君色カトラリー

アンタが泣いたのは、後にも先にもあの日だけだった。


白色リ・スタート


ザァザァと雨音が地面を打ち付ける音。
葬儀が終わり喪服のまま、だだっ広い広間の畳に寝転がった。

ここの主である、祖父が亡くなった。
理由は簡単、老衰だった。

最後まで誇りに思っていたこの仕事をしていたのだ、大往生だろう。
ただ悔いがあるとすれば、きっとこの本丸と私のことだろう。

『彼らのことを、頼んだぞ』

そう言った次の日、祖父は息を引き取った。まるで眠っているかのような穏やかな顔で。

審神者を育成するための機関では、強面な鬼教官と名高かった祖父。
その反面、唯一残った肉親である私を置いていけなかったのだろう。
現場復帰を条件に私を連れて、この本丸へ着任した。

身の回りの世話は苦手ではなかったので、ここにいる祖父をはじめとする刀達の衣食住の管理は専ら私の担当だった。
まさか、顕現した彼らに箸の使い方から教えることになるとは思ってもみなかったが。

祖父の新しく開設したこの本丸の初期刀は、大変難しそうな顔で箸を握っていたのを思い出す。
表情の変化が少ない端正な顔で、『所詮写しには使えないというのか…!』などと言っていたのを聞いて、祖父は楽しそうに笑っていた。

最初はたったの三人だった本丸も、いつの間にやら大所帯になったものだ。

そう。たった一人減っただけ。
けど、その意味はどんな一人よりも重かった。



「ここにいたのか」

障子を開けて縁側に立つのは、金糸の髪を揺らす美青年。
美人は三日で飽きると言うが彼の端正さは毎度見ても慣れないものだ。

「…まんばくん」
「服が皺になるぞ。着替えたらどうだ」
「…箸も持てなかったまんばくんにそんなこと言われるなんて、感慨深いなぁ」
「いつの話だ」

基本的に敬語を皆に使うようにしているが、彼だけは別だ。
きっと彼の残念なところも、凄いところもずっと見てきたからだと思う。
写しコンプレックスが一番酷かった時に、何だか山姥切さんと呼ぶのが億劫になって、考え抜いた末にあだ名になって、それから敬語がなくなってきた。
きっと、彼と私の距離感はこれくらいが丁度いい。そう思っていた。

「政府の人に聞いたらね、おじいちゃんと霊力の波長合う人がいなかったんだってさ」
「あんな爺さん、中々いないだろう」
「まぁ、あんなアクの強い人が沢山いたら、それはそれで大変そうだよね」
「…ここがなくなるのも時間の問題か」

引き継ぐ審神者がいなければ、その本丸は解体される。
一から組み立てた前任者の霊力の波長に合わなければ、引き続き運営をするのは不可能らしい。

ここは彼らの家で、私の家で、祖父の家だ。
葬儀場にいた政府の人--祖父の教え子だったらしい--から、あるひとつの提案がされた。


「まんばくん。私、この本丸すごく好きだよ」
「あぁ」
「おじいちゃんにね、『彼らのことを、頼んだぞ』って言われたの」

でもね、と一息つき、ゆっくり言葉にする。

「それはただのきっかけでしかないの。色々考えたんだけど、この本丸が好きだから私、頑張ってみようと思う」

座っていた畳から、ゆっくり立ち上がる。
少しだけ足元がふらつく。けれど、両の足でしっかり踏みしめた。
此処が、私の居場所だ。

「私が、今日からここの主になる」

雨景色を背景に、驚いた顔のまんばくん。
まぁ、無理もない。

「おじいちゃん…いや、先代の主の仕事、全部把握しきれてないの。近侍を一番長くやっていたでしょう?だから、至らないところは沢山あると思うけど、私を助けて欲しい」

審神者の仕事は容易いものではない。分かっている。
きちんと育成機関を出て、正規の方法でもないから苦労も多い。分かっている。
でも、この本丸を存続させるにはそれしかなかった。

「今度は俺がアンタに教えることになるとはな」
「そういうことになるねぇ」

皮肉なものだ。
いや、むしろ彼の成長が見れて、逆に喜ばしい。
祖父は立派な刀を遺してくれた。

「わかった」
「…ありがとう。
あー…皆、主って認めてくれるかなぁ。絶対歌仙さんとか反対するよ、君にそんな大役出来るのかい!?って」
「まぁ言うだろうな」
「大倶利伽羅さんとか万年反抗期だもん…同田貫さんもこんなチビが主かよ、って思うよ、絶対」
「そこは大丈夫だろう」

間髪入れずに、そこは否定するまんばくん。
その言葉、信じていいものなのか。

「長谷部さんとかこじらせそう…大丈夫かな…」
「心配ないだろう」

意外と刀剣男士は面倒くさい性格が多いな、と改めて思う。
よく祖父は取りまとめていたものだ。

「いやに後ろ向きだな」
「まんばくんの性格がうつったんだね」
「どういう意味だ」

ぺしっと額を軽く叩かれる。
あぁ、正式に主になったらこんな風に友人のようなやり取りすることもなくなるのだろうか。

額を押さえて俯けば、ぽたりと畳に雨が降った。

ぽたり、ぽたりと。
ボロボロと零れる雫は、ダムが決壊したかのように止まらなかった。



「おじいちゃん、もう、いないんだね」
「…あぁ」

涙声で振り絞った言葉に、静かに相打ちを打つ目の前の青年。
私が俯いているから、彼の表情は見えない。
私と同じくらい、彼もきっと かなしい。


「でも、」

覆い隠すように被せられたのは、彼のいつも纏っている布切れ。
雨音が、少しだけ遠のく。

「俺達には、アンタがいる。アンタにも、俺達がいる。…だから、きっと…大丈夫だろ」

あやす様に、俯いた頭を撫でる大きな手。
少しだけ体温の低い、よく知ってる彼の体温だ。

不安や、寂しさや、悲しさが、涙と一緒にぽたり、ぽたりと零れていく。
きっと思い切り泣けるのは今日だけだから。

***

『のぉ、山姥切』
『なんだ』
『俺がいなくなったら、孫娘のこと頼んだぞ』
『なんで俺が』
『連れないのぅ、俺の一番の相棒だろう?』
『写しを一番なんて言う偏屈は、アンタくらいなものだ』
『意外とそうでもないかもしれんがな』
『それはどういう、』

『ほれ、三条の連中はベタベタに甘やかしてるし』
『アンタが言うか』
『粟田口はアレを姉のように慕っている刀ばかりじゃし』
『そうだな』
『新撰組刀達も甘やかしてるし』
『そうだな』
『左文字兄弟もすっかり懐いてしまっておるし』
『いいことだろ』
『歌仙や長谷部、燭台切なんか心配性の塊じゃし』
『そうだな』
『無関心そうに見えて、何だかんだと大倶利伽羅や同田貫は世話を手伝っておるし』
『全くだ』

『…いつの間にこんな本丸になったんじゃ?』
『アンタがそんなんだからだろう』
『それだ。お前は対等に俺やアイツを見てくれるだろう?だから、お前に頼むんだ』
『…はぁ。それは命令なのか?』
『いや。これは相棒からの、お願いだな』
『……致し方ない。分かった。
アンタの孫は、命にかえても』

(俺が、守ってやる)

布の下で子供のように泣きじゃくる少女をそっと抱きかかえ、あの日約束した言葉を噛み締めるように小さく呟いた。




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