。何だか気の許せる友人ができたような感覚で、浮かれているのは確かだ。
この人のことは、最後まで信じよう。
心に誓っていると、手が絡め取られる。リドさんに手を握られたとわかると、また人で暖をとっているな、と呆れ気味に視線を送る。こちらの言いたいことがわかったのか、口角を上げて笑みを浮かべるリドさんが、こちらの手を引いてくる。
「これは僕が君の手を握りたかっただけ。文句あるかい?」
「………無いですけど…」
「そう。…それと、確認だけど、隠れ家に入ったあとの話、ここの話は君と僕だけのものだ。いつか、冒険者の彼らと合流する事があれば、今まで通りに話すという事で良いよね。」
「無論、そのつもりです。あなたの名前も易々と口に出したりしないので、信じてもらっていいですよ。」
「信じているよ、君のことは。ずっとね。」
隠れ家のドアが開き、つけっぱなしの暖房機の暖かい風が外まで流れてくる。2人で柔らかい光に出迎えられ、隠れ家の中に入っていった。
ここから先は、きっと長い夜になるだろう、自分の事を奥底から話せる相手との曝け出し合いだ。お互いの手札、手の内を晒すことだってこの話し合いには含まれるはず。これは、ここからは、完全に協力体制であると言うことを意味していた。
対等に誰かと手を組むなんて初めてかもしれない。
こうして、気を引き締めなければならない状況下ではあるものの、心の奥底に喜びを感じながら、長い夜が幕を開けるのであった。
ーーーEND
「おはよう」
寝ぼけた瞳を数度瞬かせている間に、横から心が落ち着く声が耳を通る。
「眠り姫のお目覚めかな?」
1つ、冗談を零しながらこちらに近付いてくるこの男は、情報屋と言う立場で何故か騎士である自分を助け、死体を偽装し、死を偽ってくれた上に、隠れ家に匿ってくれているのだ。
国に尽くしてきたと言うのに、その功績が牙を剥き、自分の立場を揺るがしかねないのか、こちらが悪事の証拠をつかんでしまったからなのか、国王にとって目障りとまで思われ、命を狙われ暗殺されかけた自分に恩を売ることが、この男にとって何の得になるかはわからない。
特に、この男は自分以外の人間を信用していないように見え、態度も飄々と掴み所がない。冒険者の人達には自分から「敵でも味方でもない」なんて言っている様子だった。国王から命を狙われる自分を助けることは、デメリットのほうが大きそうなものだが、それなのに彼は偶に、仲間を見るような目線を投げかけてくるのだ。
…これに関しては気のせいかもしれない。よくよく考えなくても、名前の1つも教えてもらっていない。
「…女性らしさだけで言うのであれば、あなたの方がよほど姫君らしいと言えるでしょうね。」
目線を彼に向ければ、白のカーテンが風に舞い、開いている窓に暗闇を彩りながら、妖し気な紫色の長い髪の毛が、窓の外の闇夜を背景に揺れている。左目は髪の毛で隠れていて見えないが、垂れた右目の赤色が動く、下まつ毛まではっきり捉えられる瞳が細まり、微笑みを向けられていることが伺えた。
やはり、前言を撤回すべきだろうか。姫君と言うには、この男の雰囲気は妖艶なのだ。
「ふふ、私がお姫様と言うのなら、おとぎ話の様に手を取って、ここから連れ出してくれるのかい?世界が、自分達を中心に回っているかのように駆け出して、幻想のような現実に愛でも誓おうか。」
目の前の彼が動けば、彼のフリルの多い服が揺れる。冗談が巧みで、本当に何を望んでいるか計り知れない。言葉だけ聞けば姫にかけた何の意味もない冗談、そもそも、連れ出すも何もここは彼の隠れ家なのだ。そうはわかっていても、彼から発される言葉にはつい、何かあるのではないかと思わせる魔力がある。結局は、自分はいつも何もわからないまま、冗談で遊ばれているだけなのだが。偶には反撃でもしてやろうかと、寝起きの体をゆっくりと起き上がらせ、相手の手に触れた。手のひら同士を重ね、自分の手の上に相手の手を置いてから、手首を掴んで引き寄せる。
「お望みならば連れ出してみせましょうか。ただ、私は国王様に命を狙われる身。言わば、立場としては魔王であると言えるでしょうね。となると、勇者に討伐されてしまうかもしれませんが。」
何となく細身であるとは思っていたが、実際に触れると一般男性よりやはり華奢なようだ。自分も、血筋の都合で体つきは良くならない方ではあるが、この痩せ方は栄養が足りていないように思える。彼の掴めなさ、情報の正確さを考えると、情報屋一本でも稼げそうな実力を持っている事は明白であるのに、あまり食事をしないのだろうか。
掴んだ手首にそう考えながら、姫の様に抱き抱えた。さすがの情報屋も珍しく驚いたような顔をしていたが、直ぐに首へ腕を絡めて距離を縮めてきた。慣れているのかはわからないが、反撃は大した反応も得られなかったようだ。
「勇者ねえ…、魔王が正しかったとしても、魔王を討伐した者は勇者とされるんだろう。でも私は、君と共に勇者を倒すし、君を倒させもしない、魔王は…私の勇者様なのだからね。君の役割が何であれ、どんなものであっても、私は君に寄り添ってみせるよ。」
お互いがお互いの瞳を写しながら軽口を叩くことを止めない。この悪ふざけは恐らく、自分が寝ていたから、情報屋が退屈していたのだろう。今は彼の退屈しのぎの時間というわけだ。
しかしながら、音楽や礼儀作法、社交ダンスなどのひと通りの習い事は叩き込まれたものだが、演劇の練習なんてものはしたことが無い。ましてや、自分は騎士だ。昨今の魔物活性化で休みなど取れず、仕事が終わったあとの自分の時間は鍛錬や勉学に励んでいた為、観劇したことも多くなく、少ない記憶を掘り返しても、子どもの頃から止まってしまっている。
「この先に海があるだろう、あの辺りは人が寄り付かない。今日はそこに行くというのはどうだい?あぁ、勿論ここから飛び降りてくれるんだろう?魔王様♪」
遊び足りない様子で、雰囲気がいつもの彼に戻った。夜風は体に障るだとか、靴を履いてないのに飛び降りるのかだとか、言いたいことは山ほどあったが、今日に関しては悪のりしてしまった自分が悪い。ならば仕方ないと、恩人である彼の遊びに付き合うことにした。
手摺に足をかけ、少し抱きかかえる力を強める。自分に密着する情報屋から少々戸惑いの声が聞こえた気がするが、二階の窓から飛び降り、そのまま地面に着地した。然程高くはないにしろ、素足はやはり足の裏が痛む。
「足に怪我をしたら最悪ですね。」
「魔王様なら大丈夫だろう。……なんてね、靴くらい履いて来て良かったのに。」
「……そう言うのは先に教えてくれませんか?」
みっともないながらも、一度隠れ家に戻って靴を履いた。ただ、これだけの時間すら幸せに感じられるほど、二人きりの時間は意外に尊く、楽しいもので。
なぜなら、等身大にバカをやって遊ぶなんて言う経験は、生きてきた中で一度もなかったのだ。次期当主として、騎士として、常に凛としなければと己を律していた。だから、彼が遊ぼうとふざけてくれるこの時間は新鮮で、何だかようやく、本当の自分で居られるような気がして、実のところ悪くない。この感情を、夜の高揚に責任転嫁することは勿体なかった、全身で感じていたい感情、初めての体験。世界が自分を忘れた様な、だからこそやっと、自分らしくいることを、自分という存在を許されたような感覚。心の奥底がざわつきもするが、心踊る時間。やるべき事は沢山ある中で、気を抜いてもいいと思わされるような隔離感。
楽しい気持ちが湧き上がる度に、ざわざわと胸が締まる感覚がする。これは楽しんでいる場合じゃないという、現実的な理性だ。そして、隔離感に対し気を抜いてもいいだなんて思ってしまう、自分自身の使命に対する思いへの、不甲斐なさから感じるもの。居心地の悪さが胸の中が締まるような感覚と同期していた。今自分の存在を一番許されている気がするのに、居心地が悪くなるとはどういう事なのか、今はわかりたくなかった。いったい自分は、世界とどう向き合っていたのだろうかなんて、考えてはいけない気がした。
「そろそろだよ」
聞き心地の良い声が響くと共に、目の前に美しい海が広がる。
光る水面がさざ波をたてて、夜の沈黙を彩っていく。海に魅入られ、情報屋を自分の腕の中から下ろした。情報屋は靴を脱ぎ、長い髪を靡かせながらこちらの手を引いてきた。
「あは、やっぱり君の方がお姫様みたいじゃないかい?月光に相応しい君の髪の毛、綺麗でさ。存在を象徴する眩さが好きなんだよね。それと同時に、眩しすぎて嫌いでもあるけど。」
「はぁ……、私は騎士です。私の事をそう例えられると、この身に余ると思ってしまうので複雑で…手放しに喜べませんね。そもそも、私は男ですし。」
好きなのか嫌いなのかよくわからない部分は無視をして相槌をうつ。情報屋は常に、どこか謎を含むような言い方をしてくるのだ。まあ、情報屋たる態度としては当然の言い回しであるとは言えるだろう。
「あははっ、あえて君を姫と例える理由がわからないのかい?………"王子様みたい"なんて、その通り過ぎる見た目だからね、君は。からかいにならないんだよ。いやぁ、君たちアイシェの人間は本当に容姿が良いよね、きらきら光って長〜いまつ毛に、一言で言えば容姿端麗、黙ってれば浮世離れしているとも言える美麗さだ。右のグレー色の瞳が色素薄くてさ、月明かりをそのまま反射して…照明なんかが街なかで当たっていると、その照明の色が綺麗に映ったりして。」
「………はぁ。」
「…どっちにしても身に余る光栄って思っていそうだから、あまり変わらなかったかな。容姿も褒められ慣れてる?意外に君は照れないよね。まあ、顔の左半分の大きい切り傷と失明して入れてる…魔工義眼《まこうぎがん》だよね、それ。それは王子様らしくはないし、騎士様らしい傷だってフォローはしておこうかな。何でその義眼の色、魔力で着色してないのか不思議だけど。」
左頬に手を添えられ、ゆるりと撫でられる。
魔工義眼は、精巧な魔力回路を人に合わせて、一から作成する魔具だ。魔力回路を繋げることで、ほとんど、元々あった瞳と同じ様に動き、機能する。瞳の色は基本ホワイトで、魔力回路が繋がることを確認した後、自身の魔力を流し込んで、右目と情報を共有させて同じ色に着色するのだが、精密な魔力操作ができる人間であれば、外側からでも義眼に着色する事は出来る。これは、一度着色すると塗り直しができないことから、魔力の使い方があまり得意ではない人間や子どもは、大人に着色してもらう為だ。
ならばなぜ、自分の義眼が白いままかと言うと──過去の事を思い出しては、目線が下に落ちる。唇を少し噛み締めてしまってから、すぐに力を解いた。
「…………その、自分でやって、失敗しまして…」
「えっ?」
恥ずかしさで声が小さくなってしまった。波の音にかき消されたのか、きょとんと目を丸めた情報屋が首を傾げる。2度も言うのは恥ずかしいながら、聞こえていないのであればと、もう1度口を開いた。
「……………自分でやって、失敗しました。子どもの頃の話ですので…、今でも魔力操作は得意ではありませんが、小さい頃はてんで駄目で…」
「あぁ…、あー……なるほどね。着色してないんじゃなくて、白色に着色したという事かい。…でも君、お付きの使用人とか居るはずだろう、どうして自分で着色しちゃったんだい?」
至極当然な質問が投げかけられる。その通りとしか言いようがない。昔の事を思い出すと、ため息が出てしまいかけ、少し目を泳がせれば情報屋はこちらが言いたくなさそうだと悟ったのか、左頬から手を離された。
「まぁ何でも良いよ。君の情報は高く売れる、君が言いたくない事なんて、世に出ていないだろうから尚更ね。そう言う情報で生計を立てる私に、安易に口を滑らせないのはいい判断だ。」
こちらが言いたくない理由を、相手が不審であった為という尤もらしい理由に変えられた。これは情報屋がこちらの事を勘違いしているわけではなく、こちらが言いにくそうに、且つ断りを入れるのに言葉を選んで黙ってしまったから、軽く話題を流してくれたのだろう。この情報屋が、こちらがある程度信用を寄せて口を滑らせて良いと思っている事に、気付いていないわけがないのだ。
緩やかな夜風が駆け抜け、情報屋が海の方に向かう。いつも不思議な空気感を纏うミステリアスな彼が、月夜の下、夜の海の煌めきに佇む光景は絵になるほどに美しかった、風に運ばれて流れる紫色の髪は、夜に溶け込みそうな脆さを兼ね備えている。瞬き1つの内に、この世から消えてしまいそうなその背中を追いかけ、隣に並んだ。身長はほとんど同じくらいだろう、目線を横に向けると目が合った。
「情報屋さん、さっきの義眼の話なんですけど」
「おや、情報を売ってくれるのかい?それは高くつきそうだね。」
また冗談。いつもこうして、のらりくらりとして居るのだろう。
「…お代は結構です。どうせ売れる情報ではありませんから。」
「ほう。」
知る事にリスクがある情報と言うことは察するはずだが、彼は声色1つ変えることはなく、特に驚く様子もなく、こちらの話を聞こうとしているのがわかる。
「小さい頃は周りの大人の誰が信用できるのか、今以上にわかっていませんでした。簡単に言えば、使用人を信じていなかった。それだけの話です。」
「…………ふぅん、あの理想の権化、まさしく騎士、民に優しく民を信じ、一部では英雄やヒーローのように扱われている君がねぇ。」
「私は英雄でもヒーローでもありません。それに、これは小さい頃の話です。…あの頃は警備体制がきちんととれていなくて、食事に毒を盛られた事がありました。…犯人は、お付きの使用人の1人です。私は直ぐに毒を吐き出し、使用人を捕らえましたが、猛毒だったので口から血が止まらずに倒れてしまったんです。」
貴族ならまあまあよくある話だ、暗殺されかけるなんていつもの事。悪い事なんてしていないが、何せ何もしていなくても存在が目立つ、人々のヘイトの的としても丁度いい存在なのだ。この使用人だって、魔物に家族を殺され、近くに騎士が居なかったから助けてくれる人が居なかったと、それで逆恨みの結果、騎士家系の人間を狙っていただけだった。
そう話していれば、情報屋から若干の殺気を感じ取れた。普段のこの人なら全部隠すだろうに、自分の話に対して、使用人への怒りを肌で感じた。
「何であなたが怒っているんです?」
「大人が子どもを殺そうとする…私はね、そういう性根が腐り落ちたような輩が大嫌いなんだ。すまないね、続けてくれたまえ…いや、いまのが理由か」
小さく息をついて落ち着こうとしている様子が伺える。子どもを大切に思っていると言うよりは、彼が子どもの頃に救われなかったからこそ、自分だけでもと子どもに優しくしようと思っているらしい情報屋だからこそ、自分の不幸を理由にして他人を傷つける行為が許せなかったのかもしれない。
「いえ、その後ですね。目を覚ました幼い日の私に与えられたのは、倒れる前に使用人を取り押さえた事への賞賛でした。さすがだと、立派な騎士になると」
「……………は?」
「まだ毒が完治していなかった私は、苦しいとは言えずに微笑む事しか出来ませんでした。……ご理解いただけたと思いますが、必要とされているのは私ではなく、この一家から輩出される立派な騎士になりそうなシンボル。…それが、私の存在価値です。…私の事を見てくれない人達に、自分の人体となる一部を着色させる事が怖かった、嫌だった…幼い私はそういう思考でした。…あぁ、勿論、今はみんなが嫌いなわけではなく、家族のことも、信用できる使用人のことも、好きですよ。シンボルになること、家の役に立つこと…それは今の私の本望でもあります。」
家族は好きだ、使用人たちも。だからこそ、家の役に立つ事は自分のしたい事でもある。例えそれが、自分自身としてではなく、ただの称号として見られる事だとしても。
父上も母上も尊敬しているし、従弟も可愛いと思っている。然しながら、幼心にはまだその感情が上回ることがなく、自分自身をもう少し見てくれたらな、なんて思ったものだ。
話し終えると、情報屋が眉間に皺を寄せている。彼のことだ、こちらの言っている事は理解しているはず。自分のこの気持ちも、シンボルになることを本気で望んでいることも伝わっているはず。とはいえ、理解はできるが共感はできないと言った感情だろうか、相槌を打つこともなく情報屋から零れた小さなため息が、波の音に拐われていく。
「ふふっ、自分で勝手に着色して、失敗して。…こっ酷く叱られたものです、大馬鹿者〜なんて。…どうです?この情報。売れないでしょう。」
目を細めて笑みを向ける。こんな情報売れる理由がないのだ、何故なら自分はアルフローズ・フォン・アイシェ。アイシェ家の跡取り息子で、騎士らしく民を守る"偶像"だからだ。
こんな話をしたとして、本人が話していたと言ったとして、受け取り手が信じられるわけがない。自分の行いは、振る舞いは、ヴィオレフィアの民に夢を見せている。その自信があるし、だからこそ今までの行いを誇りに思っている。
そう自分が思っていることも伝わっていそうな情報屋は、笑みの消えた顔で海を眺めていた。つまらない、というわけでは無さそうだ、これはきっと、まだ少し怒っているんだろう。
「…あぁ、確かに売れないようだ。私が見ている君は、たしかに現実のはず、今聞いた言葉が真実のはずなのに…、民から見たらこれは理想的な君ではない。信じられる現実ではない。だから、受け入れない。そういう情報だ。」
「えぇ、だからこの情報は…」
「ねぇ、気づいてないのかい?君は、世界から本当の自分を受け入れてもらえてないって、それでもいいって、自分から言っているんだよ。」
「……」
想定外の返答だった。あの情報屋がこちらを気にかけて、片眉を下げ、苦虫を噛み潰したような顔をしている。ついつい驚いてしまって、一瞬目を丸めてしまうも、それはすぐに笑いへと変わった。
なぜならそんな事は、とうの昔に理解しているからだ。それでもこの道を進むと決めたのは自分だ。世界に受け入れられなかったら何だと言うんだろう、自分がやるべきことも、成すべきことも変わらない。それでもこの国に命を捧げ、国1番の剣となり、理想の騎士であり続けると決めたのは自分だ。
「私がその事に気づいていて、それでも歩みを止める気がないと言えば、あなたはどう思うんでしょうね、少し興味があります。」
「は?クソ悪趣味だね、君。」
「あぁ、怒ってます?」
この人は偶に口が悪くなるが、そういう時は本気で怒っている証拠だ。いつも人を怒らせるような言動をしておいて、煽られたら怒るんだから少し笑える。
「あなたって結構優しいですよね。人の為に怒って、本当に不機嫌になって。だから、こうして少し煽られたくらいで感情が出る。」
「……」
「ふふっ、でも、こんなあなたの事、誰に話したって信じてもらえませんね。みんな、あなたの事は冷静で気分屋で、人に大きな感情を向けないミステリアスな人だと思ってますから。この情報は、私だけのものですね。」
気分良く話していると、情報屋の顔がむすくれた。どうやらこちらの言いたいことを理解したらしい、じとりとした目線がこちらに流され、ため息をつかれる。
「さっきの君の話も、私だけのものとしてプラスに受け取れって?」
「さぁ、私はそんなこと言ってませんよ。」
「君っていい性格してるよね。」
伝わっている通りの意味だが、確定させてしまえば正面から口論が始まると思い、適当にはぐらかす事にし、微笑みだけを返すことにした。情報屋も口を閉じ、少しの静寂に波の音が響いて、水面はさざめきながら幻想的に煌めいた。
「リド。」
静寂を破った情報屋の口からは、一言だけ言葉が発せられた。聞き覚えのない言葉に、思考が止まる。
「へっ?」
言葉の意味を聞こうとするも、間抜けな声が出てしまった。いつの間にか、海を見ていた彼は体をこちらに向け、しっかりと見つめ合う状態になっている。
「"僕"の名前。……君に教えたところで、他の人は僕の名前だなんて思わないだろうね、つまり、これは君だけの情報だ。」
「えっ?な、なん、で?どう、したんです…?」
さも先程の会話の続きのように言葉を続けられる。名前?と言うか1人称が変わっていないか?と頭が急速に回転を始めるも、向こうの言葉を続ける速度のほうが速く、思考が彼の言葉に追いつかない。
「僕のトップシークレットだよ、君だけのものにしたまえ。…さて、義理堅い君のことだ、きっとこの情報に釣り合う君の話をたくさん聞けるんだろうね。」
距離が縮まり、思わず後退る。何を企んでいるのかわからない、少し意地悪を言った仕返しだろうか、いやそもそも名前が本当とは限らないし、自分が情報を開示するには…等と考えていると、両頬に手が添えられて、真っ直ぐ情報屋をみるように顔を固定された。思わず、その腕を掴みながらも戸惑いが隠せない自分を見て、情報屋が笑ったのがわかる。
「な、なんですか?急に…そうやって嘘か本当かわからない情報で、私のことを暴こうとしていらっしゃいます?」
「おや、君にも信じてもらえないのかい?…自覚が無いようだから言わせてもらうけど、僕は結構君のことを気に入っていてね。だからこそ、さっきの話を聞いて、君の周りの頼れない大人どもに怒りを覚えたんだよ。そのくらい気に入っている君にならこの情報を教えても良いと、僕が判断した。」
「いやあなたが私のこと大好きなのはわかってますけど…」
「わかってるんだ、いい性格しすぎでしょ」
頬を伸ばされた、痛い。伸ばしてきている手を軽めに叩くと、伸ばされることが無くなった。
「あのねぇ、確かに君の周りには怒りを覚えたけど、僕しか知らない君の情報というのは、僕にとっては甘美なものでね。…君の騎士らしくないぐちゃぐちゃな部分も知りたくなってきてしまったよ、言わば未知なのだからね、これ程興奮するものはない。」
情報屋が素直に話し始めてきたことにも驚いてしまったが、そう言えばこの人は未知ジャンキーなところがあるんだった。とは言え、人に対してその未知ジャンキーな部分を見せるのは、本当に気に入られているからだろう。知りたいと言う欲は相手に興味がなければ湧かない感情だから。まあ、気に入られていると言うのは、思惑があったにしろ、必要ではない自分の救出を行ったこと、こうして2人で夜の海に出ている事などから推測はできた事だが。
「君から出る情報はどんなものなんだろうね、さっきの話からして、結果的に僕の感情をぐちゃぐちゃに捻り潰してくるんだろうなぁ…ふふ、それも悪くないと思えてしまう。」
「……悪趣味なのはどっちなんですかね…。」
「あは、痛いところをつかれてしまったね。言っておくけど僕は君の何倍も悪趣味だよ、しっかり付いてきたまえ。」
何だか気分が良さそうな情報屋を前に、少し狼狽えてしまう。もしかして、いやもしかしなくても、情報屋は自分に対して、何でも曝け出して良いと思ってるほどに、こちらの事を気に入っているのだろうか。そんな彼の情報の対価として、こちらの素の部分を所望しているのだろう。ここまで曝け出すつもりの無敵の人を相手どるのは、その交換条件ではこちらが不利だ。そこまで求められる事を考えていなかった自分の甘さに若干の後悔が残る。
「こちらの情報に"誠実な騎士様"であれば答えてくれると思うけど、君が今素で居るのであれば、無言も悪くないだろう。…ふふ、でも君って、誠実なのは元々の性格だろう?だから葛藤する。横暴だって言ってしまえばそれまでなのにね。この条件は君が不利、でも呑んでくれるくらい、君も僕のことを信じてくれているだろう?」
「………………ずるい人。」
「あはっ、お互い様。」
バレていない訳が無い。彼といる時間を心地よく感じていて、ある程度彼を信じてなかったら、そもそも助けられたあとに行く宛がないとしても、直ぐに彼の傍を離れただろう。そうしなかった時点で、彼のことを信じている事など隠し通せるわけがない。
今度はこちらがむすくれると、情報屋が楽しそうに笑った。いい性格をしているのも、悪趣味なのも、一体どっちだと言いたい。そう思いながら、彼が少し無邪気に見える今、彼の素を垣間見ている今、彼の深みを知れることに喜ぶ自分がいる。きっと、先程の名前も本当の情報なのだろう。だとすれば、ともすれば、自分はそれ相応の対価を払わずにいられるような性格ではなく、結果的に自分の素の部分を話すことを考えているのは、目の前の彼が言う通りだった。
「……リドさん」
「なぁに、アル。」
「えっ、急に呼び捨てですか?距離縮めて来すぎでは?」
「そっちも敬語無くせばいいのに。と言うことは置いておいて、何か話してくれる気になったかい?」
寒空の下、肌を撫でる風が冷たく、海風が運ぶ潮の香りに包まれながら、両頬にまだ添えられているリドさんの手の甲に自分の手を重ね、しっかりと、赤い瞳を見据える。
「寒いんでとりあえず隠れ家戻りません?」
「賛成。思ったより寒くて君のほっぺで暖とってた。」
「でしょうね。あなたの手冷たいんですよ、一旦離してもらえます?」
自分の頬から冷たい手が下ろされると、ほ、と息をつく。魔法で暖をとれそうなものだが、彼はこの寒さも楽しんでいたんだろうか。そう言うところはまだわかり得ない。
夜が深くなっていき、気温が下がりきる前に、二人で隠れ家に戻ることにした。それまでの間、どんな事を話すか決めておこう。彼の隠れ家は、世界に爪弾きされたような素の自分の存在を許してくれる、世界から隠してくれるような、そんな気さえする。だから、どこまでも話していい気もしてきている。何だか気の許せる友人ができたような感覚で、浮かれているのは確かだ。
この人のことは、最後まで信じよう。
心に誓っていると、手が絡め取られる。リドさんに手を握られたとわかると、また人で暖をとっているな、と呆れ気味に視線を送る。こちらの言いたいことがわかったのか、口角を上げて笑みを浮かべるリドさんが、こちらの手を引いてくる。
「これは僕が君の手を握りたかっただけ。文句あるかい?」
「………無いですけど…」
「そう。…それと、確認だけど、隠れ家に入ったあとの話、ここの話は君と僕だけのものだ。いつか、冒険者の彼らと合流する事があれば、今まで通りに話すという事で良いよね。」
「無論、そのつもりです。あなたの名前も易々と口に出したりしないので、信じてもらっていいですよ。」
「信じているよ、君のことは。ずっとね。」
隠れ家のドアが開き、つけっぱなしの暖房機の暖かい風が外まで流れてくる。2人で柔らかい光に出迎えられ、隠れ家の中に入っていった。
ここから先は、きっと長い夜になるだろう、自分の事を奥底から話せる相手との曝け出し合いだ。お互いの手札、手の内を晒すことだってこの話し合いには含まれるはず。これは、ここからは、完全に協力体制であると言うことを意味していた。
対等に誰かと手を組むなんて初めてかもしれない。
こうして、気を引き締めなければならない状況下ではあるものの、心の奥底に喜びを感じながら、長い夜が幕を開けるのであった。
ーーーEND
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