君色カトラリー

相方の国広は今日は遠征だ。
そして、今日の畑当番は俺だ。

「あぁ、括れやしねぇ」

臙脂色の髪紐を床に放り投げ、自慢の髪を掻きむしる。
恥を承知で燭台切に頼むか?それとも薬研か?

あぁ、どいつに頼んだところで馬鹿にされるのは目に見えてる。
さて、どうしたものか。

「あれ、和泉守さん。今から畑当番ですか?」

廊下に面した障子を開けていたからか、書類を抱えたアイツが「いつもお疲れ様です」と、のほほんと笑っていた。

そうだ。国広以外に、馬鹿にしなさそうなやつがもう一人いた。


浅葱色の憂鬱


「本日はいかがいたしましょーか、お客様」
「そうだなァ、男前に仕上げてくれ。あと、動きやすくな」

書類の束は畳の上。
和泉守に引き止められて、髪結いを頼まれた。
一度そのサラサラヘアーに触りたいと思っていたのは、本人には内緒だ。

「いつもゆるっと結ってるもんねぇ。いつもみたいなのがいいですか?」
「いや、任せる」

つまり好きにしろ、と。

「和泉守さん、髪綺麗ですよね。いいなぁ」
「ちゃーんと手入れしているからな」
「あぁ、堀川くんが手入れしてくれているんですよね?」
「そうそう…ってそのくらいは自分でしてる」

身の回りが自分でロクにできないどこかのジジイと一緒にされては困る。

そう言って、目の前の彼は拗ねたように口先をツンと尖らせた。

「アンタこそ、どーせ生乾きのままいつも寝てるんだろ?」
「おぉ、和泉守さんったら、エスパーですね」
「だろうと思ったよ。
そんなんじゃいつか風邪引くぞ?仕事で夜更かしもしてるんだろ、どうせ」
「はーい、気をつけます」

そう答えれば、本当にそう思ってんのか?と言いたげな視線を投げかけられる。
うん、まぁ善処します。

本当はこの伸びた髪を切ってしまいたいが、まだ祖父の霊力の残滓が残っているらしい。
霊力がキチンと入れ替わってしまえば、バッサリ切ってもいい…と政府の役人から聞いた。
何やら切った髪を、最後に鍛刀用の窯にくべて、本丸引き継ぎが完全に終了する。…らしい。
らしいらしいと言うが、正式な教育を受けていないから、全て受け売りだ。少し、情けない話ではあるが。

櫛で丁寧に梳けば、静かな時間が流れる。
微かに髪が揺れる音と、庭の葉擦れの音がやけに大きく聞こえた。

「あー…髪、梳かれンの、気持ちいいな」
「そうなの?今度、私もされてみたいですね」
「お。そーかそーか、そのときは俺がやってやるよ」
「…和泉守さんは、なんか梳くのが豪快そうだからちょっと。」
「どういう意味だよ」

冗談の応酬が一番楽しいのは、彼かもしれない。短気だとよく言われているが、やっぱり優しいなぁ、なんて。

「冗談ですよ。その時はお願いしますね。
…はい、できた」

高く結い上げたポニーテール。
彼が口癖のように『実用性と美の両立』を考えて結った結果だが、どうだろう。

「………」
「…和泉守さん?」
「あ、あぁ、悪い。うん、悪くねぇ、な」
「…やっぱりいつものがいい?」
「あー、違う。
…前の主が、昔よく同じ髪型してたからな。懐かしくて」

満足そうに、そして照れたように笑う彼。
いつもの不敵そうな笑みでも、怒ってる顔でもない。

(あぁ、こんな顔、彼もするんだ)

珍しいものが見れて、少しだけ役得な気分に浸れた。

「あれだ。あー、また頼むよ」
「私でよければいつでも。あぁ、でも堀川くんの方が上手かもしれませんね」
「いや、アンタに頼むことにする」

気を遣っているのか、お気に召したのか。
まぁ、でもその綺麗な黒髪に触れることができるなら大歓迎だ。

「さて、これどこに運べばいいんだ?」
「あっ」

床に置いていた書類の束を抱える和泉守。
彼は内番の仕事もあるだろうに。

「い、いいですよ、だって内番、」
「いーんだよ。どうせ陸奥守とだしな。第一、女がこんな重たいモン運ぶな。転けたらどうするんだ」
「や、だって、自分で運べますし、」

そう答えれば、くるりと踵を返して振り返る彼。高々と先程結ったポニーテールが、美しい弧を描いて回る。
和泉守はまさに『呆れた。』と言わんばかりの顔で見下ろしてきた。

「…あのなぁ。お前はそうでなくとも周りを頼らないんだからよ、そのくらい遠慮なく言えって」
「だってみんな、戦で疲れて、」
「だってもクソもねぇよ。荷物運ぶのくらい、いつでもやってやる。ンなこと気にするな。
髪梳くのだって、『お願いします』って言ったからには絶対俺に頼めよ、いいな」
「え、あ」
「返事は一つだ。男に二言はねぇ」
「は、はい」
「よし」

満足そうに頷き、「執務の部屋でいいんだろ?」と言う彼に対し、首を縦に振る。

(私、一応女なんだけどなぁ)

あぁ、本当に彼は優しい。
いや本丸にいる皆、だ。

主だから、だろうか。いや、正確に彼らの主は私ではない。
先代亡き本丸で尽くしてくれる彼らに、私は何の恩返しができるのだろう。

目の前で揺れる黒髪をぼんやり眺めながら、深みに嵌まるような思考がめぐる。
堂々巡りになる自問自答は、答えが出てくる気配がなかった。

「ほら、ついたぞ。ここに置いておくからな」
「あ、ありがとうございます」
「じゃ、畑行ってくるわ」
「あ…」

思わず臙脂の着物の裾を掴んでしまった。
どうした?と言わんばかりに振り向く和泉守。
なんでもない、と言っても彼のことだ。白状しろ、と尋問するだろう。

なぜ着物を掴んだ。私の馬鹿。

「……今日の夕飯は、なに食べ」
「咄嗟に適当なこと言うなよ、バレバレだぞ」

(あぁもう、エスパーか)

もういいや、何言ってんだお前。馬鹿じゃないのかと言われるのを覚悟しよう。

「…なんで、和泉守さんや皆、優しくしてくれるんでしょう?」
「は?」
「や、ごめんなさい。なんとなく、そう思っただけで…」

主だから、だろうなぁ。もしくは先代の孫だから、だろうな。
それもそうだ。それ以外に何の理由があるだろうか。
彼らにとって私はそれ以上でもそれ以下でもない。

「そりゃあ、アレだろ。…頑張ってるだろ、アンタ。
まぁ、その割りにはそそっかしいし、チャキチャキしてるかと思ったら鈍臭ェし、周りを頼らねぇし」
「えっ、えぇ…す、すみません…」
「あー。そうじゃねぇ。
…ほっとけねェだろ。あんまり頑張りすぎるなよ」

頬を挟むように両手で包まれ、髪にそっと口付けが落ちてくる。
和泉守のシャンプーの匂いが、ふわりと香る距離。
状況がよく分からず、それはそれは間抜けな顔で彼を見上げてしまった。
状況を理解した途端、顔から火が噴いてしまいそうなくらい熱くなったが。

「い、いいいいい、いず、いずみの、かみ、さん!?」
「そのくらいで照れるなよ。じゃ、いってくるわ」

手をひらひらを振りながら、彼はくるりと背中を向ける。
目眩がしそうな熱を感じて、部屋の中でひとり種に染まった頬を両手で覆った。



「和泉守、遅いぜよ」
「悪ィ、支度に時間かかっちまった」
「?、顔、真っ赤じゃき。おんし、のうが悪いんか?」
「なっ、なんでもねぇよ。それよか、早くやって終わらしちまおうぜ」

陸奥守が不思議そうにこちらを見ながら首を傾げる。
接吻、しちまった。髪にだけどよ。

(いい匂い、したな)

あぁ次どんな顔して会えばいいんだ。




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