始まりの章
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〓第0話
…………体が重い。
まるで錘を体中に縛り付けられたみたい。
空気を求めて口を開けても、酸素が入ってきている感覚もない。それなのに胸はヒリヒリと痺れる痛みを訴えてきてる。
「うぅっ……っ」
声を出そうにも言葉にすらならない呻き声。
頭は殴られたように痛み、指一本を動かすのも難しい程体は自由をなくしている。
重い瞼を何とか開けてみても視界はぼんやりとしている。
私、死ぬんだ――。
直感的に出てきた言葉。
そう思った瞬間、けたたましく鳴り響く電子音。慌てた様子の大人たちの声。
その中には最もお世話になった医師と看護師の声も含まれていた。看護師の方は声が震えている様子だった。
看護師のお姉さん。そういや涙脆かったなぁ。
病院で死んだら裁判沙汰になったりするのかな。
お母さんは何度か。お父さんは全く会いに来なかったし、そんな両親が娘の為にそんな事するわけない……か。
ちゃんとしたお礼はできなかったけど、先生もお姉さんも良い人だったから、私の事背負わないでほしいな。
生まれた時から弱かった身体。
周りに迷惑かけてばかりで、外の世界も碌に知らない身体。
不意に聞こえてきたカタンッと、軽い音。
そちらに目を向ければ、見えたのはゲームのパッケージ。
この白い空間の中で私に"外の世界"を見せてくれた作品『ゼルダの伝説』。
好きなものは与えて貰っていた私の唯一の楽しみ。
あの世界は現実とはかけ離れていて、実在に同じ場所は無いらしい。だったら、近いもので良い。あの緑豊かな世界をいつか自分の目で見てみたい。……見てみたかった。
まだ10代も始まったばかり。
せめて大人にはなりたかった。
大人になれずとも……次回作のゼルダ姫が主役の作品はやりたかった。
今までスポットライトに照らし続けた"彼"をどんな思いで主人公の席から遠ざけさせたんだろうか。
ガラガラと、車輪の音。
もう、遅いよ。それに限界だ。
……痛い。
……苦しい。
……真っ暗で怖い。
…………生きたかったよ。もっとやりたいこともあった。もっと、もっと……っ!!
***
***
***
***
***
「おはよう、アオイ。もう起きる時間よ」
目を覚ますと、目の前には白銀の髪を1つに纏めて横に流している女性。
「おはよう、お母さん。ごめん、読んでた本の続きが面白くてちょっと夜更かししちゃった」
「もう、ダメよ」と、私を優しく叱るその女性。この世界の私の母親。
数年前に私はこの世に生まれた。
どうやら私は死んだらしい。そして、この世界に転生したようだ。
自我を持ち始めた時には完全な状態で存在した"前世の記憶"。
それは時が経つにつれ、パズルのピースが外れるようにパラパラと散らばり落ちて消えていく。まるで何か不都合があるかのように。
「ねぇ、アオイ。お願いしたいことがあるんだけど、良い?」
「んー。なーに?」
朝の支度を終え、視線を母に向けると、籠を持っている母。
「ちょっと遠いのだけど、街までお薬を買いに行ってきてくれないかしら?」
「街って……。ここ辺境の村だよ?ちょっとで行ける距離じゃないし。今から行っても帰りは夕方くらいになるでしょ。まだ幼い娘に頼む?」
「アオイはしっかりしてるから大丈夫よ。それに可愛い子には旅をさせよって言うじゃない」
「えぇ……。まぁ、良いけど。それで薬って魔法薬にする素材?」
「えぇ。新しい魔法薬を作ってみたくって!世間ではまだ魔法使いを煙たがる人もいるから……。こちらから寄り添えば、きっといつか分かり合える」
そう話す母の横顔は苦しそうな悲しげな表情だった。
我が家を含め、この小さな村の半数以上が魔法使いだ。
少し前までは魔法使いは差別されていた。そんな者たちが都会を追われ、集まった先がこの村の起源だと言われている。
そんな話をしている時、母は知らないことを恐れるのは人として当然の事だと言っていた。けど、それが傷付けていい理由にはならない。
「優しいのは良いことだけどさ。そんなんじゃ、いつか自分自身を追い詰めるだけだよ」
「……それでも良い。いつか、アオイや世界中の誰もが幸せに暮らしていける世界が出来るとしたら、私は死んだって構わないわ」
「……そんなこと言わないでよ。お母さんは私の唯一のお母さんなんだから」
私の手を優しく握る母に、気持ちを込めて強く握り返す。前世の記憶があったって、お母さんはお母さんだ。
「お母さん。行ってくるよ」
籠を半ば奪うように受け取ると、扉のノブに手を置く。
「アオイ。……ごめんね」
何か言いたそうに謝る母。
「気にしないで。出来るだけ早く帰ってくるから。行ってきます!」
「行ってらっしゃい。道中気を付けてね!」
「はーい!」と、返事をして私は駆け出した。
あの『ごめんね』は、どういう意味だったんだろう。
時刻は太陽が真上に昇る頃。
建物が連なる街の中。人集りを抜け、影が覆う裏通りへ。
並んだ扉の1つに注目する。以前訪れた際に、扉を3回・2回・最後に5回ノックしなければいけないと聞いた。
扉の前に立ち、深く息を吸って吐く。
コンコンコンッ
コンコンッ
コンコンコンコンコンッ
「どうぞ」
中から聞こえてきたのは、しゃがれたおばあさんの声。
そっと中に入ると、裏通りとはいえ、まだ陽の高い時間とは思えない暗い空間。
暗いのは苦手なんだけど……。
蝋燭の灯りだけが不安を和らいでくれる。
「えーっと、母からのお遣いで……。緑の薬ってありますか?」
「……あの子の娘か。あるよ。ほら。用が済んだらとっとと出ておいき」
「ありがとうございます。……あの、お母さんをご存知で?」
「……アンタの母親はね、珍しい綺麗な白銀の髪。整った顔立ち。敵知らずの優秀な魔法使いなのさ。この界隈じゃ有名人だよ。知らなかったのかい?」
「へー。あっ。それじゃあ、失礼します」
緑の薬を受け取り、代金を支払うと、そそくさと店から立ち退く。
籠に入っていたサイフには多めに入れてくれていたのだろう。まだ何か買えそうだ。
「お昼用に林檎を1つ。あとは残った分でお母さんに何か買っていこうかな?」
アクセサリー屋、服屋、雑貨店と、巡る。
見た物どれも良い品ばかりだが、母に贈るというのにはパッとしない。
薬の材料を買っていけば確実に喜びそうだが、贈り物として買うようなものじゃない。
ふと、目についたのは花屋。
いつだったか花畑を作ってみたいって言っていたっけ。
「すみません!この花ください!」
私は店の人に声を掛け、白い花を一輪買っていくことにした。
辺りはすっかり暗くなっていた。
暗くなり、昼間とは違って息が白くなるほど寒い。
両腕を摩って、帰る足を急く。
「しまったなぁ。悩みすぎて遅くなっちゃった」
早く帰るって言ったのに。
帰ったら怒られるんだろうか。心配させてしまっているんだろうか。
村の中に入ると違和感を覚えた。
辺りが暗いとはいえ、時刻は夕方を過ぎた頃。
それなのに人の気配もしなければ、辺り一面は静寂に包まれている。
この時間でも、いつもなら誰かしら外にいる。
外に出ていなくたって、建物からは明るい光と笑い声が聞こえてくることもあるのに、それがない。
「お母さんっ!!!!」
息も途切れ途切れに、家の扉を開ける。
照明は付いていない。
――床に倒れている母の姿。
「……っ。アオイ?」
「っ、こ、これ……。どういうこと……?ねぇ……」
「っう、くっ。い、いい?アオイ。貴女は今すぐここから逃げなさい。いいわね?」
「や、やだよ!お母さん!だって、ねぇ、なんで……!?」
母の体に触れた手を見ると、ベッタリと付いた真っ赤な血。身体中の切り傷。
こんな"綺麗な切り方"、普通の魔物には出来ない。
頭の優れた魔族なら出来るだろうが、そんな存在滅多にいない。
だから、この傷は……っ。
「一体、誰にやられたの!?ねぇ!!」
「いいから行きなさい!!アオイ!!!!」
「っ。うぅっ……」
ふと、遠くの方から音が聞こえてくる。
複数の"人間"の声。賤しい笑い声。魔法使いへの罵声。
「アオイ。貴女は生きて。復讐なんて望んじゃダメよ。世の中悪い人ばかりじゃない。貴女は清く、正しく生きて。そして、いつか共に生きたいと想える人に出逢うのよ……」
「わ、私。………………っ、わかった。わかったよ!」
自暴自棄になったように踵を返し、外へと飛び出す。
最後に聞こえた「いってらっしゃい。アオイ」と、母の声。
そこからはただ、只管に走った。
息が苦しくなっても。口の中が乾燥しても。転んで体が傷だらけになっても走り続けた。
走って、走って、走り続けて――。
いつの間にか辺りは一面雪景色。
もう、足に力が入らない。
ボフッと、音を立てて雪の上に崩れる体。
生きろって言われたけど、無理だよ。
どうやって生きればいいのかもわからない。
死にたくないけど、先の見えない道をどう歩けばいいの?
「……人?えっ!?」
不意に聞こえてきた少年の声。
焦ったようなその声の主は、大きな足音を立てて近付いてくる。
「君!だ、大丈夫!?」
「……っ」
「あっ、無理しないで!えーっと……」
喉が枯れて声が出せないので、起き上がろうとする私を心配する少年。
その姿を見れば、年は私より同じか少し上くらいだろう。輝くような綺麗な金髪と澄んだ空のような瞳が特徴的だった。
悩む素振りをしていた少年だったが、何か閃いたように自身の巻いていたマフラーを外し始める。
「寒いよね。これ良かったら巻いて」
巻かれたマフラー。
伝わってきた温もりが心まで包んでくれているように感じた。
「ぁっ……あ、ありが、と、う。ありが、とう……ありがとうっ!!」
ボロボロと涙が溢れ落ちる。
痛む喉に鞭を打ち、必死に感謝の言葉を紡ぐ。
そんな私の様子に驚く少年。
「ねぇ。君が良かったらで良いんだけどさ」
少年は私に手を差し伸べる。
「うちにおいでよ」
柔らかく温かい笑顔。
私はその手に自分の手を乗せた――。