anemone days
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「ってて…」
浦原が目を開けると、そこは無限に広がる黒だった。
自分の姿は、はっきり見える。完全な暗闇という訳ではないらしい。
「…名無しサン?」
名前を呼んでみるが、返事はない。
さて、困ったことになった。
恐らくここは空間の歪み。
彼自身の斬魄刀があればなんとか脱出することが出来たかもしれないが、残念ながら愛刀から手を離してしまった。
「…さて、どうしますかね」
霊力制御装置が思ったより早く壊れてしまった。短く見積もっても後ひと月は保つはずだったのに。
予想を上回る霊圧の高さに耐えきれなくなった・と考えるのが妥当だろう。
真っ黒な空間に座り込んでこれからの事を考えていると、遠くから聞こえてくる軽い足音。
その気配のする方をじっと見ていると、小さな子供が遠くから走ってくる。
黒い髪に、柔そうな白い肌。
それは見知った彼女によく似ていた。
「…名無しサン?」
浦原の目の前をスルーして走り去っていく小さな足取り。
行く宛もない。手がかりもない。とりあえず追いかけてみるしかない。
浦原は駆けていった幼女の後を、小走りで追いかけて行った。
anemone days#08
思い返せば『見えるはずのないもの』が、小さい頃から見えていた。
「おかあさん、あそこの女の子、けがしてる」
母に訴えても訝しげな顔で見下ろされるだけだった。
最初、両親は困った顔をするだけだった。
気を引きたいのだろう。困った子だ・と。
一度も『見えるはずのないもの』の話を、耳を傾けて聞いてくれたことは無かった。
次第にそれは訝しげな目になり、最終的に気持ち悪いものを見るような侮蔑の視線に変わった。
どちらが私を引き取るか、毎夜揉めていたのを覚えている。
「あんたみたいな子、産まなければよかった」
母の言った言葉は、物心がつく前だったというのに酷くはっきりと覚えている。
それはまだ幼かった柔らかい心に深く深く突き刺さり、悪意に満ちた言霊は楔のように食込んだ。
ここで、私の記憶は一旦途切れる。
***
気がつけば、父方の祖父母の家だった。
木目の模様がいつも見ている『見えてはいけないアレ』にどこか似ていて、少しだけ怖かったのをよく覚えている。
「ここが今日から名無しの家だぞ」
祖父母にそう言われて、子供ながらに無性に泣きたくなった。
祖父母の家は店も兼ねていた。ちょっとした有名な小料理屋だったらしい。
お子様ランチのような可愛らしいメニューは出てこなかったけど、私は祖母の作る料理が好きだった。
祖父の捌いた魚が美味しくて、仕入れてきた魚の名前を丁寧に教えてもらうのが何よりの楽しみだった。
本来『見えてはいけないアレ』の話も、祖父母は耳を傾けてくれた。
もちろん、祖父母には見えなかったけれど。
「名無しには私達より少し、世界が沢山見えるんだねぇ」と祖母は言った。
「トトロみたいなもんだろ。そう目くじら立てる程でもないのにな」と祖父は笑っていた。
そのままのお前でいいじゃないか。
そう言って祖父は頭を撫でてくれた。祖母は優しく抱きしめてくれた。
初めて私自身を認められたようで、その日の夜は嬉しくて布団でこっそり泣いた。
言いようのない幸福感で胸がいっぱいになった。人生で、一番嬉しかった瞬間だと言っても過言じゃない。
その頃から、祖父母の前以外では『アレ』の話をすることはなくなった。
明らかに異形の、妖怪のような生き物はすぐに分かる。
意外とこの手の生き物は、言葉は通じるし、私にとっては無害なのだ。
一番難しいのは幽霊だった。
生きている人間か死んでいる人間か見分けがつくようになったのは、小学生の高学年になってからだ。
死者は、生者を妬む。
恨み節や後悔を耳元で囁き、羨ましいと縋ってこられるのはしょっちゅうだった。
祖父母がいて、常連のお客さんがいて、周りに少しだけ変なものが沢山いて。
友達は…正直あまりたくさんいなかった。
学校で必要最低限の話はするが、家に帰ったら家事や店の手伝いをしていたから遊ぶ時間をあまり取るようにしなかった。
友達と遊んできていいんだよ、と祖父母に言われたこともあったが、手伝いをしている方が落ち着いた。
そんな環境が変わったのは、中学一年の秋の終わり頃。時雨が降り注ぐ朝だった。
祖母が、亡くなった。
それは突然のことだった。
一番早起きだった祖母が起きてこなくて、優しく揺さぶれば驚くほどに身体が冷たくなっていた。
氷のように冷たくなっていて、あぁ人の身体はここまで冷たくなれるんだ・と他人事のように思った。
祖母の葬儀は、滞りなく終わった。
家に帰ったら祖父が一人で遺骨を抱えて、声を押し殺して泣いていたのを見てしまった。
あんなに大きかった祖父の背中が、酷く小さく見えたのは初めてだった。
今度は私が祖父を支える番だ。
そう思って祖母が残したレシピを元に、店で出す料理は私が作った。
祖父から「こりゃまんま、ばあさんの味だ。よく出来たな」と泣きそうな顔で褒められた。
小料理屋は夜だけ開く形になった。
昼は私が学校でいないから、という理由だが、今思えば祖母がいなくなってしまい、昼の時間帯にひとりで店を切り盛りするのは祖父が寂しかったのかもしれない。
それでもお客さんは来てくれた。祖父も楽しそうに笑ったいた。
大好きだった祖母はいなくなったけれど、何とかやっていけてると、思っていたんだ。
忘れもしない、一年後の秋。
祖母と同じ日に、祖父は亡くなった。同じ日に死んでしまうなんて、まるで後追いのようにも思えた。
外の音を掻き消すような激しい時雨。
冷たくなった身体。
祖母と同じ命日、同じ亡くなり方だった。
そこからしばらく記憶は飛ぶ。
仲の良かったお客さんが喪主になった私の手伝いを親身にしてくれた。喪主が父にならなかったのを察するに、祖父は父とは完全に縁切りをしていたらしい。
沢山、来てくれた慰問の方に頭を下げた。
お骨も拾った、はず。
頭の中が真っ白で正確に覚えていないのだ。
気がつけば祖父の骨壷を持って、傘を挿したまま道を歩いていた。
家まで車で送ろうか・と手伝ってくれたお客さんが言ってくれたが、私はなんとなく首を横に振った。
急いで帰っても、あの家にはもう誰もいない。
ぼんやり雨の中歩いていると、久しぶりに『アレ』を見た。
ビルの合間の、薄暗い路地。
黒い影の塊。
それは足の形を象った、何かだった。
物怪でも、幽霊でもない。知らない何か。
ごぽりと沼から空気が泡立つような音を立て、なんとか形を保っている『ソレ』はどこか不気味さを漂わせていた。
「…あなた、ひとり?」
久しぶりに、声をかけた。
もう、何でもよかった。誰でもよかったんだ。
『余が、見えるのか』
「うん」
『それは…なんだ?』
「…おじいちゃん、だったもの」
『お前も…ひとりか』
私は、足の形をした影に、そっと手を伸ばした。
孤独は嫌だった。
なにかに縋りたくて、たまらなかった。
それが、私と『彼』の出会いだった。
浦原が目を開けると、そこは無限に広がる黒だった。
自分の姿は、はっきり見える。完全な暗闇という訳ではないらしい。
「…名無しサン?」
名前を呼んでみるが、返事はない。
さて、困ったことになった。
恐らくここは空間の歪み。
彼自身の斬魄刀があればなんとか脱出することが出来たかもしれないが、残念ながら愛刀から手を離してしまった。
「…さて、どうしますかね」
霊力制御装置が思ったより早く壊れてしまった。短く見積もっても後ひと月は保つはずだったのに。
予想を上回る霊圧の高さに耐えきれなくなった・と考えるのが妥当だろう。
真っ黒な空間に座り込んでこれからの事を考えていると、遠くから聞こえてくる軽い足音。
その気配のする方をじっと見ていると、小さな子供が遠くから走ってくる。
黒い髪に、柔そうな白い肌。
それは見知った彼女によく似ていた。
「…名無しサン?」
浦原の目の前をスルーして走り去っていく小さな足取り。
行く宛もない。手がかりもない。とりあえず追いかけてみるしかない。
浦原は駆けていった幼女の後を、小走りで追いかけて行った。
anemone days#08
思い返せば『見えるはずのないもの』が、小さい頃から見えていた。
「おかあさん、あそこの女の子、けがしてる」
母に訴えても訝しげな顔で見下ろされるだけだった。
最初、両親は困った顔をするだけだった。
気を引きたいのだろう。困った子だ・と。
一度も『見えるはずのないもの』の話を、耳を傾けて聞いてくれたことは無かった。
次第にそれは訝しげな目になり、最終的に気持ち悪いものを見るような侮蔑の視線に変わった。
どちらが私を引き取るか、毎夜揉めていたのを覚えている。
「あんたみたいな子、産まなければよかった」
母の言った言葉は、物心がつく前だったというのに酷くはっきりと覚えている。
それはまだ幼かった柔らかい心に深く深く突き刺さり、悪意に満ちた言霊は楔のように食込んだ。
ここで、私の記憶は一旦途切れる。
***
気がつけば、父方の祖父母の家だった。
木目の模様がいつも見ている『見えてはいけないアレ』にどこか似ていて、少しだけ怖かったのをよく覚えている。
「ここが今日から名無しの家だぞ」
祖父母にそう言われて、子供ながらに無性に泣きたくなった。
祖父母の家は店も兼ねていた。ちょっとした有名な小料理屋だったらしい。
お子様ランチのような可愛らしいメニューは出てこなかったけど、私は祖母の作る料理が好きだった。
祖父の捌いた魚が美味しくて、仕入れてきた魚の名前を丁寧に教えてもらうのが何よりの楽しみだった。
本来『見えてはいけないアレ』の話も、祖父母は耳を傾けてくれた。
もちろん、祖父母には見えなかったけれど。
「名無しには私達より少し、世界が沢山見えるんだねぇ」と祖母は言った。
「トトロみたいなもんだろ。そう目くじら立てる程でもないのにな」と祖父は笑っていた。
そのままのお前でいいじゃないか。
そう言って祖父は頭を撫でてくれた。祖母は優しく抱きしめてくれた。
初めて私自身を認められたようで、その日の夜は嬉しくて布団でこっそり泣いた。
言いようのない幸福感で胸がいっぱいになった。人生で、一番嬉しかった瞬間だと言っても過言じゃない。
その頃から、祖父母の前以外では『アレ』の話をすることはなくなった。
明らかに異形の、妖怪のような生き物はすぐに分かる。
意外とこの手の生き物は、言葉は通じるし、私にとっては無害なのだ。
一番難しいのは幽霊だった。
生きている人間か死んでいる人間か見分けがつくようになったのは、小学生の高学年になってからだ。
死者は、生者を妬む。
恨み節や後悔を耳元で囁き、羨ましいと縋ってこられるのはしょっちゅうだった。
祖父母がいて、常連のお客さんがいて、周りに少しだけ変なものが沢山いて。
友達は…正直あまりたくさんいなかった。
学校で必要最低限の話はするが、家に帰ったら家事や店の手伝いをしていたから遊ぶ時間をあまり取るようにしなかった。
友達と遊んできていいんだよ、と祖父母に言われたこともあったが、手伝いをしている方が落ち着いた。
そんな環境が変わったのは、中学一年の秋の終わり頃。時雨が降り注ぐ朝だった。
祖母が、亡くなった。
それは突然のことだった。
一番早起きだった祖母が起きてこなくて、優しく揺さぶれば驚くほどに身体が冷たくなっていた。
氷のように冷たくなっていて、あぁ人の身体はここまで冷たくなれるんだ・と他人事のように思った。
祖母の葬儀は、滞りなく終わった。
家に帰ったら祖父が一人で遺骨を抱えて、声を押し殺して泣いていたのを見てしまった。
あんなに大きかった祖父の背中が、酷く小さく見えたのは初めてだった。
今度は私が祖父を支える番だ。
そう思って祖母が残したレシピを元に、店で出す料理は私が作った。
祖父から「こりゃまんま、ばあさんの味だ。よく出来たな」と泣きそうな顔で褒められた。
小料理屋は夜だけ開く形になった。
昼は私が学校でいないから、という理由だが、今思えば祖母がいなくなってしまい、昼の時間帯にひとりで店を切り盛りするのは祖父が寂しかったのかもしれない。
それでもお客さんは来てくれた。祖父も楽しそうに笑ったいた。
大好きだった祖母はいなくなったけれど、何とかやっていけてると、思っていたんだ。
忘れもしない、一年後の秋。
祖母と同じ日に、祖父は亡くなった。同じ日に死んでしまうなんて、まるで後追いのようにも思えた。
外の音を掻き消すような激しい時雨。
冷たくなった身体。
祖母と同じ命日、同じ亡くなり方だった。
そこからしばらく記憶は飛ぶ。
仲の良かったお客さんが喪主になった私の手伝いを親身にしてくれた。喪主が父にならなかったのを察するに、祖父は父とは完全に縁切りをしていたらしい。
沢山、来てくれた慰問の方に頭を下げた。
お骨も拾った、はず。
頭の中が真っ白で正確に覚えていないのだ。
気がつけば祖父の骨壷を持って、傘を挿したまま道を歩いていた。
家まで車で送ろうか・と手伝ってくれたお客さんが言ってくれたが、私はなんとなく首を横に振った。
急いで帰っても、あの家にはもう誰もいない。
ぼんやり雨の中歩いていると、久しぶりに『アレ』を見た。
ビルの合間の、薄暗い路地。
黒い影の塊。
それは足の形を象った、何かだった。
物怪でも、幽霊でもない。知らない何か。
ごぽりと沼から空気が泡立つような音を立て、なんとか形を保っている『ソレ』はどこか不気味さを漂わせていた。
「…あなた、ひとり?」
久しぶりに、声をかけた。
もう、何でもよかった。誰でもよかったんだ。
『余が、見えるのか』
「うん」
『それは…なんだ?』
「…おじいちゃん、だったもの」
『お前も…ひとりか』
私は、足の形をした影に、そっと手を伸ばした。
孤独は嫌だった。
なにかに縋りたくて、たまらなかった。
それが、私と『彼』の出会いだった。