anemone days
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それは、突然だった。
松葉杖が必要なくなり、あとは左腕のギブスと包帯が取れるだけになった。
三角巾で吊るされているからか少しだけ肩が凝った。
「名無しサン、迎えに来ましたよん」
いつもの下駄、帽子、杖、羽織。
景色は百年前によく見た建物なのに、彼の背格好だけが昔と違う。
ほんの少しだけ、変な気分だった。
anemone days#21
「…またどうしてここに」
「えー。名無しサンのおかげっスよぉ。…全部、夜一サンから聞きましたから」
カラン、コロン。
久しぶりに聞く、下駄の音色。
もう何年も聞いていなかったかのような錯覚に陥る。
病室のベッドに、一歩一歩近づく。
(全部聞いた、って。…あぁ、これは説教コースか…)
心の中であちゃーと呟いた。
無茶をして・とか、怪我が酷い・とか。
色んな人に散々言われた。
一護にも、ルキアにも、石田や茶渡、織姫にも泣きそうな顔で怒られた。
夜一の説教は思い出したくもない。意外と怒っていたのは砕蜂だった。
マユリですら半ば呆れていたのは驚いた。
『本当に腕を切り落とすバカがいるかネ』と。
知り合いである面々に、目が覚めてから会う度に何かしら小言を言われ続けた。
心配をして、というのは分かっていたから、大人しく聞きはしたけど。でも、やはり説教されるのは少し疲れるのだ。仕方ない。
夜一があの長さの説教だったのだ。浦原は倍だろうな、と身構えた。
スっと高く上げられた手。
拳骨コースか、と思い、目を固く閉じた。
ぽん。
「………………へ?」
「なんスかぁ、その声」
「いや、だって」
慈しむように、柔らかく頭を撫でる手。
大きな手が少し寝癖のついた髪を時々指で優しく梳いた。
「怒られると思ったんスか?」
「…はい、まぁ」
「皆サンにしっかり怒ってもらったでしょう。ならボクは何も言いません。夜一サンも『少し叱りすぎたか…』って言ってましたし」
夜一さん、自覚があったのか。
「名無しサン」
「…はい」
「よく、頑張りましたね」
浦原の、たった一言。
その言葉だけでじわりと目頭が熱くなったのが分かった。
色んな人が心配してくれた。怒ってくれた。それはとても幸せなことだ。
けれど、頑張りを褒めてくれる人はいなかった。
目標を立てた。
『浦原さん達の濡れ衣を晴らして、藍染をぶん殴ります』
それは奇跡的に達成出来た。
勿論、彼らが仕込んでくれた特訓の成果もあっただろう。
けれど、全ての偶然が重なって、いつ自分が死んでもおかしくない状況だった。
ゲームのようにリセットはきかない。
ひとつでも失敗したら、まさにゲームオーバーだった。
――怖かった。
誰にも打ち明けることがなかった。
今にも足が竦んでしまいそうな恐怖を、口にした途端歩みを止めてしまいそうな気がしたから。
「…最初に、市丸ギンに会ったんです。そこから囮として、ひとりで瀞霊廷に侵入しました」
「はい」
「知ってる景色のはずなのに、知らない人ばっかだったんです。しょうがないですよね、百年以上経ってましたし。
京楽さんに取引しに行くのも、本当は無茶苦茶怖かったです。あぁ、藍染を信用しきっていたらどうしよう、とか、旅禍として問答無用で斬られたらどうしよう、って。
…久しぶりに十二番隊の隊舎に忍び込むのも怖かったです。マユリさんが、とかじゃなくて、協力をお願いするのってこんなに怖いことだったんだな、って思って」
百年の月日は、決して短くない。
人が変わっている場合もあれば、立場が変わっているものもいる。
以前のように温かく迎えられるとは、限らないのだ。
「一番怖かったのは、やっぱり藍染でした」
一瞬でも気を抜けば、刈り取られる命。
磔架から飛び降り不意打ちで殴った後、あぁ、やってしまった。と少しだけ思ってしまった。
放った縛道が簡単に砕かれたのも、もしかしたら戦いに少しだけ恐怖を感じていたせいかもしれない。
黒棺から抜け出した後、市丸の刃に貫かれたのは、本当に痛かった。
そこからは無我夢中であまりはっきりと覚えていない。
腕を切り落とした。痛かった。
藍染の脇腹と肩を穿った。
切り落とした腕が補肉剤で元に戻った。
けれど、本当に霊力が一気になくなって頭がふらふらした。
その後、嬲るように手足を折られた。
全部全部、本当は怖かった。
『やはり、キミは欲しい』
そう言われた時。あぁ、これで負けたら浦原にもう会えないな、と一瞬思ってしまった。
この瞬間が、一番怖かった。
「…ダメですね、啖呵切って尸魂界に来たのに。こんなんじゃ、」
「そんなことはないですよ。名無しサンが頑張って結果を手繰り寄せた結果じゃないっスか」
撫でていた手に力を込められ、顔を浦原の胸板に押し付けられる。
いつも使っていた洗剤の匂いと、店の匂いと、浦原の匂いでいっぱいになった。
生暖かい体温。
するりと襟が開いた胸元からは、心臓の音が静かに聞こえた。
「大丈夫っスよ。今は、誰も見ていないっスから」
頑張りましたね。
その一言で、我慢していた涙腺が崩壊した。
本当に、怖かったのだ。
子供のように癇癪を起こして泣いてしまえばどんなに楽だったか。
けど後には引けない。進むしかなかった。
だから、今だけは、せめて。
***
泣き疲れたのか、時々鼻をスンと鳴らしながら眠る名無し。
濡れた頬を黒い羽織の袖でそっと拭えば、湿った睫毛が僅かに揺れた。
「連れてゆくのですね」
入口に立った卯ノ花が静かに問いかける。
「はい。元々この子は、うちの看板娘っスから」
袖を通していた羽織を脱ぎ、起こさないようにそっと名無しを包む。
補肉剤で作り直した左腕の治りは、遅い。
作りたてで折られたのだ。完全に体に馴染むにはしばらくかかるだろう。
けれど待っていられないのだ。
自分も、この世界も。
「それが再び戦場に立つことになっても、ですか」
卯ノ花の言葉に、そっと振り返る。
茜色の、夕暮れ。
黄昏時に差し掛かった日差しに照らされた彼女の足元。
しかし窓枠によってできた影が卯ノ花の上半身を覆い隠し、表情は全く読めなかった。
「…そうです。強くするのがボクの役目っスから」
「藍染の手に渡らないために、ですか」
「その通りっス」
きっと名無しは、浦原が遠ざけてもまた戦場へ立ち上がるだろう。
意外と負けず嫌いなのだ、彼女は。
そして彼女が一番嫌っているのは、力のない彼女自身だということも分かっていた。
だからせめて、自分のことを嫌いになってしまわないように。強く。
「あなたはそれでいいんですか?」
「汚れ役は慣れましたからねぇ」
「質問を変えましょうか。…あなた自身は、それを赦せているのですか?」
その質問に、僅かに目を見開く浦原。
動揺を隠すようにそっと帽子を深く被り直した。
「…卯ノ花サンは、意地悪っスね」
宝物を抱えるように、そっと抱き上げる。
カラン・と下駄の音をひとつ鳴らし、彼と彼女は病室の窓から逃げるように出て行った。
「…不器用な人」
そう。分かっていて質問したのだ。
確かに彼の言うとおり意地が悪かったかもしれない。
「戦わせなくないのなら、そう言えばいいのに」
名無しのいなくなったベッドにそっと腰を掛ける卯ノ花。
茜色の夕日が、酷く目にしみた。
松葉杖が必要なくなり、あとは左腕のギブスと包帯が取れるだけになった。
三角巾で吊るされているからか少しだけ肩が凝った。
「名無しサン、迎えに来ましたよん」
いつもの下駄、帽子、杖、羽織。
景色は百年前によく見た建物なのに、彼の背格好だけが昔と違う。
ほんの少しだけ、変な気分だった。
anemone days#21
「…またどうしてここに」
「えー。名無しサンのおかげっスよぉ。…全部、夜一サンから聞きましたから」
カラン、コロン。
久しぶりに聞く、下駄の音色。
もう何年も聞いていなかったかのような錯覚に陥る。
病室のベッドに、一歩一歩近づく。
(全部聞いた、って。…あぁ、これは説教コースか…)
心の中であちゃーと呟いた。
無茶をして・とか、怪我が酷い・とか。
色んな人に散々言われた。
一護にも、ルキアにも、石田や茶渡、織姫にも泣きそうな顔で怒られた。
夜一の説教は思い出したくもない。意外と怒っていたのは砕蜂だった。
マユリですら半ば呆れていたのは驚いた。
『本当に腕を切り落とすバカがいるかネ』と。
知り合いである面々に、目が覚めてから会う度に何かしら小言を言われ続けた。
心配をして、というのは分かっていたから、大人しく聞きはしたけど。でも、やはり説教されるのは少し疲れるのだ。仕方ない。
夜一があの長さの説教だったのだ。浦原は倍だろうな、と身構えた。
スっと高く上げられた手。
拳骨コースか、と思い、目を固く閉じた。
ぽん。
「………………へ?」
「なんスかぁ、その声」
「いや、だって」
慈しむように、柔らかく頭を撫でる手。
大きな手が少し寝癖のついた髪を時々指で優しく梳いた。
「怒られると思ったんスか?」
「…はい、まぁ」
「皆サンにしっかり怒ってもらったでしょう。ならボクは何も言いません。夜一サンも『少し叱りすぎたか…』って言ってましたし」
夜一さん、自覚があったのか。
「名無しサン」
「…はい」
「よく、頑張りましたね」
浦原の、たった一言。
その言葉だけでじわりと目頭が熱くなったのが分かった。
色んな人が心配してくれた。怒ってくれた。それはとても幸せなことだ。
けれど、頑張りを褒めてくれる人はいなかった。
目標を立てた。
『浦原さん達の濡れ衣を晴らして、藍染をぶん殴ります』
それは奇跡的に達成出来た。
勿論、彼らが仕込んでくれた特訓の成果もあっただろう。
けれど、全ての偶然が重なって、いつ自分が死んでもおかしくない状況だった。
ゲームのようにリセットはきかない。
ひとつでも失敗したら、まさにゲームオーバーだった。
――怖かった。
誰にも打ち明けることがなかった。
今にも足が竦んでしまいそうな恐怖を、口にした途端歩みを止めてしまいそうな気がしたから。
「…最初に、市丸ギンに会ったんです。そこから囮として、ひとりで瀞霊廷に侵入しました」
「はい」
「知ってる景色のはずなのに、知らない人ばっかだったんです。しょうがないですよね、百年以上経ってましたし。
京楽さんに取引しに行くのも、本当は無茶苦茶怖かったです。あぁ、藍染を信用しきっていたらどうしよう、とか、旅禍として問答無用で斬られたらどうしよう、って。
…久しぶりに十二番隊の隊舎に忍び込むのも怖かったです。マユリさんが、とかじゃなくて、協力をお願いするのってこんなに怖いことだったんだな、って思って」
百年の月日は、決して短くない。
人が変わっている場合もあれば、立場が変わっているものもいる。
以前のように温かく迎えられるとは、限らないのだ。
「一番怖かったのは、やっぱり藍染でした」
一瞬でも気を抜けば、刈り取られる命。
磔架から飛び降り不意打ちで殴った後、あぁ、やってしまった。と少しだけ思ってしまった。
放った縛道が簡単に砕かれたのも、もしかしたら戦いに少しだけ恐怖を感じていたせいかもしれない。
黒棺から抜け出した後、市丸の刃に貫かれたのは、本当に痛かった。
そこからは無我夢中であまりはっきりと覚えていない。
腕を切り落とした。痛かった。
藍染の脇腹と肩を穿った。
切り落とした腕が補肉剤で元に戻った。
けれど、本当に霊力が一気になくなって頭がふらふらした。
その後、嬲るように手足を折られた。
全部全部、本当は怖かった。
『やはり、キミは欲しい』
そう言われた時。あぁ、これで負けたら浦原にもう会えないな、と一瞬思ってしまった。
この瞬間が、一番怖かった。
「…ダメですね、啖呵切って尸魂界に来たのに。こんなんじゃ、」
「そんなことはないですよ。名無しサンが頑張って結果を手繰り寄せた結果じゃないっスか」
撫でていた手に力を込められ、顔を浦原の胸板に押し付けられる。
いつも使っていた洗剤の匂いと、店の匂いと、浦原の匂いでいっぱいになった。
生暖かい体温。
するりと襟が開いた胸元からは、心臓の音が静かに聞こえた。
「大丈夫っスよ。今は、誰も見ていないっスから」
頑張りましたね。
その一言で、我慢していた涙腺が崩壊した。
本当に、怖かったのだ。
子供のように癇癪を起こして泣いてしまえばどんなに楽だったか。
けど後には引けない。進むしかなかった。
だから、今だけは、せめて。
***
泣き疲れたのか、時々鼻をスンと鳴らしながら眠る名無し。
濡れた頬を黒い羽織の袖でそっと拭えば、湿った睫毛が僅かに揺れた。
「連れてゆくのですね」
入口に立った卯ノ花が静かに問いかける。
「はい。元々この子は、うちの看板娘っスから」
袖を通していた羽織を脱ぎ、起こさないようにそっと名無しを包む。
補肉剤で作り直した左腕の治りは、遅い。
作りたてで折られたのだ。完全に体に馴染むにはしばらくかかるだろう。
けれど待っていられないのだ。
自分も、この世界も。
「それが再び戦場に立つことになっても、ですか」
卯ノ花の言葉に、そっと振り返る。
茜色の、夕暮れ。
黄昏時に差し掛かった日差しに照らされた彼女の足元。
しかし窓枠によってできた影が卯ノ花の上半身を覆い隠し、表情は全く読めなかった。
「…そうです。強くするのがボクの役目っスから」
「藍染の手に渡らないために、ですか」
「その通りっス」
きっと名無しは、浦原が遠ざけてもまた戦場へ立ち上がるだろう。
意外と負けず嫌いなのだ、彼女は。
そして彼女が一番嫌っているのは、力のない彼女自身だということも分かっていた。
だからせめて、自分のことを嫌いになってしまわないように。強く。
「あなたはそれでいいんですか?」
「汚れ役は慣れましたからねぇ」
「質問を変えましょうか。…あなた自身は、それを赦せているのですか?」
その質問に、僅かに目を見開く浦原。
動揺を隠すようにそっと帽子を深く被り直した。
「…卯ノ花サンは、意地悪っスね」
宝物を抱えるように、そっと抱き上げる。
カラン・と下駄の音をひとつ鳴らし、彼と彼女は病室の窓から逃げるように出て行った。
「…不器用な人」
そう。分かっていて質問したのだ。
確かに彼の言うとおり意地が悪かったかもしれない。
「戦わせなくないのなら、そう言えばいいのに」
名無しのいなくなったベッドにそっと腰を掛ける卯ノ花。
茜色の夕日が、酷く目にしみた。